Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

2020年11月2日は、全ての死せる信者の記念日(追思已亡 추사이망)でした。聖伝のミサのラテン語・日本語・中文の対訳のテキストをご紹介いたします

2020年11月04日 | ミサ聖祭

2020年11月2日は、全ての死せる信者の記念日(追思已亡 추사이망)でした。聖伝のミサのラテン語・日本語・中文の対訳の第一ミサのテキストをご紹介いたします

十一月二日 全ての死せる信者の記念 第一ミサ
一級平日 黒

死者への尊敬は、霊魂不滅の信仰にもとづいて、人類のはじまりと同じく古いものであり、原始人、異教徒の中でも行われていたし、今も行われている。ユダヤ人は、旧約時代にも、死者のために祈りといけにえとをささげていた。公教会でも使徒の時代から、死んだ信者のために祈っていた。しかし、長い世紀の間、すべてのミサで、死んだ信者を記念してはいたが、特にそのためのミサは行われていなかった。
この死者の記念日を、はじめて行ったのは、998年、聖オディロネ大修院長によって、クルニ(フランス)のベネディクト会修道院であり、そこから、次第に全教会にひろまっていったのである。教皇ベネディクト十五世は、1915年8月10日の教令により、全世界のすべての司祭に、この日三つのミサを立てる許可を与えた。
公教会は、この前日(11月1日)、すでに勝利の国(凱旋の教会)に入った信者を記念し、そして今日、まだ煉獄で苦しむ霊魂を思いやるのである。ここにあらわれるのは、公教会の神秘体の教義である。煉獄(苦悩の教会) の霊魂は、凱旋の教会のとりつぎと功徳とをうけ、また同時に、この世の戦闘の教会の祈りの効果をも受けるのである。「私の最も小さな兄弟の一人にしたことは、私自身に対してしたのである」というイエズスの御言葉は、煉獄の霊魂にも適用されねばならぬ。われらは、まずミサ聖祭によって、煉獄の霊魂を助けることが出来る。この煉獄の霊魂の中にはおそらくわれらの肉親、知人、家族のあることを考え、かれらにこのミサの功徳を与えねばならぬ。これは、最も効果のある、また、誰でもなしうる愛の業である。この三回のミサは、一回は煉獄にある死せる信者の霊魂のため、一回は教皇聖下の意向のため、一回はミサをささげる司祭の意向のためにささげる。もしこの日が主日にあたるときは、翌日に行う。

 

追思已亡
一等复式【黑】
追思亡者
我们所庆祝的瞻礼,通常只对胜利的教会及战争的教会而言,今天特为纪念受苦的教会,实为极合理的事。在炼狱的灵魂固然渴望胜利教会的功劳和有力的转达,但同时也需要战争教会的祈祷和有效的救助仪式。为亡者祈祷的出发点实由基督奥体诸圣相通功的信德道理。“凡给我弟兄中最小的一个做的,就是给我做的。”至于援助炼灵最有效的办法,便是弥撒。我们或望弥撒或领圣体,务使把我们的功劳让给炼狱中最穷乏或与我们最有关系的灵魂。查对已亡灵魂的追思,发起于古罗马的本笃会修院,不久便发展而普及整个教会。一九一五年、教宗本笃十五世特准普世的神父,在追思已亡日能举行三台弥撒,也无非为加强追思亡者的意思。追思已亡的瞻礼等别,原不过为无等级的复式吧了,但排除一切的遭遇瞻礼。就是说:倘十一月二日遇到主日,那末已亡的追思便移至瞻礼二举行。可见圣教对这一年一度的纪念、绝不容信友们放弃的啊。——今天每位神父能举行三台弥撒;若三台中欲举行一台大弥撒,当采用本日的第一台弥撒。

IN COMMEMORATIONE OMNIUM FIDELIUM DEFUNCTORUM 全ての死せる信者の記念(第一ミサ) 追思已亡 第一台弥撒
Feria I classis 一級平日 黒 一等复式【黑】
Ant. ad Introitum. 4 Esdr. 2, 34 et 35 入祭文 エズラ第四2:34-35 进台咏(厄四2:34-35)
Réquiem ætérnam dona eis, Dómine : et lux perpetua lúceat eis. 主よ、永遠の休息を彼らに与え給え。絶えざる光が彼らに光らんことを。 主啊!求祢赐与他们永远的安息,并以祢的永光照耀他们。
Ps. 64, 2-3 詩篇 64ノ2-3 咏64:2-3
Te decet hymnus, Deus, in Sion, et tibi reddétur votum in Ierúsalem : exáudi oratiónem meam, ad te omnis caro véniet. 天主よ、シオンにおいて、御身に賛歌がふさわしい。エルザレムにおいて、御身に祈願をささげることが[ふさわしい]。私の祈りを聞き入れ給え。御身に全ての肉[人間]行くだろう。 天主啊!熙雍的人都要称扬祢;所许的愿,也要在耶路撒冷向祢偿还。俯听我祈祷的主啊!凡有血气的,都要来接近祢。
Réquiem ætérnam dona eis, Dómine : et lux perpetua lúceat eis. 主よ、永遠の休息を彼らに与え給え。絶えざる光が彼らに光らんことを。 主啊!求祢……。
Oratio 集祷文 集祷经
Fidélium, Deus, ómnium Cónditor et Redémptor : animábus famulórum, famularúmque tuárum remissiónem cunctórum tríbue peccatórum ; ut indulgéntiam quam semper optavérunt, piis supplicatiónibus consequántur : Qui vivis. すべての信者の創造主かつ贖い主なる天主よ、御身のしもべらとはしためらの霊魂のために、各々の罪のゆるしを与え給え。彼らが常に希望したそのゆるしを、多くの敬虔な祈りによって、彼らが得んことを。聖父(ちち)なる天主とともに…。 天主,祢是信众的造主和救主,求祢除免祢仆婢们灵魂上的一切罪过,使他们能藉我们虔诚的祈祷、得到他们所时时仰望的恩赦。祢和天主父……。
Léctio Epístolæ beáti Pauli Apóstoli ad Corínthios. 使徒パウロの、コリント人への書簡の朗読 书信
1. Cor. 15, 51-57. 前コリント 15ノ51-57 (格前15:51-57)
Fratres : Ecce, mystérium vobis dico : Omnes quidem resurgámus, sed non omnes immutábimur. In moménto, in ictu óculi, in novíssima tuba : canet enim tuba, et mórtui resúrgent incorrúpti : et nos immutábimur. Opórtet enim corruptíbile hoc induere incorruptiónem : et mortále hoc indúere immortalitátem. Cum autem mortále hoc indúerit immortalitátem, tunc fiet sermo, qui scriptus est : Absórpta est mors in victória. Ubi est, mors, victória tua ? Ubi est, mors, stímulus tuus ? Stímulus autem mortis peccátum est : virtus vero peccáti lex. Deo autem grátias, qui dedit nobis victóriam per Dóminum nostrum Iesum Christum. 兄弟たちよ、実に、私はいま、あなたたちに奥義を告げようとする。私たちは皆死なない。しかし私たちはみな、最後の喇叭(ラッパ)がなりわたるとき、またたく間にたちまち変化するであろう。喇叭は鳴り、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変化するであろう。この朽ちる者が朽ちないものを着、この死ぬ者は不滅をまとわねばならない。この朽ちる者が朽ちないものを着、この死ぬ者が不滅をまとうであろうとき、「死は勝利に呑まれた」という聖書のことばが実現する。「死よ、おまえの勝利は何所にある。死よ、おまえの、刺は何所にある」。死の刺は罪である。また、罪の力は律法である。ともあれ、主イエズス・キリストによって、私たちに勝利を与えられる天主に感謝しよう。 弟兄们:现在我告诉你们一件奥理:我们不是都要死,却是都要改变。在一刹那、一眨眼间、听见最后的号角声时——最后的号角一定要响——死者必要复活,变为不朽坏的,至于我们(生者)、也要改变:这可朽坏的身体必须要佩戴上永不朽坏的性体,这要死的身体必须要佩戴上永不死亡的性体。当这要死的身体佩戴上永不死亡的性体时,经上所记载的话就应验了:“死亡在胜利中被吞噬了。死亡呀!你的胜利在哪里?死亡呀!你的芒刺在哪里?”死亡的芒刺就是罪恶,罪恶的势力就是法律。感谢天主吧!祂藉着我们主耶稣基督、赏赐我们得到胜利。
Graduale. 4 Esdr. 2, 34 et 35 昇階誦 台阶咏(厄四2:34-35)
Réquiem ætérnam dona eis, Dómime : et lux perpétua lúceat eis. 主よ、永遠の休息を彼らに与え給え。絶えざる光が彼らに光らんことを。 主啊!求祢赐与他们永远的安息,并以祢的永光照耀他们。
V/. Ps 111, 7 In memória ætérna erit iustus : ab auđitióne mala non timébit. V/. 詩篇、111ノ7. 義人は永遠の記憶のうちにあるだろう、彼は悪しき[宣告]を聞くことをおそれないだろう。 连唱咏
Tractus. 詠誦 主啊!求祢赦免已亡诸信者的灵魂、脱离他们罪过的一切羁绊。
Absólve, Dómine, ánimas ómnium fidelium defunctórum ab omni vínculo delictórum. 主よ、死んだ信者すべての霊魂らを、全ての罪の鎖から解き放ち給え。 望他们赖祢圣宠的助佑、能脱免复仇的审判,
V/. Et grátia tua illis succurrénte mereántur evádere iudícium ultiónis. V/. また、御身の恩寵が彼らを助け、最後の裁きから逃れるに値せんことを。 并获享永光的幸福。
V/. Et lucis ætérnæ beatitúdine pérfrui. V/. そして永遠の光明の幸福を味わんことを。
Sequentia 続誦 (ディエス・イレ) 继抒咏
Dies iræ, dies illa, 怒りの日である、かの日、 依照达味与女先知,
Solvet sæclum in favílla : ダヴィドとシビッラとの[予言の]証言によれば、 预告世界将归烬灰,
Teste David cum Sibýlla. この世が灰に帰すだろう。 那天真是主震怒的日期!
Quantus tremor est futúrus, 恐怖はいかばかりであろうか 审判大主降临之时,
Quando iudex est ventúrus, すべてを厳格に糺(ただ)すために 追问一切清算无遗,
Cuncta stricte discussúrus. 審判者が来給うとき。 我心我灵将颤栗无比。
Tuba mirum spargens sonum ラッパが不思議な響きを撒き散らし 号筒响遍四方八极,
Per sepúlcra regiónum, 各地域の墓らを通して 死过众生起自墓穴,
Coget omnes ante thronum. 全て[人類]を玉座の前に集めるだろう。 向判主座前都来聚集。
Mors stupébit et natúra,  死と自然界とはおどろくだろう、 善者恶者都要复生,
Cum resúrget creatúra,  被造物[の人間]が、よみがえるだろう時、 前往判主答复鞫讯,
Iudicánti responsúra. 審判者に答えるために。 死与体质将不胜怖惊!
Liber scriptus proferétur,  書き記された本がもち出されるだろう、 那时展开案卷巨册,
In quo totum continétur,  そこにはすべてが[書かれ]収められているだろう、 其中纪录详细明白,
Unde mundus iudicétur. そこから、この世は裁かれるだろう。 全关审判普世的事迹。
Iudex ergo cum sedébit.  審判者が[審きの座に]座るだろうとき、 判主在座秋毫明察,
Quidquid latet apparébit :  隠れていることはことごとく明るみに出るだろう、 一切隐密显露透骨,
Nil inúltum remanébit. 裁かれずに残るものは何もないだろう。 断无一罪能逃脱谴罚。
Quid sum miser tunc dictúrus ?  そのとき、憐れな私は何を言おうか。 那时义者也难安心,
Quem patrónum rogatúrus,  どんな弁護者に頼もうか。 嗟我罪人何可诉陈,
Cum vix iustus sit secúrus ? 義人さえも、ほとんど安全ではないのに。 将呼何人作我的护身?
Rex treméndæ maiestátis,  畏るべき御稜威(みいつ)の王よ、 祢是赫赫威严君王,
Qui salvándos salvas gratis,  御身は救われるべき者らを無償で救い給う 凡蒙救者由祢恩赏,
Salva me, fons pietátis. 優しさの泉よ、私を救い給え。 仁慈之源请救我勿忘。
Recordáre, Iesu pie,  優しきイエズスよ、記憶し給え、 至慈耶稣求祢记忆,
Quod sum causa tuæ viæ :  御身の[地上での]御生涯の理由はこの私だったことを。 为着救我曾来犹国,
Ne me perdas illa die. かの日に、私を失い給うな。 切勿在那日把我殄灭。
Quærens me, sedésti lassus :  私をさがし求め、御身は疲れて座られた。 主为觅我奔走碌碌,
Redemísti crucem passus :  十字架を苦しみ、御身は[私を]贖い給うた。 被钉苦架把我救赎,
Tantus labor non sit cassus. かくも大いなる労苦が、空しくならんことを。 望此苦楚切勿无结局。
Iuste iudex ultiónis,  罰を与える正義なる審判者よ、 主的判决公正不偏,
Donum fac remissiónis   赦しの賜物をなし給え、 求祢容我清算日前,
Ante diem ratiónis. 報告の日の前に。 蒙受洪恩而恕免罪愆。
Ingemísco, tamquam reus :  私は、被告として嘆く、 我如罪犯挥泪忧惔,
Culpa rubet vultus meus :  私の顔は、罪で[恥じて]赤くなる、 因着罪愆满面羞惭,
supplicánti parce, Deus.  天主よ、請い願う私を容赦し給え。 恳求祢宽恕我的不堪。
Qui Maríam absolvísti,  御身は[マグダラの]マリアを赦し給うた、 玛达肋纳偕同右盗,
Et latrónem exaudísti,  [善い]盗賊の願いを聞き入れ給うた、 得祢宽恕与祢和好,
Mihi quoque spem dedísti. 私にも、希望を与え給うた。 勿使我失却祢的依靠。
Preces meæ non sunt dignæ :  私の祈りは、価値のないものである、 我的祈祷实属不堪,
Sed tu bonus fac benigne,  しかし、良き御身は優しく行い給え、 仗祢仁慈邀祢容涵,
Ne perénni cremer igne. 私が永遠の火に焼かれないように。 请救我于永火的难关。
Inter oves locum præsta,  羊らの中に場所を与え給え、 绵羊群内请给我位,
Et ab hædis me sequéstra,  牡山羊らから私を引き離し給え、 从山羊中把我引退,
Státuens in parte dextra. 御右に置き給え。 请将我置于祢的右队。
Confutátis maledictis,  罰を受けた呪われた者どもが、 祢使恶群惭愧慑服,
Flammis ácribus addíctis :  激しい火の中に加えられる時、 又把他们投诸永狱,
Voca me cum benedictis. 祝福された者らとともに私を呼び給え。 请招我享善人的永福。
Oro supplex et acclínis,  私はひれ伏して懇願し奉る、 向祢哀恳伏地战栗,
Cor contrítum quasi cinis :  心は灰のように砕かれた、 因着痛悔我心碎裂,
Gere curam mei finis. 私の最期の世話をなし給え。 求祢垂顾于我的末日。
Lacrimósa dies illa,  かの日は、涙の日、 罪犯复活起自土尘,
Qua resúrget ex favílla.  その日、塵からよみがえるは 应受审判到主法庭,
Iudicándus homo reus : 裁かれるべき被告なる人間。 真是悲惨日期的临身。
Huic ergo parce Deus :  だから天主よ、彼を容赦し給え、 吾主耶稣仁慈无匹,
Pie Iesu Dómine,  主よ、優しきイエズスよ、 请给罪犯宽恕怜恤,
Dona eis réquiem. Amen. 彼らに安息を与え給え。アメン。 并求祢赐与他们安息。阿们。
+ Sequéntia sancti Evangélii secúndum Ioánnem. ヨハネによる聖福音の続誦 福音
Ioann. 5, 25-29. ヨハネ 5ノ25-29 (若5:25-39)
In illo témpore : Dixit Iesus turbis Iudæórum : Amen, amen, dico vobis, quia venit hora, et nunc est, quando mórtui áudient vocem Fílii Dei : et qui audíerint, vivent. Sicut enim Pater habet vitam in semetípso, sic dedit et Fílio habére vitam in semetípso : et potestátem dedit ei iudícium fácere, quia Fílius hóminis est. Nolíte mirári hoc, quia venit hora, in qua omnes, qui in monuméntis sunt, áudient vocem Fílii Dei : et procédent, qui bona fecérunt, in resurrectiónem vitæ : qui vero mala egérunt, in resurrectiónem iudícii. そのとき、イエズスはユダヤ人の群集に仰せられた。「まことにまことに私はいう。死者が天主のみ声を聞くときが来る。いやすでに来ている。そのみ声を聞く人は生きる。父が命を左右されるように、子にもそれを左右させ、こうして、父はかれを最高の審判者とお定めになった、かれは人の子だからである。こう聞いておどろいてはいけない。墓にいる人々がみな、そのみ声の呼びかけをきいて、墓を出る時が来る。善をおこなった人は命のために、悪をおこなった人は永遠の罰のために、よみがえる。」 那时候、耶稣向犹太群众说:“我切切实实告诉你们:时候到了,现在就是,死人将听到天主子的声音,听到的就要活。如同父在自己内有生命,同样也赐子在自己内有生命,而且交给祂审判的权柄,因为祂是‘人子’。你们不要因此希奇:因为时候到了,凡在坟墓中的,都要听到天主子的声音而出来:行善的,复活得永生;作恶的,复活受审判。”
Ant. ad Offertorium. 奉献文 奉献咏
Dómine Iesu Christe, Rex glóriæ, libera ánimas ómnium fidelium defunctórum de pænis inférni et de profúndo lacu : libera eas de ore leónis, ne absórbeat eas tártarus, ne cadant in obscúrum : sed sígnifer sanctus Míchaël repræséntet eas in lucem sanctam : 主イエズス・キリスト、光栄の王よ、全ての死んだ信者の霊魂らを、地獄の罰と深い池とから救い出し給え、獅子の口から彼らを解き放ち給え。願わくは[地獄の]深淵が彼らを飲み込まず、暗闇に倒れぬことを。旗手聖ミカエルが、彼らを聖なる光に導かんことを。 主耶稣基督、荣光的君王,求祢救拔已亡诸信者的灵魂,脱免阴府的刑罚与深渊的极处。求祢拯救他们脱离猛狮的口;求祢不容深坑吞灭他们,并不容他们陷落于幽暗的处所。但望祢的总领天神圣弥额尔、引导他们入于至圣的光明之中。
* Quam olim Abrahæ promisisti, et sémini eius. * 御身が、その昔、アブラハムとその子孫とに約束し給うたその光に。 这光明是祢昔时许给了亚巴郎和他之子孙的。
V/. Hóstias et preces tibi, Dómine, laudis offérimus : tu súscipe pro animábus illis, quarum hódie memóriam fácimus : fac eas, Dómine, de morte transíre ad vitam. V/. 主よ、賛美のいけにえと祈りとを、われらは御身に捧げ奉る。本日我らがその記念をする霊魂らのために、これを受け入れ給え。主よ、彼らを死から生命へと移し給え。 主啊!求祢把我们为赞颂祢所呈奉的祈祷与祭献,惠然收纳,为使我们今天所纪念的灵魂,由死亡而迁入于生命。
* Quam olim Abrahæ promisísti et sémini eius. * 御身が、その昔、アブラハムとその子孫とに約束し給うたその生命に。 这生命是祢昔时许给了亚巴郎和他之子孙的。
Secreta. 密誦 密祷经
Hóstias, quǽsumus, Dómine, quas tibi pro animábus famulórum famularúmque tuárum offerimus, propitiátus intende : ut, quibus fídei christiánæ méritum contulísti, dones et præmium. Per Dóminum nostrum Iesum Christum. 主よ、願わくは、御身のしもべとはしためとの霊魂たちのために御身に捧げるいけにえを、憐れみ深く見給え。御身がキリスト教信仰の功徳を与え給うた彼らに、報いをも与え給え。天主として、聖霊との一致において、御身とともに世々に生きかつ治め給うわれらの主よ、聖子、イエズス・キリストによりて。 主,求祢惠顾我们为救助祢仆婢们灵魂所奉献的祭祀;切望祢既曾赏赐他们立了对基督信仰的功劳,也恩予他们这个信仰的酬报。因我们主……。
Præfatio defunctorum. 死者の序誦 为亡者的颂谢引
Vere dignum et iustum est, æquum et salutáre, nos tibi semper et ubíque grátias ágere : Dómine, sancte Pater, omnípotens ætérne Deus : per Christum Dóminum nostrum. In quo nobis spes beátæ resurrectiónis effúlsit, ut quos constrístat certa moriéndi condítio, eósdem consolétur futúræ immortalitátis promíssio. Tuis enim fidélibus, Dómine, vita mutátur non tollítur, et dissolúta terréstris huius incolátus domo, ætérna in cælis habitátio comparátur. Et ídeo cum Angelis et Archángelis, cum Thronis et Dominatiónibus, cumque omni milítia cæléstis exércitus, hymnum glóriæ tuæ cánimus, sine fine dicéntes.   Sanctus, ... 主よ、聖なる父よ、全能永遠の天主よ、われらの主キリストによって、われらがいつも、どこにても、主に感謝を捧げるのは、実にふさわしく正しいことであり、われらの義務と救いである。かれにおいて、幸せな復活の希望が、われらに輝いた。確実に死ぬべき条件により悲しむ者たちを、未来の不死の約束が慰めるためである。主よ、御身の信者たちにとって、生命は、取り去られるのではなく、変えられるのであり、この地上の肉身の住まいは滅びても、天において永遠のすみかを与えられるからである。ゆえに、天使、大天使と共に、座天使と主天使と共にまた天の万軍と共に、われらは、きわまりなく、主の御光栄の讃歌をうたい続けよう。 聖なるかな、… 主、至圣的父、全能永生的天主,我们藉我们主基督、时时处处颂谢祢,实是正义而必须的,属于我们天职的,也属我们得救的。因在基督身上给我们炫示着幸福复活的希望,使那些为着人性必死的现世所深怀忧伤的人们,凭有来日永生不死的恩许、而大感欣慰。主啊!对于信仰祢的人、生命并非被毁灭,只是改变而已:这个世上寄居的住所一经解体,天上就有个永远的安宅供给我们。为此、我们随同诸位天神、总领天神、上座者和宰制者以及天上万军、合唱光荣祢的圣歌,无穷期地说﹕圣、圣、圣……。
Ant. ad Communionem. 聖体拝領誦 领主咏(厄四2:34-35)
Lux ætérna lúceat eis, Dómine : Cum sanctis tuis in ætérnum : quia pius es. 主よ、永遠の光りが彼らに輝かんことを。* 御身の聖人らととともに永遠に。何故なら御身は優しいからである。 主啊!求祢赐与他们永远的安息,由于祢的仁慈,使他们永远偕同祢的诸圣。
V/. Réquiem ætérnam dona eis, Dómine : et lux perpétua lúceat eis : Cum Sanctis tuis in ætérnum : quia pius es. V/. 主よ、永遠の休息を彼らに与え給え。そして永遠の光りが彼らに輝かんことを。* 御身の聖人らととともに永遠に。何故なら御身は優しいからである。 主啊,求祢赐给他们永远的安息,并以祢的永光、照耀他们。
Cum sanctis tuis in ætérnum : quia pius es. 御身の聖人らととともに永遠に。何故なら御身は優しいからである。 由于祢的仁慈,使他们永远偕同祢的诸圣。
Postcommunio. 聖体拝領後の祈 领后经
Animábus, quǽsumus, Dómine, famulórum, famularúmque tuárum orátio profíciat supplicántium : ut eas et a peccátis ómnibus éxuas, et tuæ redemptiónis fácias esse partícipes. Qui vivis. 主よ、願わくは、懇願する者たちの祈りが、御身のしもべとはしためとの霊魂らの益とならんことを。御身が、全ての罪から彼らを解放し、御身の贖(あがな)いに与る者たちとなさんことを。聖父(ちち)なる天主とともに…。 主,我们恳切求祢,使我们的哀祷供益于祢仆婢们的灵魂;望祢救他们脱免诸罪,使他们参享祢的救恩。祢和天主父……。


2020年11月1日は、諸聖人の祝日(저성 첨례)です。聖伝のミサのラテン語・日本語・韓国語の対訳のテキストをご紹介いたします

2020年10月27日 | ミサ聖祭

2020年11月1日は、諸聖人の祝日(저성 첨례)です。聖伝のミサのラテン語・日本語・韓国語の対訳のテキストをご紹介いたします

諸聖人がキリストとともに喜ぶ光栄の国! 彼らは、輝く服をつけ、羔(こひつじ)につき従う。〈晩課〉本日、公教会が祝うのは、最も慰め深い情景である。公教会は、天の光栄に入った子らを、一人一人祝うことが到底不可能であったので、本日の祝日を設けて、それを祝うのである。
この祝日の歴史は非常に古い。初代教会時代すでに、すべての殉教者の祝日として祝っていた。グレゴリオ四世教皇は、835年ごろ、その祝日を11月1日と定めた。本日は、キリストが、諸聖人によって得給うたキリストの勝利の日であり、また、典礼の秋、すなわち、贖いの実を感謝し、神秘的収穫を祝う日でもある。
公教会が本日祝う知られざる聖人の中には、信仰のしるしをもって永遠の旅へと先立った我らの親戚知友もあるであろう。また、天の報いをすでに受けている人々は、かつてこの世において、われらと変らぬ生活をおくった人々である。聖アウグスティノの言葉をかりるまでもなく、彼らになしえた事なら、われらにも出来ないはずはない。

저성 첨례 
『너희가 풍성한 상급을 하늘에서 받을 것이니 즐거워 하라』(복음) 가다꿈바 안에 그려져 있는 그림에서 중앙에 있는 표상은 왕위에 오르신 그리스도를 상징한다. 밑에는 시간과 영원의 바다를 항해하는 교회라는 배가 있다. 순교자가 십자가를, 복음사가는 책을, 동정녀는 종려나무 잎을, 고해자는 칼을, 종도는 열쇠를, 성부(城婦)는 족자를 각각 들고 있다. 서간경은 장막을 들어올려『헤아릴 수 없는 많은 무리들』이 천당으로 들어감을 보여주고 있다. 그렇게 많은 무리라고 하니 얼마나 위안을 주는 말씀인가! 천당에 들어가는 기본절차는 무엇인가? 

die 1 novembris 十一月一日 11월 1일
IN FESTO OMNIUM SANCTORUM 諸聖人 저성 첨례
I classis 一級祝日 (1급) 흰색
Ant. ad Introitum. 入祭文 초입경(성영 32)
Gaudeámus omnes in Dómino, diem festum celebrántes sub honóre Sanctórum ómnium, de quorum solemnitáte gaudent Angeli et colláudant Fílium Dei. 私たちは皆、全ての諸聖人の名誉のもとで祝日を祝いつつ、主において喜ぼう。この諸聖人の荘厳祭について、天使たちは喜び、天主の御子を共に賛美する。 모든 성인들을 공경하여 첨례를 지내나니 우리는 모두 주 안에 즐거워 할지어다. 천신들도 이 첨례를 기뻐하여 천주 성자를 찬미하는도다.
Ps. 32, 1. 詩篇 32ノ1 (성영 32․1) 
Exsultáte, iusti, in Dómino : rectos decet collaudátio. 義人らよ、主において喜べ。ともに讃美することは、正しい人に相応しい。 의인들아 주 안에 용약할지어다. 정직한 자들은 찬미를 받기에 합당하도다. 
V/. Glória Patri. V/. 願わくは、聖父と・・・(栄誦)。 영광이 부와 자와... 
Gaudeámus omnes in Dómino, diem festum celebrántes sub honóre Sanctórum ómnium, de quorum solemnitáte gaudent Angeli et colláudant Fílium Dei. 私たちは皆、全ての諸聖人の名誉のもとで祝日を祝いつつ、主において喜ぼう。この諸聖人の荘厳祭について、天使たちは喜び、天主の御子を共に賛美する。 모든 성인들을 공경하여 첨례를 지내나니 우리는 모두 주 안에 즐거워 할지어다. 천신들도 이 첨례를 기뻐하여 천주 성자를 찬미하는도다.
Oratio. 集祷文 축문
Omnípotens sempitérne Deus, qui nos ómnium Sanctórum tuórum mérita sub una tribuísti celebritáte venerári : quǽsumus ; ut desiderátam nobis tuæ propitiatiónis abundántiam, multiplicátis intercessóribus, largiáris. Per Dóminum. 全能永遠の天主よ、御身は我らをして、御身の全ての諸聖人の功徳を一つの祝いのもとに崇敬することを恵み給うた。願わくは、取り次ぐ者たちが増やされ、御身の憐みの溢れという我らの欲したことを与え給え。天主として(…)。 전능하시고 영원하신 천주여 너는 우리로 하여금 모든 성인들의 공로를 이 한 첨례에 공경케 하셨나니 간절히 빌컨대 네 무궁하신 자비를 무수한 성인의 전달하심으로 우리에게 충만히 태워 주시되, 네 아들 우리 주 예수․그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과... 
Léctio libri Apocalýpsis beáti Ioánnis Apóstoli. 使徒聖ヨハネの黙示録の朗読  독서
Apoc. 7, 2-12. 黙示録 7ノ2-12 (성요왕묵시 7․2-12)
In diébus illis : Ecce, ego Ioánnes vidi álterum Angelum ascendéntem ab ortu solis, habéntem signum Dei vivi : et clamávit voce magna quátuor Angelis, quibus datum est nocére terræ et mari, dicens : Nolíte nocére terræ et mari neque arbóribus, quoadúsque signémus servos Dei nostri in fróntibus eórum. Et audívi númerum signatórum, centum quadragínta quátuor mília signáti, ex omni tribu filiórum Israël, Ex tribu Iuda duódecim mília signáti. Ex tribu Ruben duódecim mília signáti. Ex tribu Gad duódecim mília signati. Ex tribu Aser duódecim mília signáti. Ex tribu Néphthali duódecim mília signáti. Ex tribu Manásse duódecim mília signáti. Ex tribu Símeon duódecim mília signáti. Ex tribu Levi duódecim mília signáti. Ex tribu Issachar duódecim mília signati. Ex tribu Zábulon duódecim mília signáti. Ex tribu Ioseph duódecim mília signati. Ex tribu Béniamin duódecim mília signáti. Post hæc vidi turbam magnam, quam dinumeráre nemo póterat, ex ómnibus géntibus et tríbubus et pópulis et linguis : stantes ante thronum et in conspéctu Agni, amícti stolis albis, et palmæ in mánibus eórum : et clamábant voce magna, dicéntes : Salus Deo nostro, qui sedet super thronum, et Agno. Et omnes Angeli stabant in circúitu throni et seniorum et quatuor animalium : et ceciderunt in conspéctu throni in fácies suas et adoravérunt Deum, dicéntes : Amen. Benedíctio et cláritas et sapiéntia et gratiárum actio, honor et virtus et fortitúdo Deo nostro in sǽcula sæculórum. Amen. そのとき、見よ、私ヨハネは、日の昇るほうから上がる別の一位の天使を見た、彼は、活ける天主のしるしをもち、そして、大きな声で、地と海とを害する[権力]を与えられた四位の天使らに叫んだ。「我々が、天主のしもべらの額〔ひたい〕にしるすまでは、地も海も木も害するな」と。私は、しるされた人の数を聞いた。それは、イスラエルの子らのすべての部族の中から、十四万四千人であった。ユダ族の中から一万二干しるされ、ルベン族の中から一万二千しるされ、ガド族の中から一万二千しるされ、アゼル族の中から一万二千しるされ、ネフタリ族の中から一万二千しるされ、マナッセ族の中から一万二千しるされ、シメオン族の中から一万二千しるされ、レヴィ族の中から一万二千しるされ、イサカル族の中から一万二千しるされ、ザブロン族の中から一万二千しるされ、ヨゼフ族の中から一万二千しるされ、ベニヤミン族の中から一万二千しるされた。こののち、私は、すべての国と民族と人民と言葉とからの、誰にも数えきれぬおびただしい大群衆を見た。彼らは、王座の御前に、羔(こひつじ)の目前に立ちながら、白衣を着て、彼らの手に棕櫚(しゅろ)を持ち、大きな声でこう叫んでいた。「救いは、王座に坐し給う我々の天主と羔とにあれかし!」と。全ての天使たちは、王座と老人たちと四匹の動物たちとのまわりに立っていた。王座の目前に、自分たちの顔をつけてひれ伏して天主を礼拝した。「アメン、祝福と輝き、上智と感謝、誉れと力と強さとが、われらの天主に代々にあれかし、アメン」と言って。 유시에 문득 나 요왕이 생활하신 천주의 표를 가진 다른 일위 천신이 동편에서 올라 오는 것을 보았노라. 저는 육지와 바다를 해학하기로 허락을 받은 사위천신에게 큰 소리로 이르되「우리가 우리 천주의 종들의 이마에 표를 하기 전에는 육지와 바다와 나무를 해하지 말라」하더라. 나 표를 받은 자의 수를 들은즉 이스라엘의 아들들의 모든 지파에서 표를 받은 자가 십사만사천명인데 유다지파 중에 일만이천명, 루벤지파 중에 일만이천명, 가드지파 중에 일만이천명, 아셀지파 중에 일만이천명, 네프다리지파 중에 일만이천명, 마낫셋지파 중에 일만이천명, 시메온지파 중에 일만이천명, 레위지파 중에 일만이천명, 이스칼지파 중에 일만이천명, 사불론지파 중에 일만이천명, 요셉지파 중에 일만이천명, 벤자민지파 중에 일만이천명이더라. 그후 모든 백성과 지파에 말에서 온 아무도 헤아릴 수 없는 많은 무리를 나 보매 그들은 어좌앞에 고양의 면전에 흰 옷을 입고 손을 빨마를 들고 서 있어 큰 소리로 부르짖으며 이르되「어좌에 좌정하시는 우리 천주와 고양에게 구원이 있도다」하더라. 또한 모든 천신들이 어좌와 장로들과 네 동물을 둘러있다가 어좌앞에 엎디어 천주를 흠숭하여 이르되「『아멘』우리 천주께 찬미와 영광과 지혜와 감사와 명예와 권세와 용맹이 무궁세에 있어지이다」하더라. 
Graduale. Ps. 33, 10 et 11. 昇階誦 詩篇 33ノ10,11 층계경(성영 33․11)
Timéte Dóminum, omnes Sancti eius : quóniam nihil deest timéntibus eum. 主のすべての聖人らは、主を畏(おそ)れよ。主を畏れる者らには何も足りないものがない。 모든 성인들아 주를 두려워할지니 대저 주를 두려워 하는 자는 부족함이 없도다. 
V/. Inquiréntes autem Dóminum, non defícient omni bono. V/. 主をさがし求める者らは、すべての善がに不足することがない。 주를 찾는 자는 아무 선도 빼앗기지 않으리로다. 
Allelúia, allelúia. V/. Matth. 11, 28. Veníte ad me, omnes, qui laborátis et oneráti estis : et ego refíciam vos. Allelúia.  アレルヤ、アレルヤ、V/. マテオ、11ノ28 全て労苦する者、重荷を負う者は、私にきたれ、私はあなたたちを休ませよう、アレルヤ。  알렐루야 알렐루야.(성마두 11․28) 무릇 수고하는 자와 무거운 짐 진자는 다 내게로 오라. 나 너희를 쉬게 하리라. 알렐루야. 
+ Sequéntia sancti Evangélii secúndum Matthǽum. マテオによる聖福音の続誦 복음
Matth. 5, 1-12. マテオ 5ノ1-12 (성마두 5․1-12)
In illo témpore : Videns Iesus turbas, ascéndit in montem, et cum sedísset, accessérunt ad eum discípuli eius, et apériens os suum, docébat eos, dicens : Beáti páuperes spíritu : quóniam ipsórum est regnum cælórum. Beáti mites : quóniam ipsi possidébunt terram. Beáti, qui lugent : quóniam ipsi consolabúntur. Beáti, qui esúriunt et sítiunt iustítiam : quóniam ipsi saturabúntur. Beáti misericórdes : quóniam ipsi misericórdiam consequántur. Beáti mundo corde : quóniam ipsi Deum vidébunt. Beáti pacífici : quóniam fílii Dei vocabúntur. Beáti, qui persecutiónem patiúntur propter iustítiam : quóniam ipsórum est regnum cælórum. Beáti estis, cum maledíxerint vobis, et persecúti vos fúerint, et díxerint omne malum advérsum vos, mentiéntes, propter me : gaudete et exsultáte, quóniam merces vestra copiósa est in cælis. そのとき、人々の群れを見たイエズスが、山に登ってお座りになると、弟子たちは、おそばに近よった。イエズスは、話しはじめて、こうお教えになった。「心の貧しい人はしあわせである、天の国は彼らのものだからである。柔和な人はしあわせである。彼らは地を譲りうけるであろうから。泣く人はしあわせである。彼らは慰めをうけるであろうから。正義に飢え渇く人はしあわせである。彼らは飽かされるであろうから。憐れみのある人はしあわせである。彼らも憐れみをうけるであろうから。心の清い人はしあわせである。彼らは天主を見るであろうから。平和のために働く人はしあわせである。彼らは天主の子らと呼ばれるであろうから。正義のために迫害される人はしあわせである。天の国は彼らのものだからである。私のために、あなたたちを罵り、あるいは責め、人々が、あるいは数々の讒言(ざんげん)をいうとき、あなたたちはしあわせである。喜びに喜べ。あなたたちは、天において大きな報いをうけるであろう。 유시에 예수 백성을 보시고 산에 오르사 앉으신 후에 그 문도들이 가까이 나아 오거늘 입을 열어 저들을 훈계하여 이르시되「마음으로 가난한 이는 진복자로다. 천국이 저의 것임이요. 양선한 이는 진복자로다. 저들이 땅을 차지할 것임이요. 우는 이는 진복자로다. 저들이 위로함을 받을 것임이요. 의덕을 주리고 목말라하는 이는 진복자로다. 저들이 배부를것임이요. 애긍하는 이는 진복자로다. 저들이 애긍함을 받을 것임이요. 마음이 조촐한 이는 진복자로다. 저들이 천주를 뵈올것임이요. 화목하는 이는 진복자로다. 저들이 천주의 아들이라 일컬을것임이요. 의를 위하여 군난을 받는자는 진복자로다. 천국이 저희것임이요. 사람이 나 때문에 너희게 악답하고 너희를 핍박하고 모든 악한 것으로 너희를 거스려 망증하면 너희가 진복자 되리니 즐거워 하고 용약하라. 너희가 풍성한 상급을 하늘에서 받을 것이니라」하시니라. 
Credo 信経 신경
Ant. ad Offertorium. Sap. 3, 1, 2 et 3. 奉献文 智書、3ノ1-2、3) 제헌경(지서 3․1,2,3)
Iustórum ánimæ in manu Dei sunt, et non tanget illos torméntum malítiae : visi sunt óculis insipiéntium mori : illi autem sunt in pace, allelúia. 義人らの霊魂は、天主の御手にある。邪悪の苦しみ[死]は彼らに触れない。愚かな人々の目には、死んだと見えた。しかし彼らは平安のうちにいる。アレルヤ。 의인들의 영혼은 천주의 손에 있으니 괴악한 형벌이 저들에게 접촉치 않으리로다. 미련한 자의 눈에는 죽을 것 같이 보이나 저들은 평화중에 있도다. 알렐루야. 
Secreta 密誦 묵념 축문
Múnera tibi, Dómine, nostræ devotiónis offérimus : quæ et pro cunctórum tibi grata sint honóre Iustórum, et nobis salutária, te miseránte, reddántur. Per Dóminum nostrum. 主よ、われらは、われらの信心の捧げものを、御身に献上し奉る。各々の聖人らの名誉のためのこれらが、御身には嘉せられ、われらには御身の憐みにより救いとならんことを。天主として(…)。 주여 우리가 전심의 예물을 네게 드리오니 네 성인의 영광으로 네 성의에 합하게 하시고 또한 네 자비로 우리 구원에 유익이 되게 하시되, 네 아들 우리 주 예수․그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과... 
Præfatio de sanctissima Trinitate  三位一体の序誦  
Vere dignum et iustum est, æquum et salutáre, nos tibi semper et ubíque grátias ágere : Dómine, sancte Pater, omnípotens ætérne Deus : Qui cum Unigénito Fílio tuo et Spíritu Sancto unus es Deus, unus es Dóminus : non in uníus singularitáte persónæ, sed in uníus Trinitáte substántiæ. Quod enim de tua glória, revelánte te, crédimus, hoc de Fílio tuo, hoc de Spíritu Sancto, sine discretióne sentímus. Ut, in confessióne veræ sempiternǽque Deitátis, et in persónis propríetas, et in esséntia únitas, et in maiestáte adorétur æquálitas. Quam laudant Angeli atque Archángeli, Chérubim quoque ac Séraphim, qui non cessant clamáre cotídie, una voce dicéntes : Sanctus… 主よ、聖なる父よ、全能永遠の天主よ、われらが御身に、いつもどこにても感謝を捧げるのは、実にふさわしく正しいこと、義務と救いである。御身は、御独り子と聖霊と共に、唯一の天主、唯一の主にて在す。すなわち、御身は、一の位格の単一にて在すのではなく、唯一の実体(substantia)の三位にて在す。御身の御光栄について、御身が啓示するがゆえに、われらが信じ奉ることを、聖子について、聖霊について、差別なく、われらは信じ奉る。真の永遠の天主の本性を告白するにおいて、位格における固有性が礼拝され、本質(essentia)における唯一性と、御稜威における等しさも礼拝されるためである。これを、天使らと大天使らは、智天使も熾天使も、讃美し、絶え間なく声を上げ、日々声をあわせてこう言う。聖なるかな、…
Ant. ad Communionem. Matth. 5, 8-10. 聖体拝領誦  マテオ、5ノ8-10 영성체경(성마두 8․10)
Beáti mundo corde, quóniam ipsi Deum vidébunt ; beáti pacífici, quóniam filii Dei vocabúntur : beáti, qui persecutiónem patiúntur propter iustítiam, quóniam ipsórum est regnum cælórum. 幸いなるかな、心の清い人々、彼らは天主を見奉るであろう。幸いなるかな、平和を作る人々、彼らは天主の子と呼ばれるであろう。幸いなるかな、義のために迫害を受ける人々、天の国は彼らのものである。 마음이 조촐한이는 진복자로다. 저들이 천주를 뵈올것임이요. 화목하는 이는 진복자로다. 저들이 천주의 아들이라 일컬을 것임이요. 의를 위하여 군난을 받는자는 진복자로다. 천국이 저들의 것임이니라. 
Postcommunio 聖体拝領後の祈 영성체후 축문
Da, quǽsumus, Dómine, fidélibus pópulis ómnium Sanctórum semper veneratióne lætári : et eórum perpétua supplicatióne muníri. Per Dóminum. 主よ、願わくは、信ずる民たちに、全ての聖人らの尊敬によってたえず喜ぶを与え、彼らのたえざるとりつぎによって守られんことを与え給え。天主として(…)。

주여 비오니 네 믿는 백성들을 네 성인들을 공경함을 인하여 즐겁게 하시고 또한 저들의 전달하심으로써 보호하시되, 네 아들 우리 주 예수․그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과... 

