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カトリック聖伝のミサの報告 聖ピオ十世会 Traditional Latin Mass in Tokyo and Osaka, SSPX Japan

2021年12月12日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日、ガウデーテの主日、東京のミサに来られた方は、子供達も入れて合計119人でした。大阪では20人でした。天主に感謝します。

【報告】
Dear Fathers:

Shown below are the number of attendees at the masses in Tokyo today. The total number of attendees at the masses in Tokyo today was 119, including children.

09:00 mass
M: 23 (incl. 3 children)
F: 28 (incl. 6 children)
Total: 51 (incl. 9 children)

11:00 mass
M: 22 (incl. 3 children)
F: 21 (incl. 6 children)
Total: 43 (incl. 9 children)

12:30 mass
M: 10 (incl. 0 child)
F: 20 (incl. 2 children)
Total: 30 (incl. 2 children)

Total of 3 masses (excl. 5 people who participated in multiple masses)
M: 52 (incl. 6 children)
F: 67 (incl. 14 children)
Total: 119 (incl. 20 children)




【再掲】「私はあなたの母です」──グァダルーペの聖母

2021年12月12日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 12月12日は、グァダルーペの聖母の祝日でもあります。『「私はあなたの母です」──グァダルーペの聖母』をご紹介します。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

原文はこちら
I am your mother": Our Lady of Guadalupe
「私はあなたの母です」──グァダルーペの聖母

 細やかな心配りの善き母親として、幸いなる童貞マリアはその子らを守ってくださる。

 グァダルーペの聖母の祝日は、アメリカ合衆国では十二月十二日に祝われている。一五三一年十二月のファン・ディエゴへの聖母のご出現と、それに続いて起こったファン・ディエゴのティルマ(植物繊維で織られた荒布のマント)にくっきりと印された聖母の絵の奇跡を三級祝日として記念している。



 この奇跡の絵はアステカ族の象徴的な──あるいは記号的な──言語として、アステカ族の多くの階級に向けて語りかけた。だが、まず第一にこの絵が教えていることは、テペヤックの丘のおとめは何者であるかということ、「太陽をまとい、月を足の下に置き、頭には十二の星の冠をいただく」ことで示された、おとめのおん力である。この重大な象徴化は、ファン・ディエゴにナワトル語で与えられた名前──「Coatlaxopeuh コアトラショペ」──スペイン語で「グァダルーペ」と翻訳された──「蛇を踏み砕く者」という意味──で念入りに確認された。ここでは単に悪魔についてだけでなく、具体的にアステカの多神教について触れている。




 この目を見張る奇跡がもたらしたものは、数百名のメキシコの原住民たちによる、唯一のまことのカトリック信仰への回心という奇跡的出来事そのもの以外にはあり得ない。それまで、この地のさまざまな階級の人々は、 異教の中でも最も残虐な形をとったことで知られるアステカの宗教のもたらす災難(例えば一日に一万人以上の人身御供を新たな神殿に捧げる)に苦しんでいた。



 ティルマに描かれた肖像について述べるなら、聖母は慰めるような物腰と姿勢で、平和と静穏を内側から放ち、しかしながら穏やかな力強さでアステカの凶暴な血に飢えた神々を圧倒している。この異教の最も強力な二つの神々──太陽の神を遮り、月の神を足の下に置くことで鮮やかに立証してみせたのだ。



 アメリカ全土の霊魂たち(北、中央、南のどの領土に住んでいようともである──従って 『南北アメリカ大陸の元后(Empress of the Americas)』なる聖母の称号は妥当である)へのグァダルーペの聖母の面影に表された行き届いた心遣いは、聖母がファン・ディエゴに言われた「私に信頼なさい。私はあなたの母なのですから」という慰めとなる言葉に端的に表されていることを思う時、よりいっそう深く理解されることだろう。



