文藝春秋 2005年
長らくぼくは春樹氏を「何か」=SOMETHING ELSE
のある作家だと認識してきたし、この本にも、その「
何か」は確かに存在する。2010年代になって、春樹
氏はそれらを失ってしまった、とぼくは思っているが、
それは、今回はまあ、いい。
ぼくらには、春樹氏ほどではないにしろ、少々の優れた
音楽が必要だ。日々、おいしいもんを食べて、なんとか
やっていくにしても、おいしいものをおいしいと感じる
には感性が必要になってくるし、健康もいる。そのため
には、スタン・ゲッツのいかしたリフや、ブルース・
スプリングスティーンの嗄れ声、スガシカオのとんでなく
ファンキーなやつが必要になって来るってわけだ。意味が
なければスイングはない、そうだ、音楽にも文学にも絶対
的に意味があるのだ。ぼくらはそれらを息をするみたいに
吸っていくのだ。
(鶴岡卓哉)
長らくぼくは春樹氏を「何か」=SOMETHING ELSE
のある作家だと認識してきたし、この本にも、その「
何か」は確かに存在する。2010年代になって、春樹
氏はそれらを失ってしまった、とぼくは思っているが、
それは、今回はまあ、いい。
ぼくらには、春樹氏ほどではないにしろ、少々の優れた
音楽が必要だ。日々、おいしいもんを食べて、なんとか
やっていくにしても、おいしいものをおいしいと感じる
には感性が必要になってくるし、健康もいる。そのため
には、スタン・ゲッツのいかしたリフや、ブルース・
スプリングスティーンの嗄れ声、スガシカオのとんでなく
ファンキーなやつが必要になって来るってわけだ。意味が
なければスイングはない、そうだ、音楽にも文学にも絶対
的に意味があるのだ。ぼくらはそれらを息をするみたいに
吸っていくのだ。
(鶴岡卓哉)
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