 


婚姻のミサのラテン語・日本語・フランス語の対訳版をご紹介いたします

2020年10月21日 | ミサ聖祭

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

婚姻のミサのラテン語・日本語・フランス語の対訳版をご紹介いたします。

INTROITUS 入祭誦 Introït    
Deus Israël coniúngat vos : et ipse sit vobíscum, qui misértus est duóbus únicis : et nunc, Dómine, fac eos plénius benedícere te. イスラエルの天主は、あなたたちを結びつけ、天主ご自身が、あなたたちとともに在さんことを。天主は、二人の一人っ子を憐み給うた。主よ、今、かれらをして、ますます良く御身を祝させ給え。* Que le Dieu d’Israël vous unisse : et que lui-même soit avec vous, lui qui a eu pitié de deux enfants uniques : et maintenant, faites, Seigneur, qu’ils vous bénissent de plus en plus. 
Ps. 127, 1.  Beáti omnes, qui timent Dóminum : qui ámbulant in viis eius. (詩篇、127ノ1)主を畏れる人々、主の道を歩む人々は、全て幸いなるかな。 Heureux ceux qui craignent le seigneur : et marchent dans ses voies.
V/Glória Patri.  V,願わくは、聖父と…(栄誦) V/Gloire au Père.
Deus Israël coniúngat vos : et ipse sit vobíscum, qui misértus est duóbus únicis : et nunc, Dómine, fac eos plénius benedícere te. イスラエルの天主は、あなたたちを結びつけ…(*までくりかえす) Que le Dieu d’Israël vous unisse : et que lui-même soit avec vous, lui qui a eu pitié de deux enfants uniques : et maintenant, faites, Seigneur, qu’ils vous bénissent de plus en plus. 
     
COLLECTA 集祷文 Collecte    
V. Exáudi nos, omnípotens et misericors Deus : ut, quod nostro ministratur officio, tua benedictióne potius impleatur. Per Dóminum. V. 全能の憐み深きの天主よ、われらの祈りをききいれ給え。そは、われらの聖務によりて執行されることが、御身の祝福によりてより満たされ完成せんことを。天主として聖霊との一致において御身と共に世々に生きかつ治め給う聖子、我らの主イエズス・キリストによりて。 V Exaucez nous, Dieu tout puissant et miséricordieux : que le rite accompli par notre ministère reçoive son parfait accomplissement par votre bénédiction.
R. Amen.. R. アーメン。 R Ainsi soit-il
     
EPISTOLA 書簡 Épître    
Ephes. 5, 22-33.    
V. Léctio Epístolæ beáti Pauli Apóstoli ad Ephésios. 使徒パウロのエフェゾ人への書簡の朗読 5:22-33 V Lecture de l’Épître de saint Paul Apôtre aux Éphésiens.
Fratres : Mulíeres viris suis súbditae sint, sicut Dómino ; quóniam vir caput est mulíeris, sicut Christus caput est Ecclésiæ : Ipse, salvátor córporis eius. Sed sicut Ecclésia subiécta est Christo, ita et mulíeres viris suis in ómnibus. Viri, dilígite uxóres vestras, sicut et Christus diléxit Ecclésiam, et seípsum trádidit pro ea, ut illam sanctificáret, mundans lavácro aquæ in verbo vitæ, ut exhibéret ipse sibi gloriósam Ecclésiam, non habéntem máculam, aut rugam, aut áliquid huiúsmodi, sed ut sit sancta et immaculáta. Ita et viri debent dilígere uxóres suas, ut córpora sua. Qui suam uxórem díligit, seípsum díligit. Nemo enim umquam carnem suam ódio hábuit, sed nutrit, et fovet eam, sicut et Christus Ecclésiam : quia membra sumus córporis eius, de carne eius et de óssibus eius. Propter hoc relínquet homo patrem et matrem suam, et adhærébit uxóri suæ : et erunt duo in carne una. Sacraméntum hoc magnum est, ego autem dico in Christo, et in Ecclésia. Verúmtamen et vos sínguli, unusquísque uxórem suam, sicut seípsum díligat : uxor autem tímeat virum suum. 兄弟たちよ、妻は、主にしたがうように、自分の夫にしたがえ。キリストがその体でありそれを救い給うた教会のかしらであるように、夫は妻のかしらである。教会がキリストに服従するように、妻はすべてにおいて夫にしたがえ。夫たちよ、キリストが教会を愛し、そのために命をあたえ給うたように、あなたたちも妻を愛せよ。[キリストが命をすて給うたのは]水の洗あらいとそれにともなう言葉によって教会を潔め、聖とするためであり、また汚点もしわも、すべてそんなもののない、聖い、けがれなき教会を、御自分に差出すためであった。そのように、夫も自分の体のように妻を愛さねばならぬ、妻を愛する人は自分を愛する人である。誰も自分の体をにくむ者はない、みなそれをやしないはぐくむ。キリストも教会のためにそうなし給う。我々は、彼の体の肢体であり、(その肉、その骨でなりたっている。)「これがために男は父と母とをはなれ、妻と合って、二人は一体となれ」と。この奥義は偉大なものである、私がいうのは、キリストと教会とについてである。あなたたちは、おのおの自分の妻を自分のように愛せよ、妻もまたその夫を敬え。 Frères : que les femmes soient soumises à leur mari comme au Seigneur, car le mari est la tête de la femme comme le Christ est la tête de l’Église, lui qui est le sauveur du Corps. Ainsi, de même que l’Église est soumise au Christ, que les femmes soient soumises en tout à leur mari. Maris, aimez vos femmes, comme le Christ a aimé l’Église et s’est livré pour elle afin de la sanctifier en la purifiant par le bain d’eau, dans la parole de vie, pour faire paraître devant lui une Église resplendissante, sans tache, ni ride, ni rien de tel, mais sainte et immaculée. De même, les maris doivent aimer leur femme comme leur propre corps. Aimer sa femme, c’est s’aimer soi-même. Aucun homme n’a jamais haï sa propre chair ; au contraire, il la nourrit et il la soigne, comme fait le Christ pour l’Église ; car nous sommes membres de son corps, nous sommes de sa chair et de ses os. Voilà pourquoi l’homme quittera son père et sa mère, et il s’attachera à sa femme, et les deux deviendront une seule chair. Ce mystère est grand, je l’affirme, par rapport au Christ et à l’Église. Et en ce qui vous concerne, que chacun de vous aime sa femme comme lui-même, et que la femme respecte son mari.
GRADUALE, ALLELUJA, 昇階誦、アレルヤ誦、Graduel, Alléluia  
Ps. 127, 3.  Ps. 19, 3.    
Uxor tua sicut vitis abúndans in latéribus domus tuæ. あなたの妻は、あなたの家の中にあるよく実るぶどうの木のよう。 Votre femme sera comme une vigne féconde dans l’intérieur de votre maison.
V/. Fílii tui sicut novéllæ olivárum in circúitu mensæ tuæ. V/. あなたの子らは、食卓のまわりの、オリーブの若木のよう。 V/. Vos enfants seront comme de jeunes plants d’olivier à l’entour de votre table.
     
Allelúia, allelúia. V/Mittat vobis Dóminus auxílium de sancto : et de Sion tueátur vos. Allelúia. アレルヤ、アレルヤ、(詩篇19:3)主は、聖所から、あなたたちに助けを送り給わんことを。シオンからあなたたちを守り給わんことを、アレルヤ。 Alléluia, alléluia. V/Que le seigneur vous envoie son secours de son sanctuaire : et que de Sion il vous protège. Alléluia.
S.EVANGELIUM 聖福音 Évangile    
Matth 19:3-6 マテオ19:3-6 Mathieu 19:3-6
Sequéntia sancti Evangélii secundum Matthǽum.  マテオによる聖福音の続誦  Suite du Saint Évangile selon saint Mathieu. X
R. Gloria tibi Domine. X R.主に栄光あれ。X R. Gloire à vous, Seigneur
(ここで額と口と胸に親指で小さな十字架の印をする。) (胸の前に手をあわせたまま聖福音を拝聴する) signe sur le front, la bouche et la poitrine
In illo témpore : Accessérunt ad Iesum pharisǽi, tentántes eum et dicéntes : Si licet hómini dimíttere uxórem suam quacúmque ex causa ? Qui respóndens, ait eis : Non legístis, quia qui fecit hóminem ab inítio, másculum et féminam fecit eos ? et dixit : Propter hoc dimíttet homo patrem et matrem, et adhærébit uxóri suæ, et erunt duo in carne una. Itaque iam non sunt duo, sed una caro. Quod ergo Deus coniúnxit, homo non séparet. そのとき、ファリサイ人が来て、イエズスをこころみていうには、「どんな理由のためにも、人はその妻を出してよいのですか」。イエズスは答えていい給うた、「あなたたちは読まなかったのか、元始から[すべてを]つくり給うたものが、人を男と女につくり “それゆえ男は父母をはなれてその妻に合い、二人一体となれ” といい給うたことを。では、もはや二人ではなく一体である。故に人は、天主があわせ給うたものを、離してはならぬ。」 En ce temps-là : Des pharisiens s’approchèrent de Jésus pour le mettre à l’épreuve, et ils lui dirent : « Est-il permis de répudier sa femme en toute espèce de cas ? ». Il répondit : « N’avez-vous pas lu que le Créateur, au commencement, les fit homme et femme, et qu’il dit : C’est pourquoi l’homme quittera son père et sa mère et il s’attachera à sa femme ; et tous deux deviendront une seule chair. Ainsi ils ne sont plus deux, mais une seule chair. Donc, ce que Dieu a uni, que l’homme ne le sépare pas ! »
R. Laus tibi, Christe. R. キリストに誉れあれ R. Christ, louange à vous,
HOMILIA 説教 Prédication    
     
OFFERTORIUM 奉献文 Offertoire    
詩編 PS 30:15-16    
In te sperávi, Dómine : dixi : Tu es Deus meus : in mánibus tuis témpora mea. 主よ、私は御身に希望した。私は言った、御身は私の天主である、私の現身(うつしみ)は御手のうちに、と。 J’ai espéré en vous, seigneur : je vous ai dit : Vous êtes mon Dieu : mon sort est entre vos mains.
     
SECRETA 密誦 Secrète    
Suscipe, quǽsumus, Dómine, pro sacra conúbii lege munus oblátum : et, cuius largítor es óperis, esto dispósitor. Per Dóminum. 主よ、願わくは、婚姻の聖なる定め(契り)のためにささげられたいけにえを受け入れ給え。この業の与え主なる御身が、守り主となり給わんことを。天主として聖霊との意一致において、御身と共に世々に生きかつ治め給う我らの主よ、聖子、イエズス・キリストによりて。 Recevez nous, vous en prions, Seigneur, le don que nous vous offrons pour consacrer le lien du mariage : et comme vous en êtes l’auteur, soyez-en aussi le gardien.
PRAEFATIO 序誦 Préface    
     
Præfatio communis通常の序誦  Préface commune  
VERE dignum et justum est, æquum et salutáre, nos tibi semper, et ubíque grátias ágere: Dómine sancte, Pater omnípotens, ætérne Deus: per Christum Dóminum nostrum. Per quem majestátem tuam laudant Angeli, adórant Dominatiónes, tremunt Potestátes. Cœli, cœlorúmque Virtútes ac beáta Séraphim sócia exsultatióne concélebrant. Cum quibus et nostras voces, ut admítti júbeas, deprecámur, súpplici confessióne dicéntes:  Sanctus, ... 主よ、聖なる父よ、全能永遠の天主よ、われらが御身に、いつもどこにても感謝を捧げるのは、実にふさわしく正しいこと、義務と救いである。我らの主イエズス・キリストによりて。彼によりて、天使らは、御身の御稜威を賛美し、主天使らは礼拝し、能天使らはふるえおののく。天と、天の力天使らと、福(さいわい)なる熾天使らは、共に喜んでたたえる。願わくは、彼らの声に、われらの声をも交えさせ給え。われらは懇願して祈り告白してこう言う。 聖なるかな、… Il est vraiment juste et nécessaire, c’est notre devoir et c’est notre salut, de vous rendre grâces toujours et partout, Seigneur, Père saint, Dieu éternel et tout-puissant, par le Christ notre Seigneur. Par lui les Anges louent votre majesté, les Dominations l’adorent, les Puissances la révèrent, les Cieux et les Forces des Cieux avec les bienheureux Séraphins la célèbrent, unis dans une même allégresse. A leurs chants nous vous prions de laisser se joindre aussi nos voix pour proclamer dans une humble louange : Saint, saint, saint le Seigneur, Dieu des Forces célestes , le ciel et la terre sont remplis de votre gloire. Hosanna au plus haut des cieux. Béni soit celui qui vient au nom du Seigneur. Hosanna au plus haut des cieux.
COMMUNICANTES, et memoriam venerantes, in primis gloriosae semper Virginis Mariae, Genitricis Dei et Domini nostri Jesu Christi: sed et beati Joseph, ejusdem Virginis Sponsi, et beatorum Apostolorum ac Martyrum tuorum, Petri et Pauli, Andreae, Jacobi, Joannis, Thomae, Jacobi, Philippi, Bartholomaei, Matthaei, Simonis et Thaddaei: Lini, Cleti, Clementis, Xysti, Cornelii, Cypriani, Laurentii, Chrysogoni, Joannis et Pauli, Cosmae et Damiani: et omnium Sanctorum tuorum; quorum meritis precibusque concedas, ut in omnibus protectionis tuae muniamur auxilio. 聖なる一致において、我らは、先ず、我が天主なる主、イエズス・キリストの御母、終生童貞なる光栄のマリアの記念をつつしんで行い奉る。 又、その浄配聖ヨゼフ、主の聖なる使徒、殉教者、ペトロとパウロ、アンドレア、ヤコボ、ヨハネ、トマ、ヤコボ、フィリッポ、バルトロメオ、マテオ、シモン、とタデオ、更に、リノ、クレト、クレメンテ、シクスト、コルネリオ、チプリアノ、ラウレンツィオ、 クリソゴノ、ヨハネとパウロ、コスマとダミアノ、及び、全て主の聖人らの記念を行い奉る。願わくは、彼らの功徳と執り成しとによりて、我らに、御保護の助力を与え給わんことを。 Unis dans une même communion, nous vénérons d’abord la mémoire de la glorieuse Marie toujours vierge, mère de notre Dieu et Seigneur Jésus-Christ, puis du bienheureux Joseph, époux de cette même Vierge, et de vos bienheureux Apôtres et Martyrs, Pierre et Paul, André, Jacques, Jean, Thomas, Jacques, Philippe, Barthélémy, Matthieu, Simon et Jude, Lin, Clet, Clément, Sixte, Corneille, Cyprien, Laurent, Chrysogone, Jean et Paul, Côme et Damien, —et de tous vos Saints. Par leurs mérites et leurs prières, accordez-nous en toute occasion le secours de votre force et de votre protection.
     
     
Per eundem Christum Dominum nostrum. Amen. 同じ我らの主、キリストによりて。アメン。 Par le Christ notre Seigneur. Ainsi soit-il.
¶ Dicto Pater noster, Sacerdos antequam dicat Libera nos, quǽsumus, Dómine, stans in latere Epistolæ versus sponsos ante Altare genuflexos, dicit super eos sequentes Orationes :  主祈文ののち、司祭は祭壇の前にひざまずく新郎新婦に向かって婚姻の祝福を与える。この祝福は婚姻の秘蹟とは別個のもので、またミサの間だけしか授け得ない。 ¶ Après avoir dit le Pater noster, et avant de dire le Libera nos, quǽsumus, Dómine, le Prêtre, debout du côté de l’Épître, tourné vers les époux agenouillés devant l’Autel, dit sur eux les oraisons suivantes : 
     
Orémus. Oratio. 第一の祈願 Prions. Prière.
Propitiáre, Dómine, supplicatiónibus nostris, et institútis tuis, quibus propagatiónem humáni géneris ordinásti, benígnus assíste : ut, quod te auctóre iúngitur, te auxiliánte servétur. Per Dóminum nostrum. 主は、願わくは、われらの祈りを、そして、御身の立てた制度[である婚姻]をあわれみ優しく援助し給え。この制度により御身は人類の繁栄をくわだて給うた。そは、婚姻の作り手である主によって結ばれたものが、御身の助けによって、守られんがためなり。天主として、聖霊との一致において、御身とともに世々に生きかつ治め給うわれらの主、御子、イエズス・キリストによりて、アメン。 Seigneur, montrez-vous favorable à nos supplications et, dans votre bonté, accompagnez de votre grâce l’institution que vous avez ordonnée pour la propagation du genre humain : que votre secours conserve ce que votre autorité a uni.
Orémus. Oratio. 第二の祈願 Prions. Prière.
Deus, qui potestáte virtútis tuæ de níhilo cuncta fecísti : qui dispósitis universitátis exórdiis, hómini, ad imáginem Dei facto, ídeo inseparábile mulíeris adiutórium condidísti, ut femíneo córpori de viríli dares carne princípium, docens, quod ex uno placuísset instítui, numquam licére disiúngi : 天主よ、御身は御身の力の権能により、無から全てを創り給うた。御身は、宇宙の基をととのえて、天主の似姿にかたどって創られた人間に、御身が女の体に男の肉から原初を与え給うほど、分たれえない助け手なる女を作り給うた。これは、主が一つに立てたものを、決して分つべからざることを教えている。 Dieu, par la force de votre puissance, vous avez tout tiré du néant ; après avoir disposé les premiers éléments du monde, et créé l’homme à votre image, vous avez formé la femme pour être son aide tellement inséparable que vous avez donné naissance au corps de la femme en le tirant de la chair de l’homme, nous enseignant ainsi qu’il ne serait jamais permis de séparer ce qu’il vous a plu d’unir ;
Deus, qui tam excellénti mystério coniugálem cópulam consecrásti, ut Christi et Ecclésiæ sacraméntum præsignáres in fœdere nuptiárum : 天主よ、御身は婚姻の契約において、キリストと教会との神秘をかたどる前兆とし給うた程の大いなる玄義をもって、夫婦の結びを聖なるものとし給うた。 Dieu, vous avez consacré le lien conjugal par un mystère si excellent que l’alliance nuptiale figurait par avance l’union sacrée du Christ et de son Église ;
     
Deus, per quem múlier iúngitur viro, et socíetas principáliter ordináta ea benedictióne donátur, quæ sola nec per originális peccáti pœnam nec per dilúvii est abláta senténtiam : 天主よ、御身によって妻は夫に結ばれ、原罪の罰によっても洪水の判決によっても唯一取消されなかった祝福によって、原初から築かれた[家庭という]社会が与えられた。 Dieu, par vous la femme est unie à l’homme, et vous avez posé ainsi la base de la société, par la seule bénédiction dont nous n’ayons pas été dépouillés, ni par la punition du péché originel, ni par la sentence du déluge ;
réspice propítius super hanc fámulam tuam, quæ, maritáli iungénda consórtio, tua se éxpetit protectióne muníri : 願わくは、婚姻により結ばれるべく、御身の保護を自分にいただけることを願い奉るこの御身のしもめの上に、御慈悲をもって御目をとめ給え。 Regardez avec bonté votre servante ici présente, qui au moment de lier son sort à celui de son époux, implore le secours de votre protection ;
sit in ea iugum dilectiónis et pacis : fidélis et casta nubat in Christo, imitatríxque sanctárum permáneat feminárum : sit amábilis viro suo, ut Rachel : sápiens, ut Rebécca : longǽva et fidélis, ut Sara : 彼女において婚姻が愛と平安との軛(くびき)となり、キリストにおいて貞潔・忠実な妻として、聖なる女性たちを常に倣わんことを。ラケルのようにその夫に愛され、レベッカのようにかしこく、サラのように長寿で忠実たらんことを。 Que ce lien soit un joug d’amour et de paix : qu’elle soit dans le Christ une épouse fidèle et chaste et suive toujours l’exemple des saintes femmes : qu’elle mérite l’amour de son mari comme Rachel ; qu’elle soit avisée comme Rebecca ; qu’elle vive longtemps et soit fidèle comme Sara ;
nihil in ea ex áctibus suis ille auctor prævaricatiónis usúrpet : nexa fídei mandatísque permáneat : uni thoro iuncta, contáctus illícitos fúgiat : múniat infirmitátem suam robóre disciplínæ : sit verecúndia gravis, pudóre venerábilis, doctrínis cœléstibus erudíta : sit fecúnda in sóbole, sit probáta et ínnocens : 彼女において、かの罪への作り手なる悪魔が、何一つもその悪の業をおこなわないことを。彼女が信仰と掟とにかたくとどまり、唯一の夫に結ばれて、ゆるされぬ関係を避け、その弱さを規律の力で守り強めんことを。彼女が恥じらいにより落ち着きを持ち、慎みにより敬われ、天上の教えをよくわきまえ、その子孫において繁栄し、鍛錬された、汚れなき者であることを。 Que le démon, l’auteur du péché, ne trouve rien à s’attribuer en elle ou dans ses actes ; qu’elle demeure attachée à la foi et aux commandements ; unie à son seul époux, qu’elle évite toute relation mauvaise ; qu’elle appuie sa faiblesse sur une forte règle de vie ; que sa réserve lui mérite l’estime, que sa pudeur inspire le respect, qu’elle soit instruite des enseignements divins : qu’elle ait une heureuse fécondité, qu’elle soit intègre et innocente ;
et ad Beatórum réquiem atque ad cœléstia regna pervéniat : et vídeant ambo fílios filiórum suórum, usque in tértiam et quartam generatiónem, et ad optátam pervéniant senectútem. Per eúndem Dóminum nostrum. 彼女が、諸聖人の安息と天の国とに至らんことを。そして夫婦はその子孫の子らを三代も四代までも見て、望んだ長寿に至らんことを。その同じわれらの主、イエズス・キリスト、天主として、聖霊との一致において、御身とともに世々に生きかつ治め給う御身の聖子によりて。 Et qu’elle parvienne au repos des bienheureux et au royaume du ciel. Qu’ils voient tous deux les enfants de leurs enfants, jusqu’à la troisième et la quatrième génération, et qu’ils arrivent à une heureuse vieillesse. Par le même Christ notre Seigneur.
COMMUNIO 御聖体拝領誦 Communion    
Ecce, sic benedicétur omnis homo, qui timet Dóminum : et vídeas fílios filiórum tuórum : pax super Israël. 見よ、主を畏れる全ての人間は、このように祝福される。あなたは、あなたの子らの子らを見るであろう。イスラエルの上に平安あれ。 Ainsi sera béni l’homme qui craint le Seigneur : puissiez-vous voir les enfants de vos enfants : Que la paix soit sur Israël.
POSTCOMMUNIO 御聖体拝領後の祈り Postcommunion  
     
Quǽsumus, omnípotens Deus : institúta providéntiæ tuæ pio favóre comitáre ; ut, quos legítima societáte conéctis, longǽva pace custódias. Per Dóminum. 全能の天主よ、願わくは、御身の摂理の定めに、優しき行為を伴わせ給え。そは、御身が合法的社会として結び給うた婚姻を長寿に平和のうちに守り給え。天主として聖霊との一致において、御身と共に世々に生きかつ治め給う聖子我らの主イエズス・キリストによりて。 Nous vous en prions, Seigneur tout-puissant : entourez des faveurs de votre bonté l’institution de votre providence et conservez dans une longue paix ceux que vous avez unis par un lien légitime.
R. Amen. R.アメン。 R.Amen.
     
V. Dominus vobiscum. V.主はあなたたちと共に。 V. Le Seigneur soit avec vous.
R. Et cum spiritu tuo. R.又、あなたの霊と共に。 R. Et avec votre esprit.
     
V. Ite, Missa est. V.行け、ミサは終わった。 V. Allez, la Messe est dite,
R. Deo gratias. (会衆は跪く) R. 天主に感謝し奉る。(会衆は跪く) R. Rendons grâces à Dieu.
ミサの終わり、祝福を与える前に、司祭は二人を次のように祝福する  
Ayant dit Ite, Missa est, le Prêtre, avant de bénir le peuple, tourné vers les époux, dit :.
Deus Abraham, Deus Isaac et Deus Iacob sit vobíscum : et ipse adímpleat benedictiónem suam in vobis : ut videátis fílios filiórum vestrórum usque ad tértiam et quartam generatiónem, et póstea vitam ætérnam habeátis sine fine : adiuvánte Dómino nostro Iesu Christo, qui cum Patre et Spíritu Sancto vivit et regnat Deus. per ómnia sǽcula sæculórum. アブラハムの天主、イザアクの天主、ヤコブの天主が、あなたたちとともに在さんことを。天主ご自身が、あなたたちに主の祝福を満たし給わんことを。そは、あなたたちが、三代、四代までも子供らの子らを見て、その後に終わりなき永遠の生命を受けるためなり。天主として、聖父と聖霊とともに世々に生き、かつ治め給うわれらの主、イエズス・キリストが助け給うことによりて。 Que le Dieu d’Abraham, le Dieu d’Isaac, le Dieu de Jacob soit avec vous. Que lui-même vous comble de sa bénédiction, afin que vous puissiez voir les enfants de vos enfants jusqu’à la troisième et la quatrième génération, et qu’ensuite vous possédiez pour toujours la vie éternelle, avec l’aide de Notre-Seigneur Jésus-Christ, qui, étant Dieu, vit avec le Père et le Saint-Esprit, dans tous les siècles des siècles.
R/. Amen. アメン。 R/. Ainsi soit-il.
PLACEAT tibi, sancta Trinitas, obsequium servitutis meae: et praesta; ut sacrificium, quod oculis tuae majestatis indignus obtuli, tibi sit acceptabile, mihique, et omnibus, pro quibus illud obtuli, sit, te miserante, propitiabile. Per Christum Dominum nostrum. Amen. 聖なる三位一体よ、しもべなる私の聖役を嘉納し給え。不肖の私が、敢えてみいずの御前に捧げ奉ったこのいけにえを喜び給い、私と私がこれを捧げた全ての人々との為に嘉納せられるものとならせ給わんことを。我らの主、キリストによりて。アメン。 Agréez, Trinité sainte, l’hommage de votre serviteur : ce sacrifice que malgré mon indignité j’ai présenté aux regards de votre Majesté, rendez-le digne de vous plaire et capable, par l’effet de votre miséricorde, d’attirer votre faveur sur moi-même et tous ceux pour qui je l’ai offert. Par le Christ notre Seigneur. Ainsi soit-il.
BENEDICAT 最後の祝福 La dernière bénédiction  
V.Benedicat vos omnipotens Deus, V.全能の天主が、あなたたちを祝福し給わんことを、 V Que Dieu tout-puissant vous bénisse,
Pater,  (一同十字架の印をする)  et Filius, et Spiritus Sanctus. 聖父(一同十字架の印をする)と聖子と聖霊とによりて。 le Père, et le Fils, et le Saint-Esprit.
R. Amen. R.アメン。 R. Ainsi soit-il.


2020年10月25日は、王たるキリストの祝日(耶稣基督君王 예수 그리스도 왕 첨례)です。聖伝のミサのラテン語・日本語・中文・韓国語の対訳のテキストをご紹介いたします

2020年10月20日 | ミサ聖祭

2020年10月25日は、王たるキリストの祝日(D. N. IESU CHRISTI REGIS 耶稣基督君王 예수 그리스도 왕 첨례)です。聖伝のミサのラテン語・日本語・中文・韓国語の対訳のテキストをご紹介いたします

【ミサ聖祭』ピオ十一世教皇は一九二五年の聖年の記念として、一九二五年十二月十一日付回勅をもって、キリストの普遍的王制の祝日を定め、一九二六年から祝うことになった。典礼暦年の終わりに、公教会は、天の諸聖人の祝日を行い、煉獄の霊魂のために祈る。あたかもこのころに定められている王たるキリストの祝日は、キリストの神秘体という大いなる真理を黙想させるのである。「主、王の王」(ピオ十一世の言葉)なるキリストは、天地万物をさばき、すべてを一つに結ぶために、光栄を帯びて再臨し給うであろう。

教宗庇护十一世,鉴于世俗放任主义的猖獗,整个的世界为着国内和国际的战争,混乱得不可言状,在一九二五年圣年将告终之时,特定了耶稣君王的瞻礼,为使普世的信友承认祂有统治万民和个人的权力。非在祂“人而天主”普世唯一的君王之下,人类断不能享受和平的幸福。耶稣的王位在圣教其它的瞻礼中也屡次明白揭示着:请看三王来朝和耶稣升天等瞻礼,不是很明显指示我们的吗?至于在耶稣受难的时节,圣教的礼仪也显示祂因绝对服从圣父,受苦受难,得到了光荣的胜利,以致上天下地闻祂的名而皆起敬;这不是指基督享有无上的王位是什么呢?在今天的弥撤中,我们该求基督为万民之王,使宇宙的秩序重新恢复(集祷经)。因基督是真理的王(福音),把我们的理智须隶属于真理之下,这便是说:基督王在我们心中的。我们若欲进基督的真理和生命之国,圣德和圣宠之国,正义、仁爱及和平之国,必须把我们所有的整个灵魂和肉身属祂的权下(颂谢引)。

예수 그리스도 왕 첨례 '저는... 이 세상 끝까지 통치하시리니 만왕이 저를 흠숭하고 만민이 저를 섬기리로다'(층계경) '현대'인은 학문의 연구, 향락, 국가에 대한 존경 등 온갖 면에 있어서 '그가 관련하는 것들에 대하여는 군주'처럼 행세한다. 그렇지만 우리는 자원의 창조자가 아니라 창조주의 수익자에 지나지 않는 것이다. 오늘 첨례는 '만백성'에게 있는 '상처'는 죄로 인하여, 즉 이러한 타고난 선물을 남용함으로써 생긴다는 것과 '만물은 그리스도 안에 복귀되어야 한다는 것'을 다시금 확인하게 된다.(축문) 예수 그리스도만이 홀로 '죽임 받았던 양'(초입경)을 구속하실 권을, 아니 당연히 가질 권을 가지신 분이며, 온 '땅'위의 왕이시고(층계경), 우리 마음 안의 진리의 왕이시며(복음), 당신 법의 '기준' 밑에 우리 의지의 왕이시고 (영성체후 축문). 우리 마음 안에 사랑의 왕(서간경)이 되실 당연히 가지실 권을 가지신다. 사람들이 그리스도를 왕으로 모실 때에만 '주는 당신의 백성들에게 평화중에 강복하시리라'(영성체경) 하셨다.

Dominica ultima octobris 十月最後の主日 10月最后一个主日 .
D. N. IESU CHRISTI REGIS 王たるイエズス・キリスト 耶稣基督君王 예수 그리스도 왕 첨례
I classis 一級祝日 一等复式【白】 .
Ant. ad Introitum. Apoc. 5, 12 ; 1, 6. 入祭文 黙示録 5ノ12、 1ノ6 进台咏(默5:12,1-6) 초입경(성요왕묵시5.12,1,6)
Dignus est Agnus, qui occísus est, accípere virtútem, et divinitátem, et sapiéntiam, et fortitúdinem, et honórem. Ipsi glória et impérium in sǽcula sæculórum. 屠られた羔(こひつじ)は、力と天主性と上智と剛毅と名誉とを受けるにふさわしい。この方に世々に光栄と権能とがあらんことを。 被杀的羔羊,实在配得领受权势、万美万善、智慧、能力和尊位;愿祂获得荣耀和王权,世世无穷。 죽임을 받은 고양이 권능과 천주성과 지혜와 능력과 명예를 받기에 합당하시니 저에게는 영광과 통치권이 세세에 있으리로다.
Ps. 71, 1. 詩篇71ノ1 咏71:1 (성영71.1) 
Deus, iudícium tuum Regi da : et iustítiam tuam Fílio Regis. 天主よ、王に御身の審判権を与えよ。王の子に御身の正義を[与えよ]。 天主啊!求祢将审判的权能赐给王,将祢的正义赐与王的儿子。 천주여 네 심판을 왕에게 주시고 네 의덕을 왕자에게 주소서. 
V/. Glória Patri. V/. 願わくは聖父と・・・(栄誦)。 光荣归于父……。 영광이 부와 자와 ...
Dignus est Agnus, qui occísus est, accípere virtútem, et divinitátem, et sapiéntiam, et fortitúdinem, et honórem. Ipsi glória et impérium in sǽcula sæculórum. 屠られた羔(こひつじ)は、力と天主性と上智と剛毅と名誉とを受けるにふさわしい。この方に世々に光栄と権能とがあらんことを。 被杀的羔羊,实在配得领受权势、万美万善、智慧、能力和尊位;愿祂获得荣耀和王权,世世无穷。 죽임을 받은 고양이 권능과 천주성과 지혜와 능력과 명예를 받기에 합당하시니 저에게는 영광과 통치권이 세세에 있으리로다.
Oratio. 集祷文 集祷经 축문
Omnípotens sempitérne Deus, qui in dilécto Fílio tuo, universórum Rege, ómnia instauráre voluísti : concéde propítius ; ut cunctæ famíliæ géntium, peccáti vúlnere disgregátæ, eius suavissímo subdántur império : Qui tecum vivit et regnat. 全能永遠の天主よ、御身は、御身の愛する御子、宇宙の王において、全てを復興させることを欲し給うた。願わくは、罪の傷により不一致となったそれぞれの民族の家族らを、主のいとも甘美な覇権に服さんことを。御身と共に、(…)。 全能永在的天主,祢曾愿立祢的爱子为普世的君王,藉以光复字宙的一切;求祢慨发仁慈,使那因罪恶创伤而分裂的天下万国,仍归属于祂至甘饴的统治之下。祂和祢……。 전능하시고 영원하신 천주여 너는 천상천하의 왕이신 네 사랑하온 아들을 인하여 만사를 바로잡고저 하셨으니 빌건대 죄의 상처로 불목하게 된 모든 백성들을 네 은혜로 저의 지극히 어지신 통치권에 속하게 하소서. 저 너와 성신과...
Léctio Epístolæ beáti Pauli Apóstoli ad Colossénses. 使徒聖パウロのコロサイ人への書簡の朗読。 书信 서간경
Coloss. 1, 12-20. コロサイ1ノ12-20 (哥1:12-20) (골로새서1.12-20)
Fratres : Grátias ágimus Deo Patri, qui dignos nos fecit in partem sortis sanctórum in lúmine : qui eripuit nos de potestáte tenebrárum, et tránstulit in regnum Fílii dilectiónis suæ, in quo habémus redemptiónem per sánguinem eius, remissiónem peccatórum : qui est imágo Dei invisíbilis, primogénitus omnis creatúra : quóniam in ipso cóndita sunt univérsa in cælis et in terra, visibília et invisibília, sive Throni, sive Dominatiónes, sive Principátus, sive Potestátes : ómnia per ipsum, et in ipso creáta sunt : et ipse est ante omnes, et ómnia in ipso constant. Et ipse est caput córporis Ecclésiæ, qui est princípium, primogénitus ex mórtuis : ut sit in ómnibus ipse primátum tenens ; quia in ipso complácuit omnem plenitúdinem inhabitáre ; et per eum reconciliáre ómnia in ipsum, pacíficans per sánguinem crucis eius, sive quæ in terris, sive quæ in cælis sunt, in Christo, Iesu, Dómino nostro. 兄弟たちよ、私たちをして、光にある聖徒らの遺産にあずかるにふさわしいものとなし給うた御父なる天主に、われわれは感謝する。天主はわれわれを、闇の力から救い出し、愛し給う御子の国に移し給うた。私たちは、御子において、彼の御血によって贖い、罪の赦しを得る。御子は、見えざる天主の姿(イメージ)であって、すべての被造物の長子である。万物は彼において創られた、天にあるもの、地上にあるもの、見えるもの、見えないもの、玉座も、主権も、権勢も、能力も、みな彼によって、彼のために創られた。御子は万物の先に存し、万物は彼のために存在する。彼は、体なる教会のかしらであり、因(もと)であって、死者の中から最初に生まれ給うた者である。それは、すべてにおいて、首(かしら)となり給うためである。御父は、すべての充ち足りたものを御子に宿らせ、そして、彼によって、彼において、すべてのものを和睦させ、御子の十字架の御血によって、地にあるものも、天にあるものも、平和にさせようと望み給うた。われらの主イエズス・キリストにおいて。 弟兄们:我们感谢天主圣父,因为祂使我们配在光明中与圣徒共同分享遗产。天主把我们从黑暗的势力抢救出来,把我们引入祂爱子的王国。因着这爱子、借着祂的血、我们获得了救赎之恩和罪过的赦免。天主是不可见的,圣子是祂的肖像,在一切受造物中作首生子。的确,天上地下的一切都因着祂才受造了;可见的一切,和不可见的一切:上座者、宰制者、统权者、异能者、都藉着祂并以祂为目的而受造。在没有万物以前,就有祂;万物都借着祂而存在。教会是祂的身体,祂是这身体的头。因为祂是一切的根源,祂是从死者中首先复活者,这样,祂在一切方面高占首位。圣父乐于使完满无缺的美善居住在祂内,并且藉着祂在十字架上所流的圣血,建立了和平,便因着祂,使地面和天上的万物与自己重归于好:在我们主耶稣基督内。 형제들아 우리로 하여금 광명중에 성인들의 몫을 얻기에 합당한 자 되게 하신 천주 성부께 감사하나니 저는 저 어두움의 권하에서 우리를 구원하사 사랑하온 아들의 나라에 옮겨주셨도다. 우리는 그 아들 안에 그의 피로 말미암아 구속 즉 죄의 사함을 얻었도다. 저는 볼 수 없는 천주의 모상이요 만물중에 첫째로 나신 자시니 대저 저로 말미암아 천상천하의 유형무형한 만물이 조성되었고 좌, 권, 주, 능 등의 만물이 다 저로 말미암아 저 안에 조성되었도다. 저는 만물이 있기 전에 계시고 만물이 저로 말미암아 있도다. 저는 비롯음이시요 죽은 자 가운데로조차 첫째로 부활하신 자시며 그 몸인 성교회의 머리시로다. 저는 만물중에 초월하시니 대저 천주 저 안에 (천주의) 충만함이 거하기를 원하시고 천상천하의 만물을 십자가에서 흘리신 피로써 우리 주 예수 그리스도 안에 화목케 하사 저를 인하여 당신과 화해시키셨도다.
Graduale. Ps. 71, 8 et 11. 昇階誦 詩篇 71ノ8,11 台阶咏(咏71:8-11) 층계경(성영71.8,11)
Dominábitur a mari usque ad mare, et a flúmine usque ad términos orbis terrárum. [主は]海から海まで、川から地球の果てまで、君臨し給うだろう。 自这海直到那海,从大河直到地极,祂必要为王。 저는 바다에서 바다까지 또 강에서 땅지경까지 통치하시리니 
V/. Et adorábunt eum omnes reges terræ : omnes gentes sérvient ei. V/. 地のすべての王は、主を礼拝するだろう。すべての民は、主に仕え奉るだろう。 诸王必要崇拜祂,万民必要奉事祂。 만왕이 저를 흠숭하고 만민이 저를 섬기리로다.
Allelúia V/. Dan. 7, 14. アレルヤ誦 ダニエル 7ノ14 阿肋路亚!阿肋路亚!(达7:14) 알렐루야 알렐루야.(다니엘선지서7.14) 
Allelúia, allelúia. V/. Potéstas eius, potéstas ætérna, quæ non auferétur : et regnum eius, quod non corrumpétur. Allelúia. アレルヤ、アレルヤ。 V/. その権力は、永遠の権力であり、取り去られることはないだろう。その国は亡ぶことがない。アレルヤ。 祂的王权永存不替,祂的国度永不沦亡。阿肋路亚。 저의 통치권은 영원한 권이니 빼앗지 못할 것이요 저의 나라는 없어지지 않으리로다. 알렐루야.
+ Sequéntia sancti Evangélii secúndum Ioánnem. .ヨハネによる聖福音の続誦。 福音 복음
Io. 18, 33-37. ヨハネ 8ノ33-37 (若18:33-37) (성요왕18.33-37)
In illo témpore : Dixit Pilátus ad Iesum : Tu es Rex Iudæórum ? Respóndit Iesus : A temetípso hoc dicis, an alii dixérunt tibi de me ? Respóndit Pilátus : Numquid ego Iudǽus sum ? Gens tua et pontífices tradidérunt te mihi : quid fecísti ? Respóndit Iesus : Regnum meum non est de hoc mundo. Si ex hoc mundo esset regnum meum, minístri mei útique decertárent, ut non tráderer Iudǽis : nunc autem regnum meum non est hinc. Dixit ítaque ei Pilátus : Ergo Rex es tu ? Respóndit Iesus : Tu dicis, quia Rex sum ego. Ego in hoc natus sum et ad hoc veni in mundum, ut testimónium perhíbeam veritáti : omnis, qui est ex veritáte, audit vocem meam. そのとき、ピラトは、イエズスを呼び出して、「あなたはユダヤ人の王か?」ときいた。イエズスは、「あなたは、自分でそういうのか?あるいは、ほかの人が私のことをそう告げたのか?」とおおせられた。するとピラトは、「私をユダヤ人だと思うのか。あなたの国の人と司祭長たちがあなたを私にわたしたのだ。あなたはなにをしたのか?」ときいたので、イエズスは、「私の国は、この世のものではない。もし私の国がこの世のものなら、私の兵士たちは、ユダヤ人に私をわたすまいとして戦っただろう。だが、私の国は、この世からのものではない」とお答えになった。ピラトが「するとあなたは王か?」ときいたので、イエズスは、「あなたのいうとおり、私は王である。私は真理を証明するために生まれ、そのためにこの世に来た。真理につく者は私の声を聞く」とお答えになった」。 那时候,比拉多对耶稣说:“祢是犹太人的国王吗?”耶稣回答说:“这由你自己说的?还是别人论及我而对你说的?”比拉多说:“难道我是犹太人吗?祢本国人和司祭长把祢交给我……祢做了什么?”耶稣回答说:“我的王国不是这世界的;假使我的王国是这世界的,我的臣仆势必反抗,不让把我交给犹太人;但我的王国不是这里的。”比拉多对祂说:“那么,祢是国王吗?”耶稣回答说:“你说了:我是国王。我正是为真理作证而诞生,来到世界上。凡属真理的人,听我的话。” 유시에 비라도 예수께 이르되 '네가 유데아인의 왕이냐' 예수 대답하시되 '네가 스스로 이 말을 하느뇨 혹 다른 이가 나를 들어 네게 말하였느뇨.' 비라도 대답하되 '네가 유데아인이냐. 네 나라 사람들과 제관장들이 너를 내게 잡아 보내었으니 너 무엇을 하였느뇨.' 예수 대답하시되 '내 나라는 이 세상 것이 아니니 만일 내 나라이 이 세상 것이런들 내 신민들이 일정코 대적하여 나로 하여금 유데아인에게 잡히지 이니케 하였으리라. 그러나 내 나라는 여기 있지 아니하니라.' 이러므로 비라도 예수께 이르되 '그러면 네가 왕이냐.' 예수 대답하시되 '네가 바루 말하니 나 과연 왕이로다. 나 이를 위하여 탄생하여 세상에 옴은 하여금 진리를 증거코자 함이니 무릇 진리를 쫓는 자는 다 내 말을 듣느니라' 하시니라.
Credo 信経 信经 (신경 외움)
Ant. ad Offertorium. Ps. 2, 8. 奉献文 詩篇 2ノ8 奉献咏(咏2:8) 제헌경(성영2.8)
Póstula a me, et dabo tibi gentes hereditátem tuam, et possessiónem tuam términos terræ. 私に求めよ、そうすれば私はあなたに諸国をあなたの遺産として与えるだろう。地の果てまでをあなたの所有として。 祢求我吧!我便将万民赐与祢,作祢的基业,将地极赐给祢,做祢的领土。 너 내게 청하면 나 네게 백성들을 유업으로 주고 땅 지경을 소유로 주리로다. 
Secreta 密誦 密祷经 묵념축문
Hóstiam tibi, Dómine, humánæ reconciliatiónis offérimus : præsta, quǽsumus ; ut, quem sacrifíciis præséntibus immolámus, ipse cunctis géntibus unitátis et pacis dona concédat, Iesus Christus Fílius tuus, Dóminus noster : Qui tecum. 主よ、御身に、人間の和解のいけにえを捧げ奉る。願わくは、私たちがこの犠牲によって屠る方、われらの主イエズス・キリスト御自身が、各々の国々に一致と平和との贈り物を与え給わんことを。御身と共に、天主として、聖霊との一致において、世々に生き且つ治め給う主よ。 主,我们将为人类向祢求和解的牺牲,呈奉于祢;求祢恩准:使我们在此圣祭中,所用以祭献的祢圣子我们主耶稣基督,将统一与和平之恩,赐给天下万国。祂和祢……。 주여 우리가 인류의 화해의 예물을 네게 드리나이다. 이 제사에 네 아들 우리주 예수 그리스도를 네게 제헌하오니 빌컨대 저로 인하여 모든 백성들에게 합일과 평화의 은혜를 태워 주소서. 저 너와 성신과 ...
Præfatio   序誦 王たるキリストの序誦 耶稣君王的颂谢引 .
Vere dignum et iustum est, æquum et salutáre, nos tibi semper et ubíque grátias ágere : Dómine, sancte Pater, omnípotens ætérne Deus : Qui unigénitum Fílium tuum Dóminum nostrum Jesum Christum, Sacerdótem ætérnum et universórum Regem, óleo exsultatiónis unxísti: ut seípsum in ara crucis, hóstiam immaculátam et pacíficam ófferens, redemptiónis humánæ sacraménta perágeret: et suo subjéctis império ómnibus creatúris, ætérnum et universále regnum, imménsæ tuæ tráderet Majestáti: regnum veritátis et vitæ, regnum sanctitátis et grátiæ, regnum justítiæ, amóris et pacis. Et ídeo cum Angelis et Archángelis, cum Thronis et Dominatiónibus, cumque omni milítia cœléstis exércitus, hymnum glóriæ tuæ cánimus, sine fine dicéntes:  Sanctus 主よ、聖なる父よ、全能永遠の天主よ、われらが御身に、いつもどこにても感謝を捧げるのは、実にふさわしく正しいこと、義務と救いである。御身は、御独り子なるわれらの主イエズス・キリスト、永遠の司祭、万物の王を、喜びの聖油で塗油し給うた。それは、御子が、十字架の祭壇で、汚れなき且つ平和をもたらすいけにえとして自分自身を捧げつつ、人類の贖いの玄義を果たし給うためであった。また、すべての被造物がその支配に服し、永遠で普遍の王国を、御身の計り知れない御稜威に渡し給うためであった。真理と生命との王国、聖性と聖寵との王国、正義と愛と平和との王国を、である。故に、天使らと大天使らと共に、座天使らと主天使らと共に、また天の万軍と共に、われらは、終わりなく、御身の御光栄の讃歌を歌い続ける。 聖なるかな、… 主、至圣的父、全能永生的天主,我们时时处处颂谢祢,实是正义而必须的,属于我们天职的,也属我们得救的。祢曾以喜宠之油、敷圣了祢的惟一圣子、耶稣基督我们主,成为永远的司祭兼普世的君王,为使祂于刑架的祭坛上奉献自己,做个无玷的与和平的牺牲,以完成救赎人类的奥迹;并为使祂把一切受造之物隶属于祂的权下之后,将永久普遍之国,即真理、生命之国,圣德、宠爱之国,正义、仁爱与和平之国,交于祢无限尊威之前。为此、我们随同诸位天神、总领天神、上座者和宰制者以及天上万军、合唱光荣祢的圣歌,无穷期地说:圣、圣、圣……。 .
Ant. ad Communionem. Ps. 28, 10 et 11. 聖体拝領誦 詩篇 28ノ10,11 领主咏(咏28:10-11) 영성체경(성영28.10,11)
Sedébit Dóminus Rex in ætérnum : Dóminus benedícet pópulo suo in pace. 王なる主は永遠に座し給うだろう。主は、御民に平和のうちに祝福し給うだろう。 主坐着为王,直到永远;主必将和平之福赐给祂的百姓。 주 영원히 왕으로 임하시며 주 당신 백성들에게 평화중에 강복하시리로다.
Postcommunio 聖体拝領後の祈 领后经 영성체후축문
Immortalitátis alimóniam consecúti, quǽsumus, Dómine : ut, qui sub Christi Regis vexíllis militáre gloriámur, cum ipso, in cælésti sede, iúgiter regnáre póssimus : Qui tecum. 主よ、不死の糧を拝領し奉った我らはこい願い奉る。王たるキリストの御旗のもとにたたかうを誇りとするわれらが、天の玉座において、キリストとともに、とこしえに統治するを得んことを。御身と共に、天主として聖霊との一致において、生きかつ治め給う主よ、 Rアメン。 主,我们业已领了常生之粮,求祢恩赐我们:凡在基督君王的旗帜下从事作战以为荣耀的,日后也能同祂一起在天国的宝座上永远作王。祂和祢……。 주여 우리가 불후의 양식을 영하고 간절히 비오니 그리스도 왕의 기 아래서 너를 섬김을 영광으로 아는 우리로 하여금 저와 함께 천상좌 위에서 영원히 왕하게 하소서. 저 너와 성신과...