「私はあなたの母です」

 次に述べるグァダルーペの聖母の言葉は、アントニオ・ヴァレリアノによってナワトル語で書かれた、このご出現と奇跡の数々についての十六世紀の歴史的記事、Nican Mopohua(報告書)からの引用である。これらの聖母のお言葉は、数日間に渡ってファン・ディエゴに語られた。読者の方々が、聖なるおん母の細やかな心配りの、慰めとなるメッセージに集中できるよう、歴史的背景は省略してある。




最初の御出現──十二月九日

「フアニート、愛するファン・ディエゴよ」

「フアニート、私の愛する子よ、どこに行くのですか?」

「次のことをよく知りなさい、そして理解なさい、私のいとも慎ましい子よ。私は終生童貞なる聖マリア、私たちの命の源、万物の創造主、天と地の主なるお方であるまことの天主の母です。私はここに一つのお聖堂を、急いで建ててくれることを希望します。私はその聖堂で私のすべての愛、慈悲の心、助けの手、守りを示し、与えましょう。なぜなら私はあなたのあわれみ深い母、あなたにとって、この地とこの地以外に住むすべての人々にとって、私を愛し、私に祈り、私に信頼するすべての人々にとってのあわれみ深い母だからです。私はそこで彼らの嘆きに耳を傾け、彼らのあらゆる惨めさ、苦痛、そして悲しみを癒します。そして、私の憐れみが求めることを成し遂げます。メキシコの司教の館へ行きなさい。そして、この平野に、私のために一つの聖堂を立てて欲しいという大いなる望みを私が明らかにしていると、司教に告げなさい。あなたが見て、称賛したすべてのこと、あなたが聞いたことを正確に説明するのです。私があなたに大変感謝し、報いを与えることを確信しなさい。なぜなら私はあなたを幸福にし、私が託したものをあなたが勝ち取るための、あなたの努力と骨折りに対してふさわしい報いを与えます。さあ、あなたは私の命令を聞きましたね。私の慎ましい子よ、行って、あらゆる努力をするのです」




第二のご出現──十二月九日

「お聞きなさい、私の小さな子よ、あなたは次のことを理解しなければなりません。私には多くのしもべたちと使者たちがいます。私は彼らに私のメッセージを届け、私の願いを運ぶことを託さなければなりません。でも、そのためには、あなた自身が嘆願し、支援し、私の願いに応じるようにというあなたの仲立ちを通してこそ、正確に一つ一つが成し遂げられるのです。私の最も小さな子よ、真摯にあなたにお願いします。そして断固として命令します。明日、もう一度司教に会いに行きなさい。私の名によって行き、そして私が司教に要求している、一つの聖堂の建設を始めなければならないという私の望みをそっくりそのまま知らせるのです。私、終生童貞なる聖マリア、天主の母が、じかにあなたを遣わすのだと、もう一度司教に伝えるのです」



第四のご出現──十二月十二日

「私の言うことを聞きなさい。そしてよく理解しなさい、私の小さな子よ。あなたを恐れさせ、悲嘆に暮れさせるものは何もありません。あなたの心を乱れさせないように。あの病や、その他のどんな病も苦痛も恐れてはなりません。あなたの母である私がここにいるではありませんか? あなたは私の保護のもとにいるのではありませんか? 私こそがあなたの健康の源ではありませんか? 私のマントのひだの内に幸せにもくるまれているではありませんか? 他に何を望むのですか? どんなことにも悲しまず、心を乱されてもなりません。あなたの伯父の病のことで苦しんではなりません。彼は今、そのために死ぬことはありません。今や彼は治ったのだと確信しなさい」

「私の大切な子よ、丘の頂上に登りなさい。あなたが私を見て、私があなたに命令を与えた場所です。そこでさまざまな花が咲いているのを見つけるでしょう。それらを摘んで集めてまとめなさい。そして私の前に持って来なさい」

