おっさん!いや違う、おっさん!だから、おっさん!そうじゃない、おっさん!
なんだかさっぱりわからんよね。これ昨夜の稽古の一コマ。正しいアクセント獲得に向けて、役者と僕の丁々発止?アクセントのことだから、表記するのは難しいが、正しいアクセントは”さん”の部分が”お”と同じ高さで発声される。つまり、平板に。ところが、当の役者さん、”お”がどうしても高くなってしまう。いくら指摘を受け、訂正され、あげくは周囲の失笑を買ってもついに治らなかった。
ここで、日本語のアクセントについて、基礎知識。アクセントって奴、英語の授業で随分泣かされたもんだ。トマトはトメイト、ポテトはポテイトってほれあれだよ。どの部分を強く発音するか下線を引きなさい、なんて試験に必ず出てたもの。英語授業でとことん泣かされたせいか、アクセントって言えば、強拍=強く発声のことだって意識がけっこう根強い。だけど、日本語の場合、アクセントてのは、強拍ではなく音の高低のことなんだ。嘘だと思ったら、日本語アクセント辞典開いてみるといい。強拍を意味するダッシュや太字ではなく、上下のかぎ印が単語に書き込まれている。
アクセントは語の高低、て意識がきわめて乏しいせいかもしれないが、アクセントの間違いはかなり多く、演技の指導なんかでは、なかなかの曲者なのだ。多いばかりか、治らない。どんなに正解を示しても、一語一語口移しのように矯正しても直らない。理由は簡単で、発する当人に正誤の違いが感じとれないってことだ。自分がどう発音し、その訂正版がどうなのか、区別がつかない。時には10分近くやりとりして、結局らち開かずに諦める、なんてことも、希だがある。いやいや希なんかじゃないな。当人必死で稽古してどうにか直ったと思ったら、本番はものの見事に元の木阿弥なんてざらだ。
アクセントに難のある人はどんな人か?一概にはいえないが、普段の話し言葉にも特有のくせのある人が多いようだ。方言とか訛りとかとは違う。どんなに標準語をしゃべっていても、どこかくせがある、そんな話し方をする人、いるでしょ。当人はしごくまっとうな標準語で会話してるつもりなのに、どこか、変!って人。こういう人に共通するのは、音を聞き分ける能力がやや劣るってことじゃないかって思うんだ。繰り返して言うが、訛りのあるなしでは決してない。現に、菜の花座で一番方言の上手な女優は、ほとんどアクセントを過たない。きっと彼女は聞く耳が高性能なんだと思う。もっとも、耳の規格と演技の質とはこれまたまったく比例しない。おっと、彼女が大根だって言ってるんじゃないからね。発音がどうにも治らなくても、味のある演技する人はざらにいる。音の聞き分けと、言葉にこもった情感を聞き取る力てのは、また別ものってことだ。
だから、まっ、アクセントなんて気にしねで、演技で勝負だこで!って開き直ってもいいのだが、観客の中にはけっこう気にする人もいて、アンケートにわざわざアクセントの間違いを逐一指摘してくれたりもする。これを読んで役者は凹む。僕もがっくりする。
と言うことで、日夜、おっさん!いや違う、おっさん!だから、おっさん!そうじゃない、おっさん!とせめぎ合いは続くことになる。
もっともね、最近のテレビのアナウンサーも、かなりデタラメなんだよね。「違うぞ、アクセント!」なんて、テレビ画面に向けて突っ込むこともかなりあって、おいおい、最近のテレビ局、アナウンサー教育どうなってんだ?って詰問したいところなんだけど、きっとそれ以前のモラル教育で精一杯なんだろうね。
なんだかさっぱりわからんよね。これ昨夜の稽古の一コマ。正しいアクセント獲得に向けて、役者と僕の丁々発止?アクセントのことだから、表記するのは難しいが、正しいアクセントは”さん”の部分が”お”と同じ高さで発声される。つまり、平板に。ところが、当の役者さん、”お”がどうしても高くなってしまう。いくら指摘を受け、訂正され、あげくは周囲の失笑を買ってもついに治らなかった。
ここで、日本語のアクセントについて、基礎知識。アクセントって奴、英語の授業で随分泣かされたもんだ。トマトはトメイト、ポテトはポテイトってほれあれだよ。どの部分を強く発音するか下線を引きなさい、なんて試験に必ず出てたもの。英語授業でとことん泣かされたせいか、アクセントって言えば、強拍=強く発声のことだって意識がけっこう根強い。だけど、日本語の場合、アクセントてのは、強拍ではなく音の高低のことなんだ。嘘だと思ったら、日本語アクセント辞典開いてみるといい。強拍を意味するダッシュや太字ではなく、上下のかぎ印が単語に書き込まれている。
アクセントは語の高低、て意識がきわめて乏しいせいかもしれないが、アクセントの間違いはかなり多く、演技の指導なんかでは、なかなかの曲者なのだ。多いばかりか、治らない。どんなに正解を示しても、一語一語口移しのように矯正しても直らない。理由は簡単で、発する当人に正誤の違いが感じとれないってことだ。自分がどう発音し、その訂正版がどうなのか、区別がつかない。時には10分近くやりとりして、結局らち開かずに諦める、なんてことも、希だがある。いやいや希なんかじゃないな。当人必死で稽古してどうにか直ったと思ったら、本番はものの見事に元の木阿弥なんてざらだ。
アクセントに難のある人はどんな人か?一概にはいえないが、普段の話し言葉にも特有のくせのある人が多いようだ。方言とか訛りとかとは違う。どんなに標準語をしゃべっていても、どこかくせがある、そんな話し方をする人、いるでしょ。当人はしごくまっとうな標準語で会話してるつもりなのに、どこか、変!って人。こういう人に共通するのは、音を聞き分ける能力がやや劣るってことじゃないかって思うんだ。繰り返して言うが、訛りのあるなしでは決してない。現に、菜の花座で一番方言の上手な女優は、ほとんどアクセントを過たない。きっと彼女は聞く耳が高性能なんだと思う。もっとも、耳の規格と演技の質とはこれまたまったく比例しない。おっと、彼女が大根だって言ってるんじゃないからね。発音がどうにも治らなくても、味のある演技する人はざらにいる。音の聞き分けと、言葉にこもった情感を聞き取る力てのは、また別ものってことだ。
だから、まっ、アクセントなんて気にしねで、演技で勝負だこで!って開き直ってもいいのだが、観客の中にはけっこう気にする人もいて、アンケートにわざわざアクセントの間違いを逐一指摘してくれたりもする。これを読んで役者は凹む。僕もがっくりする。
と言うことで、日夜、おっさん!いや違う、おっさん!だから、おっさん!そうじゃない、おっさん!とせめぎ合いは続くことになる。
もっともね、最近のテレビのアナウンサーも、かなりデタラメなんだよね。「違うぞ、アクセント!」なんて、テレビ画面に向けて突っ込むこともかなりあって、おいおい、最近のテレビ局、アナウンサー教育どうなってんだ?って詰問したいところなんだけど、きっとそれ以前のモラル教育で精一杯なんだろうね。