2020年10月18日は、聖霊降臨後第二十主日(降临后第二十主日: 성신 강림 후 제 이십 주일)です。聖伝のミサのラテン語と日本語・韓国語の対訳のテキストをご紹介いたします

2020年10月16日 | ミサ聖祭

2020年10月18日は、聖霊降臨後第二十主日(降临后第二十主日: 성신 강림 후 제 이십 주일)です。聖伝のミサのラテン語と日本語・韓国語の対訳のテキストをご紹介いたします

【ミサ聖祭】聖パウロは今日、主の与え給うた時を賢明に利用せよと教える。罪を避け、天主の慈悲を待ち望もう<入祭文>。キリストの約束に対して、生ける信仰を持とう<聖福音、聖体拝領誦>。キリストは、われらをバビロンより解放し給うであろう。

'돌아가라. 네 아들이 살았느니라' 그 사람이 믿고... 내려갈 즈음에 종들이 마주 와 보하여 이르되 그 아들이 살았다 하니라' (복음)
그 대신의 아들의 약한 건강상태는 우리로 하여금 우리들의 세계를 생각케 한다. 우리의 세계는 육정의 도열로 인해서 지쳤고, 천주께 대한 신덕이 회복되지 않는 한 구해낼 도리가 없다. 
죄를 겸손되이 고백한다는 것, 이는 천주의 '자비'(초입경)와 '관사하심'(축문)을 얻는 비결이다.
미사의 '성영과 찬미' 를 읇는 동안 '성신으로 충만하여 질지며' 일반생활에서는 '서로 순명하게 될 것이다'(서간경)
기구와 가톨릭활동은 서로 쌍벽을 이루고 있다. 그 '대신'은 신덕에 대한 보답이 있자마자, 그는 곧 신덕을 '전 가족' 과 친척들과 하인들에게 전파하였다.
또한 모든 은혜에 대해서 천주께 진실로 감사하는 마음을 갖는다면 너희는 즉시로 평신자사도가 되어, 가정 안팎을 막론하고 전교를 할 마음이 용솟음 칠 것이리라.

Dominica Vigesima post Pentecosten 聖霊降臨後第二十主日 성신 강림 후 제 이십 주일
II Classis 二級主日  (2급) 초록색
Ant. ad Introitum. Dan. 3, 31, 29 et 35. 入祭文 ダニエル書 3ノ31, 29, 35 초입경(다니엘3.31,29,35)
Omnia, quæ fecísti nobis, Dómine, in vero iudício fecísti, quia peccávimus tibi et mandátis tuis non obœdívimus : sed da glóriam nómini tuo, et fac nobíscum secúndum multitúdinem misericórdiæ tuæ. 主よ、私たちのために御身が行い給うたすべては、真実の審きにおいてなさった。何故なら私たちは御身に罪を犯し、御身の掟に従わなかったからである。しかし、御身の御名に光栄を与えよ、私たちとともに、御身の憐みの多さに従ってなし給え。 주여 너 우리에게 행하신 바는 다 참으로 공의대로 하셨으니 대저 우리가 네게 죄를 짓고 또 네 계명을 지키지 아니하였나이다. 그러나 네 이름을 영화롭게 하사 네 자비의 풍부함을 따라 우리를 대하소서. 
Ps. 118, 1. 詩篇118ノ1 (성영118.1) 
Beáti immaculáti in via : qui ámbulant in lege Dómini. 幸いなるかな、道[人生]において罪の汚れない人々は。主の掟において歩む人々は。 무죄하게 길을 다니고 주의 법안에서 걷는자들은 복되도다. 
V/.Glória Patri. V/. 願わくは聖父と・・・(栄誦)。 영광이 부와 자와 ...
Omnia, quæ fecísti nobis, Dómine, in vero iudício fecísti, quia peccávimus tibi et mandátis tuis non obœdívimus : sed da glóriam nómini tuo, et fac nobíscum secúndum multitúdinem misericórdiæ tuæ. 主よ、私たちのために御身が行い給うたすべては、真実の審きにおいてなさった。何故なら私たちは御身に罪を犯し、御身の掟に従わなかったからである。しかし、御身の御名に光栄を与えよ、私たちとともに、御身の憐みの多さに従ってなし給え。 주여 너 우리에게 행하신 바는 다 참으로 공의대로 하셨으니 대저 우리가 네게 죄를 짓고 또 네 계명을 지키지 아니하였나이다. 그러나 네 이름을 영화롭게 하사 네 자비의 풍부함을 따라 우리를 대하소서. 
Oratio. 集祷文 축문
Largíre, quǽsumus, Dómine, fidélibus tuis indulgéntiam placátus et pacem : ut páriter ab ómnibus mundéntur offénsis, et secúra tibi mente desérviant. Per Dóminum. 主よ、願わくは宥められ、御身の信者たちに、赦しと平和とを与え給え。彼らが全ての過ちから清められるとともに、落ち着いた心で御身に奉仕せんことを。天主として、(…)。 주여 비오니 네 믿는 자들에게 관사하심과 평화를 태워 주사 우리로 하여금 모든 죄에서 조찰하여진 후에 안온한 마음으로 너를 섬기게 하시되, 네 아들 우리 주 예수 그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과 ...
Léctio Epístolæ beáti Pauli Apóstoli ad Ephésios. 使徒聖パウロのエフェゾ人への書簡の朗読。 서간
Ephes. 5, 15-21. エフェゾ 5ノ15-21* (에페소서5.15-21)
Fratres : Vidéte, quómodo caute ambulétis : non quasi insipiéntes, sed ut sapiéntes, rediméntes tempus, quóniam dies mali sunt. Proptérea nolíte fíeri imprudéntes, sed intellegéntes, quæ sit volúntas Dei. Et nolíte inebriári vino, in quo est luxúria : sed implémini Spíritu Sancto, loquéntes vobismetípsis in psalmis et hymnis et cánticis spirituálibus, cantántes et psalléntes in córdibus vestris Dómino : grátias agéntes semper pro ómnibus, in nómine Dómini nostri Iesu Christi, Deo et Patri. Subiecti ínvicem in timóre Christi. 兄弟たちよ、よく見なさい。お前たちがどのように注意深く歩んでいるかを。愚かな者のようではなく、知恵ある者として時を贖いつつ。何故なら今の日々は悪いからである。これがために、思慮のないものとなるな、むしろ天主のみ旨が何であるかを理解するものとなれ。ぶどう酒に酔うな、それには淫乱がある。かえって霊に満たされよ。詩歌と賛美の歌と霊の歌をあなたたちに話し、あなたたちの心において主に歌い、そして賛美せよ。私たちの主イエズス・キリストのみ名において、すべてのことについて、たえず父なる天主に感謝せよ。キリストの畏れにおいて互いに従え。 형제들아 어떻게 조심하여 걸을 것인지 생각할지니 미련한 자와 같이 걷지말고 오직 지혜로운 자와 같이 걸으며 날이 흉하니 시간을 이용할지어다. 그러므로 미련한자 되지 말고 오직 천주의 성의가 무엇인지 깨달을지어다. 또한 음란함이 술에 있으니 취하게 마시지 말고 오직 성신을 충만히 받아 성영과 찬미가와 신령한 노래로써 서로 말하고 마음으로 노래하고 주를 찬미하여 만사에 항상 우리 주 예수 그리스도의 이름으로써 천주 성부께 감사하고 그리스도를 누림으로써 서로 순명할찌어다.
Graduale. Ps. 144, 15-16. 昇階誦 詩篇 144ノ15-16 층계경(성영144.15,16)
Oculi ómnium in te sperant, Dómine : et tu das illis escam in témpore opportúno. 主よ、皆の目は御身を待ち望む。御身は彼らにふさわしい時に糧を与え給う。 주여 뭇사람의 눈이 너를 바라보매 너 그들에게 적당한 때에 양식을 주시도다. 
V/. Aperis tu manum tuam : et imples omne ánimal benedictióne. V/. 御身は御手を開き給うて、すべての動物を祝福で満たし給う。 너 손을 펴사 모든 동물을 네 강복으로 채우시도다.
Allelúia, allelúia. V/.Ps. 107, 2. アレルヤ、アレルヤ、V/. 詩篇 107ノ2 알렐루야 알렐루야(성영107.2) 
Parátum cor meum, Deus, parátum cor meum : cantábo, et psallam tibi, glória mea. Allelúia. 私の心は準備ができている、天主よ、私の心は準備ができている。私は歌うだろう、また、私の栄光よ、御身に詩を歌うだろう、アレルヤ。 천주여 내 마음을 예비하고 내 마음을 예비하였으니 나 노래하며 내 영광이신 너를 찬송하리이다. 알렐루야.
+ Sequéntia sancti Evangélii secúndum Ioánnem. ヨハネによる聖福音の続誦。 복음
Ioann. 4, 46-53. ヨハネ 4ノ46-53 (성요왕4.46-53)
In illo témpore : Erat quidam régulus, cuius fílius infirmabátur Caphárnaum. Hic cum audísset, quia Iesus adveníret a Iudǽa in Galilǽam, ábiit ad eum, et rogábat eum, ut descénderet et sanáret fílium eius : incipiébat enim mori. Dixit ergo Iesus ad eum : Nisi signa et prodígia vidéritis, non créditis. Dicit ad eum régulus : Dómine, descénde, priúsquam moriátur fílius meus. Dicit ei Iesus : Vade, fílius tuus vivit. Crédidit homo sermóni, quem dixit ei Iesus, et ibat. Iam autem eo descendénte, servi occurrérunt ei et nuntiavérunt, dicéntes, quia fílius eius víveret. Interrogábat ergo horam ab eis, in qua mélius habúerit. Et dixérunt ei : Quia heri hora séptima relíquit eum febris. Cognóvit ergo pater, quia illa hora erat, in qua dixit ei Iesus : Fílius tuus vivit : et crédidit ipse et domus eius tota. そのとき、そこに一人の王官がいた。その人の子はカファルウムで病床についていた。イエズスが、ユダヤからガリラヤにおいでになったと知ったかれは、イエズスのところに行って、すでに死の迫っている子を治しに来てくださいとたのんだ。イエズスが、「あなたたちは、しるしと奇跡とを見ないと信じないのか?」とおおせられた。王官は、「主よ、あの子が死なないうちに来てください」と答えた。イエズスは、「あなたの子は生きている。行きなさい!」とおおせられた。そこでかれが、イエズスのおことばを信じて去ると、その途中、かれの下男たちにであって、子どもは生きていると知らされた。いつごろからよくなったかと聞くと、「きのうの午後一時ごろから熱が去りました」と下男たちは答えた。父親は、その時刻が、「あなたの子は生きている」とイエズスがおおせられたのと同じ時刻だと知った。そしてかれとその家の人は、みなイエズスを信じた。 유시에 어떤 대신이 있어 그 아들이 가파르나움에서 병들었더니 예수 유데아로조차 갈릴레아에 이르신다는 말을 그 대신이 듣고 예수께 나아와 하여금 내려 가사 그 아들을 낫게 하여 주시기를 간청하니 대저 죽기에 임함이러라. 이러므로 예수 저에게 가라사대 '너희가 만일 영적과 기묘한 일을 보지 않으면 믿지 아니하는도다.' 대신이 예수께 아뢰되 '주여 내 아들이 죽기 전에 내려오시옵소서.' 예수 가라사대 '돌아가라 네 아들이 살았느니라' 하시니 그 사람이 예수 제게 이르신 바를 믿고 가더니 저 내려갈 즈음에 종들이 마주 와 보하여 이르되 '그 아들이 살았다' 하거늘 이에 그 어느시에 나았는지 물은데 대답하되 '어제 일곱시에 학질이 떨어졌나이다.' 하는지라. 이러므로 그 부친이 예수 저에게 이르시되 네 아들이 살았느니라 하시던 시가 곧 그 시인 줄을 깨닫고 저와 온집이 믿으니라.
Credo 信経 신경외움
Ant. ad Offertorium. Ps. 136, 1. 奉献文 詩篇  136ノ1 제헌경(성영136.1)
Super flúmina Babylónis illic sédimus et flévimus : dum recordarémur tui, Sion. バビロンの川のほとりで、そこに私たちは座って泣いた。シオンよ、おまえのことを私たちは思い出しながら。 시온아 우리가 바빌론강 가에 앉아 너를 생각하고 울었노라.
Secreta. 密誦 묵념축문
Cæléstem nobis prǽbeant hæc mystéria, quǽsumus, Dómine, medicínam : et vítia nostri cordis expúrgent. Per Dóminum. 主よ、願わくは、この奥義が天の薬を私たちに与え、私たちの心の悪習を浄め尽くさんことを。天主として、(…)。 주여 비오니 이 비사로 하여금 우리에게 천상 신약을 가져오게 하시며 또한 우리 마음의 악습을 뽑아버리게 하시되, 네 아들 우리 주 예수 그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과 ...
Præfatio de sanctissima Trinitate  序誦   三位一体と主日との序誦 성삼감사경
Vere dignum et iustum est, æquum et salutáre, nos tibi semper et ubíque grátias ágere : Dómine, sancte Pater, omnípotens ætérne Deus : Qui cum Unigénito Fílio tuo et Spíritu Sancto unus es Deus, unus es Dóminus : non in uníus singularitáte persónæ, sed in uníus Trinitáte substántiæ. Quod enim de tua glória, revelánte te, crédimus, hoc de Fílio tuo, hoc de Spíritu Sancto, sine discretióne sentímus. Ut, in confessióne veræ sempiternǽque Deitátis, et in persónis propríetas, et in esséntia únitas, et in maiestáte adorétur æquálitas. Quam laudant Angeli atque Archángeli, Chérubim quoque ac Séraphim, qui non cessant clamáre cotídie, una voce dicéntes : Sanctus… 主よ、聖なる父よ、全能永遠の天主よ、われらが御身に、いつもどこにても感謝を捧げるのは、実にふさわしく正しいこと、義務と救いである。御身は、御独り子と聖霊と共に、唯一の天主、唯一の主にて在す。すなわち、御身は、一の位格の単一にて在すのではなく、唯一の実体(substantia)の三位にて在す。御身の御光栄について、御身が啓示するがゆえに、われらが信じ奉ることを、聖子について、聖霊について、差別なく、われらは信じ奉る。真の永遠の天主の本性を告白するにおいて、位格における固有性が礼拝され、本質(essentia)における唯一性と、御稜威における等しさも礼拝されるためである。これを、天使らと大天使らは、智天使も熾天使も、讃美し、絶え間なく声を上げ、日々声をあわせてこう言う。聖なるかな、… 주여, 성부여, 전능하시고 영원하신 천주여, 우리가 어디서나 항상 주께 감사하는 것이 참으로 당연하고 옳으며, 지당하고 구령에 유익하나이다. 주는 외아들과 성신과 더불어 오직 한분의 천주시요, 오직 한분의 주이시되, 한 위가 아니시고, 한 체로서 세 위시니이다. 주의 계시로 우리가 주의 영광에 대하여 믿는 바를, 성자와 성신에 대하여서도 조금도 다름이 없이 믿나이다. 그리하여 우리는 참되시고 영원하신 천주성을 찬미함에 있어, 위로서는 각 품이시요, 체로서는 하나이시요, 지존하시기는 같으심을 찬송하나이다. 천신들과 대천신들 및 케루빔과 세라핌이 이를 찬양하며, 날마다 간단없이 제창하나이다. 거룩하시다, 거룩하시다, 만군의 천주이신 주는 거룩하시나이다. 하늘과 땅에 주의 영광이 가득하나이다. 천상에 좌정하신이여 호산나, 주의 이름으로 오시는 이는 찬미받아지이다. 천상에 좌정하신이여 호산나.
Ant. ad Communionem. Ps. 118, 49-50. 聖体拝領誦 詩篇 118ノ49-50 영성체경(성영118.49,50)
Meménto verbi tui servo tuo, Dómine, in quo mihi spem dedísti : hæc me consoláta est in humilitáte mea. 主よ、御身の下僕への御身の言葉を思い出し給え。それにおいて御身は私に希望を与え給うた。これ[希望]が私の辱めにおいて、私を慰めた。 주여 내게 희망을 주신, 네 종에게 하신 네 말씀을 생각하소서. 대저 이는 내 곤궁중에 나를 위로하였나이다.
Postcommunio. 聖体拝領後の祈 영성체후축문
Ut sacris, Dómine, reddámur digni munéribus : fac nos, quǽsumus, tuis semper obœdíre mandátis. Per Dóminum nostrum. 主よ、私たちが聖なる賜物にふさわしいものとならんがため、願わくは、私たちをして御身の掟に常に従順となさしめ給え。天主として、(…)。

주여 우리로 하여금 항상 네 계명을 준행케 하사 네 거룩한 예물을 받기에 합당한 자 되게 하시되, 네 아들 우리 주 예수 그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과 ...

 


2020年10月11日は、聖霊降臨後第十九主日(降临后第十九主日: 성신강림 후 제 십구 주일)です。聖伝のミサのラテン語と日本語・中文・韓国語の対訳のテキストをご紹介いたします

2020年10月09日 | ミサ聖祭

2020年10月11日は、聖霊降臨後第十九主日(降临后第十九主日: 성신강림 후 제 십구 주일)です。聖伝のミサのラテン語と日本語・中文・韓国語の対訳のテキストをご紹介いたします

【ミサ聖祭】入祭文はキリストの御言葉である、キリストは身体と霊魂との救い主である。イエズスは、いつか、安息日に、ユダヤ人に向かって仰せられたように、人間の心身を癒やし給うたのである。洗礼を受けて、贖われたわれらは、天主によってつくられた人間に生まれ変わった。しかし、生まれ変わっただけではいけない。日と共に成長し、「完全な人間」にならねばならぬ。

Dominica Decima nona post Pentecosten 聖霊降臨後第十九主日 将临期后第十九主日 성신강림 후 제 십구 주일
II Classis 二級祝日 复式【绿】  (2급) 초록색
Ant. ad Introitum. 入祭文 詩篇 77ノ1 进台咏(咏77:1) 초입경(성영77)
Salus pópuli ego sum, dicit Dóminus : de quacúmque tribulatióne clamáverint ad me, exáudiam eos : et ero illórum Dóminus in perpétuum. 私は民の救いである、と主は言い給う。どのような艱難の中でも、彼らは私に叫んだなら、私は彼らの願いを聞きいれる。私は、永遠に彼らの主となろう。 上主说:“我是百姓的救援:他们在任何的急难中呼吁我,我总要垂听他们,我要永远做他们的上主。 주 이르시되 나는 백성의 구원이니 아무 환난중에라도 저들이 내게 부르짖으면 나 저들을 들어 허락할 것이요 나 또한 무궁지세에 저들의 주로라 하시느니라.
Ps. 77, 1. 詩篇77ノ1 咏77:1  (성영77.1) 
Attendite, pópule meus, legem meam : inclináte aurem vestram in verba oris mei. 私の民よ、私の掟を聞け。私の口の言葉に汝らの耳を傾けよ。 我的民啊!你们要谛听我的教训;侧耳倾听我口中的话。” 내 백성아 내 법을 삼가 지키며, 내 입의 말에 네 귀를 기울일지어다. 
V/.Glória Patri. V/. 願わくは聖父と・・・(栄誦)。 光荣归于父……。 영광이 부와 자와...
Salus pópuli ego sum, dicit Dóminus : de quacúmque tribulatióne clamáverint ad me, exáudiam eos : et ero illórum Dóminus in perpétuum. 私は民の救いである、と主は言い給う。どのような艱難の中でも、彼らは私に叫んだなら、私は彼らの願いを聞きいれる。私は、永遠に彼らの主となろう。 上主说:“我是百姓的救援:他们在任何的急难中呼吁我,我总要垂听他们,我要永远做他们的上主。 주 이르시되 나는 백성의 구원이니 아무 환난중에라도 저들이 내게 부르짖으면 나 저들을 들어 허락할 것이요 나 또한 무궁지세에 저들의 주로라 하시느니라.
Oratio. 集祷文 集祷经 축문
Omnípotens et miséricors Deus, univérsa nobis adversántia propitiátus exclúde : ut mente et córpore páriter expedíti, quæ tua sunt, líberis méntibus exsequámur. Per Dóminum. 全能の憐れみ深き天主よ、御慈悲をもって、われらにとって[救いの]すべての妨害を取り除き給え。そして身体と霊魂とがともに重荷を取り除かれ、我らをして自由な心で御身のことに従わせ給え。天主として、(…)。 全能仁慈的天主,求祢惠然袪除一切妨害我们的事,使我们神形两方摆脱了所有的阻碍,能以自主的精神致力为祢服务。因我们主……。 전능하시고 인자하신 천주여 우리를 해하는 모든 것을 인자로이 물리치사 우리로 하여금 영신과 육신에 걸림이 없이 든든한 마음으로 네 성의를 준행케 하시되, 네 아들 우리 주 예수 그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과...
Léctio Epístolæ beáti Pauli Apóstoli ad Ephésios. 使徒聖パウロの、エフェゾ人への書簡の朗読。 书信 서간경
Ephes. 4, 23-28. エフェゾ  4ノ23-28 (弗4:23-28) (에페소서4.23-28)
Fratres : Renovámini spíritu mentis vestræ, et indúite no vum hóminem, qui secúndum Deum creátus est in iustítia et sanctitáte veritátis. Propter quod deponéntes mendácium, loquímini veritátem unusquísque cum próximo suo : quóniam sumus ínvicem membra. Irascímini, et nolíte peccáre : sol non occídat super iracúndiam vestram. Nolíte locum dare diábolo : qui furabátur, iam non furétur ; magis autem labóret, operándo mánibus suis, quod bonum est, ut hábeat, unde tríbuat necessitátem patiénti. 兄弟たちよ、霊的な念(おもい)によって自分を新たにし、義とまことの聖徳において、天主にかたどってつくられた新しい人を着なければならぬ。だから、偽りをすてて、おのおの隣人に真実を語れ、我々は互いに肢体だからである。あなたたちは、怒(いか)っても罪を犯すな、日がかたむくまで怒りを保つな。悪魔に席を与えるな、盗人はもう盗むな、かえって、貧しい者に施すために、自分の手で何かよい仕事をして働け。 弟兄们:你们要更新你们的心神,并且要穿上新人——这新人是在真正的正义和圣善内,依照天主的肖像所创造的。你们应该抛弃谎言,和别人交往常说实话,因为我们彼此都互为肢体。发怒时,不可犯罪;在太阳没落以前,要将怒火平息。不要让魔鬼乘机诱惑你们。惯于作贼的人,不可再偷窃了,却要辛苦劳碌,用他的双手干正当的工作,因而能以他的所得分施给贫困者。 형제들아 너희는 너희 정신의 영신적 생명으로 새로워지고 천주의 모상대로 참된 의덕과 거룩함으로 조성된 새 사람을 입을지어다. 그러므로 너희는 거짓말을 벗어 버리고 제게 가까운 모든 이들과 한가지로 진리를 말할지니 대저 우리는 서로 지체가 됨이니라. 노할지언정 죄를 범치 말지니 너희 분노중에 해가 저물게 말지니라. 마귀에게 기회를 주지 말며 도적질한 자는 다시는 도적질을 말 것이니 오히려 수고하고 곤궁한 자에게 줄 것을 얻기 위하여 제 손으로 좋은 일을 행할지어다. 
Graduale. Ps. 140, 2. 昇階誦 詩篇  140ノ2 台阶咏(咏140:2) 층계경(성영140.2)
Dirigátur orátio mea, sicut Incénsum in conspéctu tuo, Dómine. 主よ、願わくは私の祈りが、香のように御前に立ち上らんことを。 主啊!愿我的祈祷有如馨香升至祢面前。 주여 내 기구를 유향과 같이 네 대전에 오르게 하시며 
V/. Elevatio mánuum meárum sacrifícium vespertínum. V/. 私の両手を上げる[祈り]が、夕べのいけにえのように。 愿我的手向祢举起,有如晚祭。 나 손을 들어 빎은 저녁제사와 같이 되게 하실지어다.
Allelúia, allelúia. V/.Ps. 104, 1. アレルヤ、アレルヤ。詩篇 104ノ1 阿肋路亚。阿肋路亚!(咏104:1) 알렐루야 알렐루야.(성영104.1) 
Confitémini Dómino, et invocáte nomen eius : annuntiáte inter gentes ópera eius. Allelúia. 主を告白せよ、その御名をこい願い、その御業を万国に告げよ、アレルヤ。 你们要赞颂上主,呼求衪的圣名;在万民中宣扬衪的作为。阿肋路亚。 주를 찬송하고 저의 이름을 부르며 외인중에서 저의 행적을 보할지어다. 알렐루야.
+ Sequéntia sancti Evangélii secundum Matthǽum. マテオによる聖福音の続誦。 福音 복음
Matth. 22, 1-14. マテオ  22ノ1-14 (玛22:1-14) (성마두22.1-14)
In illo témpore : Loquebátur Iesus princípibus sacerdótum et pharisǽis in parábolis, dicens : Símile factum est regnum cælórum hómini regi, qui fecit núptias fílio suo. Et misit servos suos vocáre invitátos ad nuptias, et nolébant veníre. Iterum misit álios servos, dicens : Dícite invitátis : Ecce, prándium meum parávi, tauri mei et altília occísa sunt, et ómnia paráta : veníte ad núptias. Illi autem neglexérunt : et abiérunt, álius in villam suam, álius vero ad negotiatiónem suam : réliqui vero tenuérunt servos eius, et contuméliis afféctos occidérunt. Rex autem cum audísset, iratus est : et, missis exercítibus suis, pérdidit homicídas illos et civitátem illórum succéndit. Tunc ait servis suis : Núptiæ quidem parátæ sunt, sed, qui invitáti erant, non fuérunt digni. Ite ergo ad exitus viárum et, quoscúmque invenéritis, vocáte ad núptias. Et egréssi servi eius in vias, congregavérunt omnes, quos invenérunt, malos et bonos : et implétæ sunt núptiæ discumbéntium. Intrávit autem rex, ut vidéret discumbéntes, et vidit ibi hóminem non vestítum veste nuptiáli. Et ait illi : Amíce, quómodo huc intrásti non habens vestem nuptiálem ? At ille obmútuit. Tunc dixit rex minístris : Ligátis mánibus et pédibus eius, míttite eum in ténebras exterióres : ibi erit fletus et stridor déntium. Multi enim sunt vocáti, pauci vero elécti. そのとき、イユズスはまた、かれらにたとえをお話しになった。「天の国は、自分の子のために婚宴をする王のようである。婚宴への招待者をむかえるために、王がしもべたちをおくったが、かれらは来ようとしなかった。そこで、ほかのしもべをおくって、"私は、婚宴の準備をすでにととのえ、牛も肥えたけものも屠って、準備したから、宴会に来るようにと招待者たちにいいなさい"と命じた。ところが、人々はそれを気にもかけず、一人は自分の畑に、一人は商売に行ってしまった。またほかの人はしもべたちをとらえて辱しめ、しかも殺してしまったので、王は怒って、軍隊をおくり、その人殺したちを亡ぼし、町をやきはらってしまった。それからしもべたちに、"宴会はすでに準備されたが、招待者は招待にふさわしくなかった。あなたたちは大路に行って、出会う人をみな宴会に招いて来なさい"と命じた。しもべたちは道に出て、出会う人をみな、よいも悪いも集めたので、宴席は客で一ぱいになった。客を見ようとしてはいってきた王は、一人が礼服をつけていないので、"友よ、あなたはどうして、礼服をつけずにここにはいったのですか?"ときくと、その人は答えなかった。そこで王は、給仕たちに、"この男の手足をしばって外のやみに投げ出せ。そこには嘆きとはがみとがあろう!"といった。実に、招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」。 那时候,耶稣又用比喻给司祭长和法利塞人说:“天国好比一个君王,给他儿子张设婚筵,就遣仆人去请客人来赴筵,客人都不肯来。他又遣别的仆人说:‘你们告诉客人:我的筵席已经预备好了,牛和肥畜已经杀好,各样都齐备了,请你们来赴筵。’但是客人们不理,径自走了;一个到自己田里去,一个作买卖去,其余的拿住仆人,把他们凌辱了、杀死。君王大为愤怒,发兵诛灭那些凶手,烧毁他们的城池。他于是对仆人说:‘婚筵齐备好了,只是客人不配;所以你们到岔路口去,不论遇到谁,都请来赴筵。’那些仆人就出外,到大路上去。凡遇到的人,善的、恶的都召集了来,筵席上就坐满了客人。君王进来了,观看坐席的客人,见那里有一个没有穿礼服的,就对他说:‘朋友!你到这里来,怎么不穿礼服?’那人哑口无言。于是君王对仆人说:‘你们把他的手足捆绑了,投在外边黑暗里:在那里要号哭切齿。’的确,蒙召的多,被选的少。” 유시에 예수 제관장과 바리서이들더러 비유로 말씀하여 이르시되 '천국은 마치 임금이 그 세자의 혼인잔치를 배설함 같으니 그 종을 보내어 잔치에 청한 자들을 부르되 오기를 싫어하는지라, 또 다른 종을 보내며 이르되 청한자들에게 가서 말하기를 문득 내 잔치를 차려놓고 내 소의 살진 짐승을 잡고 모든 것을 예비하였으니 혼인잔치에 오소서 하라 하였으나 저들이 소홀히 여겨 혹은 제 농장에 가고 혹은 제 장사하러 가고 그 나머지는 왕의 종을 잡아 능욕하여 죽이는지라, 왕이 듣고 진노하여 군대를 보내어 그 살인한 자들을 전멸하며 그 읍내를 불지르고 이에 종들에게 이르되 혼인 잔치는 과연 예비하였으나 그러나 청하였던 자들은 참여하기에 부당하니 이러므로 길거리에 나가 만나는대로 혼인잔치에 불러오라. 그 종들이 길거리에 나가서 선자 악자를 만나는대로 다 모아들여 연석에 앉은 자들이 가득한지라, 왕이 손을 보러 들어와 거기 예복을 입지 아니한 사람을 보고 이르되 벗아 예복을 입지 아니하고 어찌 여기 들어왔느냐. 저 묵묵하는지라. 왕이 이에 모시는 자에게 명하되 그 수족을 결박하여 바깥 어두운데 던지라. 거기 절치 통곡함이 있으리라 하였으니 대개 불리인자는 많으나 간선자는 적음이니라' 하시니라.
Credo  信経 信经 신경외움
Ant. ad Offertorium. Ps. 137, 7. 奉献文 詩篇  137ノ7 奉献咏(咏137:7) 제헌경(성영137.7)
Si ambulávero in médio tribulatiónis, vivificábis me, Dómine : et super iram inimicórum meórum exténdes manum tuam, et salvum me fáciet déxtera tua. たとえ困難の中を歩こうとも、主よ、御身は私を生かし給う、私の敵どもの怒りの上に御身の手を伸べて、御身の右手で私を救い給う。 主啊!我若在困难中行走,祢必要使我生存。为使我预防仇敌的震怒,祢要伸开祢的手;祢的右手必把我拯救。 주여 나 환난중에 다니면 너 나를 생활케하시리로다. 너 내 원수의 분노를 거슬러 손을 펴실 것이매 네 오른손이 나를 구하시리로다.
Secreta. 密誦 密祷经 묵념축문
Hæc múnera, quǽsumus, Dómine, quæ óculis tuæ maiestátis offérimus, salutária nobis esse concéde. Per Dóminum. 主よ、願わくは、御稜威(みいつ)の御身の目に我らが捧げ奉るこの供え物が、われらにとって救いとなることを与え給え。天主として、(…)。 主,求祢使我们所奉呈于祢尊前的礼物,成为我们得救的恩源。因我们主……。 주여 비오니 네 엄위하신 대전에 봉헌하는 이 제물로써 우리에게 유익이 되게 하시되, 네 아들 우리 주 예수 그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과...
Præfatio de sanctissima Trinitate  序誦  三位一体と主日との序誦 天主圣三的颂谢引 성삼감사경
Vere dignum et iustum est, æquum et salutáre, nos tibi semper et ubíque grátias ágere : Dómine, sancte Pater, omnípotens ætérne Deus : Qui cum Unigénito Fílio tuo et Spíritu Sancto unus es Deus, unus es Dóminus : non in uníus singularitáte persónæ, sed in uníus Trinitáte substántiæ. Quod enim de tua glória, revelánte te, crédimus, hoc de Fílio tuo, hoc de Spíritu Sancto, sine discretióne sentímus. Ut, in confessióne veræ sempiternǽque Deitátis, et in persónis propríetas, et in esséntia únitas, et in maiestáte adorétur æquálitas. Quam laudant Angeli atque Archángeli, Chérubim quoque ac Séraphim, qui non cessant clamáre cotídie, una voce dicéntes : Sanctus… 主よ、聖なる父よ、全能永遠の天主よ、われらが御身に、いつもどこにても感謝を捧げるのは、実にふさわしく正しいこと、義務と救いである。御身は、御独り子と聖霊と共に、唯一の天主、唯一の主にて在す。すなわち、御身は、一の位格の単一にて在すのではなく、唯一の実体(substantia)の三位にて在す。御身の御光栄について、御身が啓示するがゆえに、われらが信じ奉ることを、聖子について、聖霊について、差別なく、われらは信じ奉る。真の永遠の天主の本性を告白するにおいて、位格における固有性が礼拝され、本質(essentia)における唯一性と、御稜威における等しさも礼拝されるためである。これを、天使らと大天使らは、智天使も熾天使も、讃美し、絶え間なく声を上げ、日々声をあわせてこう言う。聖なるかな、… 主,圣父,全能永生的天主!我们时时处处颂谢祢,实是正义而必须的,属于我们天职的,也属我们得救的。祢与祢的独子及圣神,只是一个天主,只是一个主;不是因为位是单独一个,却是因为三位同具一个性体。的确,我们所怎样依照祢的启示,相信祢享的光荣,我们无区别地也同样确认祢的圣子,也同样确认圣神共享这个光荣。因此,我们在明认圣三真实而永在的天主性上,同时论位,我们敬拜圣三的各一,论体,我们敬拜圣三的无二,论尊荣,我们敬拜圣三的均等。这圣三的尊荣,是天神们和总领天神们,普知天神们和炽爱天神们,所虔诚歌颂的;他们日复一日,永不停止同声高呼说:圣、圣、圣…… 주여, 성부여, 전능하시고 영원하신 천주여, 우리가 어디서나 항상 주께 감사하는 것이 참으로 당연하고 옳으며, 지당하고 구령에 유익하나이다. 주는 외아들과 성신과 더불어 오직 한분의 천주시요, 오직 한분의 주이시되, 한 위가 아니시고, 한 체로서 세 위시니이다. 주의 계시로 우리가 주의 영광에 대하여 믿는 바를, 성자와 성신에 대하여서도 조금도 다름이 없이 믿나이다. 그리하여 우리는 참되시고 영원하신 천주성을 찬미함에 있어, 위로서는 각 품이시요, 체로서는 하나이시요, 지존하시기는 같으심을 찬송하나이다. 천신들과 대천신들 및 케루빔과 세라핌이 이를 찬양하며, 날마다 간단없이 제창하나이다. 거룩하시다, 거룩하시다, 만군의 천주이신 주는 거룩하시나이다. 하늘과 땅에 주의 영광이 가득하나이다. 천상에 좌정하신이여 호산나, 주의 이름으로 오시는 이는 찬미받아지이다. 천상에 좌정하신이여 호산나.
Ant. ad Communionem. Ps. 118,4-5. 聖体拝領誦 詩篇  118ノ4-5 领主咏(咏118:4-5) 영성체경(성영118.4,5)
Tu mandásti mandáta tua custodíri nimis : útinam dirigántur viæ meæ, ad custodiéndas iustificatiónes tuas. 御身は、御身の掟が極めて守られるように命じ給うた。御身の義を守るために、私の歩みが導かれんことを。 祢曾吩咐人,要谨守祢的命令。但愿我的道路稳定,致能遵行祢的律例。 너 네계명을 충실히 지키라 명하셨나이다. 내 길이 네 법을 준행하기로 향할지어다.
Postcommunio. 聖体拝領後の祈 领后经 영성체후축문
Tua nos, Dómine, medicinális operátio, et a nostris perversitátibus cleménter expédiat, et tuis semper fáciat inhærére mandátis. Per Dóminum. 主よ、願わくは、御身の癒しのはたらきが、慈悲ふかく我らをして、われらの堕落から取り除かれ、かつ、御身の掟に常に愛着させ給え。天主として、(…)。 主,求祢行使医治我们的工化,为惠然解救我们脱免恶劣的偏情,并使我们常常遵依祢的诚命。因我们主……。 주여 네 유익한 작용으로 우리를 인자로이 악정에서 구원하시고 또한 우리로 하여금 네 계명을 항상 튼튼히 붙잡게 하시되, 네 아들 우리 주 예수 그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과...


