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カンザス・シティでのアンジェルス出版社の講演会におけるフェレー司教の講演報告

2013年12月12日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 大変遅れてしまいましたが、アメリカ、カンザス・シティでのアンジェルス出版社の会議におけるフェレー司教の講演報告を日本語に訳してくださった方がおられますので、それを愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。これを訳してくださった方には心から感謝します。また「二〇一三年十月十三日、カンザス・シティでのフェレー司教の説教よりの抜粋」の日本語もできておりますので、後ほど、愛する兄弟姉妹の皆様にお知らせいたします。

 また、フェレー司教様は、来年の1月1日から6月8日まで、ロザリオの十字軍を起動させることを発表されました。多くの皆様のご参加をお待ちしております!

 さて、日本では明日から聖伝のミサが大阪と東京であります。

 また、2014年の典礼カレンダー(カラー)もできあがりました! ミサの会場でお分けいたします。今年は、制作費が昨年よりも安く上がったので、950円でお分けできることになりました。天主様に感謝! 

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



アメリカ、カンザス・シティでの
アンジェルス出版社の会議における
フェレー司教の講演報告


原文はこちら


アメリカ、カンザス・シティでのアンジェルス出版社の会議におけるフェレー司教の講演報告

十月十二日土曜日、フェレー司教はアンジェルス出版社の会議中の講演で、カトリック教会の破壊的状況のあらましと、教皇フランシスコがどのようにしてこの状況を「一万倍も悪くした」かを述べた。

聖ピオ十世会総長、ベルナール・フェレー司教は、十月十二日土曜日、アンジェルス出版社の会議中の講話において、ファチマの第三の秘密と、物質的懲罰と教会内の恐るべき危機の両方についての明らかな預言に焦点を当てた。

DICI編集部は、カトリック・ファミリー・ニュースよりジョン・ヴェナリ氏の報告書を載せる許可を得たことを感謝する。


「教会の現状はまぎれもない悲惨の中にあり、現教皇様はそれを一万倍も悪化させている」

 これは、フェレー司教が十月十一日から十三日にかけての、カンザス・シティでのアンジェルス出版社の講演会の講演で述べたことである。
 この報告書では、司教の土曜日の講演のさらに劇的な側面を強調する。

 フェレー司教は、シスター・ルチア、第三の秘密を読んだ人々、第三の秘密についての知識を持つ人々の言葉を詳しく引用した。司教は、私たちが第三の秘密の内容を知りたいなら、ヨハネの黙示録の第三章第八章から第十三章までを読むようにとのシスター・ルチアの言葉を指摘した(第三の秘密の詳細はカトリック・ファミリー・ニュースの次号、十一月号に載る予定である)。

 シスター・ルチアは、(第三の秘密については)黙示録の八章から十三章を参照せよと言うが、これは身も凍るような内容である。十三章の終わりでは反キリストの出現について語られているからである。

 フェレー司教は、聖ピオ十世教皇が自分の教皇職の始まりに「滅びの子」はすでに地上にいるかもしれないと述べたこと、また、レオ十三世作の大天使聖ミカエルへの祈りが、悪魔はローマに自らの座を打ち立てることを目的としていることに触れていることをも指摘した。

 フェレー司教は、ピオ十二世からヨハネ・パウロ二世までのすべての教皇たちの神学者であったルイジ・チアッピ枢機卿の次の言葉を引用した。「第三の秘密の中には、特に、教会内の大背教は頂点から始まると書かれている」と。

 フェレー司教はまた、一九五七年の、有名かつ劇的なフエンテス神父のシスター・ルチアへのインタビューにかなりの時間を費やして話した。その中でルチアは「さまざまな国々が地上から姿を消すでしょう」そして「悪魔は天主に捧げられた霊魂たちを圧倒しようと全力を傾けるでしょう」と繰り返した。

 天主に仕える人々が、この混乱と破壊で打たれたが故に、信者たちは自らの救霊を自力でやっていくよう取り残されている。聖職者たちが提供するべき助けの手が存在しない。これが「今だかつて想像し得ない教会にとっての最大の悲劇」である。

 この時代は非常に深刻である。私たちの救霊について深刻にならざるを得ない。「そしてこれを成し遂げるための重要な本質、教会権威者たちの援助を私たちは剥奪されています。なんという悲劇であることか」

 フェレー司教は、天主は私たちに最後に残された二つの救済手段をくださったという、シスター・ルチアの慰めとなる言葉について語った。すなわち、ロザリオとけがれなき御心への信心である。


 フェレー司教は二〇一二年の聖ピオ十世会とローマとの間の困難について以下のことを示唆した。

「現在[教皇フランシスコのもとで]起きていることを見て、私たちは去年のあらゆる合意協定のたぐいから守られたことを、天主にひたすら感謝しています。私たちがやり遂げたロザリオ十字軍の実りの一つは、このような不運から守られたことであると言えるかも知れません。天主に感謝します。これは、私たちがカトリックでありたくないということではありません。もちろん私たちはカトリックでありたいですし、私たちはカトリック信者です。そして私たちにはカトリック信者であると認められるべき権利があります。ですが私たちの宝をそのために台無しにするつもりはありません。そんなはずはありません」

 司教は続けてこう述べた。「想像してみて下さい。私たちがなおもローマと合意協定を得ようと決意していると見せかけている一部の人々のことを。かわいそうな人たちです。彼らの意図を証明するよう、私は心から異議を申し立てます。彼らは私が実行していることから別の何かを考えていると偽っています。私の頭の中にはそんなものはありません」

 ローマとの討論については、以下のことを語った。

「教会法的承認へのあらゆる類の指示は、彼ら[訳注:ローマ当局]が二〇一二年六月十三日に私にサインするよう書類を渡したときに終わりました。まさにその日に『私はこの書類を受諾できません』と彼らに告げました。前年の九月の初旬から、私たちはこの "継続の解釈学" を受諾できないと彼らに告げていました。これは正しいことではなく、現実ではないからです。現実に反しているからです。ですから私たちは受け入れません。第二バチカン公会議は聖伝と継続していません。違うのです。ですから、ベネディクト教皇が第二バチカン公会議は聖伝と分かたれていないと受け入れるよう要求してきた時、 『残念ながらそれは現実的ではありません。ですから私たちはサインするつもりはありません。それを認めるつもりはありません』と言っています」

「ミサに対しても同じです。新ミサは有効である、ただし正しく捧げられたらという条件で云々……だけでなく適法でもある、と私たちに認めるよう望んでいます。私は彼らに告げました。『私たちはその言葉を使いません。それはいささかの混乱を招きます。私たちの信者たちは有効性に関して相当に混乱しています。ですから私たちは信者たちに『新ミサは悪いものだ。それは悪しきものです』と告げています。そして信者たちはそれを理解します。これで終わりです!」

 言うまでもなくローマ当局は「それを聞いてあまり喜んでいませんでした」

「第二バチカン公会議が良いものであるとみなされ、新ミサが適法であるふりをすることも、二つとも私たちの決して意図しないことです」

「私たちがローマに提出した[二〇一二年四月十五日の]文書は、言ってみれば、正確に理解されるべき細心の注意を払う文書でした。つまり、すべてのことを導いていた大原則とともに読まれるべきでした。この大原則は教会内の新奇さではありませんでした」

「聖霊は聖ペトロとその後継者に、新しい啓示を通して教皇が新しいことを教えるというやり方を約束されたのでは決してない。聖霊のおん助けのもとで、教皇は信仰の遺産を清廉に保ち、忠実に伝える」これは[第一バチカン公会議からの]不可謬の定義に属します。これが原則であり、文書全体の基礎でした。この文書は始めからいかなる新奇さをも排除しています。

「ですから、この原則なしに、この文書からいかなる種類の文章を抜き出すことは、まったく私たちの思想と人生ではない文章を抜き出すことです。文書自体の言い回しの数々は曖昧です。ですから、曖昧さを取り払うため、私たちはこの[第一バチカン公会議]からの原則を挿入したかったのです。残念ながら、おそらくそれは微妙すぎるものでした。ですから、この文書を撤回したのです。この文書が書かれたような充分に明白さがなかったらです」

「私たちの原則は、忠実であり続けるために常に同じであることははっきりしています! 私たちは宝を受け取りました。この宝は私たちの「もの」ではありません。私たちはこの宝を受け取り、そして次世代にこれを手渡さなければなりません。私たちに要求されたことは忠実と貞節です。私たちにはこの宝の数々を台無しにする権利はありません。この宝は私たちの手の中にあり、私たちはこれらを台無しにするつもりはありません」

