ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

ホームセンターは宝箱

2014-12-21 10:52:12 | 演劇
 さて、どうしよう?

 装置をどうするか?台本書く時、常に頭を悩ます問題だ。有能で勤勉な装置担当者を失ってから、これは舞台制作の死活問題になっている。前回公演『山棲』は、悩んだ末に布と紗幕吊りだけ、後は照明を巧みに使って、町中のスタンドバーや安アパート、山奥の怪異たちの栖を描いた。うん、相当苦しかったが、まずまず好評だった。

 さて今回は、もっといけない。だって、この季節だもの!しかも本番まで正月はさんでたったの2ヶ月!菜の花座の装置製作場所、玉庭のふるさとセンターは完璧に雪に埋もれて中に入ることだってできやしない。しかも、頼れる人手はなし。なのに、舞台は寺の座敷が中心とおよそリアルな芝居なんだから。本当なら、壁パネ立てて、障子戸しつらえて、薄べり敷いて、庭などあしらって、・・・・無理、無理、無理!

 今度もまた、抽象的な装置で舞台作るしかないか?多忙な上にぶきっちょな団員たち。使える製作場所はプラザの搬入口。しかも、立て込み2日前の二日間だけ。このぎゅうぎゅうに押し込まれた条件で作れるものってなに?布とか紗幕はもう菜の花座の定番になってるし、高い柱てのも以前やった。シンプルな椅子と机だけてのも『決められない!』でやったし、・・・・なんかないか?新しいアイディア、斬新な仕組み。

 木材で出しにくい曲線を作れないか?直径3メートルの半円形とか弓形とかあちこちに吊ったらおもしろいんじゃないか?半円の中は和紙を貼る。これに光をいろいろ当てれば、いくつかの異空間を生み出せる。となると、素材の探索だ。きれいなカーブが描けて、つり下げに耐える強度もあって、なおかつ、安い!!

 出かける先は当然!ホームセンタームサシ!!

 まずは日常品の売り場を偵察。目を付けたのは、太めの電線。これなら丁寧に延ばして曲線にすればできないことはない。それと、なんたって、安い!メーター180円。3メートルの半円なら720円で作れる。菜の花座の貧しい経済状況でもなんとか可能か?問題はやや柔らかすぎなので、欲しい曲線を作った後、それを固定するビニールテープ貼りが必要そうだってこと。でも候補の一つ。次に見つけたのは、堅めのホース。あっ、これの方が加工は簡単だ、しかも安い!最有力候補出現。

 次に向かったのは建築資材売り場。ここは金物や水回り塗装関係中心なのでめぼしい標的はなし。隣の農業資材売り場へ移動。ここにはね、一つ最初から狙いを付けてたものがある。それは塩ビ管だ。配水管なんかに使うあれだよ。太いのから細いのまでサイズはいろいろ、そしてなにより、安い!この一番細いやつなら、両端を固定して力かければ曲がるんじゃないか?一番奥の売り場へ直行。あったよ、ありました。外径18mm長さは4m。しかも、値段はなんと180円!!!見るからにしなやか。絶対曲げられる。でも試してみなくちゃ。辺りを覗い店員がいないことを確認してテスト。片側を壁に押し当てぐいーっと力を加える。いいぞいいぞ。なめらかに曲がるじゃないか。あまり曲げすぎて折れたりしたらやばいから弓形程度で止めておいたげと、この柔らかさなら半円でもできそう。しかも、きれいな弧を描いている。決めた!これでいこう。これと半割の角材で半月や三日月形作って和紙を貼る。いやぁ、さすがはムサシ。ここ来ればなんとかなるって思ってたんだ。

 他にも使えそうなものいくつか目に付いた。堅めのプラスチックでできた網目状の長い管。暗渠排水に使うものらしい。これ、素材感がなかなか良い。たとえば、中にLEDとか仕込んだりするとおもしろい装置になりそうだ。紙を固めたボイド管なんかも、小口から切ってつなげるとおもしろいかもしれない。そうそう、シニア三期生公演でショーケースの縁飾りに使ったのは、柔らかなL字バー、これもホームセンターで調達した。

 そうなんだ。ホームセンターは宝箱!ホームセンタームは貧乏劇団の大切な助っ人!それにしても、おもしろいなぁ、これなんに使うんだ?わくわく時間を十分に楽しめたホームセンタームサシだった。
 

 
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ぬかみそ越冬作戦!