2020年9月27日は、聖霊降臨後第十七主日(二級祝日 典礼色:緑)です。聖伝のミサのラテン語と日本語・中文・韓国語の対訳のテキストをご紹介いたします

2020年09月22日 | ミサ聖祭

2020年9月27日は、聖霊降臨後第十七主日(二級祝日 典礼色:緑)です。聖伝のミサのラテン語と日本語・中文・韓国語の対訳のテキストをご紹介いたします

ミサ聖祭
<書簡>において、囚人聖パウロは、まことのキリスト教生活を行えとわれらに教えている。この生活は、神祕体の一致性を実現することである。すなわち、平和と愛徳とにむすばれた一つの身体と一つの霊魂となるべきである。天主の掟は、同じことを目的とするものである。この一つの目的とは、愛である。<聖福音>聖体を制定してのち、死地におもむこうとするキリストは、普遍的愛の新しい掟を宣言し、御父にむかって、われらを一つに結び給えと祈り給うた。

天主把世界各地的人聚集于祂的教会中,联合成美妙的团体:因圣洗使一般的人成为以基督为首的唯一奥体,并以天主为父的唯一家庭(书信)。不仅如此,他们在圣体中同样的受养以基督的血肉,因而变成祂的妙身。从此,唯一整个(奥义)的基督,生活于祂许多的肢体中,并在我们身上继续爱祂的圣父天主,及爱祂的兄弟世人。因此,爱德正是主的唯一法律,人们欲知道基督是否在他们身上活着,该看他们是否有了基督真的爱德(福音)。

『네 천주를…사랑하라…남을 네 몸 값이 사랑하라』(복음) 『모든 계명과 신조는 이 두가지(사랑)에 의존한다』매일 우리들은『(이)법률안에서 걸으며』(초입경),『마귀의 유감을 물리침』뿐만 아니라『너희는 그리스도에 대해서 어떻게 생각하나?』하는 물음에 응답한다. 우리는 행동을 가지고 그리스도는『나의 주』이시라고 우리의 신덕을 드러낸다.(복음) 성세를 통하여 천주께서는『모든 이의 성부』(서간경)가 되셨으므로 우리는『서로 사랑하여 참고 살아간다』 

Dominica Decima septima post Pentecosten 聖霊降臨後第第十七主日 降临后第十七主日 성신 강림 후 제 17 주일
II Classis 二級祝日 复式【绿】  (2급) 초록색
Ant. ad Introitum. Ps. 118, 137 et 124. 入祭文 詩篇、118ノ137、124 进台咏(咏118:137,124) 초입경(성영 118 137,124)
Iustus es, Dómine, et rectum iudicium tuum : fac cum servo tuo secúndum misericórdiam tuam. 主よ、御身は義なり、御身の審きは正しい。御あわれみに従って下僕を扱い給え。 上主啊!祢是公义的,祢的判决也是正直的;求祢照祢的仁慈待祢的仆人。 주여 너 공의하시고 네 심판이 옳으시니네 자비를 따라 네 종을 대우하소서.
Ps. ibid., 1. 詩篇、118ノ1 咏118:1 (성영 118․1) 
Beáti immaculáti in via : qui ámbulant in lege Dómini. 生涯において汚れなき者たち、主の掟において歩む者らは幸いなるかな。 品行淳厚,遵守上主法律的,是有福的人。 무죄하게 길을 다니고 주의 법 안에서 걷는 자들은 복되도다. 
V/.Glória Patri. V/. 願わくは聖父と・・・(栄誦)。 光荣归于父……。 영광이 부와 자와... 
Iustus es, Dómine, et rectum iudicium tuum : fac cum servo tuo secúndum misericórdiam tuam. 主よ、御身は義なり、御身の審きは正しい。御あわれみに従って下僕を扱い給え。 上主啊!祢是公义的,祢的判决也是正直的;求祢照祢的仁慈待祢的仆人。 주여 너 공의하시고 네 심판이 옳으시니네 자비를 따라 네 종을 대우하소서.
Oratio. 集祷文 集祷经 축문
Da, quǽsumus, Dómine, pópulo tuo diabólica vitáre contágia : et te solum Deum pura mente sectári. Per Dóminum. 主よ、願わくは、御身の民に悪魔的な汚染をさける恩寵を与え給え、清い心で、天主なる御身のみに従わせ給え。天主として、(…)。 主,求祢恩赐祢的子民能躲避魔鬼的接触,并能以净心跟从祢,唯一天主。因我们主耶稣基督……。 주여 비오니 네 백성에게 모든 마귀와 유감을 물리칠 은혜를 태워 주시며 또한 그들로 하여금 오직 하나이신 너 천주를 조찰한 마음으로 섬기게 하시되, 네 아들 우리 주 예수․그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과... 
Léctio Epístolæ beáti Pauli Apóstoli ad Ephésios. 使徒聖パウロの、エフェゾ人への書簡の朗読 书信 서간경
Ephes. 4, 1-6. エフェゾ 4ノ1-6 (弗4:1-6) (에페소서 4 1-6)
Fratres : Obsecro vos ego vinctus in Dómino, ut digne ambulétis vocatióne, qua vocáti estis, cum omni humilitáte et mansuetúdine, cum patiéntia, supportántes ínvicem in caritáte, sollíciti serváre unitátem spíritus in vínculo pacis. Unum corpus et unus spíritus, sicut vocáti estis in una spe vocatiónis vestræ. Unus Dóminus, una fides, unum baptísma. Unus Deus et Pater ómnium, qui est super omnes et per ómnia et in ómnibus nobis. Qui est benedíctus in sǽcula sæculórum. Amen. 兄弟たちよ、主において鎖につながれた[囚人となった]私は、あなたたちに願う。あなたたちが召し出された召命にふさわしいように歩き[生き]、すべての謙遜と柔和と忍耐とをもって、互いに愛によってたえ忍び、平和の鎖[きずな]において精神の一致を守るようにせよ。体は一つ、精神は一つ、あなたたちが召出しによって一つの希望に召されたのと同様に、主は一つ、信仰は一つ、洗礼は一つ、天主は一つで、すべてのものの父であり、すべてのものの上にあり、すべてのものの上に働き、すべてのものの内に在す。 弟兄们:我这因主被囚而带着枷锁的人,谆谆劝告你们:你们的生活要和你们所蒙受的圣召相称;你们在一切事上要用谦逊、温和、坚忍,彼此因相爱而互相容忍;努力在和平的联系中保持一心一意。你们原是一个身体,你们都有同一的圣神,你们也蒙召具有同一的希望;只有一位主,同一的信德,同一的洗礼;只有一位天主,作万有的大父;祂在一切之上通过一切,在我们众人内。愿祂世世代代享受赞美!阿门。 형제들아 주안에 죄수가된 나 너희게 간청하노니 너희는 맡은바 성소에 합당하게 모든 겸손과 양순으로써 걷고 인내하여 사랑으로써 서로 참고 평화의 끈으로써 정신의 일치를 보존하기로 주의할지어다. 몸이 하나요 영신이 하나이니 너희가 받은바 성소의 희망이 하나인것과 같도다. 주 하나이시오 신덕이 하나이요 성세가 하나이요 모든이 위에 모든 것을 인하여 우리 모든이 안에 계신 모든 이의 아비이신 천주 하나이시로다. 저는 세세에 찬미를 받으실지어다. 아멘. 
Graduale. Ps. 32, 12 et 6. 昇階誦 詩篇、32ノ12、6 台阶咏(咏32:12,6) 층계경(성영 32 12,16)
Beáta gens, cuius est Dóminus Deus eórum : pópulus, quem elégit Dóminus in hereditátem sibi. 彼らの天主がその主である民は幸せなるかな。主が、世嗣としてえらび給うた民は。 认天主为上主的民族是有福的,上主选为自己产业的民族是有福的。 그의 천주 주시요. 또한 주 그를유업으로 간선하셨으면 그 백성은 복되도다. 
V/. Verbo Dómini cæli firmáti sunt : et spíritu oris eius omnis virtus eórum. V/. 天は、主の御言葉によって固められ、天のすべての力は主の口の息吹きによる。 诸天的造成,由于天主的一语;万象的产生,由于他口中的嘘气。 주 말씀으로 하늘을 설정하시고 당신 입김으로 저의 모든 군대를 세우셨도다. 
Allelúia, allelúia. V/.Ps. 101, 2. アレルヤ、アレルヤ、 詩篇、101ノ2 阿肋路亚。阿肋路亚!(咏101:2) 알렐루야 알렐루야.(성영 101․2) 
Dómine, exáudi oratiónem meam, et clamor meus ad te pervéniat. Allelúia. 主よ、私の祈りを聞き入れ給え、私の叫びが御身に至らんことを、アレルヤ。 上主啊!求祢谛听我的祈祷;愿我的哀号上达于祢。阿肋路亚。 주여 내 빎을 들어 허락하소서. 내 부르짖는 소리 네게 사무쳐지이다. 알렐루야. 
+ Sequéntia sancti Evangélii secúndum Matthǽum. マテオによる聖福音の続誦 福音 복음
Matth. 22, 34-46. マテオ 22ノ34-46 (玛22:34-46) (성마두 22․34-46)
In illo témpore : Accessérunt ad Iesum pharisǽi : et interrogávit eum unus ex eis legis doctor, tentans eum : Magíster, quod est mandátum magnum in lege ? Ait illi Iesus : Díliges Dóminum, Deum tuum, ex toto corde tuo et in tota ánima tua et in tota mente tua. Hoc est máximum et primum mandátum. Secúndum autem símile est huic : Díliges próximum tuum sicut teípsum. In his duóbus mandátis univérsa lex pendet et prophétæ. Congregátis autem pharisǽis, interrogávit eos Iesus, dicens : Quid vobis vidétur de Christo ? cuius fílius est ? Dicunt ei : David. Ait illis : Quómodo ergo David in spíritu vocat eum Dóminum, dicens : Dixit Dóminus Dómino meo, sede a dextris meis, donec ponam inimícos tuos scabéllum pedum tuórum ? Si ergo David vocat eum Dóminum, quómodo fílius eius est ? Et nemo poterat ei respóndere verbum : neque ausus fuit quisquam ex illa die eum ámplius interrogáre. そのとき、ファリザイ人たちがイエズスの近くに相集まった。そしてそのうちの一人の律法学士が、イエズスをこころみるために、「先生、律法のうちどの掟がいちばん大切ですか?」とたずねた。そこでイエズスは、「"あなたは、すべての心、すべての霊、すべての知恵をあげて、主なる天主を愛せよ"これが第一の、最大の掟である。第二のも、これと似ている。"隣人を自分と同じように愛せよ"。全律法と預言者とは、この二つの掟による」とお答えになった。ファリザイ人たちが集まっていた時、「あなたたちはキリストについてどう考えているのか?それはだれの子か?」とイエズスがお問いになると、かれらは「ダヴィドの子です」と答えたので、イエズスは、「そうすると、ダヴィドが霊感をうけて、かれを主と呼ぶのはなぜだろう?"主は私の主におおせられた。私があなたの敵をあなたの足の下におくまで、私の右にすわれ"と書かれている。ダヴィドはかれを主と呼んでいるのに、なぜ、子なのか?」とおおせられた。だれも一言も答えられず、またその日から、あえて問いかける者もなくなった。 那时候,法利塞人到了耶稣面前,其中有一个法律学士试探耶稣,问祂说:“师傅!法律上的诫命,哪一条最大?”耶稣对他说:“‘你当全心、全灵、全意爱上主你的主、天主。’这是最大的,也是第一条诫命;第二条与第一条相仿,就是当‘爱你的近人、如同你自己一样。’一切法律和先知都系属这两条诫命。”那时法利塞人正聚在一起,耶稣问他们说:“对于基督,你们意见怎样?祂是谁的儿子?”他们答说:“祂是达味之子。”耶稣说:“那么达味蒙神默启,怎么还称祂为主呢?说:‘主对我主说:祢坐在我右边,直等我把祢的仇敌放在祢的脚下。’达味既称祂为主,祂怎么又是达味之子呢?”他们中谁也不能回答一句。从那天起,没有一个人再敢问他了。 유시에 바리서이들이 예수께 가까이 와 그중에 법률학사 하나이 예수를 시험하여 물으되「스승이여 법률에 어느 계명이 제일 크오니까.」예수 가라사대「네 주 천주를 온전한 마음과 온전한 영신과 온전한 뜻으로 사랑하라 하였으니 이는 가장 크고 제일 으뜸 계명이요 제이는 이와 같으니곧 남을 네몸 같이 사랑하라 하였으니 모든 교법과 선지자의 글이 이 두 계명에 달렸느니라」하시니라. 바리서이들이 모이매 예수 저들에게 물어 가라사대「너희 생각에 그리스도는 어떤자이며 뉘 자손이뇨」저들이 이르되「다위의 자손이니다.」가라사대「그러면 다위가 성신을 인하여 어찌 그리스도를 불러 주라하여 이르되 주 오주더러 이르시되 나 네 원수들로써 네 발판을 삼기까지 내 우편에 앉으라 하셨다 하였느뇨. 그러면 다위가 저를 불러 주라 하였으니 어떻게 그 자손이 되겠느뇨.」하시니 아무도 능히 예수께 한말도 대답치 못하고 또 그날부터 아무도 감히 다시 예수께 힐문하는 이 없더라. 
Credo 信経 信经 신경
Ant. ad Offertorium. Dan. 9, 17, 18 et 19. 奉献文 ダニエル書、9ノ17、18、19 奉献咏(达9:4,17,18,19) 제헌경(다니엘 9․17,18,19)
Orávi Deum meum ego Dániel, dicens : Exáudi, Dómine, preces servi tui : illúmina fáciem tuam super sanctuárium tuum : et propítius inténde pópulum istum, super quem invocátum est nomen tuum, Deus. 私、ダニエルは、我が天主に祈った、「主よ、下僕の祈りを聞き入れ給え、御身の聖所の上の御身の顔を照らし給え。また、天主よ、その上に御名を呼び求めたこの民[の祈り]を、いつくしみ深く聞き給え。」 我、达尼尔,曾向我的天主祈祷说:“主,请祢垂听祢仆人的哀祷!使祢的慈颜光照祢的圣所。天主,请祢惠然垂顾以祢名为称号的这班人民。” 나 다니엘이 주께 기구하여 말하기를 주여 네 종의 기구를 들어 허락하사 네 얼굴을 네 성소 위에 비추시며 천주여 이 백성을 위하여 네 이름을 불렀으니 저를 인자로이 굽어보소서 하였노라. 
Secreta. 密誦 密祷经 묵념 축문
Maiestátem tuam, Dómine, supplíciter deprecámur : ut hæc sancta, quæ gérimus, et a prætéritis nos delictis éxuant et futúris. Per Dóminum. 主よ、われらは、へり下って御稜威に祈り奉る。我らが行うこの聖なるものが、過去の罪と、将来の罪よりわれらを取りださんことを。天主として、(…)。 主,我们俯伏恳求祢的尊威,使我们在此举行的奥迹,解除我们的罪孽,并保存我们脱免未来的过恶。因我们主……。 주여 엄위하신 네 대전에 간구하오니 우리로 하여금 지금 거행하는 바 거룩한 비사로 인하여 과거와 장래의 죄악에서 구함을 얻게 하시되, 네 아들 우리 주 예수․그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과... 
Præfatio de sanctissima Trinitate  三位一体と主日との序誦 天主圣三的颂谢引 성삼감사경
Vere dignum et iustum est, æquum et salutáre, nos tibi semper et ubíque grátias ágere : Dómine, sancte Pater, omnípotens ætérne Deus : Qui cum Unigénito Fílio tuo et Spíritu Sancto unus es Deus, unus es Dóminus : non in uníus singularitáte persónæ, sed in uníus Trinitáte substántiæ. Quod enim de tua glória, revelánte te, crédimus, hoc de Fílio tuo, hoc de Spíritu Sancto, sine discretióne sentímus. Ut, in confessióne veræ sempiternǽque Deitátis, et in persónis propríetas, et in esséntia únitas, et in maiestáte adorétur æquálitas. Quam laudant Angeli atque Archángeli, Chérubim quoque ac Séraphim, qui non cessant clamáre cotídie, una voce dicéntes : Sanctus… 主よ、聖なる父よ、全能永遠の天主よ、われらが御身に、いつもどこにても感謝を捧げるのは、実にふさわしく正しいこと、義務と救いである。御身は、御独り子と聖霊と共に、唯一の天主、唯一の主にて在す。すなわち、御身は、一の位格の単一にて在すのではなく、唯一の実体(substantia)の三位にて在す。御身の御光栄について、御身が啓示するがゆえに、われらが信じ奉ることを、聖子について、聖霊について、差別なく、われらは信じ奉る。真の永遠の天主の本性を告白するにおいて、位格における固有性が礼拝され、本質(essentia)における唯一性と、御稜威における等しさも礼拝されるためである。これを、天使らと大天使らは、智天使も熾天使も、讃美し、絶え間なく声を上げ、日々声をあわせてこう言う。聖なるかな、… 主,圣父,全能永生的天主!我们时时处处颂谢祢,实是正义而必须的,属于我们天职的,也属我们得救的。祢与祢的独子及圣神,只是一个天主,只是一个主;不是因为位是单独一个,却是因为三位同具一个性体。的确,我们所怎样依照祢的启示,相信祢享的光荣,我们无区别地也同样确认祢的圣子,也同样确认圣神共享这个光荣。因此,我们在明认圣三真实而永在的天主性上,同时论位,我们敬拜圣三的各一,论体,我们敬拜圣三的无二,论尊荣,我们敬拜圣三的均等。这圣三的尊荣,是天神们和总领天神们,普知天神们和炽爱天神们,所虔诚歌颂的;他们日复一日,永不停止同声高呼说:圣、圣、圣…… 주여, 성부여, 전능하시고 영원하신 천주여, 우리가 어디서나 항상 주께 감사하는 것이 참으로 당연하고 옳으며, 지당하고 구령에 유익하나이다. 주는 외아들과 성신과 더불어 오직 한분의 천주시요, 오직 한분의 주이시되, 한 위가 아니시고, 한 체로서 세 위시니이다. 주의 계시로 우리가 주의 영광에 대하여 믿는 바를, 성자와 성신에 대하여서도 조금도 다름이 없이 믿나이다. 그리하여 우리는 참되시고 영원하신 천주성을 찬미함에 있어, 위로서는 각 품이시요, 체로서는 하나이시요, 지존하시기는 같으심을 찬송하나이다. 천신들과 대천신들 및 케루빔과 세라핌이 이를 찬양하며, 날마다 간단없이 제창하나이다. 거룩하시다, 거룩하시다, 만군의 천주이신 주는 거룩하시나이다. 하늘과 땅에 주의 영광이 가득하나이다. 천상에 좌정하신이여 호산나, 주의 이름으로 오시는 이는 찬미받아지이다. 천상에 좌정하신이여 호산나.
Ant. ad Communionem. Ps. 75, 12-13. 聖体拝領誦 詩篇、75ノ12-13 领主咏(咏75:12,13) 영성체경(성영 75․12,13)
Vovéte et réddite Dómino, Deo vestro, omnes, qui in circúitu eius affértis múnera : terríbili, et ei qui aufert spíritum príncipum : terríbili apud omnes reges terræ. 主の周りで贈り物を捧げるすべての者らよ、おまえたちの天主なる主に願いをし、[讃美を]捧げよ。君主らの息[生命]をうばい給うおそるべき天主、地のすべての王にとっておそるべき天主に。 你们居留在上主、你们的天主附近的,和拿献仪给可畏之主的,都该向祂许愿,向祂偿还;祂要摧毁首领们的自尊心,祂是地上诸王所敬畏的。 둘러있어 예물을 드리는 모든이들아 두려워할자시오 제왕의 생명을 앗는자시오 천하만왕 앞에 두려워 할 자신 주 너희 천주께 허원하고 허원한 바를 지킬지어다. 
Postcommunio. 聖体拝領後の祈 领后经 영성체 후 축문
Sanctificatiónibus tuis, omnípotens Deus, et vítia nostra curéntur, et remédia nobis ætérna provéniant. Per Dóminum. 全能の天主よ、願わくは、御身の聖化の業により、我らの悪徳が癒され、我らに永遠の薬が与えられんことを。天主として、(…)。 全能的天主,切望祢使人圣化的圣事,疗愈我们的不良倾向,并供予我们得永生的神粮。因我们主……。 전능하신 천주여 네 성사의 은혜로 인하여 우리 악습을 고치시고 영생의 신약을 태워주시되, 네 아들 우리 주 예수․그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과... 

 


2020年9月20日は、聖霊降臨後第十六主日(二級祝日 典礼色:緑)です。聖伝のミサのラテン語と日本語・中文・韓国語の対訳のテキストをご紹介いたします

2020年09月17日 | ミサ聖祭

2020年9月20日は、聖霊降臨後第十六主日(二級祝日 典礼色:緑)です。聖伝のミサのラテン語と日本語・中文・韓国語の対訳のテキストをご紹介いたします

【ミサ聖祭】本日の主日より、<書簡>は、監禁中の聖パウロの書簡より抜粋される。パウロの、そして、われらすべての苦しみは、やがて永遠の光栄に代わるべきものである。肉の人は、墓の方へと近づくが、霊の人は、キリストの霊によって、信・望・愛において成長するであろう。

救赎我们的奥迹,便是一种爱的奥迹,也便是天主对犯罪与抗命的人所显示祂爱的奥迹。天主为顾自己的光荣,宁愿宽宥及拯救世人(书信)。天主圣子谦卑自下,竟不惜委身于为人服务,并甘心受难而死,以拯救世人及能传给他们祂自己的固有神生。然而人们该承认自己的可怜状况,同时,该幡然悔改自己的罪愆,而效法主的慈爱。天主唾弃妄自尊大与自私自利的人。至于我们方面,该常常提醒我们,领会做基督徒的主要意义,便是效法基督的仁爱(福音):不汲汲的谋得虚荣,却献身本着孝爱显扬天主,并为我们的兄弟服务,以及时时准备着援助在急难中的一切近人。

Dominica Decima sexta post Pentecosten 聖霊降臨後第十六主日 降临后第十六主日 성신 강림 후 제 십육 주일
II Classis 二級祝日 复式【绿】  (2급) 초록색
Ant. ad Introitum. Ps. 85, 3 et 5. 入祭文 詩篇, 85ノ3,5 进台咏(咏85:3,5) 초입경(성영85:3, 5)
Miserére mihi, Dómine, quóniam ad te clamávi tota die : quia tu, Dómine, suávis ac mitis es, et copiósus in misericórdia ómnibus invocántibus te. 主よ、私をあわれみ給え。終日私は、主に向かって叫んだ。主よ、御身は甘美で柔和であり、御身を呼び求める者ら全てに、あわれみにおいて富んでおられる。 吾主啊!求祢怜恤我:因我终日向祢哀号。吾主啊!因为祢是美善和易于宽恕人的,对呼求祢的人,祢怀有丰渥的慈祥。 주여 나 또한 종일 네게 부르짖었으니 나를 긍련히 여기소서.
Ps. ibid., 1. 詩篇85ノ1 咏85:1 (성영85.1)
Inclína, Dómine, aurem tuam mihi, et exáudi me : quóniam inops, et pauper sum ego. 主よ、御耳を傾けて、私の祈りを聞き給え。私はみじめで貧しい。 上主啊!求祢侧耳俯听我祷,因为我是困苦贫寒的。
V/.Glória Patri. V/. 願わくは聖父と・・・(栄誦)。 光荣归于父……。 영광이 부와 자와 ...
Miserére mihi, Dómine, quóniam ad te clamávi tota die : quia tu, Dómine, suávis ac mitis es, et copiósus in misericórdia ómnibus invocántibus te. 主よ、私をあわれみ給え。終日私は、主に向かって叫んだ。主よ、御身は甘美で柔和であり、御身を呼び求める者ら全てに、あわれみにおいて富んでおられる。 吾主啊!求祢怜恤我:因我终日向祢哀号。吾主啊!因为祢是美善和易于宽恕人的,对呼求祢的人,祢怀有丰渥的慈祥。
Oratio. 集祷文 集祷经 축문
Tua nos, quǽsumus, Dómine, grátia semper et prævéniat et sequátur : ac bonis opéribus iúgiter præstet esse inténtos. Per Dóminum. 主よ、願わくは、御身の聖寵を、われらに常に先んじさせ、続かせ給え。また善き業を常に意図するを与え給え。天主として、(…)。 主,祈望祢的圣宠,常作我们的先导,并作我们的伴随,使我们能时常专心为善。因我们主……。
Léctio Epístolæ beáti Pauli Apóstoli ad Ephésios. 使徒聖パウロのエフェゾ人への書簡の朗読。 书信 서간경
Ephes. 3, 13-21. エフェゾ  3ノ13-21 (弗3:13-21) Ephes. 3, 13-21.
Fratres : Obsecro vos, ne deficiátis in tribulatiónibus meis pro vobis : quæ est glória vestra. Huius rei grátia flecto génua mea ad Patrem Dómini nostri Iesu Christi, ex quo omnis patérnitas in cælis et in terra nominátur, ut det vobis secúndum divítias glóriæ suæ, virtúte corroborári per Spíritum eius in interiórem hóminem, Christum habitáre per fidem in córdibus vestris : in caritáte radicáti et fundáti, ut póssitis comprehéndere cum ómnibus sanctis, quæ sit latitúdo et longitúdo et sublímitas et profúndum : scire etiam supereminéntem sciéntiæ caritátem Christi, ut impleámini in omnem plenitúdinem Dei. Ei autem, qui potens est ómnia fácere superabundánter, quam pétimus aut intellégimus, secúndum virtútem, quæ operátur in nobis : ipsi glória in Ecclésia et in Christo Iesu, in omnes generatiónes sǽculi sæculórum. Amen. 兄弟たちよ、私があなたたちのために忍ぶ艱難について、落胆しないでほしい。それはあなたたちの光栄だからである。このことのために私は、主イエズス・キリストの御父のみまえに跪く。御父から、天と地とのすべての父性が名づけらえる。かれが、その光栄の富にしたがって、その霊によって、あなたたちの内の人を力強く固め、また、愛に根ざし、愛に基をおくあなたたちの心に、信仰によってキリストが住まわれるようにと願う。あなたたちは、すべての聖徒とともに、かの奥義の広さと長さと高さと深さとを理解する力を受けるであろう。あなたたちは計り知れないキリストの愛を知り、満ち満ちる天主によって満たされるであろう。私たちの内におこなわれる力によって、私たちのすべての願いと考えを遥かに越えてどんなことでもできるお方に、教会とキリスト・イエズスによって世々代々光栄があるように。アメン。 弟兄们:我求你们,不要因为我为了你们遭受苦难的缘故,心灰意懒;我遭受的这些苦难,为你们也有荣耀。为了这个原因,我在我们主耶稣基督的大父前屈膝。天上地下的一切父权,都是由祂而得名的。我求祂藉着祂光荣的富藏,赏赐你们赖着祂的圣神完全地坚强起来,使你们的内心成长发展。愿基督藉着信德,居住在你们心中。愿你们在爱德中生根植基,和诸位圣徒一起明瞭基督的爱如何长、如何阔、如何高、如何深,得以明悉基督的爱远远超过人所能意想的限度,而这样你们充满了天主完满无缺的美好。天主按着祂的能力在我们身上工作,能完成无限地超越我们所求或所想的一切;愿祂在教会内,在基督耶稣内,享受荣耀,经过万代直到世世无尽。阿们。 형제들아 : 이러므로 나는 너희를 위하여 당하는 나의 모든 환난으로 인하여 너희 의기(意氣)가 저상(沮喪)되지 아니키를 구하노라. 이 환난이야말로 너희의 영광이니라.  나 이를 위하여 우리 주 예수 그리스도의 성부 대전에 무릎을 꿇고⼀  하늘과 땅에 있는 아버지를 가진 온갖 단체는 이 다 성부로 말미암아 일컬음(=존재와 특성)을 받느니라⼀ 간청하노라.  이는 너희로 하여금 저의 영광의 부(富)를 따라 저의 성신으로 말미암아 내적(內的) 인간에 있어서 비상히 견고하게 되어,  그리스도 신앙으로 인하여 너희 마음 안에 거처하시며, 너희는 그 사랑에 뿌리를 박고 확호한 기초를 두기 위함이니라.  이에 너희는 모든 성도들로 더불어 능히 구원에 대한 천주의 계획과 그리스도의 신비에 대한 넓이와 길이와 높이와 깊이가 얼마나 되는가를 깨닫고,  모든 인식을 초월하시는 그리스도의 우리에게 대한 총애를 옳게 인식할 수 있으리라. 이로써 너희는 천주의 온갖 충만하심으로써 충만하여질 것이니라.  원컨대 우리 안에 활동하시는 당신 능력을 인하여, 우리가 구하거나 깨닫는 것을 초월하여, 보다 더 풍부하게 능히 만사를 행하시는 저(=천주)에게,  교회와 또한 그리스도 예수 안에 영영세에 세세 대대(世世代代)로 영광이 있어지이다. 아멘.
Graduale. Ps. 101, 16-17. 昇階誦 詩篇 101ノ16-17 台阶咏(咏101:16-17) 층계경(성영101: 16-17)
Timébunt gentes nomen tuum, Dómine, et omnes reges terræ glóriam tuam. 主よ、民々は主の御名をおそれ、地上の王は主の光栄をおそれるだろう。 上主啊!万国要敬畏祢的名,世上的列王,都要敬畏祢的荣耀。
V/. Quóniam ædificávit Dóminus Sion, et vidébitur in maiestáte sua. V/.なぜなら主は、シオンを建て、御稜威のうちに見られ給うからである。 因上主再建了熙雍,且要现出自己的威严。
Allelúia, allelúia. V/.Ps. 97, 1. アレルヤ、アレルヤ。V/. 詩篇 97ノ1 阿肋路亚。阿肋路亚! 알렐루야 알렐루야.(성영97:1) 
Cantáte Dómino cánticum novum : quia mirabília fecit Dóminus. Allelúia. 主に新しい歌を歌え、主は不思議を行い給うた、アレルヤ。 (咏97:1)你们要向上主高唱新歌,因为上主曾行过奇事。阿肋路亚。
+ Sequéntia sancti Evangélii secúndum Lucam. ルカによる聖福音の続誦。 福音 복음
Luc. 14, 1-11. ルカ 14ノ1-11 (路14:1-11) (성루까14: 1-11)
In illo témpore : Cum intráret Iesus in domum cuiúsdam príncipis pharisæórum sábbato manducáre panem, et ipsi observábant eum. Et ecce, homo quidam hydrópicus erat ante illum. Et respóndens Iesus dixit ad legisperítos et pharisǽos, dicens : Si licet sábbato curáre ? At illi tacuérunt. Ipse vero apprehénsum sanávit eum ac dimísit. Et respóndens ad illos, dixit : Cuius vestrum ásinus aut bos in púteum cadet, et non contínuo éxtrahet illum die sábbati ? Et non póterant ad hæc respóndere illi. Dicebat autem et ad invitátos parábolam, inténdens, quómodo primos accúbitus elígerent, dicens ad illos : Cum invitátus fúeris ad núptias, non discúmbas in primo loco, ne forte honorátior te sit invitátus ab illo, et véniens is, qui te et illum vocávit, dicat tibi : Da huic locum : et tunc incípias cum rubóre novíssimum locum tenére. Sed cum vocátus fúeris, vade, recúmbe in novíssimo loco : ut, cum vénerit, qui te invitávit, dicat tibi : Amíce, ascénde supérius. Tunc erit tibi glória coram simul discumbéntibus : quia omnis, qui se exáltat, humiliábitur : et qui se humíliat, exaltábitur. そのとき、ある安息日のこと、食事するために、著名なファリザイ人の一人の家にお入りになったイエズスを、ファリザイ人たちがうかがっていた。すると、み前に、水腫にかかった人がいたので、イエズスが、律法学士とファリザイ人とに、「安息日に人を治すことは、許されているか、どうか?」とお尋ねになったが、彼らは答えなかった。そしてイエズスは、その病人の手をとって、治してお帰しになった。それから彼らに、「自分の子か牛かが井戸に落ちたとき、安息日だからといってすぐそれを引き上げないものが、あなたたちの中にあるのか」と仰せられたので、かれらは何も返答ができなかった。招待された人たちが上席を選ぶのを見たイエズスは、たとえをひいて、「結婚式に招待されるとき、あなたは上席についてはいけない。あなたより貴い人が招かれてきたら、あなたとその人とを招いた人がきて、『この方に席を譲ってください」と、あなたに言うだろう。そうすると、あなたは恥じて末席につくことになる。むしろ、招待された時には、末席につきに行け。そうすると、招いた人がきて、『友よ、どうぞもっと上に進んでください』という。そうすればあなたは、列席者の前で面目をほどこす。すべて自ら高ぶる人は下げられ、自らへり下る人は上げられる」と仰せられた。 那时候,有一天适逢安息日,耶稣到一个法利塞人首领的家里去吃饭,他们就窥伺祂。恰巧在祂面前有一个患臌胀的人。耶稣就对法学士和法利塞人说:“安息日许不许治病?”他们却默不作声。于是耶稣握了病人的手,治愈了他,打发他去。随对他们说:“你们中如有驴子或牛安息日掉在井里,有不立刻拉牠上来的吗?”这话他们却答不出。耶稣看见请来的客人怎么都拣选首座,就给他们讲一个比喻说:“有人请你去吃喜酒,不要占下首席,恐怕比你更尊贵的客人也被请来,而那位请你又请他的,要来向你说:‘请你让座给这个人吧’,那你只得去坐末位了,好不羞愧;不如受了邀请去坐末位,好请你的人走来对你说:‘朋友!请上座吧’,那时你在同席的人前就有光荣了。因为,凡高举自己的必被抑下;凡抑下自己的必被高举。” 유시에 마침 파공날에 예수 바리서이 으뜸의 집에 음식 잡수러 들어가실새 저들이 예수를 살펴 엿보더라.  문득 고창 든 자 한 사람이 예수 앞에 있거늘  예수 교법학사와 바리서이들더러 말씀하여 이르시되「파공날에 병을 고쳐 주는 것이 가하냐」하신대  저들이 잠잠하거늘 예수 그 병자를 붙드사 낫게 하여 보내시고  저들에게 말씀하여 이르시되「너희중에 누 나귀나 혹 소가 우물에 빠지면 파공날에라도 즉시 꺼내지 아니하겠나냐」하시니, 이 말을 능히 예수께 대답치 못하더라.  손들이 각각 상좌를 가림을 보시고 비유로써 저들에게 이르시되 「너 혼인 잔치에 청함을 받거든 상좌에 앉지 말라. 두리건대 너보다 더 존귀한자 주인에게 청함을 받았으면  너와 및 저를 청한 주인이 나아와 네게 이르되『이 사람에게 자리를 사양하라』하면 그때에 너 비로서 부끄러이 말좌를 잡으리니  오직 너 청함을 받거든 가서 말좌에 앉으라. 곧 너를 청한 자 나아와 네게 이르되『벗은 상좌로 오르시오』하면 그때에 한가지로 상 받고 앉은 자들 앞에 네게 영광이 있으리니  대저 스스로 높이는 자는 낮아지고 스스로 낮추는 자는 높아짐이니라」하시더라.
Credo 信経 信经 신경외움
Ant. ad Offertorium. Ps. 39, 14 et 15. 奉献文 詩篇 39ノ14,15 奉献咏(咏39:14-15) 제헌경(성영39: 14-15)
Dómine, in auxílium meum réspice : confundántur et revereántur, qui quærunt ánimam meam, ut áuferant eam : Dómine, in auxílium meum réspice. 主よ、私を助けんと見給え、私の霊魂を取り除こうと狙う者は、うろたえはずかしめられんことを。主よ、私を助けんと見給え。 上主,求祢垂顾我,来援助我!愿那图谋杀害我性命的,一同蒙受惭愧和耻辱。上主啊!求祢垂顾我,来援助我!
Secreta. 密誦 密祷经 묵념축문
Munda nos, quǽsumus, Dómine, sacrifícii præséntis efféctu : et pérfice miserátus in nobis ; ut eius mereámur esse partícipes. Per Dóminum nostrum. 主よ、願わくは、捧げられたいけにえの効果によって、われらを浄め給え。憐んでわれらにおいて[浄めを]完成し給え。そは我らがその[=いけにえの]参与者となるに値するがためなり。天主として、(…)。 主,求祢以此圣祭的功效洗净我们,并在我们内施展祢的仁慈工作,使我们配得上参与这个圣祭。因我们主……。
Præfatio de sanctissima Trinitate  序誦 三位一体と主日との序誦 天主圣三的颂谢引 성삼감사경
Vere dignum et iustum est, æquum et salutáre, nos tibi semper et ubíque grátias ágere : Dómine, sancte Pater, omnípotens ætérne Deus : Qui cum Unigénito Fílio tuo et Spíritu Sancto unus es Deus, unus es Dóminus : non in uníus singularitáte persónæ, sed in uníus Trinitáte substántiæ. Quod enim de tua glória, revelánte te, crédimus, hoc de Fílio tuo, hoc de Spíritu Sancto, sine discretióne sentímus. Ut, in confessióne veræ sempiternǽque Deitátis, et in persónis propríetas, et in esséntia únitas, et in maiestáte adorétur æquálitas. Quam laudant Angeli atque Archángeli, Chérubim quoque ac Séraphim, qui non cessant clamáre cotídie, una voce dicéntes : Sanctus… 主よ、聖なる父よ、全能永遠の天主よ、われらが御身に、いつもどこにても感謝を捧げるのは、実にふさわしく正しいこと、義務と救いである。御身は、御独り子と聖霊と共に、唯一の天主、唯一の主にて在す。すなわち、御身は、一の位格の単一にて在すのではなく、唯一の実体(substantia)の三位にて在す。御身の御光栄について、御身が啓示するがゆえに、われらが信じ奉ることを、聖子について、聖霊について、差別なく、われらは信じ奉る。真の永遠の天主の本性を告白するにおいて、位格における固有性が礼拝され、本質(essentia)における唯一性と、御稜威における等しさも礼拝されるためである。これを、天使らと大天使らは、智天使も熾天使も、讃美し、絶え間なく声を上げ、日々声をあわせてこう言う。聖なるかな、… 主,圣父,全能永生的天主!我们时时处处颂谢祢,实是正义而必须的,属于我们天职的,也属我们得救的。祢与祢的独子及圣神,只是一个天主,只是一个主;不是因为位是单独一个,却是因为三位同具一个性体。的确,我们所怎样依照祢的启示,相信祢享的光荣,我们无区别地也同样确认祢的圣子,也同样确认圣神共享这个光荣。因此,我们在明认圣三真实而永在的天主性上,同时论位,我们敬拜圣三的各一,论体,我们敬拜圣三的无二,论尊荣,我们敬拜圣三的均等。这圣三的尊荣,是天神们和总领天神们,普知天神们和炽爱天神们,所虔诚歌颂的;他们日复一日,永不停止同声高呼说:圣、圣、圣…… 주여, 성부여, 전능하시고 영원하신 천주여, 우리가 어디서나 항상 주께 감사하는 것이 참으로 당연하고 옳으며, 지당하고 구령에 유익하나이다. 주는 외아들과 성신과 더불어 오직 한분의 천주시요, 오직 한분의 주이시되, 한 위가 아니시고, 한 체로서 세 위시니이다. 주의 계시로 우리가 주의 영광에 대하여 믿는 바를, 성자와 성신에 대하여서도 조금도 다름이 없이 믿나이다. 그리하여 우리는 참되시고 영원하신 천주성을 찬미함에 있어, 위로서는 각 품이시요, 체로서는 하나이시요, 지존하시기는 같으심을 찬송하나이다. 천신들과 대천신들 및 케루빔과 세라핌이 이를 찬양하며, 날마다 간단없이 제창하나이다. 거룩하시다, 거룩하시다, 만군의 천주이신 주는 거룩하시나이다. 하늘과 땅에 주의 영광이 가득하나이다. 천상에 좌정하신이여 호산나, 주의 이름으로 오시는 이는 찬미받아지이다. 천상에 좌정하신이여 호산나.
Ant. ad Communionem. Ps. 70, 16-17 et 18. 聖体拝領誦 詩篇  70ノ16,17,18 领主咏(咏70:16-17,18) 영성체경
Dómine, memorábor iustítiæ tuæ solíus : Deus, docuísti me a iuventúte mea : et usque in senéctam et sénium, Deus, ne derelínquas me. 主よ、私は御身の正義のみを記憶するだろう。天主よ、御身は、私の若い時から私に教え給うた。老い高齢となるまで、天主よ、私を見捨て給うな。 上主啊!我要传述,惟有祢是公义的。天主啊!自我年幼时祢就教训我;天主啊!求祢莫要摈弃我,直至年老的时期。
Postcommunio. 聖体拝領後の祈 领后经 영성체후축문
Purífica, quǽsumus, Dómine, mentes nostras benígnus, et rénova cæléstibus sacraméntis : ut consequénter et córporum præsens páriter et futúrum capiámus auxílium. Per Dóminum. 主よ、願わくは、天の秘蹟によって、優しく、われらの精神を浄め新たにし給え。それに続いて、今も、そして等しく将来も、われらが身体の助けも得るためなり。天主として、(…)。

主,求祢慈惠地以此天上的圣事、把我们的灵魂洗净与刷新,好使我们的肉身也得承受今生和来世的恩佑。因我们主……。

 


2020年9月13日は、聖霊降臨後第十五主日(二級祝日 典礼色:緑)です。聖伝のミサのラテン語と日本語・中文・韓国語の対訳のテキストをご紹介いたします

2020年09月10日 | ミサ聖祭

2020年9月13日は、聖霊降臨後第十五主日(二級祝日 典礼色:緑)です。聖伝のミサのラテン語と日本語・中文・韓国語の対訳のテキストをご紹介いたします

【ミサ聖祭】キリストは、われらの生命であり、復活である。ナイムの若者は、罪によって死ぬ教会の子らをかたどっている。教会が、彼らのために祈るので〈入祭文。集禱文〉、主は再び彼らを生かし、新しい歌をうたいうるようにさせ給うのである。〈奉献文〉主はあわれみの天主であり、たえず御慈悲を下し給う。しかし、思いあやまってならぬことは、天主のあわれみにたのみすぎ、天主をあなどってはならぬということである。われらが復活の霊を受けたのは、肉の人間としても業を行うためではなく、霊にしたがって生きるためである。だから、生きている間に、善を行うように心がけねばならない。

今天圣教又揭示我们,叫我们再次见到自从领洗以后,直至获得天上的永生,圣体的作用是怎样发挥我们心中的神生。耶稣是叫死人复活的(福音)。祂在圣洗中复活了我们的灵魂,而叫我们得天主子女的生命。在世界末日时,祂又将复活我们的肉身。从现今直至世界末日,我们的神生该于试探中长大与发展。为此,每主日在重行救赎我们的圣祭——弥撒中,我们来找求我们神生所需要的神粮:因为基督以自己的圣体滋养我们(领主咏),同时,又把祂的圣神赐给我们,使我们在祂的教会中长大,成为真实的基督徒,即献身为天主及为我们兄弟服务(书信)。

