ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

馬子にも衣装

2008-10-03 23:10:33 | 演劇

 衣装が届いた。東京の貸し衣装屋さんに注文してあったもので、男優陣のものと、劇中劇に使うものが中心だ。そう、人形の家の衣装だよ。1世紀前のヨーロッパブルジョア階級の洋服ってことかな。さっそく、段ボールを開けて試着してみる。みんな照れながらも嬉しくてたまらないのが見え見えだ。そうだよな、巫女さんの衣装着たり、陣羽織羽織ったり、まるで結婚式みたいなドレス着たりだもの、嬉しくないわけがない。女形役の役者なんて、3着だから!3着!!役者風の着物、巫女さんの赤い袴、それに人形の家のトルヴァルの洋服。とっかえひっかえ着替えを楽しんで、小一時間は遊んでいたね。

 それに引き替え、着物に袴で最後まで通す何人かは、ちょっと羨ましげに着付けを手伝っていた。着物に袴姿だって十分かっこいいのに。やはり、変身願望が役者の本質だから、普段着られないような衣装着られるってことは、有頂天になるくらい嬉しいことなんだと思う。

 それにしても不思議なのは、衣装を着ると演技がなんかそれらしくなってくるってことだ。これがまさしく、馬子にも衣装ってやつなんだろうね。まず、姿勢が変わるから。視線の向きも当然変化してくる。顔立ちまで変わってくるって、どういうことなんだ?そうそうせりふ回しもそれっぽくなってくる。

 思うに、それまで自分の役柄として十分想像できなかった部分が、衣装を着てみたことで、視覚化できて、何か本質的な部分をつかむからなんだろうね。ということは、外観と内面はたぶんにシンクロしているってことだ、言うまでもないことだが。もちろん、見る側の意識もある。ジーパンにティーシャツ姿じゃ、どんなに上手く演じても、ノーラには見えないものね。

 同じことは照明でも言える。舞台で稽古していていも、作業灯のべたあかりじゃ芝居に見えないのに、色付けたとたんに、舞台はそれらしくなる。役者たちも台本の世界に入り込んでしまう。日常から演技空間への飛翔。メイクにしてもそう!装置にしても同じ!こうやって、日常飛び越える仕組みを様々に仕込みつつ、舞台は異次元の世界として立ち上がってくるってことなんだ。

 さあ、衣装もそろった。残るは、役者がはばたくばかりだ。雲雀、はばたいて!いよいよ、一週間後に迫りました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする