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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖ピオ十世会日本でのミサの報告:初金の御聖体礼拝による聖時間、生命のための祈りの集い、日本と世界平和を祈る聖母行列(2018年1月6日)

2017年12月06日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 もう12月、もう待降節ですね!

 兄弟姉妹の皆様のしもべは、ファチマ100周年最後の初金と初土のミサを大阪で行いました。

 12月1日には、いつものように初金の聖時間をご聖体の前で過ごしました。北朝鮮がミサイルを撃ったり、核爆弾の開発を進めていますが、私たちは御聖体礼拝で平和を守ろうとしています。

 とても素晴らしい記事を読みました。「メキシコシティ: 礼拝が増すにつれ、暴力が劇的に減少」です。元記事はヨゼフ・ジェンマさんが紹介してくれたものです。

 御聖体礼拝をしたところ、世界で最も危険な都市の一つが安全な都市に大変化しました。聖体礼拝を始めた直後から、殺人率が劇的に低下し始めたのです!2010年から2015年の間に、殺人件数は3,766人から僅か256人に減少しています。「教会が昼も夜も天主を礼拝する時、街は変容する!」

 だから、私たちも御聖体礼拝を続けます。毎月初金には必ず御聖体礼拝を続けましょう!

 ベネディクト16世教皇様が2010年11月27日(土曜日)になさった呼びかけに応じて、私たちも今年は待降節第一主日の前日、すなわち12月2日(土曜日)に「生まれようとする命のための祈りの集い」(Veillée de prière pour toute vie naissante, Vigil Prayer for All Nascent Human Life) を行いました。











 教皇ベネディクト十六世が2010年待降節第一主日の前日に、聖ペトロ大聖堂の広場で全世界のカトリック信徒たちに呼びかけて堕胎の廃止と人間の胎児を破壊するような実験を止めるために、祈りの集会を開いたことから始まりました。カトリック教会は、最もか弱く、最も貧しく、最も脅迫を受けている胎児を守ることに大きな関心を抱いています。
 大人の利己主義や自分の都合で、自分を守ることができない子供たちを犠牲にして良いわけがありません。
 親が「俺は今、ここで、おもしろおかしく生活する、借金する、だがその負の遺産は子供たちが受ければ良い、俺には関係ない。」このような態度は赦されるものではありません。
 子供がうまれることは、自分が生活するのに邪魔になる、だから殺せば良い、それは許されません。

 世界中で、特に私たちの愛する祖国で、堕胎がなくなりますように、胎児たちに対する大戦争が終結するように、御聖体を顕示し、御聖体降福式を執行しました。

 来年の待降節第一主日の前日、すなわち2018年12月1日には、大阪のみならず東京でも「命のための祈りの集会」を開く予定です。愛する兄弟姉妹の皆様の多くの参加をお待ちしております。

 待降節は、天主が私たちのもとに来られることを記念する時です。私たちのために人となった天主の愛を記念する時です。天主は、私たちのために小さくなり、貧しくなり、幼子になりました。天主は、聖母の胎内に来られたその瞬間から、人間としておられました。カトリック教会は、母親の胎内にいる全ての胎児が人間であり、人間として守られなければならないことを教えています。たとえ弱々しくとも、たとえ貧しくとも、たとえ自分を守ることができなくとも!

 さらに、来年、新年早々の1月6日の初土曜日には、大阪でミサの直後に、日本と世界の平和と求めてファチマの聖母行列を行う予定です。

 何故なら北朝鮮は、大陸間弾道ミサイルの度重なる発射と多くの核実験で、世界の平和を脅かしているからです。北にいる人民たちを人とも思わぬやり方で支配し、日本や韓国から人々を拉致し、自分の兄も暗殺し、叔父を処刑し、副首相も処刑し、見せしめの恐怖政治を行っているからです。そして、ほとんどの国家予算を、軍事と核開発にひたすら費やしているからです。

 聖ピオ十世会は韓国のキムジェ(金堤)というところにもミッション・センターがあります。11月にこのキムジェに、つい最近アメリカから駐韓アメリカ空軍の群山空軍基地に任命されたエリート・パイロットがミサに与りにやってきました。F-16を操縦するそうです。奥さんや子供はアメリカに残したまま一人で来られたとのことです。また、数日前、日本の岩国基地に任命を受けた方が日本で聖伝のミサにあずかりたい、との連絡を受けました。事態は緊迫しています。

 私たちには平和が必要です。やくざやチンピラの脅迫を受けた場合、彼らからの攻撃を防ぐにはどうしたらよいでしょうか? 賢明なのは、できれば警察に連絡することです。パトカーが来れば彼らは逃げることでしょう。警察がいるから(交番があるから)やくざがいるというのは、愚かな考えです。その反対です。

 警察でも私たちを守り切れない場合には、警察よりももっと強い軍隊に助けを求めます。私たちは、アメリカ軍よりも強い万軍の主なる天主に助けを求めます。天主こそは平和の君であるからです。天主が平和を作ってくださらなければ、平和を作ろうとする人の労苦も空しいからです。天主が町を守って下さらなければ、町を守る警備も空しいからです。

Nisi Dominus ædificaverit domum, in vanum laboraverunt qui ædificant eam. Nisi Dominus custodierit civitatem, frustra vigilat qui custodit eam!

 だから、私たちは聖母の汚れなき御心に助けを求めます。何故なら天主は聖母を通して私たちに平和を与えることを定めたからです。ジャシンタが病院に行く前にルシアにこう言いました。

「私たちはマリアの汚れなき御心を通して平和を求めなければなりません。何故なら天主は平和を聖母に委ねたからです。」

 だから愛する兄弟姉妹の皆様、新年早々の1月6日の初土曜日には、大阪でミサの直後に、日本と世界の平和と求めてファチマの聖母行列に参加してください。日本と世界の平和は聖母にかかっています。

【参考】«Shortly before leaving for the hospital, she (Jacintha) said to me  : "I don’t have much time left before going to Heaven. You will stay here, to tell the world that God wants to establish devotion to the Immaculate Heart of Mary. When the moment comes, do not be silent. Tell the whole world that God gives graces through the Immaculate Heart of Mary  ; that we must ask Her for them  ; that the Heart of Jesus wishes the Immaculate Heart of Mary to be venerated alongside of It; and that we must ask for peace through the Immaculate Heart of Mary, since God has entrusted it to Her." "Oh, if only I could put into all hearts the fire I have in my heart, which makes me burn with so much love for the Heart of Jesus and the Heart of Mary  !" »

東京では待降節第一主日のミサを行いました。東京のミサでは、新しい方々、久しぶりの方々も来られ、大変うれしく思いました! 特に月曜日には二名の新しい方々が来られ、12名の兄弟姉妹の皆様がミサに与ることができました。天主様に感謝!

では、12月1日から4日までのミサの報告を愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

12月の初金、初土曜日の御ミサの報告をお送りいたします。

12月1日 初金 至聖なるイエズスみ心のミサには13人が、
12月2日 初土 聖母の汚れなき御心のミサには16人が御ミサに与るお恵みを頂きました。デオグラチアス!