2014-12-19 13:10:35 | 暮らし
 ぬか漬け、去年から作ってる。時間があるってことは、思いがけないことを決意させる。それがぬかみそ漬け。

 そんなに大好きってわけけじゃなかったぬか漬け、せっかく取り立てのキュウリやらナスあるのに、サラダや煮物だけじゃつまらない。どんどん取れる夏野菜をさらに美味しく食べる工夫ねえか?おお、あるぞ、ある。子どもの頃食卓に欠かさず出ていた糠みそ漬け、あれやってみよ。糠だって無農薬で新鮮なものいくらだってあるし。

 塩漬けや三五八漬けとは違った豊かな風味、つややか色合い。ほどよく漬かった野菜たちは見ているだけで幸せ感を届けてくれる。もちろん、食べれば大満足!発酵食品だから健康に良いことも間違いない。一夏の間、豊かな食卓を彩ってくれた、ありがとう。

 シーズン終わり、さてこの上手に発酵したぬか床をどう保存するか、表面に厚く塩をまいて冷所でお休み、そうね、それしかないよな、と思いつつも、なんとなし台所の隅にほったらかしてしまった、ごめん。

 怠けりゃ罰は必ず当たる!今年の春、恐る恐る容器のふたを開けてみた。表面を白い産膜酵母がびっしりと覆っている。まっ、そりゃそうだね、手抜きしたんだから。なんとかなるかな、っと表面を厚めにすくい取って捨て、新しい糠と塩と唐辛子を加え、捨て漬けのキャベツの葉など大量につけ込んでみた。見た目はそれなりにぬか床風?でも、臭いがまるで違う。便所臭いっていうか、おっと、今時便所の臭いって言ったら、さわやかサワディだよね、汗と垢にまみれた下着を1ヶ月ほったらかした臭み?って言うか、ともかくとても食えたものじゃない。

 それでも、漬けてればいつかは美味菌が悪臭菌を打ち負かしてくれるだろうと、ぐっと我慢で貴重な野菜を漬け続けた。が、ダメだよねえ、悪い奴は強ええよ!朱に交われば朱くなる!悪貨は良貨を駆逐する!盗人猛々しい!違うか。いつまでたってもあのかぐわしいぬかみそには戻らなかった。仕方なく、また一から作り直して、どうやらこの夏、美味しい食卓をありがとう!のぬか漬け三昧だった。

 さて、今年もまた、ぬか床様には心地よく冬眠いただく季節とはなった。塩ふって小屋に安置か?とも思ったが、それだって気持ちよく眠っていてくれる保証はない。一番いいのは、これまで通り毎日かき混ぜ続けることだ。でもねぇ、漬けて楽しむものないのに、毎日冷たいぬか床に手を入れるって、できるか?不精者のこの僕に。無理だよなぁ、無謀だよなぁ、無自覚だよなぁ。

 でも、なにかしら漬けてたらいいんでねえか?そうすりゃ、毎日、欠かさず手入れできる。さて、冬もずっと手元にあって、なおかつぬかみそに漬けて美味しいものってなんかあるか?あったあった。にんじん!これは行ける!冬場不足しがちの緑黄色野菜が生で手軽に食べられる。漬けてみると、にんじん臭さが適度に薄らぎ、逆に甘みは強く感じられて、これなら毎日食べ通していけそうだ。歯ごたえカリポリ言うことないし。

 と言うことで、今年のぬかみそ越冬大作戦は「にんじんでしこしこ生き残り」でやり抜くことを決意した。で、このブログはその実行宣言!有言実行って言うより、書いちゃった以上、続けねえと恥ずかしいからね。がんばっぺね!





 
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真冬の公演、役者も凍る?菜の花座『夢金らぷそでぃ』

2014-12-17 20:02:06 | 演劇
 えっ?本当??真冬に公演?お客さん来るの?

