記憶の不思議
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今から三十年以上前、小学校帰りに通った喫茶店。
店の隅にはコーヒー豆の大樽があり、そこがわたしの特等席だった。
常連客は、樽に座るわたしに「タタン」とあだ名を付けた老小説家、歌舞伎役者の卵、
謎の生物学者に無口な学生とクセ者揃い。
学校が苦手で友達もいなかった少女時代、
大人に混ざって聞いた話には沢山の“本当”と“嘘”があって…
懐かしさと温かな驚きに包まれる喫茶店物語。
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三十年以上前、鍵っ子だった“タタン”が小学校帰りにいつも過ごしていた、喫茶店。
本作は、その“タタン” の、喫茶店を訪れた人々についての「記憶」の物語。
記憶、特に子どもの頃の記憶というのは不思議です。
後に思い返すうちに少しずつ塗り替えられて、
あたかもそれが真実だったように自分では思っているけれども、
実はそうでなかったのかもしれない・・・。
自分の中では鮮明な記憶でありながら、おぼろげでつかみ所がない・・・、
まるで魔法のような記憶。
少女は喫茶店のお客たちの話を聞きながら、年不相応に大人の世界を垣間見るわけですが、
それとても、今となっては、本当にあったことなのか、否か・・・。
そんな中で、お祖母さんが登場するところが好きでした。
当時まだめずらしかった鍵っ子のタタンのために、
一時期、父の母である祖母が同居していたことがあるのです。
その祖母が、自らの死期が近いことをさとってか、言う。
「おれは、死んだらそれっきりだと思っている。
死んだら、ぱっと電気が消えるみてえに、
生きてたときのことがみんな消えるんじゃねえかと、おれは思ってんだ。」
気持ちも、痛みもぱっと消えて、楽になって、
地獄なんかなくて、そのまますぐに親しい人の心の中にぴっと入ってくる、
と祖母は言うのです。
ぱっと消えてぴっと入る。
いいですよねえ。
どんな宗教の死生観よりも納得できる気がします。
それから、タタンではなくて、ある男の子の思考の話が面白い。
「去年の6月、すごい雨が降って雷が落ちて木が倒れて、
その中からいっぱいカニが出てきた。
そのカニが、家に入ってきて、髪を切ってくれた。」
「お父さんは、タクシーの運転手で、ついでに夏みかんを販売していた。
ある日、女の人にビルの52階のポンチョを取ってくださいと言われたので、
怪獣になって取ってあげた。
でも怪獣のままもとに戻らなかった」
どこでどう間違ってそんな記憶になったのか、それとも夢の話なのか、
雲をつかむような話なのに、男の子にとっては理屈があう理路整然とした話しなのです。
・・・というか、この話を作り上げた著者のイマジネーションがあっぱれだと思いました!!
実に記憶は、不思議です。
ちょっと懐かしく、自分の子どもの頃の記憶までもが呼び覚まされるような、すてきな一作。
「樽とタタン」 中島京子 新潮文庫
満足度★★★★☆