Dominica Decima quinta post Pentecosten 聖霊降臨後第十五主日 降临后第十五主日 성신 강림 후 제 십오 주일
II Classis 二級祝日 复式【绿】  (2급) 초록색
Ant. ad Introitum. Ps. 85, 1 et 2-3. 入祭文 詩篇 85ノ1、 2-3. 进台咏(咏85:1,2-3) 초입경(성영85.1,2-3)
Inclína, Dómine, aurem tuam ad me, et exáudi me : salvum fac servum tuum, Deus meus, sperántem in te : miserére mihi, Dómine, quóniam ad te clamávi tota die. 主よ、御身の耳を私に傾け、私の祈りを聞き入れ給え、我が天主よ、御身に希望する下僕を救い給え。主よ、私を憐み給え、終日私は御身に叫んだ。 上主啊!求祢侧耳俯听我。我的天主啊!求祢救拔这依靠祢的仆人。吾主啊!求祢怜恤我,因我终日向祢哀号。 주여 네 귀를 내게 기울이사 나를 들어 허락하시고, 내 천주여 네게 바라는 종들을 구원하소서. 주여 나 또한 종일 네게 부르짖었으니 나를 긍련히 여기소서.
Ps. ibid., 4. 詩篇 85ノ4 咏85:4 (성영85.4)
Lætífica ánimam servi tui : quia ad te, Dómine, ánimam meam levávi. 御身の下僕の霊魂を喜ばせ給え、主よ、私は私の霊魂を挙げ奉る。 吾主啊!求祢使祢仆人的灵魂愉快,因为我向祢举起了我的灵魂。 주여 나 내 영혼을 네게 받들어 드렸사오니 네 종의 영혼을 기쁘게 하소서. 
V/.Glória Patri. V/. 願わくは聖父と・・・(栄誦)。 光荣归于父......。 영광이 부와 자와 ...
Inclína, Dómine, aurem tuam ad me, et exáudi me : salvum fac servum tuum, Deus meus, sperántem in te : miserére mihi, Dómine, quóniam ad te clamávi tota die. 主よ、御身の耳を私に傾け、私の祈りを聞き入れ給え、我が天主よ、御身に希望する下僕を救い給え。主よ、私を憐み給え、終日私は御身に叫んだ。 上主啊!求祢侧耳俯听我。我的天主啊!求祢救拔这依靠祢的仆人。吾主啊!求祢怜恤我,因我终日向祢哀号。 주여 네 귀를 내게 기울이사 나를 들어 허락하시고, 내 천주여 네게 바라는 종들을 구원하소서. 주여 나 또한 종일 네게 부르짖었으니 나를 긍련히 여기소서.
Oratio. 集祷文 集祷经 축문
Ecclésiam tuam, Dómine, miserátio continuáta mundet et múniat : et quia sine te non potest salva consístere ; tuo semper múnere gubernétur. Per Dóminum. 主よ、御身の教会をたえざる御あわれみが浄め強めんことを。御身なくしては[教会が]安全に留まり得ないゆえに、御身の助力により常に統治されんことを。天主として、(…)。 主,求祢依着祢的仁慈,时时刻刻洁净与护佑祢的教会。因为没有祢,她便不能保持安全,望祢常施恩佑,使她得到祢的照管。因我们主……。 주여 네 항구한 인자로 네 성교회를 조찰케 하시고 호위하소서. 너 없이는 저 스스로 보존치 못할 것이오니, 네 은혜로 항상 다스리시되, 네 아들 우리 주 예수 그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과 ...
Léctio Epístolæ beáti Pauli Apóstoli ad Gálatas. 使徒パウロの、ガラツィア人への書簡の朗読 书信 서간경
Gal. 5, 25-26 ; 6, 1-10. ガラツィア 5ノ25-26 ; 6ノ1-10. (迦5:25-26;6:1-10) (갈라타서5.25,26,  6.1-10)
Fratres : Si spíritu vívimus, spíritu et ambulémus. Non efficiámur inanis glóriæ cúpidi, ínvicem provocántes, ínvicem invidéntes. Fratres, et si præoccupátus fúerit homo in áliquo delícto, vos, qui spirituáles estis, huiúsmodi instrúite in spíritu lenitátis, consíderans teípsum, ne et tu tentéris. Alter alteríus ónera portáte, et sic adimplébitis legem Christi. Nam si quis exístimat se áliquid esse, cum nihil sit, ipse se sedúcit. Opus autem suum probet unusquísque, et sic in semetípso tantum glóriam habébit, et non in áltero. Unusquísque enim onus suum portábit. Commúnicet autem is, qui catechizátur verbo, ei, qui se catechízat, in ómnibus bonis. Nolíte erráre : Deus non irridétur. Quæ enim semináverit homo, hæc et metet. Quóniam qui séminat in carne sua, de carne et metet corruptiónem : qui autem séminat in spíritu, de spíritu metet vitam ætérnam. Bonum autem faciéntes, non deficiámus : témpore enim suo metémus, non deficiéntes. Ergo, dum tempus habémus, operémur bonum ad omnes, maxime autem ad domésticos fídei. 兄弟たちよ、私たちが霊によって生きているのなら、また霊によって歩もう。いどみあい、ねたみあって、虚栄を求めることのないようにしよう。兄弟たちよ、もしある人の過失を見つけたなら、霊の人であるあなたたちは、柔和な心をもって、その人を改めさせよ。そして、自分も誘われないように気をつけよ。たがいに重荷を負え。そうすれば、あなたたちはキリストの法をまっとうできる。何者でもないのに、何者かであるかのように思うのは、自分を欺くことである。各々自分のおこないをしらべよ。そうすれば、他人についてではなく、自分についてだけ誇る理由を見出すであろう。各々自分の荷を負っているからである。みことばを教えてもらう人は、教える人に自分のもちものを分け与えよ。自分を欺いてはならない。天主を侮ってはならない。人は蒔くものを収穫するからである。すなわち自分の肉に蒔く人は、肉から腐敗を刈り取り、霊に蒔く人は、霊から永遠の命を刈り取る。善をおこないつづけて倦んではならない。たゆまず続けているなら、時が来て刈り取れる。だから、まだ時のある間に、すべての人に、とくに信仰においての兄弟である人々に、善をおこなえ。 弟兄们:如果我们依着灵性而生活,就随它的指导而行动吧。我们不要贪求虚荣,彼此激怒,互相嫉妒。弟兄们,如果有人陷于什么过失,你们这些受灵性指导的人,要用温和的心情劝他归正;各人自己也要小心,免得陷于诱惑。你们要互负彼此的重担,这样就成全了基督的法律。人本来不算什么,若自以为大,便是自欺自骗。各人要检讨自己的行为,然后在自己个人方面,或许还能夸耀,在别人方面却不能;因为、各人应负起自己的重担。听道受教的人,要把自己所有的一切,和施教的人共同享用。不要陷于错误,天主是不可轻侮的。种了什么,就收获什么。在肉体中播种的,将来要由肉体收获腐朽。在灵性中播种的,将来要由灵性收获永生。我们行善不要松懈;如果我们不松懈,到了既定的时刻,便要收获。所以趁着我们还有时间,要对一切人行善,尤其是对于我们信主的一家人。 형제들아 우리가 만일 영신으로 살진대 또한 영신으로 행할지로다. 우리는 허영을 좋아함으로써 서로 싸움하고 서로 시기하는 자 되지 말지로다. 형제들아 어떤 이가 만일 뜻밖에 범죄하였을지라도, 너희는 영신적으로 사나니, 자기도 유감을 당할까 조심하여 저를 양선한 정신으로 가르칠지어다. 너희는 서로 너희 짐을 질지니 이에 그리스도의 법을 준행할지로다. 대저 누 만일 아무것도 아닌 자기를 무엇으로 생각하면 저는 스스로 속음이니라. 각각 자기 행실을 시험할지니 그리하면 남에게 자랑하지 아니하고 자기 안에 자랑할 것인지라 대저 각기 자기짐을 질 것임이니라. 도리를 배우는 자는 가르치는 자에게 제 모든 소유물을 나눠줄지어다. 스스로 속지 말라. 천주는 조롱을 받지 않으시나니 대저 사람은 그 심으는 바를 거두리라. 즉 육신에 심으는 자는 육신에서 부패를 거두고, 영신에 심으는 자는 영신에서 영생을 거두느니라. 그러므로 우리는 선을 행함에 피곤하여 말지니 피곤하지 아니하면 저때에 거둘것임이니라. 우리는 시간 있을때까지 모든이에게 선을 행할지니 특별히 신앙의 가족들에게 할지니라.
Graduale. Ps. 91, 2-3 昇階誦 詩篇 91ノ2-3 台阶咏(咏91:2-3) 층계경(성영91.2,3)
Bonum est confitéri Dómino : et psallere nómini tuo, Altíssime. 善きことかな、主を告白し御名に詩を歌うのは!いと高き御者よ。 至高者上主啊!赞美祢、歌颂祢的圣名,这本是件美事。 주께 찬미를 드림이 좋으니 지극히 높으신 자여 네 이름에 노래를 부름이 좋으니이다. 
V/. Ad annuntiándum mane misericórdiam tuam, et veritátem tuam per noctem. V/. 朝には御身の憐みを、夜には御身の真理を告げるために。 清晨传扬祢的仁慈,夜间传扬祢的诚实。 아침에 네 자비하심을 보하고 저녁에 네 진실하심을 보함이 좋으니이다. 
Allelúia, allelúia. V/.Ps. 94, 3. アレルヤ、アレルヤ。V/.詩篇 94ノ3. 阿肋路亚。阿肋路亚!(咏94:3) 알렐루야 알렐루야.(성영94.3) 
Quóniam Deus magnus Dóminus, et Rex magnus super omnem terram. Allelúia. 主は偉大な天主、全地の上に[君臨する]偉大な王なり、アレルヤ。 上主是尊大的天主,是普世的大王。阿肋路亚。 주는 크신 천주시요 보세에 대왕이시로다. 알렐루야.
+ Sequéntia sancti Evangélii secúndum Lucam. ルカによる聖福音の続誦。 福音 복음
Luc. 7, 11-16. ルカ 7ノ11-16. (路7:11-16) (성루까7.11-16)
In illo témpore : Ibat Iesus in civitátem, quæ vocátur Naim : et ibant cum eo discípuli eius et turba copiósa. Cum autem appropinquáret portæ civitátis, ecce, defúnctus efferebátur fílius únicus matris suæ : et hæc vidua erat : et turba civitátis multa cum illa. Quam cum vidísset Dóminus, misericórdia motus super eam, dixit illi : Noli flere. Et accéssit et tétigit lóculum. (Hi autem, qui portábant, stetérunt.) Et ait : Adoléscens, tibi dico, surge. Et resédit, qui erat mórtuus, et cœpit loqui. Et dedit illum matri suæ. Accépit autem omnes timor : et magnificábant Deum, dicéntes : Quia Prophéta magnus surréxit in nobis : et quia Deus visitávit plebem suam. そのとき、イエズスがナインという町においでになったときも、弟子たちとおおぜいの人とがついてきていた。イエズスが町の門に近づかれたとき、かつぎ出されてくる死人におあいになった。それはひとり息子で、その母親はやもめだった。町の人も大勢、その母親といっしょについてきていた。さて、やもめを見てあわれにお思いになった主は、"泣くではない"といい、棺に近づいて手をおふれになったので、かつぐ人も足をとめた。イエズスが、「青年よ、私がいう。起きよ!」とおおせられると、死人は起きなおって、ものをいいはじめた。イエズスは、息子を母親におわたしになった。人々はおそれ、天主をあがめ、「偉大な預言者がわれわれの中に出た!」とか、「天主が、み民を訪れてくださった!」などといった。 那时候,耶稣到一个名叫那应的城里去。祂的门徒和一大群人同着祂走。走近城门,有人出丧,是一个独生子,而母亲又是寡妇,有许多城里的人陪着她。主一看见那个寡妇,就可怜她,对她说:“不要哭。”于是上前按着棺材,抬的人就停下来。耶稣说:“少年!我命你起来。”那死人就坐起来,开口讲话。耶稣把他交给他的母亲。众人都不禁大为惊骇,光荣天主说:“一位大先知在我们中间出现了!”又说:“天主眷顾了祂的百姓。” 유시에 예수 나임이라 부르는 읍내로 가실새, 그 제자들과 및 많은 백성도 함께 행하여 성문에 가까이 오실 즈음에 마침 죽은자를 행상하여 나가니 이는 과부의 외아들이요 또 읍내의 많은 백성이 그 과부와 한가지로 오더라. 주 그 과부를 보시고 측은한 마음이 감동하사 저에게 가라사대 '울지말라' 하시고 가까이 가사 상여를 붙잡으시니 (메고 가는 자들이 머무는지라) 이에 가라사대 '소년아 나 네게 명하노니 일어나라' 하시매 죽었던자 일어나 앉아 비로소 말하는지라. 이에 저를 그 어미에게 주시니 모든 이가 놀라 천주를 찬송하여 이르되, '큰 선지자 우리 중에 나심이로다. 천주 자기 백성을  돌아 보심이로다' 하더라.)(신경 외움)
Credo 信経 信经 신경외움
Ant. ad Offertorium. Ps. 39,2,3 et 4. 奉献文 詩篇 39ノ2, 3 ,4. 奉献咏(咏39:2,3,4) 제헌경(성영39.2,3,4)
Exspéctans exspectávi Dóminum, et respéxit me : et exaudívit deprecatiónem meam : et immísit in os meum cánticum novum, hymnum Deo nostro. 私は主を待ちに待ち望んだ。そして主は私をかえりみ給うた。主は私の願いをききいれ給うた。私の口に、新しい歌を、我らの天主への讃歌を置き給うた。 我曾耐性地仰望上主,祂垂顾了我;祂听了我的哀呼,并教我的口,讴唱新歌,就是赞扬我们天主的歌曲。 나 기대를 가지고 주를 기다리매 저 나를 돌아보사 내 기구를 들으시고 천주를 찬미할 새로운 노래를 내입에 넣으셨도다.
Secreta. 密誦 密祷经 묵념축문
Tua nos, Dómine, sacramenta custodiant : et contra diabólicos semper tueántur incúrsus. Per Dóminum. 主よ、御身の秘蹟がわれらを守らんことを。悪魔の攻撃に反対してわれらを守らんことを。天主として(…)。 主,祈望祢的奥迹护卫我们,并保佑我们于魔鬼的攻击。因我们主……。 주여 네 성사로써 우리를 보호하시며 또한 그로써 우리를 항상 마귀의 모든 습격에 호위하시되, 네 아들 우리 주 예수 그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과...
Præfatio de sanctissima Trinitate  三位一体の序誦 天主圣三的颂谢引 성삼감사경
Vere dignum et iustum est, æquum et salutáre, nos tibi semper et ubíque grátias ágere : Dómine, sancte Pater, omnípotens ætérne Deus : Qui cum Unigénito Fílio tuo et Spíritu Sancto unus es Deus, unus es Dóminus : non in uníus singularitáte persónæ, sed in uníus Trinitáte substántiæ. Quod enim de tua glória, revelánte te, crédimus, hoc de Fílio tuo, hoc de Spíritu Sancto, sine discretióne sentímus. Ut, in confessióne veræ sempiternǽque Deitátis, et in persónis propríetas, et in esséntia únitas, et in maiestáte adorétur æquálitas. Quam laudant Angeli atque Archángeli, Chérubim quoque ac Séraphim, qui non cessant clamáre cotídie, una voce dicéntes : Sanctus… 主よ、聖なる父よ、全能永遠の天主よ、われらが御身に、いつもどこにても感謝を捧げるのは、実にふさわしく正しいこと、義務と救いである。御身は、御独り子と聖霊と共に、唯一の天主、唯一の主にて在す。すなわち、御身は、一の位格の単一にて在すのではなく、唯一の実体(substantia)の三位にて在す。御身の御光栄について、御身が啓示するがゆえに、われらが信じ奉ることを、聖子について、聖霊について、差別なく、われらは信じ奉る。真の永遠の天主の本性を告白するにおいて、位格における固有性が礼拝され、本質(essentia)における唯一性と、御稜威における等しさも礼拝されるためである。これを、天使らと大天使らは、智天使も熾天使も、讃美し、絶え間なく声を上げ、日々声をあわせてこう言う。聖なるかな、… 主,圣父,全能永生的天主!我们时时处处颂谢祢,实是正义而必须的,属于我们天职的,也属我们得救的。祢与祢的独子及圣神,只是一个天主,只是一个主;不是因为位是单独一个,却是因为三位同具一个性体。的确,我们所怎样依照祢的启示,相信祢享的光荣,我们无区别地也同样确认祢的圣子,也同样确认圣神共享这个光荣。因此,我们在明认圣三真实而永在的天主性上,同时论位,我们敬拜圣三的各一,论体,我们敬拜圣三的无二,论尊荣,我们敬拜圣三的均等。这圣三的尊荣,是天神们和总领天神们,普知天神们和炽爱天神们,所虔诚歌颂的;他们日复一日,永不停止同声高呼说:圣、圣、圣…… 주여, 성부여, 전능하시고 영원하신 천주여, 우리가 어디서나 항상 주께 감사하는 것이 참으로 당연하고 옳으며, 지당하고 구령에 유익하나이다. 주는 외아들과 성신과 더불어 오직 한분의 천주시요, 오직 한분의 주이시되, 한 위가 아니시고, 한 체로서 세 위시니이다. 주의 계시로 우리가 주의 영광에 대하여 믿는 바를, 성자와 성신에 대하여서도 조금도 다름이 없이 믿나이다. 그리하여 우리는 참되시고 영원하신 천주성을 찬미함에 있어, 위로서는 각 품이시요, 체로서는 하나이시요, 지존하시기는 같으심을 찬송하나이다. 천신들과 대천신들 및 케루빔과 세라핌이 이를 찬양하며, 날마다 간단없이 제창하나이다. 거룩하시다, 거룩하시다, 만군의 천주이신 주는 거룩하시나이다. 하늘과 땅에 주의 영광이 가득하나이다. 천상에 좌정하신이여 호산나, 주의 이름으로 오시는 이는 찬미받아지이다. 천상에 좌정하신이여 호산나.
Ant. ad Communionem. Ioann. 6, 52. 聖体拝領誦 ヨハネ 6ノ52 领主咏(若6:52) 영성체경(성요왕6.52)
Panis, quem ego dédero, caro mea est pro sǽculi vita. 私の与えるパンは、世の生命のための私の肉である。 我要给的粮食,就是我的肉,作为世界的生命。 세인을 살리기 위하여 내가 줄바 떡은 곧 내 살이니라.
Postcommunio. 聖体拝領後の祈 领后经 영성체후축문
Mentes nostras et córpora possídeat, quǽsumus, Dómine, doni cæléstis operátio : ut non noster sensus in nobis, sed iúgiter eius prævéniat efféctus. Per Dóminum. 主よ、願わくは、天の賜のはたらきが、我らの心と体とを掌握せんことを。そは、我らのうちにある我らの[人間的な]考えではなく、この[秘蹟の]影響が常に[我らにおいて]優位にならん為なり。天主として、(…)。 主,祈望祢的天恩,凭藉它的功用占有我们的身心,使在我们身上,时时统制着圣事的效能,以替代我们私意的主张。因我们主……。

주여 비오니 네 천상 예물로 하여금 우리 영육을 차지하여 관리케 하소서. 우리 자의로 행치 말게 하시고 오직 그 작용으로써 우리를 다스리시되, 네 아들 우리 주 예수 그리스도를  인하여 하소서. 저 너와 성신과 ....

 

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2020年9月6日は、聖霊降臨後第十四主日(二級祝日 典礼色:緑)です。聖伝のミサのラテン語と日本語・中文・韓国語の対訳のテキストをご紹介いたします

2020年09月01日 | ミサ聖祭

2020年9月6日は、聖霊降臨後第十四主日(二級祝日 典礼色:緑)です。聖伝のミサのラテン語と日本語・中文・韓国語の対訳のテキストをご紹介いたします

【ミサ聖祭】聖パウロは<書簡>において、肉の業と霊の業との対立を語っている。「霊によって歩め、そうすれば、肉の欲を遂げさせないであろう」。この内的生活は、決してやさしく実行し得るものではない。ゆえに、われらは、肉に対する戦いにおいて、天主の助力を願わねばならぬ。

今日圣教会再给我们讲论两个王国的对立:便是天主(善)的王国与魔鬼(恶)的王国。我们凭藉圣洗,进入了天主的王国;然而当我们生活于此下土之时,我们便时时不得不有犯恶的斗争,或在我们,或在我们兄弟中间:因为我们虽曾受洗礼,但在我们身上仍遗有恶劣的倾向,而时时煽惑我们。因此这个人生,每每给我们造成难堪的磨折,然而我们必须勇武地承受这个试炼才行。我们对于天主的眷顾(福音)及对祂恩宠不断的助佑(集祷经),该常常保持一个坚定的信心。每主日在基督的圣祭中,我们重振斗争的勇力。所谓基督即“受膏者”之意(进台咏),是我们唯一的司祭,是我们唯一的君王,祂为我们取得了各样的恩宠。在领圣体时,祂来我们心中,为强化我们,并为引领我们偕祂站在同一阵线上。只需我们忠实地追求天主的王国(领主咏),即愿意以承行圣父旨意的真正天主子女,时时生活着,那么我们便能切实保证,依靠耶稣而到达天父之家。

Dominica Decima quarta post Pentecosten 聖霊降臨後第十四の主日 降临后第十四主日 성신 강림 후 제 십 사 주일 14ème Dimanche après la Pentecôte
II Classis 二級祝日 复式【绿】  (2급) 초록색 2ème Classe
Ant. ad Introitum. Ps. 83, 10-11. 入祭文 詩篇 83ノ10,11 进台咏(咏83:10-11) 초입경(성영 83, 10-11) Introït
Protéctor noster, áspice, Deus, et réspice in fáciem Christi tui : quia mélior est dies una in átriis tuis super mília. われらの保護者、天主よ、見給え。御身のキリストの御顔を顧み給え。御身の中庭における一日は、[他の]数千日にまさる。 天主,我们的保护者啊!求祢垂视,注视祢受膏者的容貌。在祢庭院居住一日,远胜在他处留寓千日。 우리 보호자이신 천주여 돌아보시며 너 기름 바르신 자의 얼굴을 굽어보소서. 대저 네 궁전의 하루는 다른 데의 천날보다 더 낫도소이다.  Dieu, notre protecteur, jetez les yeux sur nous, et regardez la face de votre Christ ; car un jour passé dans vos parvis vaut mieux que mille autres.
Ps. ibid., 2-3. 詩篇83ノ2-3 咏83:2-3 (성영 83, 2)   
Quam dilécta tabernácula tua, Dómine virtútum ! concupíscit, et déficit ánima mea in átria Dómini. 力ある主よ、御身の幕屋はなんと愛されていることか!私の霊魂は、主の中庭を欲し、気を失うほどだ。 万军的上主啊!祢的殿宇是何等可爱!我的灵魂,企望眷慕上主的庭院。 군대의 천주여 네 장막이 어떻게 사랑스러운고, 내 영혼이 주의 궁전을 사모하여 기진하여지나이다.  Que vos tabernacles sont aimés, ô Dieu des vertus ! mon âme est consumée d’un ardent désir et défaille en pensant aux parvis du Seigneur.
V/.Glória Patri. V/. 願わくは聖父と・・・(栄誦)。 光荣归于父......。  영광이 부와 자와...  
Protéctor noster, áspice, Deus, et réspice in fáciem Christi tui : quia mélior est dies una in átriis tuis super mília. われらの保護者、天主よ、見給え。御身のキリストの御顔を顧み給え。御身の中庭における一日は、[他の]数千日にまさる。 天主,我们的保护者啊!求祢垂视,注视祢受膏者的容貌。在祢庭院居住一日,远胜在他处留寓千日。 우리 보호자이신 천주여 돌아보시며 너 기름 바르신 자의 얼굴을 굽어보소서. 대저 네 궁전의 하루는 다른 데의 천날보다 더 낫도소이다.  Dieu, notre protecteur, jetez les yeux sur nous, et regardez la face de votre Christ ; car un jour passé dans vos parvis vaut mieux que mille autres.
Oratio. 集祷文 集祷经 축문 Collecte
Custódi, Dómine, quǽsumus, Ecclésiam tuam propitiatióne perpétua : et quia sine te lábitur humána mortálitas ; tuis semper auxíliis et abstrahátur a nóxiis et ad salutária dirigátur. Per Dóminum. 主よ、願わくは、絶えざる御いつくしみにより、御身の教会を守り給え。御身なしには、人間の死すべき弱さは滑り落ちるのみゆえに、常に御身の助けにより、害悪より助け出し、救いへと導かれんことを。天主として、(…)。 主,求祢常施仁慈保护祢的教会﹕只因软弱的人没有祢就要跌倒,所以亟需祢常加恩佑,除去一切伤害她的事,引导她走上得救的坦途。因我们主……。 주여 비오니 네 성교회를 무궁한 인자로 보호하소서. 이미 너 없이는 죽음에 속한 인성이 쓰러질 것이온즉 우리를 네 도우심으로 모든 해로운 일에 수호하시며, 또한 구령하는데로 나아가게 하시되, 네 아들 우리 주 예수 그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과... O Seigneur, gardez votre Église par l’assistance continuelle de votre miséricorde ; et puisque, sans vous, la faiblesse humaine ne peut que faillir, daignez, par votre assistance, la préserver sans cesse de tout ce qui peut lui nuire, et la diriger vers ce qui est salutaire.
Léctio Epístolæ beáti Pauli Apóstoli ad Gálatas. 使徒聖パウロのガラツィア人への書簡の朗読。 书信 서간경 Lecture de l’Épître de saint Paul Apôtres aux Galates.
Gal. 5, 16-24. ガラツィア  5ノ16-24 (迦5:16-24) (갈라타서 5, 16-24)  
Fratres : Spíritu ambuláte, et desidéria carnis non perficiétis. Caro enim concupíscit advérsus spíritum, spíritus autem advérsus carnem : hæc enim sibi ínvicem adversántur, ut non quæcúmque vultis, illa faciátis. Quod si spíritu ducímini, non estis sub lege. Manifésta sunt autem ópera carnis, quæ sunt fornicátio, immundítia, impudicítia, luxúria, idolórum sérvitus, venefícia, inimicítiæ, contentiónes, æmulatiónes, iræ, rixæ, dissensiónes, sectæ, invídiæ, homicídia, ebrietátes, comessatiónes, et his simília : quæ prædíco vobis, sicut prædíxi : quóniam, qui talia agunt, regnum Dei non consequántur. Fructus autem Spíritus est : cáritas, gáudium, pax, patiéntia, benígnitas, bónitas, longanímitas, mansuetúdo, fides, modéstia, continéntia, cástitas. Advérsus huiúsmodi non est lex. Qui autem sunt Christi, carnem suam crucifixérunt cum vítiis et concupiscéntiis. 兄弟たちよ、霊によって歩め。そうすれば、肉の欲を遂げさせることはない。実に肉ののぞむことは霊に反し、霊ののぞむことは肉に反する。あなたたちがのぞみのままにおこなわないように、それらは相反している。もしあなたたちが霊にみちびかれているのなら、律法のもとにはいない。肉のおこないは明白である。すなわち、淫行、不潔、猥褻、偶像崇拝、魔術、憎み、あらそい、嫉妬、憤り、徒党、分離、異端、そねみ、泥酔、遊蕩、そしてそれらに似たことなどである。私は、前にもいったように、またあらかじめ注意する。以上のようなことをおこなう人は、天主の国を嗣がない。それに反して、霊の実は、愛、よろこび、平和、寛容、仁慈、善良、誠実、柔和、節制であって、これらのことに反対する律法はない。キリスト・イエズスにある者は、肉を、その欲とのぞみとともに十字架につけた。 弟兄们:你们要随从灵性的指导,不要随从肉体的情欲。肉体的情欲相反灵性,灵性相反肉体的情欲;它们彼此相敌,阻止你们作你们所愿意作的。但是如果你们受灵性的指导,你们就不再隶属于法律了。肉情的行为是显而易见的,就是:淫乱、秽行、无耻、放荡、拜偶像、行邪术、仇恨、争斗、嫉妒、忿怒、争吵、分裂、党派、猜忌、凶杀、酗酒、放纵饮食以及和它们相类的罪。我早已警告你们,现在我再警告你们:犯这些罪的人,必不能继承天主的国。相反的,灵性所结的果实就是:博爱、喜乐、和平、忍耐、温和、良善、容忍、温文、忠信、谦和、节制、贞洁。凡是如此生活的人,就用不着法律了。属于基督的人,已经把肉体和它的邪情私欲,都钉死在十字架上了。 형제들아 영신을 따라 걸을지니 에에 너희는 육정의 원욕을 채우지 않으리로다. 대저 육정은 영신을 거슬러 원하고 영신은 육정을 거슬러 원하나니 그 서로 반대됨은 너희로 하여금 원하는 바를 다 하지 않게 하기 위함이니라. 너희가 만일 영신의 인도를 받으면 법아래 있지 아니하느니라. 육정의 행실은 아는 바니 즉 사음, 불결, 파염치, 음욕, 우상숭배, 요술, 원한, 쟁투, 질투, 분노, 시비, 불목, 당파, 시기, 살인, 주정, 폭식 등이니라. 나 이미 말하였거니와 다시 너희게 말하노니 이런 일을 하는 자들은 천주의 나라를 얻지 못하리라. 그러나 영신의 열매는 사랑, 기쁨, 평화, 인내, 자애, 선량, 관용, 양순, 진실, 공순, 절제, 정조 등이니 이런 자에게 대하여는 법이 없느니라. 대저 그리스도에 속한 자는 자기의 육신을 악습과 원욕과 한가지로 십자가에 못박았느니라. Mes Frères : Marchez selon l’esprit, et vous n’accomplirez point les désirs de la chair. Car la chair convoite contre l’esprit, et l’esprit contre la chair ; en effet, ils sont opposés l’un à l’autre, pour que vous ne fassiez pas tout ce que vous voudriez. Si vous êtes conduits par l’esprit, vous n’êtes point sous la loi. Or les œuvres de la chair sont manifestes : c’est la fornication, l’impureté, l’impudicité, la luxure, l’idolâtrie, les maléfices, les inimitiés, les querelles, les jalousies, les animosités, les rixes, les dissensions, les factions, l’envie, les meurtres, l’ivrognerie, les débauches, et les choses semblables, dont je vous prédis, comme je l’ai déjà fait, que ceux qui les commettent ne seront point héritiers du royaume de Dieu. Mais les fruits de l’esprit sont : la charité, la joie, la paix, la patience, la bénignité, la bonté, la longanimité, la douceur, la foi, la modestie, la continence, la chasteté. Contre de pareilles choses il n’y a pas de loi. Or ceux qui sont au Christ ont crucifié leur chair avec ses passions et ses convoitises.
Graduale. Ps. 117, 8-9. 昇階誦 詩篇 117ノ8-9 台阶咏(咏117:8-9) 층계경(성영 117, 8-9) Graduel
Bonum est confidére in Dómino, quam confidére in hómine. 人間に信頼するよりも主に信頼するほうが良い。 投奔上主,胜于依赖世人。 주를 신뢰함은 사람을 신뢰함보다 더 좋고  Mieux vaut se confier dans le Seigneur que dans les hommes.
V/. Bonum est speráre in Dómino, quam speráre in princípibus. V/. 君主らに希望するよりも主に希望するほうが良い。 投奔上主,胜于依赖权势。 주께 바람은 제왕에게 바람보다 더 좋으니라. Mieux vaut espérer dans le Seigneur que dans les princes.
Allelúia, allelúia. V/.Ps. 94, 1. アレルヤ、アレルヤ。V/.詩篇 94ノ1 阿肋路亚, 阿肋路亚!(咏94:1) 알렐루야 알렐루야. (성영 94, 1)  Allelúia, allelúia. V/.Ps. 94, 1.
Veníte, exsultémus Dómino, iubilémus Deo, salutári nostro. Allelúia. 来たれ、主において喜ぼう、われらの救いなる天主に歓喜を上げよう、アレルヤ。 请你们来!我们要颂扬上主,我们要向拯救我们的天主欢呼。阿肋路亚。 와서 주를 환호하며 우리 구원이신 천주께 용약할지어다. 알렐루야. Venez, réjouissons-nous dans le Seigneur, faisons éclater notre joie devant Dieu, notre Sauveur.
+ Sequéntia sancti Evangélii secúndum Matthǽum. マテオによる聖福音の続誦。 福音 복음 Lecture du Saint Evangile selon saint Mathieu Luc Jean Marc.
Matth. 6, 24-33. マテオ  6ノ24-33 (玛6:24-33) (성마두 6, 24-33) Matth. 6, 24-33.
In illo témpore : Dixit Iesus discípulis suis : Nemo potest duóbus dóminis servíre : aut enim unum ódio habébit, et álterum díliget : aut unum sustinébit, et álterum contémnet. Non potéstis Deo servíre et mammónæ. Ideo dico vobis, ne sollíciti sitis ánimæ vestræ, quid manducétis, neque córpori vestro, quid induámini. Nonne ánima plus est quam esca : et corpus plus quam vestiméntum ? Respícite volatília cæli, quóniam non serunt neque metunt neque cóngregant in hórrea : et Pater vester cæléstis pascit illa. Nonne vos magis pluris estis illis ? Quis autem vestrum cógitans potest adícere ad statúram suam cúbitum unum ? Et de vestiménto quid sollíciti estis ? Consideráte lília agri, quómodo crescunt : non labórant neque nent. Dico autem vobis, quóniam nec Sálomon in omni glória sua coopértus est sicut unum ex istis. Si autem fænum agri, quod hódie est et cras in clíbanum míttitur, Deus sic vestit : quanto magis vos módicæ fídei ? Nolíte ergo sollíciti esse, dicéntes : Quid manducábimus aut quid bibémus aut quo operiémur ? Hæc enim ómnia gentes inquírunt. Scit enim Pater vester, quia his ómnibus indigétis. Quǽrite ergo primum regnum Dei et iustítiam eius : et hæc ómnia adiiciéntur vobis. そのとき、イエズスは、弟子らに向かって仰せられた。人は、二人の主人に仕えるわけにはいかない。一人を憎んでもう一人を愛するか、一人に従ってもう一人をうとんじるかである。あなたたちは、天主とマムモンとにともに仕えることはできない。だから私がいう。あなたたちの命のためになにを食べようか、なにを飲もうか、また、あなたたちの体のためになにを着ようか、などと心配するな。命は食物にまさり、体は衣服にまさるものである。空の鳥を見よ。播きも、刈りも、倉におさめもしないのに、あなたたちの天の父は、それを養ってくださる。あなたたちは、鳥よりもはるかにすぐれたものではないか。あなたたちがどんなに心配しても、寿命をただの一尺さえ長くできないのである。また、なぜ、衣服のために心配するのか。野のゆりがどうして育つかを見よ。苦労もせず、紡ぎもしない。しかし私はいう、サロモンの栄華のきわみにおいてさえ、このゆりの一つほどにも装っていなかった。今日は野にあり、明日はかまどに投げいれられる草をさえ、天主はこのように、装おわせてくださる。それなら、まして、あなたたちに対して、よくしてくださらないはずがあろうか!信仰うすい人々よ。だから、何を食い、何を飲み、何を着ようかと心配するな。それらはみな、異邦人が切にのぞんでいることである。あなたたちの天の父は、あなたたちに、それらがみな必要なことをご存じである。だから、まず天主の国とその正義とを求めよ。そうすれば、それらのものも加えて、みな、お与えくださる。 那时候,耶稣向祂的门徒们说:“谁也不能事奉两个主人:因为,或是恨这个,爱那个;或是信服这个,轻贱那个;你们不能又事奉天主又事奉钱财。因此,我对你们说:不要为你们的生命忧虑:要吃什么,喝什么;不要为你们的身体忧虑:要穿什么。生命不是胜过饮食吗?身体不是贵于衣服吗?看!天空的鸟,不种也不收,也不在仓里积蓄,你们的天父养活它们。你们不是比牠们贵重得多吗?你们中谁能因了劳心焦思会延长一尺的寿命呢?你们为什么为了衣着忧虑呢?看!田野里的百合花怎样生长的?它们不劳作,也不纺织;而我告诉你们:就是撒罗满当他最光荣的时候,身上所穿的,还不如这花中的一朵。信德浅薄的人啊!田里的草,今天还在,明天就要抛在炉灶里,天主尚且那样装饰它,何况你们呢?所以你们不要忧虑,说:‘吃什么?喝什么?穿什么?’这都是外教人求的;因为你们的天父知道你们需要这一切。你们先求天主的国和祂的义德,那一切东西都要加给你们的。” 유시에 예수 그 제자들에게 이르시되 '아무도 능히 두 주인을 섬기지 못하나니 대개 하나는 미워하고 하나는 사랑하거나 혹 하나는 받들고 하나는 경만하리니 너희도 능히 천주와 다못 재물을 겸하여 섬기지 못하리라. 이러므로 너희에게 이르노니 너희 생명을 무엇으로 먹이고 너희 육신을 무엇으로 입힐고 하여 걱정하지 말라. 생명은 음식보다 더 중하지 아니하며 육신은 의복보다 더 중하지 아니하냐. 공중에 나는 새를 보라. 심으지 아니하고 거두지 아니하고 창고에 쌓지도 아니하되 하늘에 계신 너희 성부 저들을 먹이시니 너희는 저들보다 더 귀하지 아니하냐. 너희중에 누가 생각을 다하여 제 키에 한 자이나 더 크게 하겠느냐. 또 어찌하여 의복을 걱정하느뇨. 들에 백합화가 어떻게 자라는지 살펴보라. 수고치 아니하고 길쌈하지 아니하되 나 너희게 이르노니 솔로몬이 그 모든 영화중에도 이 꽃중에 하나만치 입지 못하니라. 그런즉 들풀은 오늘 있다가 내일 아궁에 들어갈 것이라도 천주 이같이 입히시거던 하물며 너희게냐. 신덕이 적은 자들아 이러므로 너희는 이르되 무엇을 먹고 또 무엇을 입을고 걱정하지 말라. 대개 이 모든 것은 외교인의 힘쓰는 바라. 너희가 이 모든 것이 요긴한 줄을 너희 성부 알으시니 이러므로 먼저 천주의 나라와 그 의덕을 구하라. 이 모든 것은 너희게 더음으로 주시리라' En ce temps-là, Jésus dit à ses disciples : Nul ne peut servir deux maîtres ; car, ou il haïra l’un et aimera l’autre, ou il s’attachera à l’un et méprisera l’autre. Vous ne pouvez servir Dieu et Mammon. C’est pourquoi je vous dis : Ne vous inquiétez pas, pour votre vie, de ce que vous mangerez ; ni pour votre corps, de ce dont vous serez vêtus. La vie n’est-elle pas plus que la nourriture, et le corps plus que le vêtement ? Regardez les oiseaux du ciel : ils ne sèment ni ne moissonnent, et ils n’amassent pas dans des greniers ; et votre Père céleste les nourrit. N’êtes-vous pas beaucoup plus qu’eux ? Qui de vous, en se tourmentant, peut ajouter une coudée à sa taille ? Et au sujet du vêtement, pourquoi vous inquiéter ? Considérez comment croissent les lis des champs : ils ne travaillent ni ne filent. Cependant je vous dis que Salomon lui-même dans toute sa gloire n’a pas été vêtu comme l’un d’eux. Mais si Dieu revêt ainsi l’herbe des champs, qui existe aujourd’hui, et qui demain sera jetée dans le four, combien plus vous-mêmes hommes de peu de foi ! Ne vous inquiétez donc pas, en disant : Que mangerons-nous, ou que boirons-nous, ou de quoi nous couvrirons-nous ? Car ce sont les païens qui se préoccupent de toutes ces choses ; mais votre Père sait que vous avez besoin de tout cela. Cherchez donc premièrement le royaume de Dieu et sa justice, et toutes ces choses vous seront données par surcroît.
Credo 信経 信经 신경외움 Credo
Ant. ad Offertorium. Ps. 33, 8-9. 奉献文 詩篇 33ノ8-9 奉献咏(咏33:8-9) 제헌경(성영 33, 8-9) Offertoire
Immíttet Angelus Dómini in circúitu timéntium eum, et erípiet eos : gustáte et vidéte, quóniam suávis est Dóminus. 主の天使は、主を畏れる人々の周りに[助けを]送り込み、彼らを[危険から]救い出すだろう。主がいかに甘美にましますかを、味わい見よ。 上主的天使扎营在敬畏者的四周,以备救护他们。你们要尝试,要瞻望,上主是何等的和蔼。 주의 천신이 저를 두려워하는 자들을 둘러있어 저들을 구원하시리로다. 주 어떻게 달으신지 맛볼지어다. L’ange du Seigneur environnera de son assistance ceux qui craignent Dieu et les arrachera au danger ; goûtez et voyez combien le Seigneur est doux.
Secreta. 密誦 密祷经 묵념축문 Secrète
Concéde nobis, Dómine, quǽsumus, ut hæc hóstia salutáris et nostrórum fiat purgátio delictórum, et tuæ propitiátio potestátis. Per Dóminum. 主よ、願わくは、救いのこの犠牲(いけにえ)が、われらの罪らの浄めとなり、かつ、御身の力の宥めとならんことを。天主として、(…)。 主,求祢恩赐我们,使这救赎之祭、清除我们的罪恶,并给我们求得祢尊威的宠惠。因我们主……。 주여 비오니 이 구원의 제물로 인하여 우리 죄를 씻으사 네 엄위하심에 화합케 하시되, 네 아들 우리 주 예수 그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과... Accordez-nous, s’il vous plaît, Seigneur, que cette hostie salutaire nous purifie de nos fautes, et nous rende votre puissance favorable.
Præfatio de sanctissima Trinitate 三位一体と主日との序誦 天主圣三的颂谢引 성삼감사경 Préface de la Sainte Trinité
Vere dignum et iustum est, æquum et salutáre, nos tibi semper et ubíque grátias ágere : Dómine, sancte Pater, omnípotens ætérne Deus : Qui cum Unigénito Fílio tuo et Spíritu Sancto unus es Deus, unus es Dóminus : non in uníus singularitáte persónæ, sed in uníus Trinitáte substántiæ. Quod enim de tua glória, revelánte te, crédimus, hoc de Fílio tuo, hoc de Spíritu Sancto, sine discretióne sentímus. Ut, in confessióne veræ sempiternǽque Deitátis, et in persónis propríetas, et in esséntia únitas, et in maiestáte adorétur æquálitas. Quam laudant Angeli atque Archángeli, Chérubim quoque ac Séraphim, qui non cessant clamáre cotídie, una voce dicéntes : Sanctus… 主よ、聖なる父よ、全能永遠の天主よ、われらが御身に、いつもどこにても感謝を捧げるのは、実にふさわしく正しいこと、義務と救いである。御身は、御独り子と聖霊と共に、唯一の天主、唯一の主にて在す。すなわち、御身は、一の位格の単一にて在すのではなく、唯一の実体(substantia)の三位にて在す。御身の御光栄について、御身が啓示するがゆえに、われらが信じ奉ることを、聖子について、聖霊について、差別なく、われらは信じ奉る。真の永遠の天主の本性を告白するにおいて、位格における固有性が礼拝され、本質(essentia)における唯一性と、御稜威における等しさも礼拝されるためである。これを、天使らと大天使らは、智天使も熾天使も、讃美し、絶え間なく声を上げ、日々声をあわせてこう言う。聖なるかな、… 主,圣父,全能永生的天主!我们时时处处颂谢祢,实是正义而必须的,属于我们天职的,也属我们得救的。祢与祢的独子及圣神,只是一个天主,只是一个主;不是因为位是单独一个,却是因为三位同具一个性体。的确,我们所怎样依照祢的启示,相信祢享的光荣,我们无区别地也同样确认祢的圣子,也同样确认圣神共享这个光荣。因此,我们在明认圣三真实而永在的天主性上,同时论位,我们敬拜圣三的各一,论体,我们敬拜圣三的无二,论尊荣,我们敬拜圣三的均等。这圣三的尊荣,是天神们和总领天神们,普知天神们和炽爱天神们,所虔诚歌颂的;他们日复一日,永不停止同声高呼说:圣、圣、圣…… 주여, 성부여, 전능하시고 영원하신 천주여, 우리가 어디서나 항상 주께 감사하는 것이 참으로 당연하고 옳으며, 지당하고 구령에 유익하나이다. 주는 외아들과 성신과 더불어 오직 한분의 천주시요, 오직 한분의 주이시되, 한 위가 아니시고, 한 체로서 세 위시니이다. 주의 계시로 우리가 주의 영광에 대하여 믿는 바를, 성자와 성신에 대하여서도 조금도 다름이 없이 믿나이다. 그리하여 우리는 참되시고 영원하신 천주성을 찬미함에 있어, 위로서는 각 품이시요, 체로서는 하나이시요, 지존하시기는 같으심을 찬송하나이다. 천신들과 대천신들 및 케루빔과 세라핌이 이를 찬양하며, 날마다 간단없이 제창하나이다. 거룩하시다, 거룩하시다, 만군의 천주이신 주는 거룩하시나이다. 하늘과 땅에 주의 영광이 가득하나이다. 천상에 좌정하신이여 호산나, 주의 이름으로 오시는 이는 찬미받아지이다. 천상에 좌정하신이여 호산나. .
Ant. ad Communionem. Matth. 6, 33. 聖体拝領誦 マテオ 6ノ33 领主咏(玛6:33) 영성체경(성 마두 6, 33) Communion
Primum quǽrite regnum Dei, et ómnia adiiciéntur vobis, dicit Dóminus. まず、天主の国を求めよ、そうすれば全てはおまえたちに加えられるであろう、と主は仰せられる。 主说:“你们先求天国和它的义德,那一切东西都要加给你们的。” 주 가라사대 먼저 천주의 나라를 구하라 이 모든 것은 너희게 더음으로 주시리라. Cherchez d’abord le royaume de Dieu et tout vous sera donné par surcroît, dit le Seigneur.
Postcommunio. 聖体拝領後の祈 领后经 영성체후축문 Postcommunion
Puríficent semper et múniant tua sacraménta nos, Deus : et ad perpétuæ ducant salvatiónis efféctum. Per Dóminum. 天主よ、御身の秘蹟が、常にわれらを浄め、強めんことを。かくて永遠の救いの結果に導かんことを。天主として、(…)。 主,伏望祢的圣事常常洁净、护佑我们,并导引我们获得永救。因我们主……。 주여 네 성사로써 우리를 항상 조찰케 하시고 굳세게 하시며, 또한 그 효과로써 영원한 구원에 인도하시되, 네 아들 우리 주 예수 그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과... Que vos sacrements, ô Dieu, nous purifient toujours ; qu’ils nous munissent de secours et qu’ils nous conduisent au salut éternel.