 会館スタッフとの打ち合わせの日程を相談に行って呆れられた。菜の花座次回公演は厳冬真っ只中の1月18日。普通、やらないよね、この時期に。山形だよ、置賜だよ。12月の半ばだっちゅうのに、外は大雪!今日なんか2回も除雪をしたくらい。明日の稽古も果たしてできるかどうか?10日前も大雪で稽古、中止になったばかり。正月明ければすぐ本番だなんて。

 12月中にやりたかったんだ。それも月初め、まだ雪が降らないうちに。でも、ホールが取れなかった。土日はクリスマスまですべて予約済み。まさか年末や正月そうそうってわけにも行かないから、2月の豪雪が来る前の1月中旬にやるしかないってことになった。なんせ、シニア団のジョイント公演はある、コント大会はある。シニア演劇学校公演はあるで、菜の花座本体の公演は4月以来なんだ、なんとしたって新たな舞台ぶたないわけにいかんじゃないか。

 今年は例を見ない早期の豪雪。12月半ばで家がすっぽり埋まるなんてなかったよなぁぁ。12月でなくてかえって良かったかもしれない。って今は気楽に構えていられるけど、1月だってこの調子じゃ?????

 と、公演も危うい状況だけど、稽古はこつこつ続けている。昨晩は、通しで音取りをした。一通りせりふチェックも終わったので、演出の指示にしたがって台本を読み、録音するのだ。なんのため?せりふを覚えるため!焼いてたCDは役者全員に配られる。それを家で車で四六時中聞きながらせりふを覚えるって方法。これ、シニアグループの練習から始まった。台本読んだだけではせりふが入らないシニアたち、これならいつでも相手と稽古できるといつしか恒例になった。せりふの入りの悪い菜の花座若手にとっても必要だろ、ってことで音取りした。

 2時間ほどかけてすべてのシーンをラジオドラマよろしく録音した。僕はただひたすら聞き役。いや、舞台装置考えながらだったけど。

 で、終わって一言。おもしろくない!ずばっと言っちゃったよ。役者、一人として合格者なし!なんだって台本の意図つかめないんだよ。なんだってギャグのタイミング外すんだよ。なんたって役柄作れないんだよ。聞いていていらいらしてしまった。今回が2回目、3回目のシニアはともかく、菜の花座はえぬきのメンバーがこれじゃぁ、・・・・

 前回の『山棲』もそうだったけど、このところ役者の持ち味を無視して台本を書くようになってきた。それが効いてるんだよな。アマチュアは役の引き出しがきわめて乏しい。どうしても自分の演技にはめて役を作ってしまう。声の出し方、せりふの回し方、表情の作り方、当人は気付かない癖ってやつが染み込んでるんだ。だから、そこからはずれた役所を要求されると、途端に手も足も出なくなってしまう。いや、そんなこと無視して出来た気で知らんぷりすることもできないわけじゃないけど、そこはやっぱり菜の花座、それはないでしょ!役者だって意地がある。僕も許せない。

 ここが踏ん張りどころなんだと思う。できない!わからない!迷いとまどい、悩み苦しんで役をさぐる。せりふをさがす。僕は何度でもダメを出す。違う言い方、別の演技、違う!ダメだ!やり直し!どこまでも役者を追い込んでいく。辛くて泣きを入れる役者。呆然と立ちつくす役者。なんで?とくってかかりたい役者。物投げたりはしないけど、冷たく、どこまでも冷徹にダメだしを続けるんだ。そして、そんな押し合いへし合いの数ヶ月、役者たちはようやく役を自分のものにする。

 このお定まりの熟成期間がどうしても必要なんだ、菜の花座の役者たちには。そうやって新しいものを手にしていく。そうやってまた一つ引き出しを増やし行く。それが役者修業ってもんなんだ。今回は役を煮詰める時間が乏しい。それだけ、こっちも真剣勝負をしなくちゃいけない。果たして本番できるかどうかもわからないが、それでも稽古は続ける、当然だ。役者の成長のために。菜の花座の力量を高めるために。

 
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なんだって走るんだ?こんなに辛いのに

2014-12-14 14:07:46 | ランニング
 辛い!本当に辛い!!もう4時間以上も走ったっていうのに、まだ残り10km近くもある。歩こうか、ちょっと立ち止まろうか、ほらほらあの先のエイドステーションで給水とエネルギー補給出来るからそのときはちょっと休憩したっていいんじゃないか、・・・走りながら考えることは、残りの距離とリタイアのことばかり。

 35km過ぎ、とうとう足が攣って歩道に倒れ込んだ時、やばい!って思うと同時に、やったって気持ちもちらと動いた。これでリタイアする理由ができた。この軟弱者の自分に笑っちゃったよ。でも、・・・

 また攣りそう、あっ、やばやば!なんて独り言言いつつも、そろそろと走りだしてるんだ。ラスト近づくと、もう100m単位で、あとなんぼ、あとどんだけって言い聞かせつつ、棒のように固まった足をひたすら前に出す。これってなんなんだ?