教皇フランシスコ

 フェレー司教はシスター・ルチアが一九五七年に言ったとされる、ロザリオとけがれなき御心への信心は、天主が人類に与え給うた残された最後の二つの治療薬であるとの言葉に戻った。

 司教は「間違いなく『物質的な』世界の大懲罰は間近に迫っている」と述べた。「私たちの目前で大事が起きようとしています。どうやって? いつ? 私にはわかりません。ですがすべての物事をまとめあげてみるなら、天主は人間の罪に辟易なさっていることは明白です」

 また、司教は、天に向かって復讐を叫ぶ罪の数々、例えば堕胎や自然に反する罪について語った。自然に反する罪は、結婚とそれに関する多くの罪の、不自然な「再定義」への錯覚である。

「私たちは何をなすべきか? バニックにならないで下さい。パニックは何の役にも立たないからです。必要なことは自分の職務──毎日の義務を果たすことです。これが準備のための最善の方法です」

 司教は続けて「私たちは『非常に恐るべき時代』にいますが、無力ではありません」と述べた。「教会の現状はまぎれもない破壊のうちにあります。現教皇様はそれを一万倍も悪化させています」と指摘した。

「ベネディクト十六世の教皇職の始まりに、私は『教会内の危機は続くでしょうが、教皇様はブレーキをかけようとなさっています』と言いました。言うなれば、教会は落下し続けるだろうが、パラシュートとともにであると。そして現在の教皇フランシスコの教皇職の始まりには、私は『教皇様は糸を切って、落下するロケットを持ち込んだ』と言います」

「現教皇様がご自分の教皇職を開始したやり方で続けていくなら、教会を分裂させていくことでしょう。すべてのことを爆発させるでしょう。ですから人々はこう言うでしょう。『あの方は教皇ではあり得ない。私たちは彼を拒絶しよう……」私はこう言います。「お待ちなさい、あの方を教皇様だとみなして下さい、でもあの方の言動には従ってはなりません。教皇様は(良き信徒たちの)怒りを挑発しています。多くの人々は教会内の人々の行いに失望するでしょう』そして『(宗教生活の)すべてを投げ捨てる』誘惑を受けるでしょう。」

 だが、天主は「私たちよりもずっとずっと巨(おお)きな存在です。天主は教会を存続させることがおできになります」と司教は喚起した。また、こういった不完全な聖職者たちを通じて[天主は]働くことさえ可能だとも述べた。「ですが、もう一度言います」と司教は繰り返す。「彼らに従ってはなりません。彼らが真実を述べる時、従って下さい。でも彼らが馬鹿げたことを言うなら、その論点には従ってはなりません。真実へのあらゆる従順は天主に関連していなければなりません。私がある方に従うと言う時、その方は『天主の鏡』であるべきです。ですが、鏡が天主に反することを告げるなら、もはや鏡ではありません。私はその人には従いません」

 私たちは疑うことなく現教皇様に単純に従うことはできない、とフェレー司教は指摘した。自分たちを破壊するかも知れず、信仰を危険にさらすかも知れないからである。

 シスター・ルチア、レオ十三世及びピオ十世教皇の警告に従って、フェレー司教はさらに、私たちは反キリストの時代に突入しているのかも知れないが、このことがどれほど先のことなのか知ることはできない、とさらなる警鐘を鳴らした。

(Source : Catholic Family News/sspx.org – 10/18/13)


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天主様に感謝!2013年11月の日本でのミッションの報告

2013年12月12日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ご無沙汰しております。10月15日にはセブ島やボホル島での大地震があり、11月8日には台風30号(国際名:ハイヤン、現地名:ヨランダ)がレイテ島のタクロバンを中心にサマール島なども襲いました。早速、レイテ担当の司祭であるヘラ神父様が、ティム神父様と共にレイテ島に直接行って救護活動をしました。ヘラ神父様の不在の間、マニラでの仕事は大変多くなりました。
 そういうわけで、私は、フィリピンの被災地には直接行く機会がありませんでしたが、マニラの教会で、日常の仕事をこなしながらお祈りと仕事をしていました。
 しかし、レイテ島やサマール島での被害があまりにも甚大で、復旧に時間が掛かるので、多くの被災者の方々が空軍によってマニラに運ばれてきました。そこで、空軍基地に行って手伝うように要請を受けた私たちは、11月16日、17日、19日、21日、22日などとフィリピン軍の基地に行ってボランティアとして働きました。多くのボランティアの方々が基地に来ていました。多くのシスター達も来ていました。食料も古着などもどんどん到着していました。