「私の大切な小さな子よ、この色とりどりのばらの花は、司教のもとへと持っていく証拠でありしるしです。私の名のもとに司教に伝えなさい。司教はこの花によって私の望みを理解し、私の望みに応じなければならないでしょうと。あなたは私の大使です。あらゆる信頼にもっともふさわしい者です。あなたに厳正に命じます。司教の前でだけあなたのマントを広げ、あなたが運んでいるものをお見せなさい。あなたはすべてのことを上手に説明するでしょう。私があなたに丘の頂上に登って花を切り取るよう命じたこと、あなたが見て賛美したすべてのことを告げなさい。そうすれば、私が要求した聖堂を立ててくれるようにとの目的とともに、司教の支援を得られるよう説得できるはずです」




 グァダルーペの聖母の奇跡の歴史的背景についてもっと知るためには、『ヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)の征服記』というベルナル・ディアス(Bernal Diaz)による同時代の報告書を読むことをお勧めする。また『Black Robes in Paraguay(バラグワイの黒衣の宣教師たち)』では、イエズス会宣教師たちについて読める。この本は、宣教が大成功をおさめたため、政治的な危機を招き、その結果イエズス会が弾圧されたことを描いている。




 最後になるが、中央アメリカのエクアドルにある、あまり知られていないキトの聖母の奇跡の絵とメッセージについて、読者の方々は耳にしたことがあるだろうか? キトの聖母が「善き司祭たちを養成することで司祭職を擁護し──この(二十世紀)背教と不敬虔の波に断固として反対する一人の高位聖職者」について語っていた時、聖母はルフェーブル大司教と聖ピオ十世会のことに言及していたのだろうか? ルフェーブル大司教が一九八八年の司教聖別の説教で、次のように述べていたように。

「この預言が私について語っているとは言いますまい。皆さん一人一人が、ご自分で結論を引き出すことでしょう。この文章を読んだ時、私は呆然となりましたが、これらを否定することはできません。これらの言葉は、このご出現の保管庫に記録され、保管されているからです」



「蛇の頭を踏み砕く女」である聖母は、あらゆる異端と誤謬の破壊者でもある。この母としての守りという真理に励まされ、私たちは信頼をもってこの言葉とともに聖母に近づこう──グァダルーペの聖母よ、我らのために祈り給え!




【関連記事】
グァダルーペの聖母
グァダルーペの聖母(2)
グァダルーペの聖母(3)




グァダルーペの聖母マリアについて(1) 1531年12月9日土曜日の朝

2021年12月12日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 グァダルーペの聖母マリアについてご紹介します。
***
 アメリカ大陸は、カトリックによって「発見」され植民化され、カトリックの殉教の血が流された。【アイスランドのカトリックであるレイフ・エリクソン Leif Eriksson は、西暦1000年頃グリーンランド経由でアメリカ大陸に到達していた、葡萄酒がよくとれると言うことで、Vinland と名付けられていた。Où est le Vinland?

 聖母マリアは、ルルドでベルナデッタ・スビルーにフランスの方言で「私は無原罪の御宿りです」と言う377年前に、すでにアメリカ大陸で聖母マリアはアステカ族の寡夫にナワトル語(Nahuatl)で「私は完全で終生童貞聖マリア、真の天主の母です」と語られた。

 クアウトラトフアック(Cuauhtlatohuac -- これはアステカの言葉ナワトル語で、その意味は「鷲のように話す者」)は、1524年、フアン・ディエゴ(Juan Diego -- これはスペイン語で意味はヨハネ・ヤコボ)の霊名で洗礼を受けた。まさに、使徒聖ヨハネは、鷹にたとえられているが、「鷹のように話す者」はヨハネの名を受けた。何故なら、黙示録の子供を産む同じ婦人を、フアン・ディエゴは黙示録的な印において見るように選ばれていたからである。

 1531年12月9日土曜日の朝、無原罪の御宿りの八日間の第一日目、ヌエバ・エスパーニャの最初の宣教師たちであったフランシスコ会のあったトラルテロルコ(Tlatelolco あるいは Tlatilolco)の教会でミサ聖祭に与るところであった。

