アニメのシナリオライターとしての豊田有恒氏
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世界に冠たる日本のAnimeはここから始まった―
1963年1月1日、『鉄腕アトム』のテレビ放映開始。
限られた人材、乏しい経験のなか、試行錯誤の連続を経て、
日本アニメの創成期は幕をあけた。
手塚治虫をはじめとする日本アニメ黎明期を支えた人々との交流、
とり・みきや出渕裕ら、いまなお第一線で活躍する
錚々たるクリエイターの巣となったパラレル・クリエイションの日々…。
日本アニメのオリジナル・シナリオライター第一号として、
『鉄腕アトム』『エイトマン』『宇宙戦艦ヤマト』など、
エポックメイキングとなる作品とともに歩んだ筆者が、
貴重なエピソード・お蔵出しの資料とともに伝えるアニメ誕生秘話!
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私、豊田有恒さんは、SF作家としては知っていましたが、
日本アニメの創始期にシナリオライターとして活躍したということは
恥ずかしながら、知っていませんでした。
しかも関わったのが「鉄腕アトム」、「エイトマン」、「スーパージェッタ-」、「宇宙少年ソラン」
などと来ては、私くらいの年代の方ならものすごく懐かしく思うに違いありません。
当時、テレビアニメそのものが少なかったので、
アニメなら放映していればとにかく見る、という感じだったと思います。
だからご近所の子もみな同じモノを見ていました。
(漫画なんか見るとバカになる、というおカタい親の元にしつけられた良家の子女以外は)。
内容はほとんど覚えていないものの、テーマソングなら今でも歌えると思います。
著者はシナリオの書き方もわからないのに無理矢理その世界に引きずり込まれたそうなのですが、
しっかりしたSFを表現したいという思いがあったようです。
しかし当時SFという言葉さえまだ知られておらず、
サイボーグって何?という世界だったそう。
そりゃあ、苦労しますよね。
手塚治虫氏とは決裂状態になったこともあるというのはなんとも空恐ろしい話で・・・。
日本のアニメ界で手塚治虫氏を怒らせたらどんなことになるのか、
考えただけでも恐いです・・・。
だがしかしそれでも、物書きとしてのプライドが仕事を続けさせたのでしょう。
アニメーターからの日本のアニメ史を語る本はこれまでにもあったかもしれませんが、
シナリオライターの立場からの証言は確かにこれまでなかったかも知れません。
そもそもそれに関わった人たちがすでにかなり高齢化していますし、
当然亡くなっている方も。
そう見ればこのタイミングで書かれたこの本は、なかなか貴重な資料になると思います。
「♪じゅーおうむげんのちへいせん~」
私は「じゅーおうむげん」って何?という年齢だったのですが、
歌はよく歌っていた気がします・・・。
オジサンが主人公の、今思えば地味な作品だったかも、エイトマン。
<図書館蔵書にて>
「日本アニメ誕生」豊田有恒 勉誠出版
満足度★★★.5
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