2020年8月30日は、聖霊降臨後第十三主日(二級祝日 典礼色:緑)です。聖伝のミサのラテン語と日本語・中文・韓国語の対訳のテキストをご紹介いたします

2020年08月27日 | ミサ聖祭

アヴェ・マリア・インマクラータ!

2020年8月30日は、聖霊降臨後第十三主日(二級祝日 典礼色:緑)です。聖伝のミサのラテン語と日本語・中文・韓国語の対訳のテキストをご紹介いたします。

【ミサ聖祭】信仰と洗礼とによって、われらは、天主の契約にあずかる者となった。しかし、未だにわれらは世間にひきずられ、たえずおびやかされている。天主が、われらをあわれみ、われらを見捨て給わぬようにと祈る。〈入祭文、昇階誦〉天主が、われらのうちに、信望愛の徳をつよめ〈集禱文〉われらをますます天的なものとする天のパンを与え給うように。〈聖体拝領誦〉

本日弥撒的主题宗旨,便是感谢与祈求。
(一)感谢:我们藉着信仰基督而获得救恩,这完全出于天主纯粹的恩惠,并非由我们方面的功绩(书信)。当基督在世时,怎样治疗了患麻风的人,同样在圣洗中,祂涤除了我们灵魂上的麻风病。但是信友中,每主日能想及这个洪恩而知颂谢的,究有几人呢(福音)?
(二)祈求:自从领洗以后,我们依靠必须期待天主的恩惠:因为基督的生命,在领洗时赐给我们的,宛如一个萌芽,在我们生活的中,必须使它成长壮大。这超性生命的成长又必须藉着圣神的助佑。在弥撒中,我们举行救赎圣祭,同时,我们领受使这生命成长的救恩的神粮。这便是说,基督对我们罪的麻风病,完成医治的工作,同时,祂又增加我们的信望爱三德,扩张在我们心中的神生;至于所说的信、望、爱,乃是天主子女生命中的固有德行(集祷经)。耶稣把自己的血肉充为我们奇妙的神粮,一则为适应以信心领祂的人之一切需用(领主咏),二则为赐给他们一种勇力,使朝着天上的道路迈进。

『조찰하여진 자 열사람이 아니냐? 아홉사람은 어디 있느뇨?』(복음) 
무서운 병, 나창병은 집과 도시에서 버림을 받아『멀리』추방됨을 뜻했다. 천주의 생명을 배척한 인류는낙원에서 이 세상에 추방될 때부터 천당에서 버림을 받아 쫓겨난 나창 병자가 되어벼렸었다. 그런데 그때에 천주께서는 인간을 당신과 비슷한자 되게끔 인간과『계약』을 맺었으니 그 얼마나 놀라운 일이랴!(서간경) 이『계약』은 무엇인가? 이 계약에 의하여 천주께서는 예수를『믿는 모든 사람들』에게, 아바람에게 약속하셨던 그리스도 생명의 상속권을 주시되, 모세의『법』만 찾는 자들에게는 주시지 않으신다. 오늘 우리들은『그 아홉 사람』처럼 육체의 건강만으로 만족치 말고,『신덕, 망덕, 애덕이 증가됨』으로써 만족하자.(축문) 나창든자가 한것처럼 우리도 이렇게 기구하자.『주여 네 계약을 돌아보사 가난한 이들의 영혼을 온전히 버리지 말으소서』(초입경) 

Dominica Decima tertia post Pentecosten 聖霊降臨後第十三の主日 降临后第十三主日 성신 강림 후 제 13 주일
II Classis 二級祝日 复式【绿】  (2급) 초록색
Ant. ad Introitum. Ps. 73, 20, 19 et 23. 入祭文 詩篇73ノ20、19、23 进台咏(咏73:20,19,23) 초 입 경 (성영 73 20,19,23)
Réspice, Dómine, in testaméntum tuum, et ánimas páuperum tuórum ne derelínquas in finem : exsúrge, Dómine, et iúdica causam tuam, et ne obliviscáris voces quæréntium te. 主よ、御身の契約を見給え、御身の貧しい者らの霊魂を終わりまで打ち棄て給うな。主よ、起き給え、御身の件を裁き給え、御身をさがし求める者らの声を忘れ給うな。 主啊!求祢回视祢的约,不要永远忘却祢穷苦子民的性命。主啊!求祢起来保护祢的事业,莫要忘记向祢呼求之人的声音。 주여 네 결약을 돌아보사 가난한 이들의 영혼을 온전히 버리지 말으소서. 주여 일어나사 네 송사를 판단하시고, 너를 찾는 자들의 기구를 잊지 말으소서.
Ps. ibid., 1. 詩篇73ノ1 进台咏(咏73:1) (성영 7,3,1) 
Ut quid, Deus, reppulísti in finem : irátus est furor tuus super oves páscuæ tuæ ? 天主よ、なにゆえ御身は終わりまで見捨て給うのか。御怒りは、御身の牧場の羊らの上に怒り給うのか。 天主啊!祢为什么永远丢弃了我们?祢为何向祢牧场的群羊发怒如冒烟呢? 천주여 어찌하여 우리를 온전히 버리시며 어찌하여 네 목장의 양에게 진노하시나이까. 
V/.Glória Patri. V/. 願わくは聖父と・・・(栄誦)。 光荣归于父……。 영광이 부와 자와... 
Réspice, Dómine, in testaméntum tuum, et ánimas páuperum tuórum ne derelínquas in finem : exsúrge, Dómine, et iúdica causam tuam, et ne obliviscáris voces quæréntium te. 主よ、御身の契約を見給え、御身の貧しい者らの霊魂を終わりまで打ち棄て給うな。主よ、起き給え、御身の件を裁き給え、御身をさがし求める者らの声を忘れ給うな。 主啊!求祢回视祢的约,不要永远忘却祢穷苦子民的性命。主啊!求祢起来保护祢的事业,莫要忘记向祢呼求之人的声音。 주여 네 결약을 돌아보사 가난한 이들의 영혼을 온전히 버리지 말으소서. 주여 일어나사 네 송사를 판단하시고, 너를 찾는 자들의 기구를 잊지 말으소서.
Oratio. 集祷文 集祷经 축문
Omnípotens sempitérne Deus, da nobis fídei, spei et caritátis augméntum : et, ut mereámur asséqui quod promíttis, fac nos amáre quod prǽcipis. Per Dóminum. 全能永遠の天主よ、われらに信・望・愛の徳の増加を与え給え、御身の約束し給うたものをわれらが得るにふさわしくなるために、御身が命じ給うものを、われらをして愛さしめせ給え。天主として、(…)。 全能永在的天主,求祢增加我们的信、望、爱三德;望祢使我们喜爱祢的命令,为能承受祢的应许。因我们主……。 전능하시고 영원하신 천주여 우리 신망애의 덕을 더으시며 또한 우리로 하여금 너 명하신 바를 사랑케 하사 써 네 허락하신 바를 얻게 하시되, 네 아들 우리 주 예수․그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과... 
Léctio Epístolæ beáti Pauli Apóstoli ad Gálatas. 使徒パウロの、ガラツィア人への書簡の朗読 书信 서 간 경
Gal. 3, 16-22. ガラツィア 3ノ16-22 (迦3:16-22) (갈라타서 3․16-22)
Fratres : Abrahæ dictæ sunt promissiónes, et sémini eius. Non dicit : Et semínibus, quasi in multis ; sed quasi in uno : Et sémini tuo, qui est Christus. Hoc autem dico : testaméntum confirmátum a Deo, quæ post quadringéntos et trigínta annos facta est lex, non írritum facit ad evacuándam promissiónem. Nam si ex lege heréditas, iam non ex promissióne. Abrahæ autem per repromissiónem donávit Deus. Quid igitur lex ? Propter transgressiónes pósita est, donec veníret semen, cui promíserat, ordináta per Angelos in manu mediatóris. Mediátor autem uníus non est : Deus autem unus est. Lex ergo advérsus promíssa Dei ? Absit. Si enim data esset lex, quæ posset vivificáre, vere ex lege esset iustítia. Sed conclúsit Scriptúra ómnia sub peccáto, ut promíssio ex fide Iesu Christi darétur credéntibus. 兄弟たちよ、アブラハムとその子孫とに約束がされた。聖書は複数として「子孫たちに」とはいわず、単数の形で「子孫に」といっている。この子孫はキリストである。そこで私はこういう。天主があらかじめ定められた契約は、四百三十年後にできた律法によって廃止されず、したがって約束も無効になることはない。もし遺産が律法によるのなら、約束によるのではない。しかし天主がアブラハムをよみされたのは、約束によってであった。それでは、律法とは何か?それは、違反あるがために加えられたもので、約束された子孫が来るまで、天使たちによって、仲介者の手において布告された。しかし、片一方だけの場合には、仲立ちというものはない。ところが天主は唯一である。従って、律法は天主の約束に悖(もと)るのか?決してそうではない。生かすことができる律法が与えられたならば、実に、義とされるのは、律法によってであろう。しかし聖書は、すべてを罪の下に閉じこめた。それは、信仰をもつ人たちに、イエズス・キリストへの信仰によって約束が与えられるためであった。 弟兄们:恩许是向亚巴郎和他的后裔所赐的。天主并不说:“他的一切后裔”,好像指着多数人说的,却是指着一个人说:“你的后裔”,这个后裔就是基督。所以我说:天主所正式签订的约,四百三十年以后颁布的法律,没有把它废弃,以致使恩许归于消灭。如果继承权是从法律来的,便不是从恩许来的了;但是天主确是用恩许的方法,向亚巴郎施恩的。那么,法律有什么作用呢?法律是为了犯罪的缘故,才加上去的,直到那位作为恩许对象的后裔来临。法律是藉着天使通过中人而传布的。可是只有单方的时候,就没有中人了,而天主是单独的。那么,法律与天主的恩许不是发生矛盾吗?绝对不是。因为假如有了能赋给人生命的一种法律,正义便实在是由法律而来的。但是经书把一切都禁锢于罪恶中,使恩许藉着信耶稣基督才赐给信徒们。 형제들아 아바람과 그 후손에게 허락이 계실때에 저 그 후손들이 많은 것 같이 말씀하지 않으시고, 오직 하나인 것 같ㅇ이 하셨나니 이는 곧 그리스도시니라. 이에 나 말하노니 천주 이미 정하신 계약인즉 그로부터 사백 삼십년 후에 주신 법이 허락하신 바를 헛되이 하기 위하여 폐하지 못하느니라. 대저 법을 인하여 유업을 받으면 이는 벌써 허락을 인함이 아니로다. 그러나 천주 허락을 인하여 아바람에게 주셨으니 그러면 법이 무엇인고. 이는 허락하신 후손이 오실때까지 법칙 때문에 정한바이니 중재자의 손을 거쳐 천신으로 말미암아 된 것이니라. 그런데 중재자는 하나의 것이 아니나 천주는 다만 하나이시니라. 그런즉 법이 천주의 허락을 거슬리느뇨. 아니로다. 대저 사람을 능히 생활케 할 법을 주셨으면 의는 실로 법으로 조차 나올 것이로되, 성경은 모든 것을 죄 아래 포함하였으니 이는 예수․그리스도에게 대한 신앙을 인하여 믿는 자들에게 허락을 주시기 위함이니라. 
Graduale. Ps. 73, 20, 19 et 22. 昇階誦 詩篇 73ノ20,19,22 台阶咏(咏73:20,19,22) 층계경(성영 73․20,19,22)
Réspice, Dómine, in testaméntum tuum : et ánimas páuperum tuórum ne obliviscáris in finem. 主よ、御身の契約を見給え、御身の貧しい者らの霊魂を終わりまで打ち棄て給うな。 上主啊!求祢回视祢的约,不要永远忘却祢穷苦子民的性命。 주여 네 계약을 돌아보사 가난한자들의 영혼을 온전히 버리지 말으소서. 
V/. Exsúrge, Dómine, et iúdica causam tuam : memor esto oppróbrii servórum tuórum. V/. 主よ、起き給え、御身の件を裁き給え、御身のしもべらの辱めを覚え給え。 主,求祢起来保护祢的事业:要记忆祢众仆所受的凌辱。 주여 일어나사 네 송사를 판단하시고 네 종들의 치욕을 기억하소서. 
Allelúia, allelúia. V/. Ps. 89, 1. アレルヤ、アレルヤ。V/.詩篇89ノ1 阿肋路亚。阿肋路亚!(咏89:1) 알렐루야 알렐루야.(성영 89․1) 
Dómine, refúgium factus es nobis a generatióne et progénie. Allelúia. 主よ、御身は、世々にわれらの為に避難所となり給うた、アレルヤ。 主啊!祢世世代代做了我们的避难所。阿肋路亚。 주여 네 세세에 우리 의탁이 되셨나이다. 알렐루야. 
+ Sequéntia sancti Evangélii secúndum Lucam. ルカによる聖福音の続誦。 福音 복음
Luc. 17, 11-19. ルカ17ノ11-19 (路17:11-19) (성루까 17․11-19)
In illo témpore : Dum iret Iesus in Ierúsalem, transíbat per médiam Samaríam et Galilǽam. Et cum ingrederétur quoddam castéllum, occurrérunt ei decem viri leprósi, qui stetérunt a longe ; et levavérunt vocem dicéntes : Iesu præcéptor, miserére nostri. Quos ut vidit, dixit : Ite, osténdite vos sacerdótibus. Et factum est, dum irent, mundáti sunt. Unus autem ex illis, ut vidit quia mundátus est, regréssus est, cum magna voce magníficans Deum, et cecidit in fáciem ante pedes eius, grátias agens : et hic erat Samaritánus. Respóndens autem Iesus, dixit : Nonne decem mundáti sunt ? et novem ubi sunt ? Non est invéntus, qui redíret et daret glóriam Deo, nisi hic alienígena. Et ait illi : Surge, vade ; quia fides tua te salvum fecit. そのとき、イエズスがイエルザレムに行くために、サマリアとガリラヤとの間を通りかかられ、ある村におはいりになったとき、十人のらい病人にであわれた。かれらは、はなれた所に立ちどまり、「イエズス、先生、私たちをあわれんでください!」と大声でいった。かれらを見たイエズスは、「あなたたちを司祭に見せにいけ」とおおせられた。かれらは、そこに行く間になおった。そのうちの一人は、自分がなおったのを見ると、大声で天主をたたえながら引き返してきて、イエズスの足もとにひれ伏して感謝した。これはサマリア人であった。イエズスは、「なおったのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この他国人のほかには、天主をたたえるために引き返してきた人はないのか!」といい、そして、その人に向かって、「立っていけ。あなたの信仰が、あなたを救った」とおおせられた。 那时候,耶稣往耶路撒冷去,就从撒马利亚,加黎利中间经过。祂正进入一个村子,有十个癞病人,迎上前来,远远的站下,高声说:“耶稣,师傅!可怜我们吧!”耶稣一见之下,就对他们说:“去,把你们给司祭看吧!”他们就在去的时候,洁净了。其中一个,看见自己洁净了,就回来,大声颂扬天主,又俯伏在耶稣脚前,感谢祂。这人却是撒马利亚人。耶稣于是开口说:“洁净了的不是十个人吗?还有九个在哪里?除了这个外方人,竟没有别人回来,把光荣归于天主吗?”于是对那人说:“起来,走吧,你的信心救了你。” 유시에 예수 예루살렘에로 가실때에 사마리아와 갈릴레아 가운데로 지나시다가 한 동네에 들어가실새 나창든자 열 사람이 예수께 마주 오다가 머리 서서 소리를 높이 이르되,「스승이신 예수여 우리를 불쌍히 여기소서」하거늘 저들을 보시고 이르시되「가서 너희를 제관장들에게 보이라」하신데 저들이 곧 갈때에 조찰하여진지라. 그 중에 하나는 제가 조찰하여진 것을 보고 돌아와 큰 소리로 천주를 찬송하며 예수 발아래 엎디어 사례하니 이는 사마리아 사람이라. 예수 말씀하여 이르시되「조찰하여진 자 열사람이 아니냐. 아홉사람은 어디 있는뇨. 이 외국 사람 하나 외에는 돌아와 천주께 영광을 돌려 보낼자 없도다」하시고 저에게 가라사대「네 신덕이 너를 구하였으니 일어나 가라」하시니라. 
Credo 信経 信经 신경
Ant. ad Offertorium. Ps. 30, 15-16. 奉献文  詩篇、30ノ15-16 奉献咏(咏30:15,16) 제헌경(성영 30․15,16)
In te sperávi, Dómine ; dixi : Tu es Deus meus, in mánibus tuis témpora mea. 主よ、私は主に希望し奉る。私は言った。御身は私の天主である、私の時は御身の手においてある、と。 上主啊!我仍旧投靠祢,我说:祢是我的天主,我的命运在祢手中。 주여 나 네게 바랐사오며 말하기를 너는 내 천주시오 네 손에 내 운명이 있도다 하였나이다. 
Secreta. 密誦 密祷经 묵념 축문
Propitiáre, Dómine, pópulo tuo, propitiáre munéribus : ut, hac oblatióne placátus, et indulgéntiam nobis tríbuas et postuláta concedas. Per Dóminum. 主よ、願わくは、御身の民を嘉し給え、贈り物嘉し給え。この捧げ物によって嘉し給い、われらにゆるしを与え、われらの願いを聞き入れ給わんことを。天主として、(…)。 主啊!求祢垂怜祢的子民,惠纳我们的献仪;深望祢由这敬奉而霁威,宽恕我们的罪过,准赐我们的请求。因我们主……。 주여 네 백성을 긍련히 여기시고 그들의 제물을 인자로이 굽어보시며 이 제사로 의노를 풀으사 우리 죄를 사하여 주시고 우리 기구를 너그러이 들어시되, 네 아들 우리 주 예수․그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과... 
Præfatio de sanctissima Trinitate ; 三位一体の序誦 天主圣三的颂谢引 성삼감사경
Vere dignum et iustum est, æquum et salutáre, nos tibi semper et ubíque grátias ágere : Dómine, sancte Pater, omnípotens ætérne Deus : Qui cum Unigénito Fílio tuo et Spíritu Sancto unus es Deus, unus es Dóminus : non in uníus singularitáte persónæ, sed in uníus Trinitáte substántiæ. Quod enim de tua glória, revelánte te, crédimus, hoc de Fílio tuo, hoc de Spíritu Sancto, sine discretióne sentímus. Ut, in confessióne veræ sempiternǽque Deitátis, et in persónis propríetas, et in esséntia únitas, et in maiestáte adorétur æquálitas. Quam laudant Angeli atque Archángeli, Chérubim quoque ac Séraphim, qui non cessant clamáre cotídie, una voce dicéntes : Sanctus… 主よ、聖なる父よ、全能永遠の天主よ、われらが御身に、いつもどこにても感謝を捧げるのは、実にふさわしく正しいこと、義務と救いである。御身は、御独り子と聖霊と共に、唯一の天主、唯一の主にて在す。すなわち、御身は、一の位格の単一にて在すのではなく、唯一の実体(substantia)の三位にて在す。御身の御光栄について、御身が啓示するがゆえに、われらが信じ奉ることを、聖子について、聖霊について、差別なく、われらは信じ奉る。真の永遠の天主の本性を告白するにおいて、位格における固有性が礼拝され、本質(essentia)における唯一性と、御稜威における等しさも礼拝されるためである。これを、天使らと大天使らは、智天使も熾天使も、讃美し、絶え間なく声を上げ、日々声をあわせてこう言う。聖なるかな、… 主,圣父,全能永生的天主!我们时时处处颂谢祢,实是正义而必须的,属于我们天职的,也属我们得救的。祢与祢的独子及圣神,只是一个天主,只是一个主;不是因为位是单独一个,却是因为三位同具一个性体。的确,我们所怎样依照祢的启示,相信祢享的光荣,我们无区别地也同样确认祢的圣子,也同样确认圣神共享这个光荣。因此,我们在明认圣三真实而永在的天主性上,同时论位,我们敬拜圣三的各一,论体,我们敬拜圣三的无二,论尊荣,我们敬拜圣三的均等。这圣三的尊荣,是天神们和总领天神们,普知天神们和炽爱天神们,所虔诚歌颂的;他们日复一日,永不停止同声高呼说:圣、圣、圣…… 주여, 성부여, 전능하시고 영원하신 천주여, 우리가 어디서나 항상 주께 감사하는 것이 참으로 당연하고 옳으며, 지당하고 구령에 유익하나이다. 주는 외아들과 성신과 더불어 오직 한분의 천주시요, 오직 한분의 주이시되, 한 위가 아니시고, 한 체로서 세 위시니이다. 주의 계시로 우리가 주의 영광에 대하여 믿는 바를, 성자와 성신에 대하여서도 조금도 다름이 없이 믿나이다. 그리하여 우리는 참되시고 영원하신 천주성을 찬미함에 있어, 위로서는 각 품이시요, 체로서는 하나이시요, 지존하시기는 같으심을 찬송하나이다. 천신들과 대천신들 및 케루빔과 세라핌이 이를 찬양하며, 날마다 간단없이 제창하나이다. 거룩하시다, 거룩하시다, 만군의 천주이신 주는 거룩하시나이다. 하늘과 땅에 주의 영광이 가득하나이다. 천상에 좌정하신이여 호산나, 주의 이름으로 오시는 이는 찬미받아지이다. 천상에 좌정하신이여 호산나.
Ant. ad Communionem. Sap. 16, 20. 聖体拝領誦 智書16ノ20 领主咏(智16:20) 영성체경(지서 16․20)
Panem de cælo dedísti nobis, Dómine, habéntem omne delectaméntum et omnem sapórem suavitátis. 主よ、御身は天からのパンを、すべての楽しみと全ての甘美な味とを持つパンをわれらに与え給うた。 主啊!祢从天上给我们降下食物,这粮包有各种美味,适合每个人的嗜好。 주여 너 우리에게 온갖  향기와 온갖 단맛이 있는 천상 면병을 주셨나이다. 
Postcommunio. 聖体拝領後の祈 领后经 영성체후축문
Sumptis, Dómine, cæléstibus sacraméntis : ad redemptiónis ætérnæ, quǽsumus, proficiámus augméntum. Per Dóminum. 主よ、天の秘蹟を拝領し奉ることによって、願わくは、我らが永遠の贖いの増加へと前進せんことを。天主として(…)。 主,我们已领了祢施天恩的圣事,深望我们从此更能丰富地沾得永远的救恩。因我们主……。

주여 비오니 우리로 하여금 천상 성사를 영함을 인하여 영원한 구원에 진보케 하시되, 네 아들 우리 주 예수․그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과... 

 


2020年8月23日は、聖霊降臨後第十二主日(二級祝日 典礼色:緑)です。聖伝のミサのラテン語と日本語・中文・韓国語の対訳のテキストをご紹介いたします

2020年08月21日 | ミサ聖祭

アヴェ・マリア・インマクラータ!

2020年8月23日は、聖霊降臨後第十二主日(二級祝日 典礼色:緑)です。聖伝のミサのラテン語と日本語・中文・韓国語の対訳のテキストをご紹介いたします

【ミサ聖祭】 本日の典礼では、二つの教えが述べられる。その一つは、われらが自分たちの力では何一つなしえないこと、第二は、天主に奉仕するために聖寵の助力が必要なこと、以上の二つである。
天主の助力によって、われらは、天主の思し召しと掟とを成し遂げるのである。天主の思し召しというのは、天主と隣人とに対する愛に尽きるのである。

'어떤 사마리아인은 (강도의 피해자를 보고) 인자한 마음이 감동하여 그 상처를 기름과 술로 바르고 싸매어 그를 돌보아 주더라... 예수 가라사대 너도 가서 이와같이 하라 하시니라'(복음)
베다 성인께서는 이 희생자는 사탄으로부터 약탈을 당한 아담과 그 인간 족속이라도 시사한다. 우리의 구세주이신 예수께서는 우리의 '상처'에 '술과 기름'을 부어주기 위해서 오신다. 이는 '생명'을 주는 당신 성혈의 술(영성체후축문)이며, 당신의 모든 성사에서 나오는 '윤택케 하는...기름'(영성체경)인 것이다. 천주 생명의 '예루살렘'을 우리가 달리 어떻게 비틀거림에 지쳐 얼이 빠져 넘어지지 않고서, 사해로 예리고로 달려서 다닐수가 과연 있을 것인가? '우리는 우리 자신의 능력으로 무엇을 할 수 있는 것이 아니라... 우리의 능력이 천주께로 조차 옴이니라' 예수가 안계셨던들 십계명은 '돌 위에 새긴 죽은 글자'(서간경)에 지나지 않을 것이다. 그리스도가 우리를 위해서 한 것을 우리는 다른 사람들에게 즉 유대아인과 이교도와 원수에게 '한가지로' 할 것이다. '사마리아인의 자비' 이는 그리스도 자신의 가르침이다.

在慈善的撒玛利亚人之比喻中,基督启示祂爱德的法令,即那真实与普遍的基督化爱德:不分党派,不分地域,而用以救助在急难中一切之人的。基督本身不仅指示了这个爱德,并且以救援堕落的人类,而实行了它。祂自己以完成救赎我们的工程,作了我们真正的慈善的撒玛利亚人。基督医治了我们的各种罪恶(圣洗),把我们收纳于祂的教会之中,并以圣体圣事不断的援助我们:因在这圣事中,祂把自己圣祭的恩果传给我们,使我们能继续走趋向天主的路程。附注奉献咏:梅瑟象征基督。我们的大司祭便是基督;祂是我们万能的转达者:凭藉祂的祈求,我们获得了天主仁慈的宽宥。书信:在旧约中,梅瑟的法律只增多了规条,而不给人遵守这规条的能力;至于在新约中,圣神启发我们明了基督的法令,同时又赐给我们遵守这法令的勇力。圣保禄运用这些言语,无非欲反对他的敌手,证明梅瑟的职权从此已被废弃,已由宗徒所继承的基督的司祭权取而代之了。

DOMENICA XII DOPO PENTECOSTE: Tutto il bene che noi facciamo viene da Dio, perché senza di lui non possiamo far nulla: è questo l'odierno insegnamento della Chiesa Romana. Pertanto la Madre Chiesa prega notte e giorno perché Dio ci assista sempre nella nostra vita per ogni nostro bisogno spirituale e temporale e soprattutto per fortificarsi nella osservanza dei comandamenti di Dio, compendiati nel comandamento della carità simboleggiato dalla pericope evangelica del buon Samaritano.

