サバイバルの「借りぐらし」
* * * * * * * *
ある夏、少年翔が大叔母さんの家に静養にやってきます。
広いその屋敷には大叔母さんとお手伝いさんがいるだけ。
庭も手が行き届かないようで、様々な草木が生い茂っている。
そんな中で、彼は身長10センチほどの小さな人を見かけるのです。
彼女はアリエッティ。
この家の床下に父母と共に住んでいて、時々家のものを「借り」て暮らしている。
アリエッティの初めての「借り」の日
10センチの身長が意味するもの。
それはメルヘンやファンタジーが語るよりもずっと過酷です。
植物のジャングル。
猫や鼠などの巨大な生物。
虫も怖い。
家の角砂糖を「借りる」のでさえ、食器棚から降りたりテーブルに登ったりは、
とてつもない絶壁を上り下りするのと同じ。
私たちが過ごしているごく普通の日常の場が、彼らにとってはサバイバルの場。
これは「借り」というよりはむしろ「狩り」なのです。
そこでは父親が狩りのつとめを果たしていて、
たくましく頼りになるカッコイイお父さんだ。
・・・うーん、遠い昔から人々はずっとこういう暮らしをしてきたのでしょうね。
ちょっとノスタルジーも感じたりします。
通常はこのように壁の裏側を移動します。私たちの知らない世界。
さて、彼らが最も神経を使うのは、決して人に見られてはいけない、ということ。
もし、人に見つかったときにはすぐに引っ越しをしなければならない。
それが自分たちの身を守ること。
けれどアリエッティと翔は、お互い意思疎通を図るというタブーを犯してしまいました。
何も引っ越しまでしなくても、友好は保てるはず。
私たちはそう思います。
でも結局は、二人が交友を持ってしまったことがきっかけで、
事態は良くない方へ進展してしまいます。
光と影が美しい
このあたりは、自然と人間の関係をいっている様にも思います。
私たち人間は、自然を踏み荒らしたりする一方、
自然を救うつもりでお節介もします。
しかしそのことが、結局生態系を壊してしまう。
いっそ関わらない方がいい。
私たちが自然をどうにかできるというのが、思い上がりであると思えてきます。
けれど、こびとたちが「借り」ぐらしをするためには、
人間の生活している家の近くに住む必要があるのです。
好むと好まないとに関わらず、共生していく人と自然。
宮崎作品がずっと語りかけてきたテーマですね。
この作品では、10センチの身長に自分を重ね合わせて、
すごくスリリングな体験をさせてもらいました。
こうなると、人は怖いですね。
みなウルトラマン並み。
ダンゴムシを丸めて、ぽーん、ぽーんとボールのようにほおり投げて遊ぶアリエッティ。
ダンゴムシがちょうどイヌ・ネコサイズだったりするわけです。
想像すると、悲鳴を上げたくなりますが、アニメだとかわいい。
小人の少年も登場しますが、これが全くの野生児で、久々に宮崎アニメっぽいキャラです。
こういうオトコノコは好きだなあ。
小人たちの生活がとても丁寧に描かれていて、その世界にはまります。
滅び行くものたちへの哀愁を織り交ぜた音楽もとてもよくマッチしており、
私としては「ポニョ」よりも、ずっといいと思います。
美しく生い茂る野草。これぞジブリの世界。
原作はメアリー・ノートン「床下の小人たち」。
日本でも、ステキな小人たちの話がありますよ。
佐藤さとる氏の「だれも知らない小さな国」からはじまるコロボックルシリーズ。
かつての私の愛読書でもありました。
できればこちらをアニメにして欲しかった・・・。
2010年/日本/94分
監督:米林宏昌
企画・脚本:宮崎駿
声:志田未来、神木隆之介、大竹しのぶ、竹下景子、藤原竜也
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ある夏、少年翔が大叔母さんの家に静養にやってきます。
広いその屋敷には大叔母さんとお手伝いさんがいるだけ。
庭も手が行き届かないようで、様々な草木が生い茂っている。
そんな中で、彼は身長10センチほどの小さな人を見かけるのです。
彼女はアリエッティ。
この家の床下に父母と共に住んでいて、時々家のものを「借り」て暮らしている。
アリエッティの初めての「借り」の日
10センチの身長が意味するもの。
それはメルヘンやファンタジーが語るよりもずっと過酷です。
植物のジャングル。
猫や鼠などの巨大な生物。
虫も怖い。
家の角砂糖を「借りる」のでさえ、食器棚から降りたりテーブルに登ったりは、
とてつもない絶壁を上り下りするのと同じ。
私たちが過ごしているごく普通の日常の場が、彼らにとってはサバイバルの場。
これは「借り」というよりはむしろ「狩り」なのです。
そこでは父親が狩りのつとめを果たしていて、
たくましく頼りになるカッコイイお父さんだ。