 そうして、着のみ着のままで飛行機に乗ってマニラに着た家族や子供たちと会いました。タクロバンから、サマールのギアンから、オルモックから、またその他の場所から来た方々で、家やその他全てを失った方々、身内を失った方々、あるいは家族をまだ残してマニラに来た方々に会いました。そういう方々と出会って、お話を伺いました。カトリック司祭の存在をとても心強く感じられたようです。ロザリオを差し上げたり、スカプラリオの着衣式や、祝福して差し上げました。そんな中で、私が出会った方々は、皆、この試練をとても肯定的に、超自然的に受け止めていたのが印象的でした。他人についてこう語るのは容易ですが、私たちも、試練をいつも肯定的に超自然的に受け入れて捧げる準備ができていますように! 

 日本では明日から聖伝のミサが大阪と東京であります。また、2014年の典礼カレンダー(カラー)もできあがりました! ミサの会場でお分けいたします。今年は、制作費が昨年よりも安く上がったので、950円でお分けできることになりました。天主様に感謝! 

 さて、大変遅れてしまいましたが、2013年11月の日本でのミッションの報告を申し上げます。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


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【大阪】
アヴェ・マリア!
11月の大阪の御ミサの御報告です。
8日金曜日には15人の方が御ミサに預かるお恵みをいただきました。
この日の聖福音にあるぺトロの舟についてお説教をしていただき、
1、イエズス様がいらっしゃる公教会は最後まで絶対に沈まないことを信頼し 
2、教皇様の為にたくさん祈り 
3、聖伝の信仰を守る御ミサに預かる人と、聖なる召命が益々増えるように祈る
ようにしなければならないことがわかりました。

9日土曜日には22人の方が御ミサに預かりました。

御ミサの後、公教要理では「カトリ ック信者としての心得」についてお話しいただきました。
私たちの使命は、「主のみ旨を果たすこと」つまり

1、掟を守り
2、時間を大切にし
3、すべてを天主のために為す

ことであると再確認いたしました。国家、世間の人々が私たちの主をなおざりにしている分、私たちはただただ天主様のためにすべてをおささげしなければならないと感じました。

ハードなスケジュールの中、日本に帰って来て下さった神父様に心から感謝いたします。神父様に天主様がたくさんのご助力とお恵みをお与えくださいますように!!!
聖母の汚れなき御心よ、我らの為に祈りたまえ!


【東京】
11月10日(主日)の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 13人(内、子供0人)
女: 16人(内、子供0人)
計: 29人(内、子供0人)


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11月2日の葬儀ミサでクチュール神父様がなさったお説教をご紹介します。日本語訳をしてくださった大阪の信徒会長様に感謝します。

テレジアさんの葬儀の説教(2013年11月2日)


テレジアさんのご家族の皆さん、
信者の皆さん、
友人の皆さん、

私たちは、マリア・テレジアさんのために祈っています。テレジアさんは木曜日(10月31日)に亡くなられました。私たちは、なぜ亡くなった人々のために祈るのでしょうか。それには多くの理由があります。

第一に、私たちは、亡くなったあとにも命があり、死ぬことですべてが終わるのではないことを信じているからです。私たちの霊魂は霊的であります。死ぬことはなく、体のように腐敗することはありません。体は死んだあと、ちりや灰になってしまいます。霊魂が体から離れたあとも、霊魂は存在し続けます。

次に、死の瞬間ののち審判があります。霊魂は審判を受けるため、天主のもとへ行きます。テレジアさんも、生涯の中で行った良いことと悪いことについて裁かれました。私たちは、私たちが自覚して行ったすべてのこと、思い、言葉、行い、怠りによるすべてを天主の前で説明しなければなりません。私たちが天主の十戒に従い、天主を信じ、洗礼によって恩寵を受け、霊魂における天主の命であるこの恩寵を保ったならば、霊魂は救われるでしょう。つまり、天国へ行けます。天国は天主の国であり、天主とともに永遠に幸福でいられるでしょう。天国の幸福は大変素晴らしいため、人間の言葉で表現することはできません。 「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心にまだ思い浮ばず、天主がご自分を愛する人々のために準備された」(コリント前書2:9)。しかし、霊魂が天主を信じることを拒絶し、天主の命令に従うことや恩寵を保つことを拒絶するならば、決して天国へは行けません。地獄へ行くのです。