Dominica Duodecima post Pentecosten 聖霊降臨後第十二の主日 降临后第十二主日 성신 강림 후 제 십이 주일 12ème Dimanche après la Pentecôte DOMENICA XII DOPO PENTECOSTE
II Classis 二級祝日 复式【绿】  (2급) 초록색 2ème Classe  
Ant. ad Introitum. Ps. 69, 2-3. 入祭文 詩篇69ノ2-3 进台咏(咏69:2-3) 초입경(성영69.2,3) Introït INTROITUS Ps 69:2-3.
Deus, in adiutórium meum inténde : Dómine, ad adiuvándum me festína : confundántur et revereántur inimíci mei, qui quærunt ánimam meam. 天主よ、私の助けに来たり給え、主よ、私を助けに急ぎ給え、私の霊魂を狙う敵らは、うろたえ、はずかしめられんことを。 天主啊!求祢急来救我。上主啊!求祢急速助我。愿我的敌人,即是那些寻找我性命的,惭愧蒙羞。 천주여 나를 돌아보사 보우하시며 주여 빨리 임하사 나를 도와 주소서. 내 영혼을 해하기로 꾀하는 내 원수들은 부끄러움과 망신을 당할지어다.  O Dieu, venez à mon aide ; Seigneur, hâtez-vous de me secourir : que mes ennemis, ceux qui cherchent à m’ôter la vie, soient confondus et couverts de honte. O Dio, vieni in mio aiuto: o Signore, affrettati ad aiutarmi: siano confusi e svergognati i miei nemici, che attentano alla mia vita.
Ps. ibid., 4. 詩篇 69ノ4 咏69:4 (성영69.4)  Ps 69:4. Ps 69:4.
Avertántur retrórsum et erubéscant : qui cógitant mihi mala. 私に対して悪をたくらむ者は、後ろに戻り赤面せんことを。 愿那些图谋加害于我的,退后受辱。 내게 악을 마련하는 자들은 물러가 치욕을 당할지어다.  Qu’ils soient contraints de retourner en arrière et réduits à rougir, ceux qui méditent de me faire du mal. Vadano delusi e scornati coloro che tramano contro di me.
V/.Glória Patri. V/. 願わくは聖父と・・・(栄誦)。 光荣归于父……。 영광이 부와 자와 ... Gloria Gloria
Deus, in adiutórium meum inténde : Dómine, ad adiuvándum me festína : confundántur et revereántur inimíci mei, qui quærunt ánimam meam. 天主よ、私の助けに来たり給え、主よ、私を助けに急ぎ給え、私の霊魂を狙う敵らは、うろたえ、はずかしめられんことを。 天主啊!求祢急来救我。上主啊!求祢急速助我。愿我的敌人,即是那些寻找我性命的,惭愧蒙羞。 천주여 나를 돌아보사 보우하시며 주여 빨리 임하사 나를 도와 주소서. 내 영혼을 해하기로 꾀하는 내 원수들은 부끄러움과 망신을 당할지어다. O Dieu, venez à mon aide ; Seigneur, hâtez-vous de me secourir : que mes ennemis, ceux qui cherchent à m’ôter la vie, soient confondus et couverts de honte. O Dio, vieni in mio aiuto: o Signore, affrettati ad aiutarmi: siano confusi e svergognati i miei nemici, che attentano alla mia vita.
Oratio. 集祷文 集祷经 축문 Collecte ORATIO
Omnípotens et miséricors Deus, de cuius múnere venit, ut tibi a fidélibus tuis digne et laudabíliter serviátur : tríbue, quǽsumus, nobis ; ut ad promissiónes tuas sine offensióne currámus. Per Dóminum nostrum. 全能のあわれみ深き天主よ、その賜物より由来して、奉仕が御身の信徒らにより相応しく賞賛すべく御身に捧げられるなり。願わくは、われらが障害なく御身の約束[し給う善]へと走るよう我らに[聖寵を]与え給え。天主として(…)。 全能至慈的天主,祢的信众藉着祢的恩宠,才能适当地、嘉美地事奉祢;求祢恩赐我们能顺利无阻地奔向祢所许的洪锡。因我们主……。 전능하시고 인자하신 천주여, 네 신자들이 너를 진실하고 합당하게 섬기는 것도 네 은혜오니 빌컨대 우리로 하여금 조당이 없이 네 허락하신바를 채우게 하시되, 네 아들 우리 주 예수 그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과 ... Dieu tout-puissant et miséricordieux, de la grâce de qui vient que vos fidèles vous servent comme il convient et d’une façon digne de louange ; accordez-nous, selon notre prière, de courir sans broncher dans la voie qui conduit aux biens que vous avez promis. Par notre Seigneur. Preghiamo. Onnipotente e misericordioso Iddio, poiché dalla tua grazia proviene che i tuoi fedeli Ti servano degnamente e lodevolmente, concedici, Te ne preghiamo, di correre, senza ostacoli, verso i beni da Te promessi.Per il nostro Signore Gesù Cristo, tuo Figlio, che è Dio, e vive e regna con te, in unità con lo Spirito Santo, per tutti i secoli dei secoli. Amen.
Léctio Epístolæ beáti Pauli Apóstoli ad Corinthios. 使徒聖パウロのコリント人への書簡の朗読。 书信 서간경 Lecture de l’Epître de saint Paul, Apôtre, aux Corinthiens. Léctio Epístolæ beáti Pauli Apóstoli ad Corinthios.
2. Cor. 3, 4-9. コリント後書 3ノ4-9 (格后3:4-9) (고린토후서3.4-9) 2 Cor 3:4-9. 2 Cor 3:4-9.
Fratres : Fidúciam talem habémus per Christum ad Deum : non quod sufficiéntes simus cogitáre áliquid a nobis, quasi ex nobis : sed sufficiéntia nostra ex Deo est : qui et idóneos nos fecit minístros novi testaménti : non líttera, sed spíritu : líttera enim occídit, spíritus autem vivíficat. Quod si ministrátio mortis, lítteris deformáta in lapídibus, fuit in glória ; ita ut non possent inténdere fili Israël in fáciem Moysi, propter glóriam vultus eius, quæ evacuátur : quómodo non magis ministrátio Spíritus erit in glória ? Nam si ministrátio damnátionis glória est multo magis abúndat ministérium iustítiæ in glória. 兄弟たちよ、これは、キリストによって、私たちが天主のみ前に抱いている確信である。自分自身から出たもののように、何事かを自分に帰する資格を、私たちはもっていない。いや、私たちに資格を与えたのは天主である。天主は私たちに、新しい契約の奉仕者となる資格をお与えになった。この契約は文字ではなく、霊のものである。文字は殺し、霊は生かすものだからである。石に刻まれた死の奉仕も光栄となった。それは空しいものではあったが、イスラエルの子らは、モイゼの顔の光栄をさえ見つめられなかった。それなら、まして霊の奉仕はどれほどの光栄であろうか。罪を定める奉仕が光栄なら、まして義の奉仕は光栄にあふれるばかりであろう。 弟兄们:在天主台前,藉着基督,我们确信:仅赖我们自己,我们绝对不能设想任何事,好像是从我们自己来的;我们所有的能力,都是从天主来的。祂使我们配作新约的工作者,不是依照文字,而是依照精神;因为文字致人于死,精神使人生活。死亡的约是用文字刻在石版上的;如果行使这约的职务已经有如此大的荣耀,以致伊撒尔人由于梅瑟面上发出的暂时的光辉,不能注视他的面;行使精神的职务,岂不要有更大的荣耀吗?判罪的职务已经有了荣耀,使人成义的职务岂不更要充满荣耀吗? 형제들아 우리가 그리스도를 인하여 천주께 이렇게 의탁하되 이는 우리가 혼자 즉 우리 능력으로 무엇을 생각할 수 있는 것이 아니니, 우리 능력이 천주께로 조차 오는 것이니라. 저는 또한 우리를 신약의 상당한 일군이 되게 하셨으되 문자로 하지 않으시고 오직 신력으로 하셨으니 대저 문자는 죽이나 신력은 생활케 하느니라. 이스라엘 자손들이 모세의 얼굴의 잠시의 영광때문에 그 얼굴을 똑똑히 보지 못할만큼 글자를 돌에 새긴 죽음의 봉사도 영광스럽거던 하물며 신력의 봉사는 더욱 영광스럽지 않으리요. 선고(죄)의 봉사가 영광스러우면 의덕의 봉사는 더욱 영광스럽도다. Mes Frères, la confiance qui nous possède, c’est par Jésus-Christ que nous l’avons devant Dieu : non que nous soyons capables d’avoir une pensée par nous-mêmes comme de nous-mêmes, mais c’est Dieu qui nous en rend capables. C’est lui qui nous a rendus aptes à être les ministres de la nouvelle alliance selon l’Esprit et non la lettre ; car la lettre tue, mais l’Esprit vivifie. Que si le ministère de mort gravé en lettres sur la pierre a été accompagné d’une telle gloire que les fils d’Israël ne pouvaient regarder le visage de Moïse à cause de la gloire dont il rayonnait, laquelle néanmoins devait passer : combien le ministère de l’Esprit ne devra-t-il pas être plus glorieux ? Car si le ministère de la condamnation est entouré de gloire, le ministère qui justifie en aura bien davantage. Fratelli: Una tale fiducia verso Dio noi l’abbiamo in virtù di Cristo. Non che da noi stessi siamo atti a concepire alcunché, come se derivasse da noi stessi: ma la nostra attitudine viene da Dio, il quale ci ha resi idonei ad essere ministri della nuova alleanza: non mediante la lettera, ma mediante lo spirito: poiché la lettera uccide, lo spirito vivifica. Per il che, se il ministero di morte, scolpito in lettere su pietra, fu tanto circondato di gloria che i figli di Israele non potevano fissare i loro occhi in Mosè per lo splendore del suo volto, sebbene transitorio, con quanta maggiore ragione il ministero dello Spirito non sarà sorgente di gloria? Poiché se è glorioso il ministero della condanna, molto più lo è il ministero della giustizia.
Graduale. Ps. 33, 2-3. 昇階誦 詩篇 33ノ2-3 台阶咏(咏33:2-3) 층계경(성영33.2,3) Graduel GRADUALE Ps 33:2-3.
Benedícam Dóminum in omni témpore : semper laus eius in ore meo. 私は主を全ての時において祝し奉ろう、常に主の賛美が私の口に[あるように]。 我要时常颂扬上主,愿我的口常有赞颂祂的言词。 나 항상 주를 찬송하리니 저의 찬미는 영원히 내 입에 있으리로다.  Je bénirai le Seigneur en tout temps ; sa louange sera toujours dans ma bouche. Benedirò il Signore in ogni tempo: la sua lode sarà sempre sulle mie labbra.
V/. In Dómino laudábitur ánima mea : áudiant mansuéti, et læténtur. V/. 私の霊魂は、主において褒められるだろう。柔和な者たちは聞いて喜ばんことを。 我的灵魂必因上主矜夸;温顺人听见,顿感欢愉。 내 영혼이 주 안에 찬양하나니 겸손한 자들은 듣고 기뻐할지어다. Mon âme mettra sa gloire dans le Seigneur ; que les doux m’entendent, et qu’ils se réjouissent. V. La mia anima sarà esaltata nel Signore: lo ascoltino i mansueti e siano rallegrati.
Allelúia, allelúia. V/.Ps. 87, 2. アレルヤ、アレルヤ。V/. 詩篇87ノ2 阿肋路亚。阿肋路亚!(咏87:2) 알렐루야 알렐루야.(성영87.2)  Allelúia, allelúia. V/.Ps. 87, 2. Alleluia, alleluia Ps 87:2
Dómine, Deus salútis meæ, in die clamávi et nocte coram te. Allelúia. 主よ、わが救いの天主よ、昼も夜も、主の御前で私は叫んだ、アレルヤ。 上主、拯救我的天主啊!我昼夜在祢面前呼吁。阿肋路亚。 주 내 구원의 천주여 나 밤낮 네 대전에 부르짖었나이다. 알렐루야. Seigneur Dieu de mon salut, j’ai crié vers vous durant le jour et la nuit. Alléluia. O Signore Iddio, mia salvezza: ho gridato a Te giorno e notte. Alleluia.
+ Sequéntia sancti Evangélii secúndum Lucam. ルカによる聖福音の続誦。 福音 복음 Lecture du Saint Evangile selon saint Luc. EVANGELIUM
Luc. 10, 23-37. ルカ10ノ23-37 (路10:23-37) (성루까10.23-37) Luc 10:23-37 Luc 10:23-37
In illo témpore : Dixit Iesus discípulis suis : Beáti óculi, qui vident quæ vos videtis. Dico enim vobis, quod multi prophétæ et reges voluérunt vidére quæ vos videtis, et non vidérunt : et audire quæ audítis, et non audiérunt. Et ecce, quidam legisperítus surréxit, tentans illum, et dicens : Magister, quid faciéndo vitam ætérnam possidébo ? At ille dixit ad eum : In lege quid scriptum est ? quómodo legis ? Ille respóndens, dixit : Díliges Dóminum, Deum tuum, ex toto corde tuo, et ex tota ánima tua, et ex ómnibus víribus tuis ; et ex omni mente tua : et próximum tuum sicut teípsum. Dixítque illi : Recte respondísti : hoc fac, et vives. Ille autem volens iustificáre seípsum, dixit ad Iesum : Et quis est meus próximus ? Suscípiens autem Iesus, dixit : Homo quidam descendébat ab Ierúsalem in Iéricho, et íncidit in latrónes, qui étiam despoliavérunt eum : et plagis impósitis abiérunt, semivívo relícto. Accidit autem, ut sacerdos quidam descénderet eádem via : et viso illo præterívit. Simíliter et levíta, cum esset secus locum et vidéret eum, pertránsiit. Samaritánus autem quidam iter fáciens, venit secus eum : et videns eum, misericórdia motus est. Et apprópians, alligávit vulnera eius, infúndens óleum et vinum : et impónens illum in iuméntum suum, duxit in stábulum, et curam eius egit. Et áltera die prótulit duos denários et dedit stabulário, et ait : Curam illíus habe : et quodcúmque supererogáveris, ego cum redíero, reddam tibi. Quis horum trium vidétur tibi próximus fuísse illi, qui íncidit in latrónes ? At lle dixit : Qui fecit misericórdiam in illum. Et ait illi Iesus : Vade, et tu fac simíliter. そのとき、イエズスは、弟子たちの方をふりむき、「あなたたちが見たことを見る目は、しあわせである。私はいう。数多くの預言者や王が、あなたたちの見ていることを見たいと望んだが見られず、あなたたちの聞いていることを聞こうと望んで聞けなかった」と、特におおせられた。すると、ある律法学士が立ち上がり、イエズスをこまらせようとして、「先生、永遠の生命をえるために、私はどうすればよいのですか?」とたずねた。イエズスが、「律法になんとかいてあるか。そこでなにを読んでいるのか?」とおたずねになると、「あなたは、すべての心、すべての霊、すべての力、すべての知恵をあげて、主なる天主を愛せよ。また隣人を自分と同じように愛せよ」とかれは答えた。そこでイエズスは、「よく答えた。そうおこなえ。そうすれば生きるだろう!」とおおせられた。ところがかれは、自ら弁明しようとして、「私の隣人とはだれのことですか?」とたずねたので、イエズスはおおせられた。「イエルザレムからイエリコにくだろうとするある人が、強盗にであった。強盗は、その人の服をはぎ、傷つけ、半死半生にしておいて、去っていった。たまたま、一人の司祭がこの道をくだってきたが、それを見ながら道の反対側を通ってすぎ去ってしまった。またレヴィ人も通りかかったが、それを見てもおなじように道の反対側を通ってすぎ去ってしまった。ところが、旅の途中でそこを通りかかった一人のサマリア人が、それを見てあわれに思い、そばによって油とぶどう酒とを傷口にそそぎ、包帯して、自分のろばにのせ、宿につれて行って介抱した。その翌日、宿の主人に二デナリオをわたして、"この人を看病してください。費用がかさんだら、私が帰るとき払いますから"といった。あなたの考えでは、この三人のうち、強盗にあったその人にとって隣人は誰だと思うか?」とお問いになると、「その人をあわれんだ人です」と答えたので、イエズスは、「あなたもそういうふうにせよ」とおおせられた。 那时候,耶稣向祂的门徒们说:“见到你们所见的那双眼是有福的。我告诉你们吧:许多先知和君王,曾想看你们所看见的,却没有见到;要听你们所听的,却没有听到。”于是有一个法律学士起立,意欲试探耶稣说:“师傅!为得到永生,我当做什么?”耶稣对他说:“法律上写着的是什么?你在法律上读的是什么?”他同答说:“你当全心、全灵、全力、全意,爱你的主、天主。又当爱你的近人,如同爱自己一样。”耶稣说:“你回答得不错,你就这样做,便可得到生命。”可是那人要表示他问得有理,就对耶稣说:“谁是我的近人?”耶稣回答说:“有一个人从耶路撒冷下来,到耶利哥去,落在强盗手中;他们剥去他的衣服,又把他打伤,撇下他半死半活的就走了。正巧有一个司祭从这条路下来,看见了他,迳自走过。又有一个肋未人,走到那边,看见那人,也同样地迳自走过。但有一个旅行的撒马利亚人,走到他近边,一见之下,就恻然心动,走上前去,用油和酒注在他的伤处,包扎好了,把他扶上自己的牲口,送到客店,并照料他。到了次日,拿出两块银钱交给店主说:‘请你照顾他,另外再有什么花费,我回来补还你。’你看这三个人,谁是那落在强盗手中的近人?”他回答说:“是对他行慈善的那个。”耶稣对他说:“去吧!你也照样做!” 유시에 예수 그 제자들에게 이르시되, '너희가 보는 바를 보는 눈은 복되도다. 대게 너희게 이르노니 많은 선지자와 제왕들이 너희가 보는 바를 보기를 원하였으되 보지 못하고 너희가 들은바를 듣고저 하였으되 듣지 못하였느니라' 하시니라. 문득 어떤 교법 학사 하나이 일어나 예수를 시험하여 이르되, '스승이여 나 무엇을 하여써 영생을 얻으리이까.' 예수 가라사대 '교법에 무엇이라 기록하였으며 또 어떻게 읽었느뇨.' 저 대답하여 이르되 '너 온전한 마음과 온전한 영신과 모든힘과 모든 뜻으로 상주 네 천주를 사랑하고 또 네게 가까운 자를 네 몸 같이 사랑하라 하였나이다.' 저에게 이르시되 '너 바로 대답하였으니 이대로 하라 곧 살리라' 하신데 저는 자기를 의인으로 보이기 위하여 예수께 이르되 '누가 내게 가까운 자이오니까.' 예수 대답하여 이르시되 '어떤 사람이 예루살렘에로 조차 예리고로 내려오다가 강도를 맞아 강도가 다 탈취하고 상해하여 반쯤 죽이고 간지라, 마침 어떤 제관 하나이 그 길로 내려오다가 저를 보되 그저 지나가고 또 시종 하나이 이미 그곳에 가까이 와서 저를 보되 또한 그저 지나가고 어떤 사마리아 사람은 그길로 가다가 가까이 와 저를 보고 인자한 마음이 감동하여 가까이 와서 그 상처를 기름과 술로 바르고 싸매어 자기 말에 태워 가지고 숫막에로 데리고 와서 조섭하여 주고 그 이튿날 두 은전을 내어 숫막 주인에게 주며, 이르되 저를 조섭하여 주고 또 무슨 부비가 더 든 것이 있으면 나 돌아올 때에 네게 갚으리라 하였으니 네 생각에는 이 세 사람중에 누가 그 강도를 맞은 자에게 가까운 자되느뇨.' 저 이르되 '저에게 인자를 베푼자니다.' 예수 가라사대 '너도 가서 이와 같이 하라' 하시니라.  En ce temps-là, Jésus dit à ses disciples : Heureux les yeux qui voient ce que vous voyez ! Car je vous déclare que beaucoup de prophètes et de rois ont voulu voir ce que vous voyez et ne l’ont pas vu, entendre ce que vous entendez et ne l’ont pas entendu. Et voilà qu’un docteur de la loi se leva pour le tenter, disant : Maître, que me faut-il faire pour posséder la vie éternelle ? Jésus lui dit : Qu’y a-t-il d’écrit dans la loi ? Comment lisez-vous ? Il répondit : Vous aimerez le Seigneur votre Dieu de tout votre cœur, de toute votre âme, de toutes vos forces et de tout votre esprit ; et votre prochain comme vous-même. Jésus lui dit : Vous avez bien répondu ; faites cela, et vous vivrez. Mais lui, voulant faire paraître qu’il était juste, dit à Jésus : Et qui est mon prochain ? Or Jésus, prenant la parole, dit : Un homme descendait de Jérusalem à Jéricho, et il tomba entre les mains des voleurs qui le dépouillèrent, et s’en allèrent après l’avoir couvert de coups, le laissant à demi mort. Or il arriva qu’un prêtre descendait par le même chemin, et l’ayant vu il passa outre. De même un lévite étant venu près du lieu, et le voyant, passa outre. Mais un Samaritain qui voyageait arriva près de lui, et, le voyant, fut ému de compassion. S’approchant donc, il banda ses blessures, versant dessus de l’huile et du vin ; et l’ayant mis sur son cheval, il le conduisit dans une hôtellerie où il prit soin de lui. Le lendemain il tira deux deniers qu’il donna à l’hôtelier en disant : Ayez soin de lui, et tout ce que vous dépenserez de plus, je vous le rendrai à mon retour. Lequel de ces trois vous parait avoir été le prochain de celui qui est tombé entre les mains des voleurs ? Le docteur répondit : Celui qui a exercé la miséricorde envers lui. Allez donc, lui dit Jésus, et faites de même. In quel tempo: Disse Gesù ai suoi discepoli: Beati gli occhi che vedono quello che voi vedete. Vi dico, infatti, che molti profeti e re vollero vedere le cose che vedete voi e non le videro, e udire le cose che udite voi e non le udirono. Ed ecco che un dottore della legge si alzò per tentare il Signore, e disse: Maestro, che debbo fare per ottenere la vita eterna? Gesù rispose: Che cosa è scritto nella legge? che cosa vi leggi? E quello: Amerai il Signore Dio tuo con tutto il tuo cuore, con tutta la tua anima, con tutte le tue forze, con tutta la tua mente: e il prossimo tuo come te stesso. E Gesù: Hai detto bene: fa questo e vivrai. Ma quegli, volendo giustificarsi, chiese a Gesù: E il prossimo mio chi è? Allora Gesù prese a dire: Un uomo, mentre discendeva da Gerusalemme a Gerico, si imbatté nei ladroni, che lo spogliarono e, feritolo, se ne andarono lasciandolo semivivo. Avvenne allora che un sacerdote discendesse per la stessa via: visto quell’uomo passò oltre. Similmente un levita, passato vicino e avendolo visto, si allontanò. Ma un samaritano, che era in viaggio, arrivò vicino a lui e, vistolo, ne ebbe compassione. Accostatosi, fasciò le ferite versandovi l’olio e il vino e, postolo sulla propria cavalcatura, lo condusse in un albergo e si prese cura di lui. Il giorno seguente, tratti fuori due denari, li dette all’albergatore, dicendo: Abbi cura di questi, e quanto spenderai in più te lo rimborserò al mio ritorno. Chi di quei tre ti sembra che sia stato prossimo dell’uomo caduto nelle mani dei ladroni? Il dottore rispose: Colui che ebbe compassione. E Gesù gli disse: Vai e fai lo stesso anche tu.
Credo 信経 信经 신경 외움 Credo Credo
Ant. ad Offertorium. Exodi 32, 11, 13 et 14. 奉献文 出エジプト32ノ11,13,14 奉献咏(出32:11,13,14) 제헌경(모세2권23.11,13,14) Offertoire OFFERTORIUM Exod 32:11 32:13; 32:14
Precátus est Moyses in conspéctu Dómini, Dei sui, et dixit : Quare, Dómine, irascéris in pópulo tuo ? Parce iræ ánimæ tuæ : meménto Abraham, Isaac et Iacob, quibus iurásti dare terram fluéntem lac et mel. Et placátus factus est Dóminus de malignitáte, quam dixit fácere pópulo suo. モイゼは、自分の天主なる主の御前で祈って言った。なにゆえ、主よ、御民において怒り給うのか?御身の怒りを緩め給え。乳と蜜の流れる土地を与えようと御身が誓い給うたアブラハム、イザアク、ヤコブを思い出し給え。すると、主は御心を和らげ給い、御民にすると言った罰を下し給わなかった。 梅瑟在上主、他的天主面前恳求说:“上主!祢为什么要向祢的百姓发烈怒呢?求祢息怒,请祢记念祢的仆人亚巴郎、依撒格和雅各伯!祢曾起誓许过:祢要把流奶与蜜的土地赐给他们。”于是上主挽回了向民众所想要加的灾祸。 모세 제 천주이신 주 대전에서 기구하여 가로되 주여 어찌하여 네 백성에게 분노하시나이까. 네 마음의 노를 거두사 아바람과 이사악과 야곱을 기억하소서. 너 저들에게 젖과 꿀이 흐르는 나라를 주시기로 맹서하셨나이다 하매 주 노를 풀으사 백성을 위협하신 환난을 거두시니라. Moïse pria en présence du Seigneur, son Dieu, et il dit : Pourquoi Seigneur, vous irriter contre votre peuple ? Laissez fléchir votre colère ; souvenez-vous d’Abraham, d’Isaac et de Jacob à qui vous avez juré de donner une terre où coulent le lait et le miel. Et le Seigneur apaisé ne fit point à son peuple le mal dont il avait parlé. Mosè pregò in presenza del Signore Dio suo, e disse: Perché, o Signore, sei adirato col tuo popolo? Calma la tua ira, ricordati di Abramo, Isacco e Giacobbe, ai quali hai giurato di dare la terra ove scorre latte e miele. E, placato, il Signore si astenne dai castighi che aveva minacciato al popolo suo
Secreta. 密誦 密祷经 묵념축문 Secrète SECRETA
Hóstias, quǽsumus, Dómine, propítius inténde, quas sacris altáribus exhibémus : ut, nobis indulgéntiam largiéndo, tuo nómini dent honórem. Per Dóminum. 主よ、願わくは、われらが聖なる祭壇に捧げるいけにえを、御慈悲をもって見給え。そは[このいけにえが]われらに赦しを与えつつ、御名に名誉を与えんためなり。天主として、(…)。 主,求祢垂视我们所供在圣坛上的祭品,使这祭品为我们求得祢的宽宥,并荣显祢的圣名。因我们主……。 주여 비오니 우리가 거룩한 네 제대 위에 드린 제물을 인자하게 굽어보시고, 그로써 우리에게 사죄지은을 베푸사, 네 이름을 공경케 하시되, 네 아들 우리 주 예수 그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과 ... Regardez favorablement, nous vous en prions, Seigneur, l’offrande que nous vous présentons sur les sacrés autels ; qu’en nous obtenant l’indulgence, elle rende honneur à votre Nom. O Signore, Te ne preghiamo, guarda propizio alle oblazioni che Ti presentiamo sul sacro altare, affinché a noi ottengano il tuo perdono, e al tuo nome diano gloria. Per il nostro Signore Gesù Cristo, tuo Figlio, che è Dio, e vive e regna con te, in unità con lo Spirito Santo, per tutti i secoli dei secoli. Amen.
Præfatio de sanctissima Trinitate ; 三位一体の序誦 天主圣三的颂谢引 성삼감사경 Préface de la Sainte Trinité .
Vere dignum et iustum est, æquum et salutáre, nos tibi semper et ubíque grátias ágere : Dómine, sancte Pater, omnípotens ætérne Deus : Qui cum Unigénito Fílio tuo et Spíritu Sancto unus es Deus, unus es Dóminus : non in uníus singularitáte persónæ, sed in uníus Trinitáte substántiæ. Quod enim de tua glória, revelánte te, crédimus, hoc de Fílio tuo, hoc de Spíritu Sancto, sine discretióne sentímus. Ut, in confessióne veræ sempiternǽque Deitátis, et in persónis propríetas, et in esséntia únitas, et in maiestáte adorétur æquálitas. Quam laudant Angeli atque Archángeli, Chérubim quoque ac Séraphim, qui non cessant clamáre cotídie, una voce dicéntes : Sanctus… 主よ、聖なる父よ、全能永遠の天主よ、われらが御身に、いつもどこにても感謝を捧げるのは、実にふさわしく正しいこと、義務と救いである。御身は、御独り子と聖霊と共に、唯一の天主、唯一の主にて在す。すなわち、御身は、一の位格の単一にて在すのではなく、唯一の実体(substantia)の三位にて在す。御身の御光栄について、御身が啓示するがゆえに、われらが信じ奉ることを、聖子について、聖霊について、差別なく、われらは信じ奉る。真の永遠の天主の本性を告白するにおいて、位格における固有性が礼拝され、本質(essentia)における唯一性と、御稜威における等しさも礼拝されるためである。これを、天使らと大天使らは、智天使も熾天使も、讃美し、絶え間なく声を上げ、日々声をあわせてこう言う。聖なるかな、… 主,圣父,全能永生的天主!我们时时处处颂谢祢,实是正义而必须的,属于我们天职的,也属我们得救的。祢与祢的独子及圣神、只是一个天主,只是一个主;不是因为位是单独一个,却是因为三位同具一个性体。的确,我们所怎样依照祢的启示,相信祢享的光荣,我们无区别地也同样确认祢的圣子,也同样确认圣神共享这个光荣。因此,我们在明认圣三真实而永在的天主性上,同时论位、我们敬拜圣三的各一,论体、我们敬拜圣三的无二,论尊荣、我们敬拜圣三的均等。这圣三的尊荣、是天神们和总领天神们、普知天神们和炽爱天神们、所虔诚歌颂的;他们日复一日,永不停止同声高呼说:圣、圣、圣……。 주여, 성부여, 전능하시고 영원하신 천주여, 우리가 어디서나 항상 주께 감사하는 것이 참으로 당연하고 옳으며, 지당하고 구령에 유익하나이다. 주는 외아들과 성신과 더불어 오직 한분의 천주시요, 오직 한분의 주이시되, 한 위가 아니시고, 한 체로서 세 위시니이다. 주의 계시로 우리가 주의 영광에 대하여 믿는 바를, 성자와 성신에 대하여서도 조금도 다름이 없이 믿나이다. 그리하여 우리는 참되시고 영원하신 천주성을 찬미함에 있어, 위로서는 각 품이시요, 체로서는 하나이시요, 지존하시기는 같으심을 찬송하나이다. 천신들과 대천신들 및 케루빔과 세라핌이 이를 찬양하며, 날마다 간단없이 제창하나이다. 거룩하시다, 거룩하시다, 만군의 천주이신 주는 거룩하시나이다. 하늘과 땅에 주의 영광이 가득하나이다. 천상에 좌정하신이여 호산나, 주의 이름으로 오시는 이는 찬미받아지이다. 천상에 좌정하신이여 호산나. . .
Ant. ad Communionem. Ps. 103, 13 et 14-15. 聖体拝領誦 詩篇103ノ13,14-15 领主咏(咏103:13,14-15) 영성체경(성영103.13-15) Communion COMMUNIO Ps 103:13; 103:14-15 
De fructu óperum tuórum, Dómine, satiábitur terra : ut edúcas panem de terra, et vinum lætíficet cor hóminis : ut exhílaret fáciem in oleo, et panis cor hóminis confírmet. 主よ、地は御業の実りで満たされるだろう。御身は地からパンを出し、ぶどう酒は人の心を喜ばせるために。油において顔を喜ばせ、パンは人の心を強めるために。 主啊!大地广被祢造物的功效。祢使人从地中取得食物,又得酒能悦人心,得油能润人面,得粮能养人力。 주여 네 행적의 결과로 땅이 배부르리로다. 이에 너 땅에 면병을 내리시니 포도주는 사람의 마음을 즐겁게 하고, 기름은 그 얼굴을 윤택케 하고, 면병은 사람의 마음을 견고케 하리이다.  La terre, Seigneur, sera rassasiée du fruit de vos ouvrages ; vous tirez le pain de la terre, et le vin réjouit le cœur de l’homme ; l’huile répand sur son front l’allégresse, et le pain affermit son cœur. Mediante la tua potenza, impingua, o Signore, la terra, affinché produca il pane, e il vino che rallegra il cuore dell’uomo: cosí che abbia olio con che ungersi la faccia e pane che sostenti il suo vigore.
Postcommunio. 聖体拝領後の祈 领后经 영성체후축문 Postcommunion POSTCOMMUNIO
Vivíficet nos, quǽsumus, Dómine, huius participátio sancta mystérii : et páriter nobis expiatiónem tríbuat et múnimen. Per Dóminum nostrum. 主よ、願わくは、この聖なる奥義への参与がわれらを生かし、同じくわれらに赦しと保護とを与えんことを。天主として、(…)。 主,祈望我们所领的圣体圣事,赐予我们神生,而且洗去我们的罪恶,并作我们的保卫。因我们主......。 주여 비오니 우리로 하여금 이 비사에 거룩히 참여함을 인하여 생활케 하시고, 죄의 사함을 얻게 하시며, 또한 보호를 받게하시되, 네 아들 우리 주 예수 그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과 .... Faites, nous vous en supplions, Seigneur , que cette participation aux saints Mystères nous vivifie, et qu’elle soit pour nous en même temps purification et défense. Preghiamo. O Signore, Te ne preghiamo, fa che la santa partecipazione di questo mistero ci vivifichi, e al tempo stesso ci perdoni e protegga.Per il nostro Signore Gesù Cristo, tuo Figlio, che è Dio, e vive e regna con te, in unità con lo Spirito Santo, per tutti i secoli dei secoli. Amen.

 


2020年8月16日は、聖霊降臨後第十一主日(二級祝日 典礼色:緑)です。聖伝のミサのラテン語と日本語・中文・韓国語の対訳のテキストをご紹介いたします

2020年08月11日 | ミサ聖祭

聖霊降臨後第十一の主日(二級祝日 典礼色:緑)
【ミサ聖祭】<入祭文>は、天主の唯一なる教会の偉大さを歌う。天主が唯一にて在すように、天主の民も一つであり、教会も一つである。神秘的なこの事実の原因は、キリストの神秘、すなわち、聖パウロが明らかに語っているその奥義である<書簡>。

每个主日便是一周的复活节,它唤醒我们追忆复活了基督的胜利(书信),及我们由圣洗中所得精神的复活。过去基督怎样开了聋哑者的耳及解了他的舌,同样祂藉着我们对祂的信仰,脱去我们罪恶的桎梏(福音)。祂又凭藉圣体圣事,欲继续祂圣宠的活动于我们心中。为这个缘故,一般的基督民众在每个主日,该会集包围自己的元首,即复活的基督,以便向祂呼吁(进台咏)。我们应结合于祂的圣祭之中,为沾得宽宥及勇敢的恩宠(密祷经)。在领圣体时,我们的神灵魂获沾各种所需要的恩惠,为引导它获享天上的永生;至于我们的肉身,也得将来光荣复活的保证(领后经)。

『귀먹고 벙어리된 자 하나를 주께 데려오고…곧 그의 귀가 열리고…그 혀의 맺힌 것이 풀려 분명히 말하는지라』(복음) 네 귀는 천주의 말씀을 듣게 하라.(왼편에 무릎을 꿇은 모습이 이를 상징함) 네 혀는 천주의 복음을 전파케 하라. (바른편『강론자』의 모습으로 상징됨) 곧 너의 본당 활동이라는『성소』에서, 너의 가정이라는『집』에서, 또 너의 친지인『민중』가운데서, 주의 복음을 전파할 것이다.(초입경) 『귀먹고 벙어리』된 자를 치료하기 전에 예수께서는 그를 따로 떼어 놓으셨다. 만일 우리가 천주의 말씀을『듣고자』한다면『무리들로부터 떠나』적어도 계속해서 한 시간 동안은, 주일 미사에 참예하여야 한다. 그렇게 함으로써만 그 완치된 농아처럼 우리는 돌아와 기꺼이 진리를『전파』할 것이다.(복음) 성 바오로께서는 어떻게 그가 복음을 받으셨으며, 어떻게 그 복음을 다른 사람들에게 전하셨는지를 말씀해 주신다.『내가 너희에게 전한대로 이를 지키라』(서간경) 

Dominica Undecima post Pentecosten 聖霊降臨後第十一の主日 降临后第十一主日 성신 강림 후 제11주일 
II Classis 二級祝日 复式【绿】  (2급) 초록색
Ant. ad Introitum. Ps. 67, 6-7 et 36. 入祭文 詩篇 67ノ 6-7, 36 进台咏(咏67:6-7, 36) 초입경(성영 67 6-7, 36)
Deus in loco sancto suo : Deus qui inhabitáre facit unánimes in domo : ipse dabit virtútem et fortitúdinem plebi suæ. 天主は、その聖なる場所に[ましまし給う]。天主は家に[人々の]心を一つにして住まわせ給う方。主は御民に力と剛毅とを与え給うだろう。 天主住在祂的圣所;天主使灰心的人有家可归,祂予百姓以伟大力量。 당신 성소에 거하시는 천주시오, 합심하는 자를 한집에 거하게 하시는 천주시니 저는 당신 백성에게 능력과 용맹을 주시리로다.
Ps. ibid., 2. 詩篇67ノ2 咏67:2 (성영 76․2) 
Exsúrgat Deus, et dissipéntur inimíci eius : et fúgiant, qui odérunt eum, a fácie eius. 天主は起ち給い、その敵らは散らさんことを、主を憎む者は御顔より逃れ去らんことを。 愿天主兴起,使祂的仇敌沦灭;使恼恨祂的,都由祂面前逃遁。 천주 일어나사 당신 원수들을 흩으시고 당신을 미워하는자들을 그 면전에서 피하게 하실지어다. 
V/.Glória Patri. V/. 願わくは、聖父と・・・(栄誦) 光荣归于父……。 영광이 부와 자와... 
Deus in loco sancto suo : Deus qui inhabitáre facit unánimes in domo : ipse dabit virtútem et fortitúdinem plebi suæ. 天主は、その聖なる場所に[ましまし給う]。天主は家に[人々の]心を一つにして住まわせ給う方。主は御民に力と剛毅とを与え給うだろう。 天主住在祂的圣所;天主使灰心的人有家可归,祂予百姓以伟大力量。 당신 성소에 거하시는 천주시오, 합심하는 자를 한집에 거하게 하시는 천주시니 저는 당신 백성에게 능력과 용맹을 주시리로다.
Oratio. 集祷文 集祷经 축문
Omnípotens sempitérne Deus, qui, abundántia pietátis tuæ, et merita súpplicum excédis et vota : effúnde super nos misericórdiam tuam ; ut dimíttas quæ consciéntia metuit, et adícias quod orátio non præsúmit. Per Dóminum. 全能永遠の天主よ、御身は、御身の優しさのあふれにより、懇願し奉る人々の功徳と望みとを、はるかに超え給う。願わくは、御あわれみをわれらの上に注ぎ給え、そは、良心が畏怖すること[罪]を赦し給い、祈りが敢えて「乞うことさえ」しないこと[聖寵]を与え給わんためになり。天主として、 全能永在的天主,祢丰盈的仁爱,远超恳求祢者的功德和想望之上;求祢在我们身上倾注慈恩,宽赦我们良心上恐惧不安的罪过,并赐下我们所不敢奢望的恩惠。因我们主……。 전능하시고 영원하신 천주여 네 풍성한 애정은 네게 부르짖는 자의 공로와 원의를 초과하는지라, 네 자비를 우리 위에 부어주사 하여금 양심의 두려워하는 바를 관유하시고 또한 감히 구하지 못하는 바를 태워 주시되, 네 아들 우리 주 예수․그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과... 
Léctio Epístolæ beáti Pauli Apóstoli ad Corínthios. 使徒聖パウロのコリント人への書簡の朗読。 书信 서 간 경
1. Cor. 15, 1-10. コリント前書 15ノ1-10 (格前15:1-10) (고린토전서 15․1-10)
Fratres : Notum vobis fácio Evangélium, quod prædicávi vobis, quod et accepístis, in quo et statis, per quod et salvámini : qua ratione prædicáverim vobis, si tenétis, nisi frustra credidístis. Trádidi enim vobis in primis, quod et accépi : quóniam Christus mortuus est pro peccátis nostris secúndum Scriptúras : et quia sepúltus est, et quia resurréxit tértia die secúndum Scriptúras : et quia visus est Cephæ, et post hoc úndecim. Deinde visus est plus quam quingéntis frátribus simul, ex quibus multi manent usque adhuc, quidam autem dormiérunt. Deinde visus est Iacóbo, deinde Apóstolis ómnibus : novíssime autem ómnium tamquam abortívo, visus est et mihi. Ego enim sum mínimus Apostolórum, qui non sum dignus vocári Apóstolus, quóniam persecútus sum Ecclésiam Dei. Grátia autem Dei sum id quod sum, et grátia eius in me vácua non fuit. 兄弟たちよ、先に私があなたたちに告げ、あなたたちが受けてそれにふみ止まった福音を、私はふたたび示そう。あなたたちが空しく信じることなく、私が伝えたままを守るなら、それによって救われる。私が第一にあなたたちに伝えたことは、私自身受けたことである。すなわち、聖書にしるされているとおり、キリストが私たちの罪のために死に、ほうむられ、聖書にしたがって三日目によみがえり、ケファにあらわれ、また十二人にあらわれたことである。そののち五百人以上の兄弟に同時におあらわれになった。その中には、死んだ者もあるが、ほとんどは今なお生きている。次にヤコボにあらわれ、それからすべての使徒に、最後には、月足らずのような私にもおあらわれになった。私は天主の教会を迫害した者であって、使徒と呼ばれる値打ちのない、使徒のうちでもっとも小さい者である。しかし、天主の恩寵によって、私は今の私になった。そして私が受けた恩寵は空しくならなかった。 弟兄们:我使你们记忆我所传给你们的福音;你们接受了,也坚固地信了它。如果你们依照我所传给你们的坚心保守,你们便因它得救了;否则你们徒然地信了它。我曾经把别人告诉我的传给你们,作基本的教训,那就是:基督依照经上所记载的,为我们的罪死亡、埋葬,并依照经上的记载,第三天复活了。伯多禄看见了祂,然后十一位宗徒也看见了祂。有一次五百余弟兄同时看见了祂,其中大多数到现在还在世,有的已经去世长眠。以后雅各伯看见了祂,众位宗徒也看见了祂;最后、在一切人以后,我这个像不足月婴儿一般的人也看见了祂。实际说来,我是最卑小的宗徒,不配称为宗徒,因为我曾经迫害过天主的教会。然而我仰赖天主的恩宠,才得成为今日的我。的确,祂施给我的恩宠,并没有枉费。 형제들아 나 너희게 강론하던 복음을 알게 하노니, 너희도 이것을 받아 이 위에 선지라. 만약 너희가 헛되이 믿지 않고 내가 전한대로 지킬진대 너희도 이로써 구함을 얻으리라. 대저 나 특별히 너희게 전한 것은 나도 받은 바로서 그리스도 성경에 의하여 사흘만에 부활하심과 계파에게 발현하심과 그 후에 또한 열두종도에게 발현하심이니라. 다음에는 오백명 이상의 형제에게 한꺼번에 발현하셨나니 그중에는 아직까지 살아있는 이도 많으나 어떤 이는 이미 죽었도다. 다음에는 모든 종도에게 발현하셨으며 나중에는 달이 차지 않은 자와 같은 내게도 발현하셨도다. 대저 나는 천주의 교회를 핍박하던 자인즉 종도라 부름을 받기에 합당치 못한 종도중에 가장 미소한 자로되 천주의 성총으로써 지금과 같이 되었으니 저의 성총은 내 안에 헛되지 않았도다. 
Graduale. Ps. 27, 7 et 1. 昇階誦 詩篇 27ノ7,1 台阶咏(咏27:7,1) 층계경(성영 27․7,1)
In Deo sperávit cor meum, et adiútus sum : et reflóruit caro mea, et ex voluntáte mea confitébor illi. 私の心は天主に希望した、そして私は助けられた。私の肉は咲き返った、私は心を尽くして主を告白し奉るだろう。 我一心倚恃天主,我得了扶助;我的身恢复青春,我必全心颂扬衪。 내 마음이 천주께 신뢰하여 나 도움을 받았도다. 이에 내 살이 다시 왕성하였으니 나 온전한 마음으로 저를 찬송하리로다. 
V/. Ad te, Dómine, clamávi : Deus meus, ne síleas, ne discédas a me. V/. 主よ、私は御身に叫び奉った。わが天主よ、黙し給うな、私から遠ざかり給うな。 上主、我的天主啊!我向祢呼吁,求祢不要对我缄口不语,求祢莫要远离我。 주여 나 네게 부르짖으리니 내 천주여 묵묵하지 말으시고 나를 떠나지 말으소서. 
Allelúia, allelúia. V/.Ps. 80, 2-3. アレルヤ、アレルヤ。V/.  詩篇 80ノ2,3 阿肋路亚。阿肋路亚!(咏80:2-3) 알렐루야 알렐루야.(성영 80․2,3) 
Exsultáte Deo, adiutóri nostro, iubiláte Deo Iacob : súmite psalmum iucúndum cum cíthara. Allelúia. われらの助け手なる天主を讃え奉れ。ヤコブの天主に歓喜せよ。竪琴をもって喜びの詩を歌え、アレルヤ。 你们当向天主、我们的力量,高声颂扬,向雅各伯的天主欢呼欣乐。你们应当弹着琴奏唱喜乐的歌咏。亚肋路亚。 우리 도움이신 천주를 찬양하고 야곱의 천주께 용약하며 거문고로써 유쾌한 성영을 읊을지어다. 알렐루야. 
+ Sequéntia sancti Evangélii secúndum Marcum. マルコによる聖福音の続誦。 福音 복음
Marc. 7, 31-37. マルコ 7ノ31-37 (谷7:31-37) (성말구 7․31-37)
In illo témpore : Exiens Iesus de fínibus Tyri, venit per Sidónem ad mare Galilǽæ, inter médios fines Decapóleos. Et addúcunt ei surdum et mutum, et deprecabántur eum, ut impónat illi manum. Et apprehéndens eum de turba seórsum, misit dígitos suos in aurículas eius : et éxspuens, tétigit linguam eius : et suspíciens in cælum, ingémuit, et ait illi : Ephphetha, quod est adaperíre. Et statim apértæ sunt aures eius, et solútum est vínculum linguæ eius, et loquebátur recte. Et præcépit illis, ne cui dícerent. Quanto autem eis præcipiébat, tanto magis plus prædicábant : et eo ámplius admirabántur, dicéntes : Bene ómnia fecit : et surdos fecit audíre et mutos loqui. そのとき、イエズスは、ティロの地方を去り、シドンを通り、デカポリ地方の中央をへて、ガリラヤの海辺においでになった。人々がまた、どもりで耳の聞こえない人をつれてきて、按手してくださいと願った。イエズスは、その人ひとりを群衆の中から連れだし、その耳に指を入れ、またつばをつけてその舌にさわり、天をあおいで吐息をつき、その人に「エッフェタ!」とおっしゃると・・・それは開けよという意味である・・・その耳はひらけ、すぐ舌のもつれはとけ、正しく話せるようになった。そこで、イエズスは、だれにもいうなと人々をいましめられたけれど、いましめられればいましめられるほど、なおさらますます言いひろめた。人々は大いに感嘆して、「あの方はすべてをよくなさった。聞えない耳を聞えさせ、唖の口をひらかれた」といった。 那时候,耶稣又走出泰尔境界经过西同,向加黎利海去,一直到达卡波利的中心区。有人带来一个又聋又哑的人,求耶稣给他按手。耶稣领他离开群众,走到一边,将手指放入他耳中,用唾沫抹他的舌头,再仰望着天,叹了一声,对他说:“厄弗达”!就是“开了吧”!他的耳开了,舌结也解了,清楚地说话了。耶稣嘱咐在场的人不要向谁告诉;但越是嘱咐他们,他们越是传扬。他们大为惊奇说:“祂一切都做的好:祂叫聋子听见,叫哑巴说话。”  유시에 예수 다시 디로지경에서 나오사 시돈근처로 말미암아 데가볼니지경사이로 지나사 갈릴레아 바닷가에 이르시매 귀막히고 벙어리된자 하나를 주께 데려오고 손으로 만져 주시기를 간구하거늘 예수 저를 백성중에서 따로 이끌어내시고 당신 손가락을 그 귀에 넣으시며 침을 뱉아 그 혀에 바르시고 하늘을 우러러 탄식하시고 가라사대「에패다」하시니 이는 열리란 말이라, 즉시 그 귀가 열리고 그 혀의 맺힌 것이 풀려 분명히 말하는지라, 예수 저들에게 분부하사 아무에게도 말하지 말라 당부하실수록 더욱 전파하며 더욱 기묘히 여겨 이르되「모든 것을 다 잘하사 귀막힌 자를 듣게 하시고 벙어리를 말하게 하셨다」하더라. 
Credo 信経 信经 *신경* 
Ant. ad Offertorium. Ps. 29, 2-3. 奉献文 詩篇 29ノ2-3 奉献咏(咏29:2-3) 제헌경(성영 29․2,3)
Exaltábo te, Dómine, quóniam suscepísti me, nec delectásti inimícos meos super me : Dómine, clamávi ad te, et sanásti me. 主よ、私は御身をあがめ奉る。何故なら主は私を受け入れ給い、私について私の敵どもを喜ばしめ給わなかった。主よ、私は御身に向かって叫んだ、すると御身は私を癒し給うた。 上主啊!我要称颂祢,因为祢救拔了我,也没有使我的仇敌向我矜夸。上主啊!我曾向祢呼号,祢医治了我。 주여 너 나를 받드사 내 원수들로 하여금 나로하여 즐거워하지 못하게 하셨으니 나 너를 찬송하나이다. 주여 나 네게 부르짖으매 너 나를 낫게 하셨나이다. 
Secreta. 密誦 密祷经 묵념축문
Réspice, Dómine, quǽsumus, nostram propítius servitútem : ut, quod offérimus, sit tibi munus accéptum, et sit nostræ fragilitátis subsidium. Per Dóminum. 主よ、願わくは、憐れみ深く我らの奉仕をみそなわし給え。そは、われらの奉献する物が、御身に嘉せられた贈物となり、かつ、われらの弱さの援助とならんためなり。天主として。 主,求祢垂视我们此刻的服役:使我们所献的,成为合乎祢圣意的礼品,并作我们软弱者的扶助。因我们主……。 주여 비오니 우리의 거룩한 봉사를 인자로이 굽어보사 우리 제물을 네게 흡합한 선물이 되게 하시고, 또한 우리 섬약함에 보호가 되게 하시되, 네 아들 우리 주 예수․그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과... 
Præfatio de sanctissima Trinitate  三位一体と主日との序誦 天主圣三的颂谢引 성삼감사경
Vere dignum et iustum est, æquum et salutáre, nos tibi semper et ubíque grátias ágere : Dómine, sancte Pater, omnípotens ætérne Deus : Qui cum Unigénito Fílio tuo et Spíritu Sancto unus es Deus, unus es Dóminus : non in uníus singularitáte persónæ, sed in uníus Trinitáte substántiæ. Quod enim de tua glória, revelánte te, crédimus, hoc de Fílio tuo, hoc de Spíritu Sancto, sine discretióne sentímus. Ut, in confessióne veræ sempiternǽque Deitátis, et in persónis propríetas, et in esséntia únitas, et in maiestáte adorétur æquálitas. Quam laudant Angeli atque Archángeli, Chérubim quoque ac Séraphim, qui non cessant clamáre cotídie, una voce dicéntes : Sanctus… 主よ、聖なる父よ、全能永遠の天主よ、われらが御身に、いつもどこにても感謝を捧げるのは、実にふさわしく正しいこと、義務と救いである。御身は、御独り子と聖霊と共に、唯一の天主、唯一の主にて在す。すなわち、御身は、一の位格の単一にて在すのではなく、唯一の実体(substantia)の三位にて在す。御身の御光栄について、御身が啓示するがゆえに、われらが信じ奉ることを、聖子について、聖霊について、差別なく、われらは信じ奉る。真の永遠の天主の本性を告白するにおいて、位格における固有性が礼拝され、本質(essentia)における唯一性と、御稜威における等しさも礼拝されるためである。これを、天使らと大天使らは、智天使も熾天使も、讃美し、絶え間なく声を上げ、日々声をあわせてこう言う。聖なるかな、… 主,圣父,全能永生的天主!我们时时处处颂谢祢,实是正义而必须的,属于我们天职的,也属我们得救的。祢与祢的独子及圣神,只是一个天主,只是一个主;不是因为位是单独一个,却是因为三位同具一个性体。的确,我们所怎样依照祢的启示,相信祢享的光荣,我们无区别地也同样确认祢的圣子,也同样确认圣神共享这个光荣。因此,我们在明认圣三真实而永在的天主性上,同时论位,我们敬拜圣三的各一,论体,我们敬拜圣三的无二,论尊荣,我们敬拜圣三的均等。这圣三的尊荣,是天神们和总领天神们,普知天神们和炽爱天神们,所虔诚歌颂的;他们日复一日,永不停止同声高呼说:圣、圣、圣…… 주여, 성부여, 전능하시고 영원하신 천주여, 우리가 어디서나 항상 주께 감사하는 것이 참으로 당연하고 옳으며, 지당하고 구령에 유익하나이다. 주는 외아들과 성신과 더불어 오직 한분의 천주시요, 오직 한분의 주이시되, 한 위가 아니시고, 한 체로서 세 위시니이다. 주의 계시로 우리가 주의 영광에 대하여 믿는 바를, 성자와 성신에 대하여서도 조금도 다름이 없이 믿나이다. 그리하여 우리는 참되시고 영원하신 천주성을 찬미함에 있어, 위로서는 각 품이시요, 체로서는 하나이시요, 지존하시기는 같으심을 찬송하나이다. 천신들과 대천신들 및 케루빔과 세라핌이 이를 찬양하며, 날마다 간단없이 제창하나이다. 거룩하시다, 거룩하시다, 만군의 천주이신 주는 거룩하시나이다. 하늘과 땅에 주의 영광이 가득하나이다. 천상에 좌정하신이여 호산나, 주의 이름으로 오시는 이는 찬미받아지이다. 천상에 좌정하신이여 호산나.
Ant. ad Communionem. Prov. 3, 9-10. 聖体拝領誦 箴言 3,ノ9-10. 领主咏(箴3:9,10) 영성체경(잠언 3․9,10)
Hónora Dóminum de tua substántia, et de prímitus frugum tuárum : et implebúntur hórrea tua saturitáte, et vino torculária redundábunt. おまえの持ち物から、そして、おまえの収穫の初穂から主に名誉を帰せ。そうすれば、倉はおまえの満足するまで満たされ、酒ぶねは、ぶどう酒であふれるであろう。 要以你的货财和一切初熟之物尊崇上主。如此,你的仓库必然充盈,你的酿酒器必要流溢新酒。  네 재산과 네 숫곡식을 가지고 주를 공경할지니 이에 너 창고가 충만할 것이요 네 포도틀에 포도주가 풍성히 흐르리로다. 
Postcommunio. 聖体拝領後の祈 领后经 영성체후 축문
Sentiámus, quǽsumus, Dómine, tui perceptióne sacraménti, subsídium mentis et córporis : ut, in utróque salváti, cæléstis remédii plenitúdine gloriémur. Per Dóminum nostrum. 主よ、願わくは、御身の秘蹟を拝領することにより、われらが心と体の援助を感じんことを。そは、われらが心と体の両者において救われ、天の良薬の充満によって栄光を受けんためなり。天主として、(…)。 主,求祢使我们能以领受祢的圣事,感受身灵的援助;望我们这样神形上获得救援之后,能由此天药的充分效能,感到愉快。因我们主……。

 주여 비오니 우리로 하여금 네 거룩한 성사를 영함을 인하여 영육상에 도우심을 받아 그 구원을 얻어 써 천상신약의 풍성한 능력을 누려 찬양케 하시되, 네 아들 우리 주 예수․그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과... 

 


2020年8月9日は、聖霊降臨後第十主日(二級祝日 緑)です。聖伝のミサのラテン語と日本語・中文・韓国語の対訳のテキストをご紹介いたします

2020年08月06日 | ミサ聖祭

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、2020年8月9日は、聖霊降臨後第十主日(二級祝日 緑)です。

【ミサ聖祭】本日の教えは、主として祈りについてである。<聖福音>では、祈りが聞き入れられるための、われらの取るべき態度を教え、<書簡>では、まことのキリスト教的な祈りとは、聖霊からわき出るものであること、この聖霊がなければ、イエズスの御名を請い願うことさえなしえないこと、などを教える。

在今日的福音中所揭露的骄傲的法利赛人与谦卑的税吏,象征在此世上两个王国彼此斗争的对立。所谓恶,便是骄傲及由魔鬼所鼓舞的虚伪;凡人类不依靠天主而沉溺于不幸之中的,便是由于骄傲的缘故。反之,谦抑是基督徒由圣神所启示的基本态度;我们所有以及我们整个的人,都来自天主,所以该用以显扬祂才行。教友们,我们是天主的子民,正向天堂的道路行进。每主日,我们宛如谦卑的税吏而负有一周内所犯的过恶与懦弱,进入圣堂,为呼吁天主的宽宥及祂圣宠的助佑。至于圣神鉴于我们谦抑的祈祷,必在我们心中涤除骄傲,倾注基督的孝爱,并使我们献身如充满谦抑的仆役,以服事天主及我们的兄弟于教会之中(书信)。

'바리서이는 서서 이렇게 기구하되 '천주여... 나 다른 사람과 같지 아니하오며...' 그러나 구실받는 아전은 ... 제 가슴을 치며 이르되 '천주여' 나 죄인을 불쌍히 여기소서'(복음). 교만은 현대의 저주물이다. 거만하고 독선적인 바리서이들은 천주를 흠숭하는체하면서 사람들의 칭찬을 바라고 있다. 위선자! 그렇다. 그는 어느 정도의 악행을 피하나 교회의 본질, 천주와 이웃에 대한 사랑을 무시한다. 그리고 그는 완전 무결한 천주를 기준으로 해서 자신을 평가하지 않고 불완전한 인간을 기준으로 자신을 평가한다. 겸손은 우리들의 구속 그 자체이다!  구실받는 아전은 성총을 잘못 썼음을 고백하고 용서해 줄 것을 애원하며 보속하려는 의향을 보인다. 그에게는 천주께서 '자비를 배로 더하여'(축문) 주실 것이다. 천주께서 그로부터는  '제대 위에 놓을 ... 제물을 기꺼이 받아 들이실'(영성체경) 것이다. 천주는 모든 '은혜'의 근원이시며, 그 은혜로써 우리와 다른이들을 천주 당신께로 인도하고, '벙어리 우상'에게로 가지 않도록 인도하신다.