 フアン・ディエゴの住む村クアウティトランから、テノクティトラン(現在のメキシコ・シティ)の北にあるトラルテロルコまで 25kmの距離があった。その日、彼がテペヤックの丘の側を通り過ぎたとき、丘の上でさまざまの鳥の歌のような音楽を聴いた。

「フアンさん、フアン・ディエゴさん!」
 厳しい声ではなく、とても優しい愛に満ちた母親の声で、テペヤックの丘の上から呼びかけられた。ナワトル語で "Juantzin, Juan Diegotzin" と。

 ナワトル語の接尾語 "-tzin" は、敬意と愛情のこもった礼儀正しいニュアンスがある。天は、現代に入りつつあるこの地に向かってアステカの言葉で話しかけた。

「さあ聞きなさい、私の小さな子供、フアンさん、どこに行くのですか?」
 Tlaxiccaqui noxocoyouh Juantzin, campa in timohuica.

 フアン・ディエゴはその若き女性の美しさにとらえられ、こう答えた。

「私の主人、女王よ、私のお嬢様よ、私は、メヒコ・トラティロルコにあるあなたの小さな家にまで行くところです。私たちの主の似姿である私たちの司祭たちによって私たちに与えられ、教えられている、天主を天主とすることに従うためにです。」

Notecuiyoé Cihuapillé, Nochpochtziné, ca ompa nonaciz mochantzinco Mexico Tlatilolco, nocontepotztoca in teoyotl, in techmomaquilia, in techmomachtilia in ixiptlahuan in Tlacatl in Totecuiyo, in toteopixcahuan.

 するとこの女性はフアン・ディエゴにこう言うのです。

「このことを知って、正しく理解しなさい、私の小さな子供よ、
私は完全な終生童貞聖マリア、
命を与える真の天主、全てのものの造り主、天と地との所有主、私たちのもっとも近くにいる主の母です。私は、ここに私の小さな teocalli を作ってくれることをとても望んでいます。」


Maxicmatti, ma huel yuh ye in moyollo, noxocoyouh, ca nehuatl in nicenquizca cemicac Ichpochtli Sancta Maria, in Inantzin in huel nelli Teotl Dios, in Ipalnemohuani, in Teyocoyani, in Tloque Nahuaque, in Ilhuicahua, in Tlalticpaque. Huel nicnequi, cenca niquelehuia inic nican nechquechilizque noteocaltzin,

 ナワトル語の teocalli は、teotl (神) と calli (家) とから合成された単語「神の家」のことである。聖母マリアは、私の[ために](no-)小さな teocalli(=teocaltzin)を建ててほしいとお望みになった。かわいい、ちいさな、という意味の -tzin がついている。

【参考資料】有名なナワトル語の「報告書(Nican Mopohua)」の英語訳はここにあります。
 グァダルーペの聖母マリアとフアン・ディエゴとの対話は、«Nican Mopohua»のお陰で私たちにまで伝わった。これはアントニオ・バレリアノ(Antonio Valeriano)というアステカ皇帝の甥によって1540年頃に書かれた。アントニオ・バレリアノは、1520年生まれで、フアン・ディエゴに御出現があったときには11歳の少年であり、フアン・ディエゴが死んだときには28歳だった。すでに16歳の時、トラテロルコのフランシスコ会運営のサンタ・クルス校でスペイン語とラテン語を習得し、フアン・ディエゴの証言をナワトル語で記録するときには、アルファベットを使用した。バレリアノは、後に同校の教授、次に副校長となった。更にメヒコの裁判官と総督を35年務め、1605年に85歳で亡くなっている。