両日とも、御ミサの後に御聖体降福式があり、金曜日は特にイエズス様の聖心に加えられる人類の罪の償いとして、
そして生まれようとする命を守るため、日本で堕胎がなくなりますようにと、また特別祈願として コロンビアを共産主義からお守りくださいという意向をもって祈り、土曜日には初土曜日の信心の黙想を御聖体の御前でさせていただきました。イエズス様の御前で、ロザリオの黙想をマリア様と一緒に出来て、天主様が私達にお与えくださる御恵みの寛大さにただただ感謝し大きな喜びに浸りました。

金曜日のお説教で、イエズス様の聖心が私達に求めておられることを黙想しました。
それは、マリア様の御心へ私達が行くこと、マリア様に倣って天主のみ旨を果たす事を最優先する事だとよく理解できました。

土曜日には更に深くマリア様の御心を黙想しました。エルサレムの神殿、王の玉座、ダヴィドの竪琴はすべてマリア様の汚れなき御心の前兆であるといった聖ヨハネ・ ユードの語るイエズス様とマリア様の二つの聖心の神秘を黙想で終わらず、実践的にその聖心に倣う事ができるようにお恵みを求めました。
また、マリア様のマニフィカトについての考察も初土曜の黙想の大きな助けになりました。
私達がマリア様の汚れなき御心にとどまれば私達を代表して、私達と一緒に、私達の代わりにマリア様はマニフィカトを天主様に捧げて下さることがよくわかりました。
私はすぐに恵みを願うばかりで、天主様に感謝する事にとんでもなくケチでした。マリア様に倣ってマニフィカトの精神を常に持つことが出来ますように!


至聖なるイエズスの聖心我らを憐み給え
聖母の汚れなき御心よ我らのために祈り給え


【報告】
Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 22人(内、子供2人)
女: 23人(内、子供2人)
計: 45人(内、子供4人)

月の初水曜日 聖ヨゼフの7つの苦しみと喜び

2017年12月06日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日、12月6日は、初水曜日(月の初めての水曜日)であります。

毎月の初水曜日には「聖ヨゼフの七つの御喜びと御悲しみ」について黙想することをご提案します。



聖ヨゼフは、この世で天主イエズス様と浄配なる聖母マリア様を最も良く知り、愛された御方であり、その隠れた徳ゆえに偉大なる御方、イエズス様とマリア様の最大の命の恩人であられました。

また、聖ヨゼフは、この世では、全てを天主の栄光のために、隠れてその生涯をささげられたが故に、天にて聖母の次に最大の栄光をあたえられていらっしゃいます。

聖伝では、水曜日は聖ヨゼフに捧げられた曜日であり、月の最初の水曜日を聖ヨゼフに捧げることで、聖ヨゼフを讃え、その御取次に信頼し、その御徳に倣って、聖ヨゼフを通して、天主イエズス様とマリア様をお愛しすることができますように。

初土曜日の「聖母の汚れ無き御心」への信心にならって、この「聖ヨゼフの七つの御喜びと御悲しみ」のどれかを「15分間黙想」することにいたしましょう。

聖ヨゼフの帯の信心については、下記リンクをごらんください。
聖ヨゼフの帯 cingulum Sancti Joseph

良き待降節をお過ごしください。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


聖ヨゼフの7つの苦しみと喜び

1 ああいと潔き御母マリアの浄配、栄えある聖ヨゼフよ、御身のいと清き妻を失ならんと心に思い煩いし時の苦しみはいと大いなるものなりき。
されど天使が御託身の玄義を御身に伝えられし時の喜びは、またひとしお大いなりき。この苦しみ、この喜びにより、今も臨終の時も我らの心を潔さ良心の喜びと、イエズス、マリアのうちに自我を滅する尊き御身の心を示し、我らを慰め給え。



2 ああいと幸いなる保護者聖ヨゼフよ、御身は人となり給いし御言葉の潔き養父の位にあげられたれども、御身は幼きイエズスがいと貧しき中に生まれ給うを見て大いに悲しみ給いしが、
天使らのたえなる歌声を聴き、その輝ける夜の栄えを見給うや、その悲しみは天的の喜びと変じたり。御身のこの悲しみ、この喜びによりて、我らもまたこの世の歩みを終えたる後、天使らの賛美の歌声を聴き、天的光栄の輝きを受け得んことを願い奉る。