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Ant. ad Introitum. Ps. 54, 17, 18, 20 et 23. 入祭文 詩篇54ノ17,18,20,23 进台咏(咏54:17-23) 초입경(성영54.17,18,20,23)
Dum clamárem ad Dóminum, exaudívit vocem meam, ab his, qui appropínquant mihi : et humiliávit eos, qui est ante sǽcula et manet in ætérnum : iacta cogitátum tuum in Dómino, et ipse te enútriet. 私が主に叫んでいた時、主は、私の[祈りの]声を聞き給うた。私に近づくものたちから[主は私を守り給うた]。世々の前にましまし、永遠に留まり給う御者は、彼らを辱め給うた。お前の思いあぐねることを主に投げよ、主はおまえを養い給うだろう。 我哀求主的时候,祂俯听了我的声音,救我脱离攻击我的人;从无始自有而永远长存的天主,抑制了他们。将你的重担卸给上主,祂必要扶持你。 나 주께 부르짖으매 저 내소리를 들으사 나를 핍박하는 자들에게서 구원하시고 그들을 비천케 하셨나니 저는 무시로부터 계시고,  또한 영원토록 계신자시로다. 네 걱정을 주께 맡겨 드릴지니 저는 너를 기르시리로다.
Ps. ibid., 2. 詩篇54ノ2 进台咏(咏54:2) (성영54.2) 
Exáudi, Deus, oratiónem meam, et ne despéxeris deprecatiónem meam : inténde mihi et exáudi me. 天主よ、私の祈りを聞き入れ、私の願いを軽視し給うな、私[の願い]に耳を傾け給え、私の祈りを聞き入れ給え。 天主啊!求祢侧耳聆听我的祈祷,不要规避我的哀求。求祢俯念我,垂允我。 천주여 내 빎을 들어 허락하사 내 간구함을 업수이 여기지 말으시며 나를 돌아보사 나를 들어 허락하소서. 
V/.Glória Patri. V/. 願わくは、聖父と・・・(栄誦) 光荣归于父……。 영광이 부와 자와 ....
Dum clamárem ad Dóminum, exaudívit vocem meam, ab his, qui appropínquant mihi : et humiliávit eos, qui est ante sǽcula et manet in ætérnum : iacta cogitátum tuum in Dómino, et ipse te enútriet. 私が主に叫んでいた時、主は、私の[祈りの]声を聞き給うた。私に近づくものたちから[主は私を守り給うた]。世々の前にましまし、永遠に留まり給う御者は、彼らを辱め給うた。お前の思いあぐねることを主に投げよ、主はおまえを養い給うだろう。 我哀求主的时候,祂俯听了我的声音,救我脱离攻击我的人;从无始自有而永远长存的天主,抑制了他们。将你的重担卸给上主,祂必要扶持你。 나 주께 부르짖으매 저 내소리를 들으사 나를 핍박하는 자들에게서 구원하시고 그들을 비천케 하셨나니 저는 무시로부터 계시고,  또한 영원토록 계신자시로다. 네 걱정을 주께 맡겨 드릴지니 저는 너를 기르시리로다.
Oratio. 集祷文 集祷经 축문
Deus, qui omnipoténtiam tuam parcéndo máxime et miserándo maniféstas : multíplica super nos misericórdiam tuam ; ut, ad tua promíssa curréntes, cæléstium bonórum fácias esse consórtes. Per Dóminum. 天主よ、御身は赦し憐れむことにより、御身の全能を最高度に現し給う、われらの上に御憐みを増やし給え、そは、われらが御身の約束された[幸福]へ走り、天の善を共に持つものとならせ給え。天主として、(…)。 天主,祢在宽恕与怜悯二事上,更显祢的全能;求祢给我们倍增祢的仁慈,并使我们趋向祢所恩许的,都能共享天上的幸福。因我们主……。 천주여 너 특별히 네 전능을 관유하심과 인자하심으로써 드러내신지라, 네 자비를 우리 위에 더으사 진실히 네 허락하심에 나아가는 우리로 하여금 천상보화의 한몫을 받게하시되, 네 아들 우리 주 예수 그리스도를 인하여 하소서.저 너와 성신과 ...
Léctio Epístolæ beáti Pauli Apóstoli ad Corínthios. 使徒聖パウロのコリント人への書簡の朗読。 书信 서간경
1. Cor 12, 2-11. コリント前書 12ノ2-11 (格前12:2-11) (고린토전서12.2-11)
Fratres : Scitis, quóniam, cum gentes essétis, ad simulácra muta prout ducebámini eúntes. Ideo notum vobisfacio, quod nemo in Spíritu Dei loquens, dicit anáthema Iesu. Et nemo potest dícere, Dóminus Iesus, nisi in Spíritu Sancto. Divisiónes vero gratiárum sunt, idem autem Spíritus. Et divisiónes ministratiónum sunt, idem autem Dóminus. Et divisiónes operatiónum sunt, idem vero Deus, qui operátur ómnia in ómnibus. Unicuíque autem datur manifestátio Spíritus ad utilitátem. Alii quidem per Spíritum datur sermo sapiéntiæ álii autem sermo sciéntiæ secúndum eúndem Spíritum : álteri fides in eódem Spíritu : álii grátia sanitátum in uno Spíritu : álii operátio virtútum, álii prophétia, álii discrétio spirítuum, álii génera linguárum, álii interpretátio sermónum. Hæc autem ómnia operátur unus atque idem Spíritus, dívidens síngulis, prout vult. 兄弟たちよ、あなたたちが異教徒であった時には、夢中になって唖の偶像にひかれていたが、そのことは知ってのとおりである。そこで、私はあなたたちに宣言する。天主の霊に感じて語る者は、だれも「イエズスに呪いあれ」とはいわない。また聖霊によらなければ、だれも「イエズスは主である」ということができない。霊的な賜物は異なるが、霊は同じである。つとめは異なるが、主は同じである。はたらきは異なるが、すべての人にすべてをおこなわれる天主は同じである。各々に霊のあらわれが与えられるのは、皆の利益のためである。すなわち、ある人には、霊によって知恵のことばが与えられ、ある人には、同じ霊によって知識のことばが、ある人には、同じ霊によって信仰が、ある人には、その同じ霊によって病気を治す賜物が、ある人には、奇跡をおこなう力が、ある人には預言が、ある人には霊の識別が、ある人には異語が、ある人にはそれを解く力が与えられている。これらすべてのことは、唯一の同じ霊がおこなうことであって、霊がおぼしめしのままに、各々に分け与えるのである。 弟兄们:你们记得,在你们还是外教人的时候,被人牵着,走向哑的偶像。现在我告诉你们:没有人因着天主圣神说话时,会说:“耶稣是可诅咒的。”除非因着圣神,也没有人会说:“耶稣是主。”神恩虽是不同,圣神却是同一的;神职虽是不同,主却是同一的;工作虽是不同,在众人中作一切的,却是同一的天主。并且圣神的各项表现,都是为了公共利益而施于每个人的。圣神赐给这人智慧的言语;同一的圣神赐给那人知识的言语;同一的圣神赐给这人信德;同一的圣神赐给那人医病的神恩;祂还赐给人施行奇迹,赐给人说默启的话,赐给人辨别善神恶神,赐给人说各种言语,赐给人解释各种秘语。但是这一切都是由唯一的、同一的圣神所作的,祂随自己的意思把祂的特恩分施给各人。 형제들아 너희가 알거니와 너희는 외인으로 있을 때에 인도함을 따라 벙어리 우상에게 나아갔도다. 그러므로 나 너희게 알게 하노니 천주의 성신을 인하여 말하기를 '예수 저주를 받을지어다'하는 자 없고 또한 성신을 인하지 않고는 능히 '주 예수'라 말할 자 없도다. 대저 특은은 여러가지나 신은 하나뿐이시며 직임은 여러가지나 주는 하나뿐이시며 행동은 여러가지나 천주는 하나뿐이시니 저는 모든 이 중에 모든 것을 행하시느니라. 모든 사람에게 성신이 나타나심은 공익을 위함이니 어떤이는 성신을 인하여 상지의 말씀을 받고 어떤이는 같은 성신을 인하여 지식의 말씀을 받고 어떤이는 그 성신을 인하여 신덕을 받고 어떤이는 같은 성신을 인하여 병고치는 은혜를 받고 어떤이는 영적을 행하고 어떤이는 예언하고 어떤이는 정신을 식별하고 어떤이는 외국말을 하고 어떤이는 통역하는 은혜를 받는도다. 그러나 이 모든것은 동일한 성신이 행하시나니 당신 뜻대로 모든 이에게 각각 다르게 나눠 주시느니라.
Graduale. Ps. 16, 8 et 2. 昇階誦 詩篇 16ノ8,2 台阶咏(咏16:8,2) 층계경(성영16.8,2)
Custódi me, Dómine, ut pupíllam óculi : sub umbra alárum tuárum prótege me. 主よ、目のひとみのように私を守り給え、御つばさのかげに、私を保護し給え。 主啊!求祢护卫我,如护卫眼中的瞳孔,荫庇我于祢翅翼的影下。 주여 네 눈동자와 같이 나를 두호하시고 네 날개 밑에 나를 보호하소서. 
V/. De vultu tuo iudícium meum pródeat : óculi tui vídeant æquitátem. V/. 御顔から私の審きが始まらんことを、御目は公平を見給わんことを。 愿论我的判语,由祢面前发出,愿祢的眼睛洞察正直。 네 얼굴에서 내 판결이 나오고 네 눈은 옳은 것을 돌아보실지어다.
Allelúia, allelúia. V/.Ps 64, 2. アレルヤ、アレルヤ。 詩篇 64ノ2 阿肋路亚。阿肋路亚!(咏64:2) 알렐루야 알렐루야.(성영64.2) 
Te decet hymnus, Deus, in Sion : et tibi reddetur votum in Ierúsalem. Allelúia. 天主よ、シオンにおいて御身に賛歌はふさわしい、そしてエルザレムにおいて御身に祈願が捧げられる、アレルヤ。 天主啊!熙雍的人都要称扬祢,所许的愿,要在耶路撤冷向祢偿还。阿肋路亚。 천주여 시온에서 네게 찬미를 드림이 합당하니 네게 발한 허원을 예루살렘에서 지키리로다. 알렐루야.
+ Sequéntia sancti Evangélii secúndum Lucam. ルカによる聖福音の続誦。 福音 복음
Luc. 18, 9-14. ルカ 18ノ9-14 (路18:9-14) (성루까18.9-14)
In illo témpore : Dixit Iesus ad quosdam, qui in se confidébant tamquam iusti et aspernabántur céteros, parábolam istam : Duo hómines ascendérunt in templum, ut orárent : unus pharisǽus, et alter publicánus. Pharisǽus stans, hæc apud se orábat : Deus, grátias ago tibi, quia non sum sicut céteri hóminum : raptóres, iniústi, adúlteri : velut étiam hic publicánus. Ieiúno bis in sábbato : décimas do ómnium, quæ possídeo. Et publicánus a longe stans nolébat nec óculos ad cælum leváre : sed percutiébat pectus suum, dicens : Deus, propítius esto mihi peccatóri.Dico vobis : descéndit hic iustificátus in domum suam ab illo : quia omnis qui se exáltat, humiliábitur : et qui se humíliat, exaltábitur. そのとき、自分を義人と信じ、他人をさげすむ人々については、こんなたとえをお話しになった。「二人の男が、祈るために神殿に上った。一人はファリザイ人で、一人は税吏だった。ファリザイ人の方は、立って心の中でこう祈った。"天主よ、私が、他の人のように、食欲な人、不正な人、姦通者でなく、またこの税吏のような人間でないことを、あなたに感謝いたします。私は、週に二度断食し、全所得の十分の一をささげています"と。ところが、税吏は遠く離れ、目を天に向けることさえせずに、胸を打ちながら、"ああ、天主よ、罪人の私をおあわれみください"と祈った。私はいう。この人は義とされて家に帰ったが、さきの人はそうではなかった。高ぶる人は下げられ、へりくだる人は上げられる」。 那时候,耶稣对那些自信是义人而轻视别人的,讲了这比喻:“有两个人,上圣殿去祈祷,一个是法利塞人,一个是税吏。法利塞人挺立着,心中这样祈祷说:‘天主!我感谢祢:我不像别人一样贪污、不义、奸淫,也不像这个税吏。我每周守两次大斋,凡我所得的,都捐献十分之一。’那税吏远远地站着,甚至不敢举目望天,只是捶胸,说:‘天主!可怜我罪人吧!’我告诉你们:这人回家去,成了义人,那人却没有。因为凡高举自己的,将被贬抑;凡贬抑自己的,将被高举。” 유시에 예수 제가 의인줄로 스스로 믿고 다른이를 경히 여기는 자들에게 이 비유를 베퍼 이르시되 '두 사람이 기구하러 성전에 올라가니 하나는 바리서이요 하나는 구실받는 아전이라. 바리서이는 서서 이렇게 기구하되 천주여 나 네게 감사하옵기는 대저 내가 토색질하는 자와 비리짓하는 자와 간음하는 그런 사람과 같이 아니하옵고 이 아전과 같지도 아니하오며 매주일 동안에 두번씩 엄재하고 나 가진바 모든 재물의 십분지일을 바치나이다 하고, 아전은 멀리 서서 가슴을 치며 이르되 천주여 나 죄인을 불쌍히 여기소서 하였으니 너희게 이르노니 이는 저에게 비겨 의인이 되어 제 집으로 돌아갔으니 대저 누구든지 자기를 들어높이는 자는 낮아질 것이요 또 자기를 낮추는 이는 들어높임을 받으리라' 하시니라.
Credo 信経 信经 (신경 외움)
Ant. ad Offertorium. Ps. 24, 1-3. 奉献文 詩篇 24ノ1-3 奉献咏(咏24:1-3) 제헌경(성영24.1-3)
Ad te, Dómine, levávi ánimam meam : Deus meus, in te confído, non erubéscam : neque irrídeant me inimíci mei : étenim univérsi, qui te exspéctant, non confundéntur. 主よ、私はわが霊魂を御身に上げ奉る。わが天主よ、私は御身により頼み奉る、私は恥ることなからん。私の敵どもは私をあざけることなからんことを。実に、御身を待ち望む者は全て、困惑することがないであろう。 上主啊!我向祢举起我的灵魂。我的天主啊!我倚靠祢,求祢莫叫我羞愧,莫叫我的仇敌朝着我狂喜。没有一个期待祢的人,能蒙受羞辱。 주여 내 영혼을 네게 받들어 드리오며 내 천주여 네게 의탁하오니 나로 하여금 부끄러움을 당하지 말게 하시며 또한 내 원수들로 하여금 나를 비소치 말게 하소서. 대저 네게 바라는 이는 아무도 망신을 당하지 아니 하리이다.
Secreta. 密誦 密祷经 묵념축문
Tibi, Dómine, sacrifícia dicáta reddántur : quæ sic ad honórem nóminis tui deferénda tribuísti, ut eadem remédia fíeri nostra præstáres. Per Dóminum. 主よ、御身に犠牲が捧げられんことを。この犠牲はこのように御名の名誉のために捧げられるべく御身が与え給うた。そは、御身がこの同じ犠牲がわれらの[救いの]霊薬とならしめるためなり。天主として、(…)。 主,但愿我们的祭祀为祢的光荣奉献于祢,因这原是祢所赏给我们的:祢要我们把它如此呈奉,以显扬祢的圣名,同时使它成为我们的神药。因我们主……。 주여 네 이름의 영광을 드리기로 너 지정하신 이 제사를 거룩케 하시며 또한 이로써 우리 모든 병고에 신약이 되게 하시되, 네 아들 우리 주 예수 그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과 ...
Præfatio de sanctissima Trinitate ; 序誦 三位一体と主日との序誦 天主圣三的颂谢引 성삼감사경
Vere dignum et iustum est, æquum et salutáre, nos tibi semper et ubíque grátias ágere : Dómine, sancte Pater, omnípotens ætérne Deus : Qui cum Unigénito Fílio tuo et Spíritu Sancto unus es Deus, unus es Dóminus : non in uníus singularitáte persónæ, sed in uníus Trinitáte substántiæ. Quod enim de tua glória, revelánte te, crédimus, hoc de Fílio tuo, hoc de Spíritu Sancto, sine discretióne sentímus. Ut, in confessióne veræ sempiternǽque Deitátis, et in persónis propríetas, et in esséntia únitas, et in maiestáte adorétur æquálitas. Quam laudant Angeli atque Archángeli, Chérubim quoque ac Séraphim, qui non cessant clamáre cotídie, una voce dicéntes : Sanctus… 主よ、聖なる父よ、全能永遠の天主よ、われらが御身に、いつもどこにても感謝を捧げるのは、実にふさわしく正しいこと、義務と救いである。御身は、御独り子と聖霊と共に、唯一の天主、唯一の主にて在す。すなわち、御身は、一の位格の単一にて在すのではなく、唯一の実体(substantia)の三位にて在す。御身の御光栄について、御身が啓示するがゆえに、われらが信じ奉ることを、聖子について、聖霊について、差別なく、われらは信じ奉る。真の永遠の天主の本性を告白するにおいて、位格における固有性が礼拝され、本質(essentia)における唯一性と、御稜威における等しさも礼拝されるためである。これを、天使らと大天使らは、智天使も熾天使も、讃美し、絶え間なく声を上げ、日々声をあわせてこう言う。聖なるかな、… 主,圣父,全能永生的天主!我们时时处处颂谢祢,实是正义而必须的,属于我们天职的,也属我们得救的。祢与祢的独子及圣神,只是一个天主,只是一个主;不是因为位是单独一个,却是因为三位同具一个性体。的确,我们所怎样依照祢的启示,相信祢享的光荣,我们无区别地也同样确认祢的圣子,也同样确认圣神共享这个光荣。因此,我们在明认圣三真实而永在的天主性上,同时论位,我们敬拜圣三的各一,论体,我们敬拜圣三的无二,论尊荣,我们敬拜圣三的均等。这圣三的尊荣,是天神们和总领天神们,普知天神们和炽爱天神们,所虔诚歌颂的;他们日复一日,永不停止同声高呼说:圣、圣、圣…… 주여, 성부여, 전능하시고 영원하신 천주여, 우리가 어디서나 항상 주께 감사하는 것이 참으로 당연하고 옳으며, 지당하고 구령에 유익하나이다. 주는 외아들과 성신과 더불어 오직 한분의 천주시요, 오직 한분의 주이시되, 한 위가 아니시고, 한 체로서 세 위시니이다. 주의 계시로 우리가 주의 영광에 대하여 믿는 바를, 성자와 성신에 대하여서도 조금도 다름이 없이 믿나이다. 그리하여 우리는 참되시고 영원하신 천주성을 찬미함에 있어, 위로서는 각 품이시요, 체로서는 하나이시요, 지존하시기는 같으심을 찬송하나이다. 천신들과 대천신들 및 케루빔과 세라핌이 이를 찬양하며, 날마다 간단없이 제창하나이다. 거룩하시다, 거룩하시다, 만군의 천주이신 주는 거룩하시나이다. 하늘과 땅에 주의 영광이 가득하나이다. 천상에 좌정하신이여 호산나, 주의 이름으로 오시는 이는 찬미받아지이다. 천상에 좌정하신이여 호산나.
Ant. ad Communionem. Ps. 50, 21. 聖体拝領誦 詩篇 50ノ21 领主咏(咏50:21) 영성체경(성영50.21)
Acceptábis sacrificium iustítiæ, oblatiónes et holocáusta, super altáre tuum, Dómine. 主よ、御身は、御身の祭壇の上の、正義の犠牲(いけにえ)と、供物(ささげもの)と燔祭とを受け入れ給うだろう。 上主啊!祢必悦纳正义的祭物和牺牲,并全燔之祭,于祢的祭坛上。 주여 너 제대 위에 의덕의 제사와 제물과 희생을 받으시리다.
Postcommunio. 聖体拝領後の祈 领后经 영성체후축문
Quǽsumus, Dómine, Deus noster : ut, quos divínis reparáre non désinis sacraméntis, tuis non destítuas benígnus auxíliis. Per Dóminum nostrum. われらの天主なる主よ、願わくは、御身が天主の秘蹟によって絶えず新たにする人々をして、御身の助けを善良なる御身が不足させることなからんことを。天主として、(…)。 主、我们的天主,祢既常以此天上圣事补养我们,求祢也常常仁慈地助佑我们。因我们主……。 주 우리 천주여 비오니 너 신성한 성사로 간단없이 새롭게 하시는 우리에게 네 은혜로이 도우심이 없지않게 하시되, 네 아들 우리 주예수 그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과 ...

 


2020年8月2日は、聖霊降臨後第九主日(二級祝日 緑)です。聖伝のミサのラテン語と日本語・中文・韓国語の対訳のテキストをご紹介いたします

2020年07月29日 | ミサ聖祭

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、2020年8月2日は、聖霊降臨後第九主日(二級祝日 緑)です。

【ミサ聖祭】本日の<密誦>では、すべてのミサにおいてわれらの救いが新たにされていることを記憶させる。神秘的秘蹟的に新たにされるこの事実は祈りの家なる聖堂で行われる。<聖福音>は、主イエズスが、いかに熱心にこの聖所を守り給うかを教える。聖堂においては、常に信心深いうやうやしい態度を持し、世俗的なわずらいを遠ざける潜心を有しなければならぬ。

我们为得救,单独领受洗礼,仍嫌不足。人生是一个长期的试探;在这试探中,我们该显示我们的热爱与我们的忠实。在梅瑟的时代,全体的犹太人从埃及解放出来而经过红海;然而他们中凡不忠于主的,结果都死于旷野中而未到预许的福地。同样的凡放任私欲的基督徒,也必遭主摒弃,而不能进入天上的家乡(书信)。我们不该失望,也不该妄望,却要具有一种敬畏,为策动我们日益增长的信心,以依靠天主圣宠的助佑(进台咏、阿肋路亚)。天主的这个圣宠,在不断重行基督圣祭的弥撒中,我们可任意沾得。在每日弥撒中,我们汲取一种重振精神的勇力,为能坚持于试探之中,直至最后的胜利(密祷经)。今天我们该向基督呼求:望祂以极坚强而任何暴力所不能粉碎的团结,保持我们常与祂联合(领主咏);同时,望祂也保持我们已由罪恶中所提净出的灵魂,宛如献给主圣神的宫殿(福音)。

성신 강림 후 제9주일 『성전에 들어가서 거기서 매매하는 자들을…쫓아 내시며 이르시되「나의 집은 기구하는 집이라」…허나 너희는 강도의 굴을 만들었노라』(복음)예수의 눈물! 당신의 의분의 채찍질! 왜 예수께서는 아직도 우시는가? 왜 예수께서는 아직도『쫓아내셔야』하는가? 우리 가운데는 성화된 것―성세받고 그리스도화된 그들의 영혼을 더럽히는 자들이 있기 때문이다. 천주께 선택함을 받은 예루살렘이 그리스도를 배척한 것처럼.(복음) 역사의 가장 큰 교훈은 무엇인가? 그것은 인류는 그 교훈의 뜻을 보지 못한다는 사실이다. 천주를 배척하는『우상 숭배자』와, 다만『먹고 마시고 놀기』위해서 산다고 하는 유물론자에게 어떠한 일이 일어났던가를 생각해 볼 것이다. 전쟁, 병고, 기아, 억압은 그 천벌이었다.『하루에 이만 삼천명이 주었느니라』(서간경)그렇지만 우리들은 두려움 속에서 살아 가서는 안된다.『천주께서는…너희 힘에 넘치는 유감을 당하지 않게 하시느니라』천주께서는『나를 호위하시기』(층계경) 위해서 내 안에 계신다.(영성체경) 

Dominica Nona post Pentecosten 聖霊降臨後第九の主日 降临后第九主日 성신 강림 후 제9주일
II Classis 二級祝日 复式【绿】  (2급) 초록색
Ant. ad Introitum. Ps. 53, 6-7. 入祭文 詩篇  53ノ6,7 进台咏(咏53:6-7) 초입경(성영 53․6,7)
Ecce, Deus adiuvat me, et Dóminus suscéptor est ánimæ meæ : avérte mala inimícis meis, et in veritáte tua dispérde illos, protéctor meus, Dómine. 見よ、天主は私を助け給う、主は、私の霊魂の保護者なり。私の敵どもによる悪を取り除き給え。御身の真理において彼らを散らし給え、私の守護者なる主よ。 看哪!天主是我的扶持者,吾主是我生命的卫护者。主、我的保护者啊!求祢使灾祸反归我的仇敌,求祢凭祢的忠信消灭他们。 보라 천주는 나의 도움이시오. 주는 내 영혼의 보호자시니 나의 보호자이신 천주여 흉악을 내 원수들에게 돌이키시며 또한 네 진실하심을 인하여 저들을 격멸하소서. 
Ps. ibid., 3. 詩篇53ノ3 咏53:3 (성영 53․3) 
Deus, in nómine tuo salvum me fac : et in virtúte tua libera me. 天主よ、御名において、私を救い給え、御力によって私を解放し給え。 天主啊!求祢因祢的名拯救我,凭祢的威能解救我。 천주여 네 이름을 인하여 나를 해방하소서. 
V/.Glória Patri. V/. 願わくは、聖父と・・・(栄誦) 关荣归于父……。 영광이 부와 자와... 
Ecce, Deus adiuvat me, et Dóminus suscéptor est ánimæ meæ : avérte mala inimícis meis, et in veritáte tua dispérde illos, protéctor meus, Dómine. 見よ、天主は私を助け給う、主は、私の霊魂の保護者なり。私の敵どもによる悪を取り除き給え。御身の真理において彼らを散らし給え、私の守護者なる主よ。 看哪!天主是我的扶持者,吾主是我生命的卫护者。主、我的保护者啊!求祢使灾祸反归我的仇敌,求祢凭祢的忠信消灭他们。 보라 천주는 나의 도움이시오. 주는 내 영혼의 보호자시니 나의 보호자이신 천주여 흉악을 내 원수들에게 돌이키시며 또한 네 진실하심을 인하여 저들을 격멸하소서. 
Oratio. 集祷文 集祷经 축문
Páteant aures misericórdiæ tuæ, Dómine, précibus supplicántium : et, ut peténtibus desideráta concédas ; fac eos quæ tibi sunt plácita, postuláre. Per Dóminum. 主よ、御身の憐みの耳を、乞い願う者らの祈りに開き給え。主に乞う者らに、欲したものを与え給わんがために、彼らをして御身の嘉し給うことを願わしめ給え。天主として、(…)。 主,求祢开张慈耳,俯听我们恳求的祷声;并且,为能邀祢垂允我们的所求,望祢使我们单求合乎祢圣意的事。因我们主……。 주여 네 인자하신 귀를 열으사 네게 간구하는 자들의 빎을 들으소서. 너 그 기구를 들어 허락하시기 위하여 저들로 하여금 네 성의에 흡합한 바를 기도케 하시되, 네 아들 우리 주 예수․그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과... 
Léctio Epístolæ beáti Pauli Apóstoli ad Corinthios. 使徒聖パウロのコリント人への書簡の朗読。 书信 서간경
1. Cor. 10, 6-13. コリント前書  10ノ6-13 (格前10:6-13) (고린도전서 10․6-13)
Fratres : Non simus concupiscéntes malórum, sicut et illi concupiérunt. Neque idolólatræ efficiámini, sicut quidam ex ipsis : quemádmodum scriptum est : Sedit pópulus manducáre et bíbere, et surrexérunt lúdere. Neque fornicémur, sicut quidam ex ipsis fornicáti sunt, et cecidérunt una die vigínti tria mília. Neque tentémus Christum, sicut quidam eórum tentavérunt, et a serpéntibus periérunt. Neque murmuravéritis, sicut quidam eórum murmuravérunt, et periérunt ab exterminatóre. Hæc autem ómnia in figúra contingébant illis : scripta sunt autem ad correptiónem nostram, in quos fines sæculórum devenérunt. Itaque qui se exístimat stare, vídeat ne cadat. Tentátio vos non apprehéndat, nisi humána : fidélis autem Deus est, qui non patiétur vos tentári supra id, quod potéstis, sed fáciet étiam cum tentatióne provéntum, ut póssitis sustinére. 兄弟たちよ、これらのことは、私たちへの戒めとして起こったのであって、かれらがむさぼったように、私たちが悪をむさぼることをしないためである。あなたたちは、かれらのうちのある人のような偶像崇拝者になるな。「民はすわって飲食し、立ってたわむれた」とかきしるされている。私たちは、かれらのうちのある人々が淫行したように、淫行にふけるな。かれらは、一日で二万三千人死んだ。私たちは、かれらのうちのある人々がこころみたように、主をこころみるな。かれらは蛇に亡ぼされた。あなたたちは、かれらのうちのある人々がいったように不平をいうな。かれらは亡ぼすものによって亡ぼされた。かれらに起ったこれらのことは前兆であって、かきしるされたのは、世の末にあった私たちへの戒めのためであった。したがって、立っているとみずからおもう人は、倒れないように注意せよ。あなたたちは、人の力をこえる試みにはあわなかった。天主は真実であるから、あなたたちの力以上の試みにはおあわせにならない。あなたたちが試みに耐え、それにうちかつ方法を、ともに備えてくださるであろう。 弟兄们:我们不要贪恋恶事,如同我们的祖先一样。我们不要崇拜偶像,如同他们中间的几个人一样,就如经上所记载的:“民众坐下吃喝,起来嬉戏。”我们不要淫乱,如同他们中间的几个人一样,他们犯了奸淫,在一天内就死了二万三千人。我们也不可试探基督,如同他们中间的几个人一样,试探了主被蛇咬死。你们也不可抱怨,就如他们中间的几个人一样,抱怨了主被歼灭的天使歼灭了。这些事实都是我们的前鉴,他们记载在圣经中,为了警戒我们这些生于时代结束阶段的人。所以,以为自己站稳的人要小心,免得跌倒。愿除了不超越人的力量的诱惑以外,你们不遇到任何诱惑。天主是忠诚的,祂决不许你们受到超过你们力量的诱惑。遇到了诱惑,祂给你们布置出路,使你们能够抵抗。 형제들아 저들이 탐함과 같이 우리는 악을 탐하지 말지니라. 또한 너희는 저들중 어떤이와 같이 사신숭배자가 되지 말지니 대저 기록하였으되 먹고 마시려고 앚았다가 장난하려고 일어났다 함과 같도다. 또 저들중에 사음을 범한자 있어 하루에 2만3천명이 죽었으니 우리는 그들과 같이 사음을 범하지 말지며 저들중에(천주를) 시험하여 배암에게 망한자 있었으니 우리는 그들과 같이 그리스도를 시험하지 말지로다. 또 저들 중에 원망하여 박멸자(撲滅者)에게 멸망한자 있었으니 너희는 그들과 같이 원망하지 말지어다. 이런 모든 일은 저들에게 전조(前兆)로 나타난 것이로되 그 기록된 바는 마지막 시대에 사는 우리들을 훈계하기 위함이로다. 그러므로 스스로 서 있다고 생각하는 자는 넘어지지 않기 위하여 조심할지니라. 너희는 인성에 합한 유감만 당할지니 천주는 성실한지라, 너희 힘에 넘치는 유감을 당할지니 천주는 성실하신지라, 너희 힘에 넘치는 유감을 당하지 않게 하시고 오히려 그를 감당케 하기 위하여 유감과 한가지로 그를 이길 방법을 주시느니라. 
Graduale. Ps. 8, 2. 昇階誦 詩篇  8ノ2 台阶咏(咏8:2) 층계경(성영 8․2)
Dómine, Dóminus noster, quam admirábile est nomen tuum in universa terra ! 主よ、我らの主よ、御身の名は全地において何と感嘆すべきであるか! 上主、我们主!祢的名在普天下何其美哉! 주 우리 주여 네 이름이 온 세상에 어떻게 기묘한고, 
V/. Quóniam eleváta est magnificéntia tua super cælos. V/. 御身の偉大さは、天の上まで高められたからなり。 祢在高天彰显了祢的庄严。 대저 네 위엄이 모든 하늘에 높으시나이다. 
Allelúia, allelúia. V/.Ps. 58, 2. アレルヤ、アレルヤ。  詩篇  58ノ2 阿肋路亚。阿肋路亚!(咏58:2) 알렐루야 알렐루야.(성영 58․2) 
Eripe me de inimícis meis, Deus meus : et ab insurgéntibus in me líbera me. Allelúia. わが天主よ、私を敵どもより私を救い出し、私に逆らい立つ人々より私を解放し給え、アレルヤ。 我的天主啊!求祢救我于仇敌;求祢救我得脱免起而攻击我的人。阿肋路亚。 우리 천주여 나를 내 원수들에게 구원하시며 나를 거슬려 일어나는 자들에게서 호위하소서. 알렐루야. 
+ Sequéntia sancti Evangélii secundum Lucam. ルカによる聖福音の続誦。 福音 복음
Luc. 19, 41-47. ルカ 19ノ41-47 (路19:41-47) (성루까 19․41-47)
In illo témpore : Cum appropinquáret Iesus Ierúsalem, videns civitátem, flevit super illam, dicens : Quia si cognovísses et tu, et quidem in hac die tua, quæ ad pacem tibi, nunc autem abscóndita sunt ab óculis tuis. Quia vénient dies in te : et circúmdabunt te inimíci tui vallo, et circúmdabunt te : et coangustábunt te úndique : et ad terram prostérnent te, et fílios tuos, qui in te sunt, et non relínquent in te lápidem super lápidem : eo quod non cognóveris tempus visitatiónis tuæ. Et ingréssus in templum, cœpit eícere vendéntes in illo et eméntes, dicens illis : Scriptum est : Quia domus mea domus oratiónis est. Vos autem fecístis illam speluncam latrónum. Et erat docens cotídie in templo. そのとき、町に近づくと、それをながめて泣かれたイエズスは、「ああ、イエルザレム、もしこの日に平和をもたらすはずのものを、おまえが知っていたら・・・。だが、不幸にも、それはおまえの目にかくされている。敵がおまえのまわりに塁を築き、とりかこみ、四方からせまり、おまえと、その内に住む人々を地にたおし、石の上に一つの石さえのこさないような、ある日が来るだろう。それは、おまえが、訪れの時を知らなかったからである」とおおせられた。それから、神殿におはいりになったイエズスは、商人をそこから追い出し、「"私の家は祈りの家である"と書かれているのに、あなたたちはそれを盗人の巣にした!」とおおせられた。こうしてイエズスは、毎日神殿で教えておられた。 那时候,耶稣走近了耶路撒冷,一望见城,就哭吊它,说:“假使你也认识了给你的平安的报告……无奈现在那些事瞒着你的眼。将有日子要临到你:你的仇敌要用土垒包围你,困住你,四面压榨你,并要把你和你里面的儿女粉碎;在你里面,一块石头不留在一块石头上。因为你没有识得眷顾你的时候。”——耶稣进了圣殿,驱逐商人,对他们说:“经上写着:‘我的殿宇应称为祈祷之殿’,而你们却把它做‘贼窝’。”一于是,耶稣天天在圣殿里教训人。 유시에 예수 예루살렘에 가까이 오사 도엇을 바라보시고 울으시며 이르시되「슬프다 네게 평화함을 주시는 사정을 너 과연 오늘이라도 깨달으면 다행하련마는 지금 다 네 눈앞에 가리웠도다. 대저 때가 장차 네게 이르매 네 원수들이 너를 에워 진을 치고 가두며 사방에로 너를 핍박하며 너와 및 네게 있는 자녀들을 따에 거꾸러치며 돌 하니이라도 돌위에 남겨두지 아니하리니」이는 다 너를 돌아보시는 때를 깨닫지 아니함이니라 하시고 성전에 들어가사 거기서 매매하는 자들을 비로서 쫓아내시며 이르시되「나의 집은 기구하는 집이라. 기록하였거든 너희는 강도의 굴을 만들었도다」하시고 날마다 성전에서 교훈하시더라. 
Credo 信経 信经 신경
Ant. ad Offertorium. Ps. 18, 9, 10, 11 et 12. 奉献文 詩篇  18ノ9-12 奉献咏(咏18:9-12) 제헌경(성영 18․9-12)
Iustítiæ Dómini rectæ, lætificántes corda, et iudícia eius dulcióra super mel et favum : nam et servus tuus custódit ea. 主の正しい正義は心を喜ばせ、主の裁きは蜂蜜やハニーコム(蜂の巣)よりも甘い。御身の下僕もこれらを守る。 上主的命令是正直的,能快乐人的心胸。祂的判断比蜜甘美,比蜂巢滴下的汁更香甜。我主啊!祢的仆人把那些细心恪守。 주의 의덕은 옳은지라, 마음을 기쁘게 하며 저의 도리는 꿀과 꿀송이 보다 달으니 대저 네 종이 그를 지키는도다. 
Secreta. 密誦 密祷经 묵념  축문
Concéde nobis, quǽsumus, Dómine, hæc digne frequentáre mystéria : quia, quóties huius hóstiæ commemorátio celebrátur, opus nostræ redemptiónis exercétur. Per Dóminum. 主よ、願わくは、われらに、ふさわしく、しばしばこの秘蹟を受けさせ給え。このいけにえの記念が祝われる度ごとに、われらの贖いの御業が果たされるが故なり。天主として、(…)。 主,求祢使我们常能适当地参与神圣的奥迹:因为每次举行基督大祭的纪念,就是在我们身上实行救赎的工作。因我们主……。 주여 이 희생을 기념할 때마다 우리 구속의 사업을 행케 되오니 이 비사를 항상 합당히 거행하게 하시되, 네 아들 우리 주 예수․그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과... 
Praefatio de sanctissima Trinitate ; 序誦 三位一体と主日との序誦 天主圣三的颂谢引 성삼감사경
Vere dignum et iustum est, æquum et salutáre, nos tibi semper et ubíque grátias ágere : Dómine, sancte Pater, omnípotens ætérne Deus : Qui cum Unigénito Fílio tuo et Spíritu Sancto unus es Deus, unus es Dóminus : non in uníus singularitáte persónæ, sed in uníus Trinitáte substántiæ. Quod enim de tua glória, revelánte te, crédimus, hoc de Fílio tuo, hoc de Spíritu Sancto, sine discretióne sentímus. Ut, in confessióne veræ sempiternǽque Deitátis, et in persónis propríetas, et in esséntia únitas, et in maiestáte adorétur æquálitas. Quam laudant Angeli atque Archángeli, Chérubim quoque ac Séraphim, qui non cessant clamáre cotídie, una voce dicéntes : Sanctus… 主よ、聖なる父よ、全能永遠の天主よ、われらが御身に、いつもどこにても感謝を捧げるのは、実にふさわしく正しいこと、義務と救いである。御身は、御独り子と聖霊と共に、唯一の天主、唯一の主にて在す。すなわち、御身は、一の位格の単一にて在すのではなく、唯一の実体(substantia)の三位にて在す。御身の御光栄について、御身が啓示するがゆえに、われらが信じ奉ることを、聖子について、聖霊について、差別なく、われらは信じ奉る。真の永遠の天主の本性を告白するにおいて、位格における固有性が礼拝され、本質(essentia)における唯一性と、御稜威における等しさも礼拝されるためである。これを、天使らと大天使らは、智天使も熾天使も、讃美し、絶え間なく声を上げ、日々声をあわせてこう言う。聖なるかな、… 主,圣父,全能永生的天主!我们时时处处颂谢祢,实是正义而必须的,属于我们天职的,也属我们得救的。祢与祢的独子及圣神,只是一个天主,只是一个主;不是因为位是单独一个,却是因为三位同具一个性体。的确,我们所怎样依照祢的启示,相信祢享的光荣,我们无区别地也同样确认祢的圣子,也同样确认圣神共享这个光荣。因此,我们在明认圣三真实而永在的天主性上,同时论位,我们敬拜圣三的各一,论体,我们敬拜圣三的无二,论尊荣,我们敬拜圣三的均等。这圣三的尊荣,是天神们和总领天神们,普知天神们和炽爱天神们,所虔诚歌颂的;他们日复一日,永不停止同声高呼说:圣、圣、圣…… 주여, 성부여, 전능하시고 영원하신 천주여, 우리가 어디서나 항상 주께 감사하는 것이 참으로 당연하고 옳으며, 지당하고 구령에 유익하나이다. 주는 외아들과 성신과 더불어 오직 한분의 천주시요, 오직 한분의 주이시되, 한 위가 아니시고, 한 체로서 세 위시니이다. 주의 계시로 우리가 주의 영광에 대하여 믿는 바를, 성자와 성신에 대하여서도 조금도 다름이 없이 믿나이다. 그리하여 우리는 참되시고 영원하신 천주성을 찬미함에 있어, 위로서는 각 품이시요, 체로서는 하나이시요, 지존하시기는 같으심을 찬송하나이다. 천신들과 대천신들 및 케루빔과 세라핌이 이를 찬양하며, 날마다 간단없이 제창하나이다. 거룩하시다, 거룩하시다, 만군의 천주이신 주는 거룩하시나이다. 하늘과 땅에 주의 영광이 가득하나이다. 천상에 좌정하신이여 호산나, 주의 이름으로 오시는 이는 찬미받아지이다. 천상에 좌정하신이여 호산나.
Ant. ad Communionem. Ioann. 6, 57. 聖体拝領誦  ヨハネ  6ノ57 领主咏(若6:57) 영성체경(성요왕 6․57)
Qui mandúcat meam carnem et bibit meum sánguinem, in me manet et ego in eo, dicit Dóminus. 私の肉を食し、私の血を飲む者は、私にとどまり、私もまた彼に留まる、と主は言い給う。 主说:“谁吃我的肉,喝我的血,他在我内,我在他内。” 주 가라사대 내 산을 먹고 내 피를 마시는 자는 내게 거하고 나도 저에게 거하노라 하시니라. 
Postcommunio. 聖体拝領後の祈 领后经 영성체 후 축문
Tui nobis, quǽsumus, Dómine, commúnio sacraménti, et purificatiónem cónferat, et tríbuat unitátem. Per Dóminum. 主よ、願わくは、御身の秘蹟の拝領が、われらに、浄めを与え、一致を授与せんことを。天主として、(…)。 主,伏望我们所领的圣事,净化我们,并使我们精诚团结。因我们主……。 주여 비오니 우리가 네 성사와 결합함을 인하여 우리를 조찰케 하시고 또한 우리를 합일케 하시되, 네 아들 우리 주 예수 ․그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과... 

 


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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