人と人とのつながりとは?
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夫の高之を熊谷に残し、札幌へ単身赴任を決めた沙和子。
しかし、久々に一緒に過ごそうと落ち合った大津で、
再会した夫は鬱の兆候を示していた。
高之を心配し治療に専念するよう諭す沙和子だったが、
別れて暮らすふたりは次第にすれ違っていき…。
ともに歩いた岡山や琵琶湖、お台場や佃島の風景と、
かつて高之が訪れた行田や盛岡、遠野の肌合い。
そして物語は函館、青梅、横浜、奥出雲へ
―土地の「物語」に導かれたふたりの人生を描く傑作長編。
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芥川賞受賞作家さんですが、私には始めての作家さんです。
高之と沙和子という夫婦、それぞれの人生を描きます。
夫婦であって、「それぞれの人生」といったら、何か違和感があるでしょうか?
いま、自分で書いてもあれ?と思ったのですが、
でも結婚したとしても、お互いに別の人格の人間なわけで、人生は同じではない。
本作、まさにそういう物語なんだなあ、と、改めて思いました。
この夫婦、まあ、一般的とされるあり方とは確かに少し異なっているのです。
高之は、妻の実家の両親宅の離れに住んでいます。
妻は単身赴任で札幌にいます。
こんな別居状態になってからまもなく、
高之が鬱となってしまい、仕事も辞めることに。
夫婦仲は悪くはありません。
時々喧嘩はするけれど。
で本作は、高之やその家族が鬱をどのように治していくか、という物語ではありません。
確かに鬱は困ったことではあるけれど、その時はじっくり身を休めているしかない。
そんな時期をも含めて高之の人生ということで、
むしろその時のことについては淡々と進んでいきます。
やがて、子供もなく互いに遠く離れて暮らしている状態が無意味に思われ、
離婚に踏み切る2人。
このときも、喧嘩したわけでも、どちらかに浮気があったワケでもないのです。
妻が鬱の夫を見限ったというわけでも全くない。
高之が、ある日突然に鬱の状態を抜け出したと思われるシーンが圧巻でした。
それは1人で山道をドライブしているとき。
「見えるものも見えないものも、爆発的に増えて生態系を破壊する種も絶滅した生物も、
後に主流となる突然変異も何もかもが備わっていたのだった。
終焉を迎えた文明も、忘れられた流行も死者もさまざまな歌やしきたりも、
今現在と同じことなのだった。
そして未来もその時間に含まれていた。」
「すべてはばからしく、同時にいとおしいと思われるだけの価値を持っていた。
矮小な存在でありながら無限と繋がっているのだった。」
かねてから旅行して、その土地の自然や歴史を捉えながら歩くのが好きな高之らしいひらめき。
なぜ彼にとってのこんな答えが出たか、というのは理屈ではないのです。
それがある日突然降りてくる、そんな時ってあると、私は思います。
離婚した後に、沙和子は思います。
子供もなく離婚した人の“ロールモデル”がない、と。
特に、働く女性については。
離婚した後の男女とはどうあるべきなのか。
確かに、普通はどうだというような答えはありませんね。
本作がその答えの一つなのでしょう。
こういうの、私にはうらやましい気もしますけどね。
しんみりと余韻に浸りたくなる作品です。
「夢も見ずに眠った」絲山秋子 河出書房新社
満足度★★★★.5
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