 僕だけじゃない。途中行き違ったランナーはほとんど歩くほどのスピード。折り返し前のここでこの時間じゃ絶対制限時間内にゴールできっこない!当人がよーくわかってるはず。なのに、走る!

 僕の前を行く人は上半身不自由なようで、腕は片方しか振れない。片側に大きく傾いた姿勢は、見ていて痛々しい。昨年の長井マラソンでは、片足義足のランナーもいた。

 なんだってそうまでして走るんだ?

 健康のため。うーん、たしかに体の調子は良くなった。高めの血圧は走ることで抑えられている。風邪も引かなくなった。胃腸の具合もきわめて良好、三度のメシが待ち遠しい。肥満?そんなのぜんぜん縁がない。気のせいかもしれないが、虫歯の進行もスローダウンしているような感じさえする。

 体力のため。体力は間違いなく付いた。疲れなくなった。たとえば夜の劇団や演劇学校の稽古でも、数時間立ちっぱなしだってどうってこともない。連日10km走ったからって疲労が溜まるってことも、体に痛み出るなんてこともない。年取ると三日後に疲れが出る、なんて嘘っぱちだからね。

 若返り効果。嘘だろう?って疑う人、走ってみたらいいさ。確実に若くなる。たぶん、僕の現在の肉体年齢は、実年齢より10歳は若いに違いない。あるいは20歳?調子のるな!足の筋肉量とか堅さとか、中年以降に経験したことないほどのものになってる。腹筋だって割れてるし。しかも、鍛えればさらに充実する予感あるなぁ。長い距離走った後太ももとかさわると、おっ、たくましくなってる!って感じるもの。タニタの体重計で体内年齢49歳だしね。まっ、これは体重と脂肪量から割り出してるだけだから、本当の若さってわけじゃないけどね。

 ともかく、ランニングにはたくさんの効用がある。だから、多くの人たちが走ってる。でも、マラソンとなると、・・・

 フルマラソンとかウルトラマラソン(60km,80km,100km)とかトレイルラン(山道を走る)になると、こりゃもしかすると健康を損なってるかもしれんなぁって不安になるハードさだ。あまり熱中すると、寿命縮めることになるかもなぁなんてちらっと思ったりもする。

 でも、走ってるわけだよ、人間は。記録に挑戦するトップアスリートから腹の突き出たおっさんまで。小学生から90歳の爺まで。

 理由は、自分を超えるってことだと思う。1km走って息切れしてたのが、10km走れるようになる。10kmがハーフになり、フルマラソンになる。さらに自分に挑戦してウルトラへ、トレイルランへ。距離を延ばすだけが挑戦じゃない。ハーフなら2時間を切る。フルならサブ4、4時間切り。その間に、自分なりの壁がいくらでも設定できる。その目標を、日々のトレーニングを積み上げつつ、超えていく。乗り越えた時の達成感!到達感!

 人間は、今の自分を、まっ、こんなもんだ俺は、ってどこかで見限っている。成功したにせよ、失敗したにせよだ。最近はやりの、ありのままでいいんだ、なんてメッセージはその典型だ。どうせ変われっこない、このままだ、だったら肯定しちゃいましょうよ、辛いことから目つぶって!ってわけさ。中でも、年齢とか肉体とかは取り替え不可能、諦めるしかない。60歳は60歳、年相応に。止めときな、年寄りの冷や水は。運動音痴は直りっこないから。

 この絶対真理と化した今の自分=本当の自分=変われない自分信仰を簡単じゃないけど打ち破れるのが、走るってことなんだな。誰でもできる。歳に関係なく、運動能力に左右されず、金持ちも貧乏人も。男も女も。爺さんも婆さんも。こつこつと辛さに耐えていけば、いつの日か、思いがけない自分と出会える。若さを取り戻し、体力を身につけ、身体機能が回復し、新たな地平に立った自分を発見する。

 できないと思いこんでいたことがでるようになれば、それは大きな自信につながる。年齢や肉体という面以外でも、前向きにぶつかっていこうという気持ちが生まれてくる。高齢者ならば、迫り来る老いと寿命に昂然と抗っていくことができる。体に不調を抱える人なら、その克服に向けて意欲がわき上がってくる。

 だから、走るんだ。苦しくても、辛くても、制限時間をオーバーしても。だって、戦いの相手は自分なんだから。制限は自分の限界でしかないんだから。


 

 
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アクセントって奴が曲者だ!