信じている人が亡くなったとき、よくあることですが、魂に小さな汚れが残っています。小さなちりのように。この場合、この人は天国に入ることができません。なぜなら、完全に清められた人だけが天国に入れるからです。しかし、地獄へ送られるのでもありません。この人の心に天主の恩寵があるからです。この人は、どこかで小さな汚れを清めてもらわなければなりません。その場所は、煉獄と呼ばれます。天国の玄関のようなものです。聖書は言っています。死んだ人々のために、罪から解き放たれるよう祈ることは聖なる考えだと。

それが、きょう私たちが行っていることです。亡くなった人々の霊魂に汚れがあり、まだ天国に行っていない場合、私たちは彼らの霊魂のために祈ります。私たちは彼らを見ることはできません。しかし、私たちは「念のために」に祈ります。聖アウグスチヌスが言うように、亡くなった霊魂のために十分祈らないよりは、多すぎるほど祈るほうが良いのです。もし亡くなった人々がもう天国にいるならば、私たちの祈りは助けが必要なほかの霊魂に与えられるでしょう。

亡くなった人々のご遺体に敬意を表すのは重要ですが、最も重要というわけではありません。実際、私たち自身のために重要なのです。私たち自身の慰めになるのです。なぜなら、霊魂は体を離れ、物質的なものは必要なくなるからです。にもかかわらず、亡くなった人々への愛のためにご遺体に敬意をあらわすのです。

皆さん、テレジアさんのために聖なるミサを続けましよう。ミサにおいては、私たちは天主の御子の御体、御血、霊魂、そして神性を天主のために捧げます。私たちは父なる天主、永遠の御父に申し上げます。これは、あなたの御子のいけにえ、御子は私たちのために、私たちがきょう祈っている霊魂のために亡くなられました。彼女のあらゆる罪、霊魂にまだ残っている汚れを赦し、速やかに天国へ連れて行ってください。聖なるミサは、人が亡くなったときに私たちが捧げるもののうち、最上のものです。

ミサののち、「赦祷式」と呼ばれる儀式を行います。亡くなった人への特別な祈りです。亡くなった人のご遺体に聖水をかけ、香をたきます。なぜなら、体は洗礼において聖香油が塗られ、聖体拝領で聖なるものとなります。そして、全能の天主の神殿になるからです。

最後に、イエズスの御母、童貞聖マリアに祈りましょう。マリア様がエステル王妃のように、王の中の王である御子に対し、テレジアさんと、煉獄にいるすべての霊魂のためにとりなしてくださいますように。アーメン。

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2013年11月3日(主日) 大阪での説教
煉獄について


信者の皆さん、

(逝去され、葬儀ミサを行うことになったことで)マリア・テレジアさんに感謝しましょう。諸聖人の祝日、死者の日、そして聖霊降臨後第24の主日のミサにあずかることができたのですから。今度は私たちが、彼女のために祈りを続け、本日のミサおよび聖体拝領を彼女のために捧げることで、感謝しましょう。

昨日の葬儀では、死者のためにミサを捧げる理由をお話ししました。今朝は、煉獄について詳しくお話しします。私たちは、この教えをよく知っておく必要があります。なぜなら、今の時代は多くの方法でこの煉獄の教えが攻撃を受けているからです。

第一のポイント:煉獄に関する誤り

まず、この煉獄に対する攻撃に関し、少し説明します。煉獄を信じていない人々を喜ばせるために、カトリック教会で多くのことが変更されました。たとえば、もう黒い祭服は使われず、紫色の祭服が使われるようになり、白い祭服が使われることさえあります。哀悼の日でなく、祝日を表すように祭壇に花が飾られ、アレルヤさえ歌われます。

もっと深刻なのは、死者のための時間、ミサ、祈りが、死者をたたえ、煉獄ではなく天国に入っているのを祝っていることです。葬儀ミサにおいて、煉獄に言及することはほとんどありません。地獄についても煉獄についても触れません。はっきり言いましょう、なぜなら、もはや罪はないからです。罪はもう、天主を攻撃しないのです。

第二のポイント:煉獄の教え

しかし、これらはすべて、しっかりと打ち立てられた煉獄に関する聖伝の教えに反しています。煉獄について言うべきことはたくさんありますが、私たちの信仰、カトリック信仰の一部をなす二つの点についてだけお話しします。一つ目は、煉獄が存在すること、二つ目は、私たちが煉獄の霊魂を助けることができるということです。

