映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

「ジャッカ・ドフニ 海の記憶の物語」 津島佑子

2019年02月20日 | 本(その他)

過酷で壮大な旅の物語

ジャッカ・ドフニ 海の記憶の物語
津島 佑子
集英社

* * * * * * * * * *


アイヌの母と日本人の間に生まれたチカップ。
幼くして孤児となった少女はキリシタンに出会い、
兄と慕う少年・ジュリアンら一行と共に海を渡り、新天地をめざす。
母から聴いたアイヌの歌を支えに、異国からまだ見ぬ故郷のえぞ地に想いを馳せる。
強く、ひたむきに生きる女性の一生を、壮大なスケールで描いた著者渾身の叙事小説。

* * * * * * * * * *

津島佑子さんは私にははじめての作家なのですが、なんと本作が遺作とのことで・・・。
もっと早くに知っておくべきでした。


1600年代、蝦夷地のマツマエから発する壮大で、哀愁に満ちた物語です。

アイヌの母と日本人の間に生まれたチカップ(アイヌ語で鳥の意味)。
幼くして母を亡くし、見世物の親方に買われて旅をする途中、
キリシタンのパードレに拾われます。
そしてツガルの村で、キリシタンであるがゆえに京都を追われ流されてきた人々と出会うのです。
このときはまだ、キリシタン即死刑とまでにはならなかったのですね。
その村の少年ジュリアン(洗礼名)は、
なんとかマカオまで行ってパードレの資格をとって戻って来たいという夢をいだきました。
行き場のないチカップも、むしろマカオのほうが住みやすかろうとジュリアンと同行することに。
しかしもちろん当時のこと。
いくつもの舟を乗りつぎながら、ナガサキまでたどり着きますが、そこから先が難しい。
ナガサキで数年がたちますが、ある時ついにマカオへゆくという船に乗り込むことができます。
これまでの長い旅や逗留、子供のジュリアンとチカップだけでやり通せるわけがありません。
それぞれの地でキリシタンの仲間たちが匿い、世話をしてくれたのです。
マカオへの船旅もまるで拷問のようなひどい旅。
実に、当時の船旅は命がけなんですね・・・。

命からがらたどり着いたマカオは、明の領地ではありながら、ポルトガルが居住権を有しており、
日本から逃れてきたキリシタンたちも多く住み着いています。
チカップはこの地でしばし平穏な日々を過ごしますが・・・。
やがてついに日本人がこの地を退去しなければならない時が来ます。
パードレになるための勉強を続けているジュリアンと共に残り、修道尼になることはできる。
それともここで親しくなった人々とともに、マニラへ逃れるか・・・。
なかなか決心がつかないチカップ。
しかし、ここで彼女は改めて自分の名前の由来に気づくのです。
チカップー鳥-。
修道尼では名前が変わってしまう。
自分は鳥のように自由にどこへでも行けるのだ、と。
これはまた、自身のアイヌの出自をも再確認することなのです。
名前とアイデンティティの結びつき。
実の兄と思い親しみ、辛い時間をもともにしてきたジュリアンとの別れは、
それはそれは辛いものでもありましたが・・・。
そこからチカップは思いがけず、バタビア(今のインドネシア首都ジャカルタ)まで流れていき、
そこで長い生涯を閉じることになります。

それでも彼女は幼い頃母が歌ったであろうアイヌの子守唄を繰り返し思い出します。
遠い遠い、遥か北にあるエゾの地を思いながら。
けれど、全く意表を突くやり方で、彼女はエゾへ帰る方法を思いつくのです。
無謀というか恐ろしいと言うか・・・。
しかしまあ、これこそが"チカップ"なのかも。

その後ジュリアンがどうなったのか、チカップの目論見がどうなったのか、記述はありません。
いずれにしてももう遠い時の彼方の出来事・・・。


この壮大な物語を読み終えて思わずほう・・・と大きく息を吐きました。
無論フィクションではありますが、
南の地へ逃れていって、そこに骨を埋めたキリシタンは実際にいたわけですね。


さて、題名の「ジャッカ・ドフニ」は、
かつてあったサハリン少数民族・ウィルタ出身のゲンダーヌさんが
網走で作った資料館の名前。
先のチカップの物語とは別に、現代、オホーツクを旅する女性のことも語られているのです。
もしかしたら、チカップの思いともつながっているかもしれないアイヌの地としての北海道を。

時を忘れて読みふけってしまう本です。

図書館蔵書にて (単行本)
「ジャッカ・ドフニ 海の記憶の物語」 津島佑子 集英社
満足度★★★★★