映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

「ゴースト」中島京子

2020年02月23日 | 本(その他)

今は失われたものについて思う

 

 

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目をこらすと今も見える鬱蒼とした原宿の館に出没する女の子、
二〇世紀を生き抜いたミシン、おじいちゃんの繰り返す謎の言葉、
廃墟と化した台湾人留学生寮。
温かいユーモアに包まれ、思わず涙があふれる7つの幽霊連作集。

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ゴーストと来れば怖い話かと思ったのですが、そうではありませんでした。
短編集で、それぞれに特につながりはありませんが、
どれも今は「失われた」人や物を思う、懐かしいような切ないような・・・、
そんな気持ちがわき上がるストーリーです。
私、どの話も好きでした。
こんなにお気に入りが多い短編集も珍しいと思うくらい。

 

★「ミシンの履歴」
古道具屋の奥の奥に、売り物にもならなさそうに無造作に置かれていた一台の壊れたミシン。
それは、昭和11年、製造されてすぐに洋裁教室に収められて活躍したミシンなのでした。
いわば、そのミシンの「一生」の物語です。
様々な人の手に渡り、大事にされたり酷使されたり、
空襲の火災にまで襲われて年月を経たミシン。
童話のようにミシンが語り始めたりはしませんが、
つまり私たちはミシンという「物体」にも命あるもののように
その気持ちを汲んだりすることができるわけなのですね。
そのミシンが語るのは、かつてミシンを使っていた人々の暮らしや気持ち。
失われ、思い出す人もいない今、
人ではなくモノが、そうした記憶を呼び起こすのです。
後の「廃墟」という作品でも、
かつて多くの人たちが住んだ香港の「九龍城」と、
それに関連して東京にあった「台湾人学生寮」の建物の廃墟の話が出てきます。
今は崩れかけてがらんどうとなった廃墟も、
かつてそこで生きていた人々のことを呼び起こすわけですね。

★きららの紙飛行機
ここに登場するのは、これぞ正真正銘の幽霊、ケンタ。
どうもこの子は終戦後浮浪児となり、そのまま亡くなったらしい。
どうしてかわからないけれど、ケンタはときおりこの世にふらりと現れる。
たいていの人に彼の姿は見えないのだけれど、たまに、彼を認める人がいる。
この日、彼を認めたのは“きらら”という名前の女の子。
彼女の母親がいわゆるネグレクトで、わずかなお金を置いたきりもう何日も戻らない。
お腹をすかせ、お風呂にも入らない彼女はかつてのケンタだ。
孤独な魂が呼び合ったかのように、二人で過ごす時間。
戦後から70年以上を経て、今もなおこんな境遇の子がいるという現実が悲しいですね。
最後のお風呂屋さんのシーンは救いでした。


★キャンプ
何やら不思議な話・・・と思って読み進むうちに意味がわかってきます。
難民のキャンプのように思われる大勢の人が暮らすキャンプ。
食料や物資は十分にあるのですが、それをもらうときは少し行列に並ばなければなりません。
マツモト夫人は、どうやら終戦後の満州で、
子どもを連れたつらい旅の果てにここにたどり着いたらしい。
そのときのつらい思い出が、今は夢のようにマツモト夫人に蘇るのですが、
とりあえず今はキャンプ暮らしながら安心して生活できている様なのです。
毎日大勢の人が新たにこのキャンプにやってきます。
それぞれにそれぞれの事情がありそう。
このキャンプの意味は悲しいものではありますが、
でもそれが救いのようにも思える。
切ないストーリーです。

「ゴースト」中島京子 朝日新聞出版
満足度★★★★★



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