ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

県大会報告

2011-11-01 23:35:24 | 演劇
 ダメだった、『漂流』。
 せっかく素晴らしい歌をいただいたのに、残念。理由は、・・・・・・・
 まっ、いろいろ考えたけど、いいだろう、もう。
ただ、審査講評で『極楽浄土は西方のはず、南海の果てではないでしょう。」って決めつけには落胆した。中世の普陀洛渡海信仰は、南海の果ての小島に観音様の住まう浄土があったというものなのだ。十分に調べもせずに批評などすべきでない。こういう軽率な一言が他の評言をすべてうさんくさいものにしてしまった。我が身にもありうること、自戒しよう。

 さて、大会作品をすべて見たわけではないけれど、その中で気になった作品を二つほど紹介する。
以下の文章は大会の最中に書いたものなので、やや文体の印象が変わっているが勘弁してほしい。

 上演3の酒田西高『安達家の鬼』、宮部みゆきの短編を脚色した作品。祝!KT先生復活!斬新な演出、久しぶりに堪能した。それらしい衣装を着けているのは出ずっぱりの2人だけ。後は黒衣装に羽織り引っかけたり、マント様の布をまとったり、もちろん黒衣装のままで様々な役を演じていた。装置はキャスター付きの障子4枚とベッド、椅子2脚くらい。これらを行ったり来たり、様々組み合わせていろんなシーンを作り上げていた。魅力的な音楽が、大音量でのカットイン、カットアウトを繰り返し緊張感や情感を見事に増幅させていた。うーん、TK流。せりふも敢えて情緒的な言い回しを避けて、ぶっきらぼうの言い回しを採用して演出の効果に合わせていた。照明も全体に暗く一点に集中する明かり作りをしていた。中割で仕切って幅1メートルほど見せたホリに時折現れる真っ赤な色が強烈なアクセントになっていた。物語は、さすが宮部みゆきの原作、貧しく幸薄き女性と人間の業を背負わされた鬼との心の通い合いというせつなくも心温まる内容で、観客をぐいっと鷲つかみにする力を持っていた。ただ、この無機質な演出と宮部ワールドとがぴったりかみ合っていたかというと、少し首をひねらざるをえないなぁ。薄幸の女性の哀切な思いが描き切れたようには思えなかった。鬼が出てくるとはいえ、この世界はもっとしっとりしたものではなかったか。人間の強欲の描写もコミカルに走って他人事にしてしまった。とは言え、こういう思い切った舞台作り、僕にはできない。羨ましくもねたましい限りだ。

大会全作品の中での圧巻は新庄南『ホーリーナイト』。見事だ!置農と同じミュージカル、でも、歌の上手さ、演技の巧みさは比較にならない。ソロも全員しっかり声が出ていて音程も確かだった。合唱も全員の声量と表情が豊か観客にどっと押し寄せてくる圧倒感があった。役者一人一人の笑顔が、この芝居の明るく楽しい雰囲気をよく支えていた。装置は、イントレで高さを生かししかもその前のパネルが隙間だらけの羽目板パネルになっていて、ホリの色が見透かせたりそこが猫の出入りしたりととっても心憎い作りだった。衣装もキャラクター合わせてよく吟味されていた。メイクも役者の顔立ちを生かしつつ猫のイメージをしっかり出せていた。歌も観客の心に溶け込む歌詞とメロディになっていた。作曲とバックの演奏はどうしたのだろう。物語はとてもシンプル。愛する猫を交通事故から守って失明した少年が、猫やその仲間たち、サンタ学校の見習い生徒たちの力を借りて視力を取り戻すというお話だ。細部はともかく先が見えていることがとても安心できる。暖かな登場人物、優し美しい歌の数々、ここには悪意も不幸もまったく縁がない。少年が視力を失ったことにも悲惨さは微塵も感じられない。どこまでもわかりやすく安心できるメルヘンの世界。だからミュージカルが生きていた。と言うより、ミュージカルだからできる世界って言えるかもしれない。楽しく観客をたっぷりと楽しませてくれた素晴らしい舞台だった。

コメント (5)
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