ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

『おくりびと』を見せること

2009-04-12 07:07:42 | 教育

 置農演劇部で『おくりびと』を見に行った。地元川西町フレンドリープラザでの上映会、いつも通り便宜を図ってもらって全員で見た。置賜では最後の上映ということで、やや空席も目立ったが、それでも優に500人、圧倒的に爺ちゃん婆ちゃんが多い。プラザに初めて足を運んだ人もきっとかなりいたんじゃないかな。改めて、高齢化社会だなぁ、の感じ。その中で、置農の高校生17人はきわめて異質、時折、あちこちから、高校生が・・なんて声が聞こえてくる。

 僕としは2回目の鑑賞だったので、少し引いて作品の良さを分析しつつ見ようなんて思ったんだが、これが全然ダメ!あっという間に作品に引き込まれ、ぐいぐいと引き回されて、涙、涙の2時間15分だった。シナリオの素晴らしさ、役者の魅力、演出の巧みさ、どれも最初に見て感じたことをさらに深く実感するに止まった。強いて言うなら、展開の構成を見極められたことかな。もちろん、これが実に心憎かったわけだけど。

 で、高校生の方はどうだったか?葬式の話し、さらに遺体の納棺なんて、高校生、飽きるんじゃない?なんて心配は少しもしていなかった。だって、いいものはいい、優れた作品に、年寄りも若い者もないって大原則と、この映画の娯楽性からいって、絶対引き込まれるに違いないって確信してたから。案の定、映画の最中にぐっと前に乗り出して見入っている女の子たち。誰も居眠りなんかしちゃいない。そして、幕。女子生徒たちはほとんどが止まらぬ涙で席を立てなかった。男たちも圧倒されていた。

 誰でも一本や二本、心に残る一生ものの映画ってものを持っているんじゃないかと思う。いや、ない人もいるか。そんな人は悲しい人だ。僕の場合は高校生の時に見た『シベールの日曜日』だ。たった2回しか見ていないの、いろんな場面がするすると思い浮かぶ。もちろん、主役の少女パトリシア・ゴッジの名前も。映画と言えば、この作品を思い浮かべ、ここに感性の源泉を感じてきた。今回、この『おくりびと』は多分何人かの生徒に、そんな「私の映画原体験」のようなものになったんじゃないだろうか。映画、そりゃ『おくりびと』でしょ、そうそう、演劇部全員で見たんだっけ、なんて言い合う場面が目に浮かぶようだ。

 多感な高校時代に優れた芸術に出会う、これって絶対大切なことなんだと思う。人間形成の大きな部分を占める重大事なんだと思う。そう信じるから、いつだって強引に演劇、音楽、映画に引っ張ってきた。涙にくれて映画の感動を語る生徒たちを見て、うん、僕の思いこみは間違いじゃない!って確信した。人生のエポックとして、『おくりびと』を心にしまい込んだ君たち、良かったね。さあ、次は水曜日、アフリカンドラムの演奏会だ。またまた衝撃が待っているぞ。

コメント (2)
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