・・・うーん、遠い昔から人々はずっとこういう暮らしをしてきたのでしょうね。
ちょっとノスタルジーも感じたりします。
通常はこのように壁の裏側を移動します。私たちの知らない世界。
さて、彼らが最も神経を使うのは、決して人に見られてはいけない、ということ。
もし、人に見つかったときにはすぐに引っ越しをしなければならない。
それが自分たちの身を守ること。
けれどアリエッティと翔は、お互い意思疎通を図るというタブーを犯してしまいました。
何も引っ越しまでしなくても、友好は保てるはず。
私たちはそう思います。
でも結局は、二人が交友を持ってしまったことがきっかけで、
事態は良くない方へ進展してしまいます。
光と影が美しい
このあたりは、自然と人間の関係をいっている様にも思います。
私たち人間は、自然を踏み荒らしたりする一方、
自然を救うつもりでお節介もします。
しかしそのことが、結局生態系を壊してしまう。
いっそ関わらない方がいい。
私たちが自然をどうにかできるというのが、思い上がりであると思えてきます。
けれど、こびとたちが「借り」ぐらしをするためには、
人間の生活している家の近くに住む必要があるのです。
好むと好まないとに関わらず、共生していく人と自然。
宮崎作品がずっと語りかけてきたテーマですね。
この作品では、10センチの身長に自分を重ね合わせて、
すごくスリリングな体験をさせてもらいました。
こうなると、人は怖いですね。
みなウルトラマン並み。
ダンゴムシを丸めて、ぽーん、ぽーんとボールのようにほおり投げて遊ぶアリエッティ。
ダンゴムシがちょうどイヌ・ネコサイズだったりするわけです。
想像すると、悲鳴を上げたくなりますが、アニメだとかわいい。
小人の少年も登場しますが、これが全くの野生児で、久々に宮崎アニメっぽいキャラです。
こういうオトコノコは好きだなあ。
小人たちの生活がとても丁寧に描かれていて、その世界にはまります。
滅び行くものたちへの哀愁を織り交ぜた音楽もとてもよくマッチしており、
私としては「ポニョ」よりも、ずっといいと思います。
美しく生い茂る野草。これぞジブリの世界。
原作はメアリー・ノートン「床下の小人たち」。
日本でも、ステキな小人たちの話がありますよ。
佐藤さとる氏の「だれも知らない小さな国」からはじまるコロボックルシリーズ。
かつての私の愛読書でもありました。
できればこちらをアニメにして欲しかった・・・。
だれも知らない小さな国―コロボックル物語 1 (講談社青い鳥文庫 18-1) | |
村上 勉 | |
講談社 |
2010年/日本/94分
監督:米林宏昌
企画・脚本:宮崎駿
声:志田未来、神木隆之介、大竹しのぶ、竹下景子、藤原竜也
「借りぐらしのアリエッティ」はまだ未観なのでコメントが書けないのですが、久しぶりにジブリらしい作品のようで期待しています。
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実はこの記事に惹かれたのは、ラストの本の紹介です。
私も「だれも知らない小さな国」シリーズのファンで、子供のころ読んでずーと心の中に残っていたのですが、大学の頃に再会することが出来ました。そしてシリーズ化されていることも知って買って読みました。
イラストと相まって世界観もとてもいい作品だと思います。
アリエッティの話を聞いたときには、小人→コロボックル!→「だれも知らない小さな国」!!と叫んだものです。(^^;
せっかくの日本のアニメ、こちらの原作を生かせて欲しかったですね。
では。(^^)/ おじゃまーしました。
コメントどうもありがとうございます。
コロボックルシリーズを知っている方がいて、うれしいです。
「借りぐらし」の予告編を初めて見たときに、ちょっと違和感を感じたのですが、それは私の中で、「こびと」のイメージが「コロボックル」だったからだと思うのです。
アリエッティたちは、どこか欧州あたりから帰化したのではないでしょうか。名前からして、そうですね。イングリッシュガーデンに住んでいて、似合いそうな感じ。
日本土着のコロボックルとは、別人種(?)なのではと、勝手に想像しています。
日本版なら、「蕗の下の小人たち」となりますね。
日本の床下は湿気が多すぎて、住みにくいでしょう
>光と影が美しい
本当にそうでした。たんぽぽさんのコメント読ましてもらって、「そうだ、そうだ!」って感じです。
しまった!そんな感じの絵にすればよかった。
光と影のことについては、実はどなたかの解説にあったんですよ・・・。
ここに使っているカットの他にも、ティッシュペーパーに映るアリエッティの影とかもありましたね。
けっこうこの辺、監督は意識したのではないでしょうか。
翔は始めアリエッティの影を見て、なかなか実態を見ることが出来ない。そういうじらし方をしていましたね。