聖書にないから煉獄は存在しないという人々は、聖書をよく知っていません。また、プロテスタントの人々がするように、聖書を自分勝手に解釈しています。聖書には、死後の清めの場所が存在することを述べている聖句が、少なくとも三つあります。「煉獄」という言葉は使われていませんが、清めとそのための場所のことが確かにあります。

まずは、マカベオ書下の第12章です。(マカベオ書下は旧約聖書の最後の巻で、聖マテオ福音書の直前)戦いの後、ユダ・マカベオは、エルサレムにお金を送って死んだ兵士たちのためにいけにえを捧げさせます。聖霊はこう記しています。
(実に死んだ人たちのよみがえりを希望していなかったなら、死者のために祈ることは無益な空しいことであったろう。)彼は、敬虔に眠りに入った人たちに素晴らしい報いが準備されていると考えていた。これは聖い信心深い考えである。そのために彼は死者のための償いのいけにえを捧げ、罪から解き放とうとした。

次の聖句は、マテオ福音書第五章25―26節です。ここでは、イエズスご自身が生きている間に清い心を持つように仰せられました。さもないと、死んだ後、
「牢に入れられる。まことに私は言う、一厘残らず返すまで、あなたはその牢を出られない」。
これが意味するのは、私たちが罪のせいで天主に対して負い目があるのなら、死んだ後、天国に入ることはできないということです。

もう一つの聖句は、聖霊に逆らう罪についての有名な聖句です。
言葉で聖霊に逆らう者は、この世においても来世においても赦されることはない(マテオ12章31―32)。
このことは、来世において赦される罪が存在するということを意味しています。この来世は、天国でも地獄でもありません。ですから煉獄なのです。

トレント公会議は、煉獄についてのカトリックの信条、私がさきほど述べた二つのポイントを明確に表現した公会議です。煉獄は存在し、私たちは煉獄の霊魂のために祈ることができる。私たちは、「とりなし」によって煉獄の霊魂を助けることができる。トレント公会議はそう言っています。とりなしとは、私たちが霊魂のために天主に対して何かを捧げることです。私たちは、彼らを直接助けることはできません。私たちが捧げるものを、この霊魂に与えてくださいと、天主にお願いするのです。煉獄についての疑問、つまり煉獄にいる時間の長さ、煉獄の火、煉獄のいろいろな段階については、トレント公会議は定めていません。

ですから、煉獄は存在し、私たちはその霊魂を助けることができます。最上の方法は、彼らのためにミサを捧げることです。彼らのために、ミサ、ノベナ(九つのミサ)を捧げることができます。特に、グレゴリオ・ミサと呼ばれるものがあります。これは、特定の霊魂のために30日間中断せずに毎日連続でミサを捧げることです。グレゴリオ・ミサは、生きている人のために捧げることはできません。また、多くの死者のために同時に捧げることもできません。一人の死者だけです。

また、聖体拝領やロザリオの祈り、他の祈りや償いの業を捧げることもできます。そうすれば、死者のために贖宥(免償)を獲得します。贖宥とは、罪による罰を減らすことです。ご存じのように、贖宥には二種類あります。部分贖宥と全贖宥です。部分贖宥は苦しみの一部を減らし、全贖宥は罪による罰をすべてなくします。天国へのフリーチケットのようなものです。ところで、11月1日から9日まで毎日、お墓参りをしたり、霊魂のために祈ることで、全贖宥を獲得できます。

最後に、私たちは煉獄の霊魂のために、徳の行いを捧げることもできます。たとえば、怒りそうになる場合、こう考えましょう。いや、怒らずにいよう、そうすれば、怒りの罪のために煉獄にいる霊魂を助けることができる。また、試みに抵抗することができます。食べ過ぎないようにしよう、そうすれば、食べ過ぎたために煉獄にいる霊魂を助けることができる。このテレビ番組や、その危険なウェブサイトを見ないようにしよう、そうすれば、目の罪のために煉獄にいる霊魂を助けることができる。

信者の皆さん、皆さんは煉獄についての聖伝の信仰を知りました。さあ、実践しましょう、特に今月の残りの間に。多くの霊魂を天国に送り届けましょう、そうすれば彼らは、私たちのこれからの人生において、最上の友人になるでしょう。

あわれみの御母である聖母を通して、そう願いましょう。アーメン。


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--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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