3 ああ御摂理にいと従順なしもべなる、栄えある聖ヨゼフよ、幼きイエズスが割礼にて流されたる尊き御血は御身の心を苦痛もて貫きたれども、
イエズスと命名されるや御身の心は喜びに満たされたり。御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らをこの世の悪徳より離れしめ、イエズスのいと尊き御名を心から唱えつつ心満たされてこの世を去るを得しめ給え。



4 ああいと忠誠なる聖ヨゼフよ、御身は救世の玄義の成就に身をもって大いなる役を果たされしが、シメオンの預言によりイエズスとマリアが受け給うべき苦難を予知せられ苦しみ給いたれど、
数限りなき人々の霊魂がこれによって救わるるとの預言によりて、天的喜びに満たされたり。御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らがイエズスの功徳と聖母マリアの御取次ぎにより、終わりなき栄えを得てよみがえる人々のうちに数えられる御恵みをとりなし給わんことを願い奉る。



5 ああ人となり給いし天主の御子のいとも注意深き保護者なる栄えある聖ヨゼフよ、御身はいと高きものの御子を養い給い、これに仕えるために多くの辛酸をなめられたり。わけてもそのエジプトへの逃避はいと苦しきものなりしが、
御身が常に天主御自身と共におられし喜び、またエジプト人らの諸々の偶像が地に落とされしを目の当たりに見られし時の安心はいと大いなりき。この御身の辛酸と喜びとによりて、我らが地獄的暴君より免れて、わけても危険なる機会より逃避する事を得しめ、我らの心のうちに地上的執着が落とされ、ひたすらイエズスとマリアに仕え奉りつつ日々の生活を送り、この世を幸いに終わる事を得しめ給え。



6 ああこの地上の天使なる栄えある聖ヨゼフよ、御身は御身の心を天の王に全く捧げられたり。御身がエジプトより戻られる喜びは、アルケラウスに対する憂慮にて不安の闇となりしが、
天使は再び御身にイエズスとマリアと共にナザレトにて楽しく住み給う事を約束せられたり。御身のこの苦しみ、この喜びによりて、我らの心を深い恐怖より免れしめ、潔き良心の平和を楽しみ、イエズスとマリアと共につつがなく世を送り、臨終においてはイエズスとマリアの御手に我らの霊魂を捧ぐる事を得しめ給え。



7 ああ全ての徳の鑑なる栄えある聖ヨゼフよ、御身は御身の誤りにあらずして幼きイエズスを見失い、三日の間苦しみもて捜し求められたり。
されど神殿の中に博士らに取り巻かれたるイエズスを見出されし時の喜びはいかに大いなりや。御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らが大罪を犯しイエズスを失いたりせば、たゆまず彼を捜し求め、遂に再び巡り会えるよう、わけても臨終の時に彼と共にありて天国に至り、御身と共に天主の終わりなき御恵みを賛美し奉るようとりなし給わんことを心から願い奉る。



交唱 イエズスが教えをはじめたりしは三十歳ごろなり、人々、イエズスをヨゼフの子なりと思いたり。(ルカ3:23)

V 聖ヨゼフ、我らの為に祈り給え。
R キリストの御約束に我らをかなわしめ給え。

祈願 天主、御身のかしこき御摂理のうちに祝せられたヨゼフを至聖なるマリアの浄配に選び給いたれば、願わくはこの世の我らの保護者として崇め奉る彼が、我らの天のとりなし手となり給わんことを。 アーメン。



英語ではこちら。
THE SEVEN DOLOURS AND SEVEN JOYS.

i. St. Joseph, pure spouse of most holy Mary, the trouble and anguish of thy heart were great, when, being in sore perplexity, thou wast minded to put away thy stainless spouse: but this joy was inexpressible when the archangel revealed to thee the high mystery of the Incarnation.
By this thy sorrow and thy joy, we pray thee comfort our souls now and in their last pains with the consolation of a well-spent life, and a holy death like unto thine own, with Jesus and Mary at our side.
Pater, Ave, and Gloria.

