ぼくの考えるとこ、お笑いっていうのものは
差別を笑う、っていうのは、定説になっている
と思うんだけど。ぼくは差別に嫌悪感を抱いてお
り、いまのお笑いのあげあし取りみたいな笑いは
あまり好かんね。そういうことがお笑いのひとつ
の終焉の原因でもあり、TV界凋落のひとつの根本
原因であると思う。
そういうぼくはかなりのTVウオッチャーであり、
ハハも亡くなった祖母もすごくTVは好きでしたね。
TVとお笑いは切り離せない関係にあるとは思うが、
お笑い芸人がいなくてもTVは充分成立しうるとも思
うんだけどね。
まあ、そんなことをつらつらと考えておったわけですよ。
今日は蜆と云う短編の寸評です。
蜆(しじみ) 梅崎春生
「何を小刻みに動いているんんだ」とその男が話しかける
ところから、この短編は形成されていく。
そして、その男は外套を要るならやるよ、と主人公に
やってしまう。とても寒い夜で、酔いもほどほどに醒めて来
ている。度々、男と会うことになるが、男は外套を追い剥ぎ
のように奪い取ることになり、こんな話をする、戦中か戦後す
ぐの頃か列車に乗っていて、若い女が満員の列車の栓になって
いて、あるおっさんが身代わりになり、栓になった。その
おっさんは落っこちた、という。ぼくもそこで、声を立てて
笑ったのだが、作中の男も腹を捩らせて笑ったと云うのだ。
なんかよう分からんが、列車の中の誰もが他人のその不幸を
笑ったという。この男は、不幸になった分だけ誰かは幸せ
になる、という仮説を立てる。確かにそうかも知れぬ、と
単純なぼくも思う。その男の持っていたリュックはとても
重く、何度も捨てようと思ったと言うが、家に持って帰った。
その男にも妻がおり、大抵、そんな男の妻は不出来だ。
夜に、音がしているので、何を舐めているのだ、と寝ている
妻に言うと、いや、舐めていない、と言う。その音はリュックに
入っている大量の蜆が鳴いていたのだ。
それを闇市でか、男は売り払い、ちょっとしたおカネを手にし、
それを元手にまた蜆を買って売った帰りに主人公と会い、
外套を古物商に売りに行こうと思う、と言う。
その外套の釦(ボタン)はその男の祖父の撃った鹿の骨で
出来ていて、主人公はそれを失敬したが、子供にしばらく
してやってしまい、子供はそれをおはじきに見立て遊んでい
たらしいが、最近は見ないと云う。
(読了日 2024年11・18(月)21:40)
(鶴岡卓哉)
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