文春文庫 2008年
「手」は芥川賞の候補にはなったらしいが、本タイトルは
逃したようだ。ちょっとこの作品ではムリかもしれない。
むしろ、表題作「お父さん大好き」の方が出来はいいようだ。
中年の上司と若いOLがランチを食べにいくところで、若い
OLはパクチーもトムヤムクンもしらない体で描いている。
ナオコーラさんはなにも知りたくなかったんじゃないか。その
反動で、何もかも知っている(と、思われている。その実、なにも
知りはしない)おじさんに焦点を定めたのではないか。
情報というものは大切だが、それはどこまで必要なのか? レゾン
・デートルという言葉を使い、その存在理由を問う。
我々は本当に必要なことを知っているのだろうか。
ナオコーラさんにとって、おじさん、とは情報そのものなのでは
ないのだろうか。
資本主義の名前を背負ったナオコーラさんの宿命として、それらは
必然的テーマになり得るのではないだろうか。
「手」は芥川賞の候補にはなったらしいが、本タイトルは
逃したようだ。ちょっとこの作品ではムリかもしれない。
むしろ、表題作「お父さん大好き」の方が出来はいいようだ。
中年の上司と若いOLがランチを食べにいくところで、若い
OLはパクチーもトムヤムクンもしらない体で描いている。
ナオコーラさんはなにも知りたくなかったんじゃないか。その
反動で、何もかも知っている(と、思われている。その実、なにも
知りはしない)おじさんに焦点を定めたのではないか。
情報というものは大切だが、それはどこまで必要なのか? レゾン
・デートルという言葉を使い、その存在理由を問う。
我々は本当に必要なことを知っているのだろうか。
ナオコーラさんにとって、おじさん、とは情報そのものなのでは
ないのだろうか。
資本主義の名前を背負ったナオコーラさんの宿命として、それらは
必然的テーマになり得るのではないだろうか。