 「報告書(Nican Mopohua)」のナワトル語とスペイン語の対訳はここにあります。

「そこ(私の小さな teocalli)で、私は彼(命を与える真の天主、全てのものの造り主、天と地との所有主、私たちのもっとも近くにいる主)を見せましょう。私は彼を高め、私が持つ愛によって、私の憐れみの眼差しによって、私の助けによって、私の救いによって、彼を人々に与えましょう。

in oncan nicnextiz, nicpantlazaz. Nictemacaz in ixquich notetlazotlaliz, noteicnoitlaliz, in notepalehuiliz, in notemanahuiliz,

【ナワトル語で Nic- という接頭辞は「私は~するでしょう」、 Note- という接頭辞は「私の~によって」という意味になるようです。】

「私は本当にあなたたちの憐れみの母です。私はあなたの、そしてこの地に一緒に住むあなたたち全ての母であり、私を愛する他の人々の、私に叫ぶ人々、私を求める人々、私に信頼する人々の母です。」

Ca nel nehuatl in namoicnohuacanantzin, in tehuatl ihuan in ixquichtin in ic nican tlalpan ancepantlaca, ihuan in occequin nepapantlaca, notetlazotlacahuan, in notech motzatzilia, in nechtemoa, in notech motemachilia,

「その場所で、私は彼らの嘆きを、彼らの悲しみを、聞きましょう、彼らの全ての苦しみと哀れさと苦悩とを癒し、清め、養うために。
私の憐れみがなされ働くために、メヒコの司教の家に行って、私がどのようにしてあなたを遣わしたかを告げなさい。それは彼がここに私のために teocalli を建てることを私がどれほど望んでいるかを、あなたが彼に知らせるためです。あなたは全てを彼に言いなさい、あなたが見て感嘆したこと、あなたは聞いたことを全て伝えなさい。」


ca oncan niquincaquiliz in inchoquiz, in intlaocol, inic nicyectiliz nicpatiz in ixquich nepapan innetoliniliz, intonehuiz, inchichinaquiliz. Auh inic huelneltiz in nicnemilia in noteicnoittaliz ma xiauh in ompa in itecpanchan in Mexico Obispo, auh tiquilhuiz in quenin nehua nimitztitlani inic tiquixpantiz in quenin huel cenca niquelehuia inic nican nechcalti, nechquechili in ipan in tlalmantli noteocal; huel moch ticpohuiliz in ixquich in otiquittac, oticmahuizo, ihuan in tlein oticcac.

「私はそのことに大変感謝するでしょうし、お礼をすることをよく知りなさい。そのために、私はあなたを豊かにし名誉を与えましょう。そのために、私があなたたちを遣わすそのことをお願いをしにゆく、あなたの疲労、あなたの奉仕に、私が報いるそのやり方にあなたは相応しいものとなるでしょう。さあ、私のいとも愛しい子よ、私の言った言葉を聞きました。行って、自分のなすべきことをしなさい。」

Auh ma yuh ye in moyollo ca huel nictlazocamattiz, auh ca niquixtlahuaz ca ic nimitzcuiltonoz, nimitztlamachtiz, ihuan miec oncan ticmacehuaic niccuepcayotiin mociahuiliz, in motequipanoliin ic ticnemilitiuh in tlein nimitztitlani.
Ocayeoticcac, noxocoyouh, in niiyo, in notlatol; ma ximohuicatiuh, ma ixquich motlapal xicmochihuili.

 すでにスペインの女王イサベラはコロンブスのアメリカ大陸発見の直後から、アメリカ・インディアンたちはイベリア半島に生まれたスペイン人たちと同等の臣下であると宣言し、彼らを奴隷にすることを厳禁した。

 イサベラ女王は、最初にスペインに連れてこられたインディアンたちを保護して解放した(そのうちの一人は有名なラス・カサス神父様が連れてきたインディアンだった)。教皇パウロ三世も、1537年に大勅令 Sublimis Deus を発布し、インディアンたちの救霊を訴えた。1542年、カルロ五世はインディアンたちが王国の自由民であるこという法を発布した。

 そして1531年にはすでに聖母マリアは、アメリンディアンたちに、ご自分を憐れみ深い母親であると語りかけていた。
(続く)

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