2014-12-10 14:16:19 | 演劇
 おっさん!いや違う、おっさん!だから、おっさん!そうじゃない、おっさん!

 なんだかさっぱりわからんよね。これ昨夜の稽古の一コマ。正しいアクセント獲得に向けて、役者と僕の丁々発止?アクセントのことだから、表記するのは難しいが、正しいアクセントは”さん”の部分が”お”と同じ高さで発声される。つまり、平板に。ところが、当の役者さん、”お”がどうしても高くなってしまう。いくら指摘を受け、訂正され、あげくは周囲の失笑を買ってもついに治らなかった。

 ここで、日本語のアクセントについて、基礎知識。アクセントって奴、英語の授業で随分泣かされたもんだ。トマトはトメイト、ポテトはポテイトってほれあれだよ。どの部分を強く発音するか下線を引きなさい、なんて試験に必ず出てたもの。英語授業でとことん泣かされたせいか、アクセントって言えば、強拍=強く発声のことだって意識がけっこう根強い。だけど、日本語の場合、アクセントてのは、強拍ではなく音の高低のことなんだ。嘘だと思ったら、日本語アクセント辞典開いてみるといい。強拍を意味するダッシュや太字ではなく、上下のかぎ印が単語に書き込まれている。

 アクセントは語の高低、て意識がきわめて乏しいせいかもしれないが、アクセントの間違いはかなり多く、演技の指導なんかでは、なかなかの曲者なのだ。多いばかりか、治らない。どんなに正解を示しても、一語一語口移しのように矯正しても直らない。理由は簡単で、発する当人に正誤の違いが感じとれないってことだ。自分がどう発音し、その訂正版がどうなのか、区別がつかない。時には10分近くやりとりして、結局らち開かずに諦める、なんてことも、希だがある。いやいや希なんかじゃないな。当人必死で稽古してどうにか直ったと思ったら、本番はものの見事に元の木阿弥なんてざらだ。

 アクセントに難のある人はどんな人か?一概にはいえないが、普段の話し言葉にも特有のくせのある人が多いようだ。方言とか訛りとかとは違う。どんなに標準語をしゃべっていても、どこかくせがある、そんな話し方をする人、いるでしょ。当人はしごくまっとうな標準語で会話してるつもりなのに、どこか、変!って人。こういう人に共通するのは、音を聞き分ける能力がやや劣るってことじゃないかって思うんだ。繰り返して言うが、訛りのあるなしでは決してない。現に、菜の花座で一番方言の上手な女優は、ほとんどアクセントを過たない。きっと彼女は聞く耳が高性能なんだと思う。もっとも、耳の規格と演技の質とはこれまたまったく比例しない。おっと、彼女が大根だって言ってるんじゃないからね。発音がどうにも治らなくても、味のある演技する人はざらにいる。音の聞き分けと、言葉にこもった情感を聞き取る力てのは、また別ものってことだ。

 だから、まっ、アクセントなんて気にしねで、演技で勝負だこで!って開き直ってもいいのだが、観客の中にはけっこう気にする人もいて、アンケートにわざわざアクセントの間違いを逐一指摘してくれたりもする。これを読んで役者は凹む。僕もがっくりする。
 
 と言うことで、日夜、おっさん!いや違う、おっさん!だから、おっさん!そうじゃない、おっさん!とせめぎ合いは続くことになる。

 もっともね、最近のテレビのアナウンサーも、かなりデタラメなんだよね。「違うぞ、アクセント!」なんて、テレビ画面に向けて突っ込むこともかなりあって、おいおい、最近のテレビ局、アナウンサー教育どうなってんだ?って詰問したいところなんだけど、きっとそれ以前のモラル教育で精一杯なんだろうね。

 
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