ii. St. Joseph, Blessed Patriarch, chosen to the office of Father of the Word made Man, the pain was keen that thou didst feel when thou didst see the Infant Jesus born in abject poverty; but thy pain was changed into heavenly joy when thou didst hear the harmony of angel-choirs, and behold the glory of that night when Jesus was born.
By this thy sorrow and thy joy, we pray thee obtain for us, that, when the journey of our life is ended, we too may pass to that blessed land where we shall hear the angel-chants, and rejoice in the bright light of heavenly glory.
Pater, Ave, and Gloria.

iii. St. Joseph, who wast ever most obedient in executing the law of God, thy heart was pierced with pain when the Precious Blood of the Infant Saviour was shed at His Circumcision; but with the Name of Jesus new life and heavenly joy returned to thee.
By this thy sorrow and thy joy, obtain for us, that, being freed in our life from every vice, we too may cheerfully die, with the sweet Name of Jesus in our hearts and on our lips.
Pater, Ave, and Gloria.

iv. St. Joseph, faithful Saint, who wast admitted to take part in the redemption of man; the prophecy of Simeon foretelling the sufferings of Jesus and Mary caused thee a pang like that of death; but at the same time his prediction of the salvation and glorious resurrection of innumerable souls filled thee with a blessed joy.
By this thy sorrow and thy joy, help us with thy prayers to be of the number of those who, by the merits of Jesus and his Virgin Mother, shall be partakers of the resurrection to glory.
Pater, Ave, and Gloria.

v. St. Joseph, watchful Guardian, friend of the Incarnate Son of God, truly thou didst greatly toil to nurture and to serve the Son of the Most High, especially in the flight thou madest with Him unto Egypt; yet didst thou rejoice to have God Himself always with thee, and to see the overthrow of the idols of Egypt.
By this thy sorrow and thy joy, obtain for us grace to keep far out of the reach of the enemy of our souls, by quitting all dangerous occasions, that so no idol of earthly affection may any longer occupy a place in our hearts, but that, being entirely devoted to the service of Jesus and Mary, we may live and die for them alone.
Pater, Ave, and Gloria.

vi. St. Joseph, angel on earth, who didst so wonder to see the King of heaven obedient to thy bidding, the consolation thou hadst at His return was disturbed by the fear of Archelaus, but nevertheless, being reassured by the angel, thou didst go back and dwell happily at Nazareth, in the company of Jesus and of Mary.
By this thy sorrow and thy joy, obtain for us, that, having our hearts freed from idle fears, we may enjoy the peace of a tranquil conscience, dwelling safely with Jesus and Mary, and dying at last between them.
Pater, Ave, and Gloria.

vii. St. Joseph, example of all holy living, when, though without blame, thou didst lose Jesus, the Holy Child, thou didst search for Him for three long days in great sorrow, until with joy unspeakable thou didst find him, who was as thy life to thee, amidst the doctors in this Temple.
By this thy sorrow and thy joy, we pray thee with our whole heart so to interpose always in our behalf, that we may never lose Jesus by mortal sin; and if (which God avert) we are at any time so wretched as to do so, that we pray thee to aid us to seek Him with such ceaseless sorrow until we find Him, particularly in the hour of our death, that we may pass from this life to enjoy Him for ever in heaven, there to sing with thee His divine mercies without end.
Pater, Ave, and Gloria.

Ant. Jesus Himself was about thirty years old, being, as was supposed, the son of Joseph.

V. Pray for us, holy Joseph.
R. That we may be made worthy of the promises of Christ.

Let us pray.
O God, who in Thine ineffable providence didst vouchsafe to choose blessed Joseph to be the husband of Thy most holy Mother; grant, we beseech Thee, that we may have him for our intercessor in heaven, whom on earth we venerate as our holy protector. Who livest and reignest world without end. Amen.

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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