Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

私審判の時に憐れみを乞うことはできません。この世に生きている間に天主の憐みと赦しを乞い求めなければなりません。

2023年07月25日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、2023年7月23日は聖霊降臨後第八主日でした。

「テレワーク」方式ではありますが、皆様にYouTubeで「聖霊降臨後第八主日の説教」の動画をご紹介いたします。

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天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父


【参考資料】ヴィガノ大司教、コンクラーベ、挑発と離教について語る。「フェルナンデスはベルゴリオにとって、ゼレンスキーがバイデンにとってそうであるようなもの」

2023年07月25日 | カトリック・ニュースなど

【参考資料】ヴィガノ大司教、コンクラーベ、挑発と離教について語る。「フェルナンデスはベルゴリオにとって、ゼレンスキーがバイデンにとってそうであるようなもの」

2023年7月15日(土曜日)

Archbishop Viganò on the Conclave, Provocations & Schism: "Fernández is to Bergoglio what Zelenskyy is to Biden”

アルド・マリア・ヴァッリ

フランシスコが、9月30日に予定されている21人の新枢機卿任命のための枢機卿会議について発表したことを受け、アルド・マリア・ヴァッリは、カルロ・マリア・ヴィガノ大司教にこの件についてインタビューを行いました。

【解説】前在米教皇大使であるカルロ・マリア・ヴィガノ大司教は、最近、枢機卿に任命された人々をみると、最悪の人選であることを指摘しているので、あくまでも参考情報としてご紹介します。イタリア人ジャーナリストであるアルド・マリア・ヴァッリとのインタビューで、ヴィガノ大司教は、教会内の重要な地位に任命される新しい枢機卿たちは、教会内部でカトリック聖伝のミサを望む信徒たちが増えないようにさせるための布石だと言います。
聖伝の信仰を守るのは、天主の力によります。聖伝を守るために御摂理によって作られた聖ピオ十世会は、教会によって公式に認可されています。人間の考えではなく、天主の御摂理に従えば、聖ピオ十世会の力が強くなればなるほど、教会を聖伝に戻らせる力が強くなります。教皇様と言えども、聖伝を「破門」することはできません。




【問い(ヴァッリ)】大司教様、この最新の枢機卿たちの中に、フランシスコの後継者がいるのではないかと言っている人たちもいます。大司教様もそう思われますか。

【ヴィガノ大司教】私は、枢機卿会(かつては聖なる枢機卿会)が保守派の教皇、あるいは穏健進歩派の教皇を選出するのを望むとは思っていません。次のコンクラーベが挑発的なものになることは明らかです。ほとんどすべての枢機卿はベルゴリオの「像と似姿に」作られ、彼らが後継者を選ぶことになるのですから。引退という新しい潮流を考えれば、彼はまだ存命しているのかもしれません。しかし、この有権者たちが持っている教会への愛が最低限だったとしても、彼らは聖霊の行いに素直にならなければならないはずなのです。しかし、私たちには、この異端者らの集まりが、まれな例外を除いて、主イエズスにそれをさせるつもりはない【聖霊の息吹きに逆らう】ことが分かっています。しかし、善き主は時には予期せぬサプライズを用意されます。



【問い】この任命でベルゴリオが従っている論理とはどのようなものでしょうか。

【ヴィガノ大司教】ベルゴリオの論理は完全に明らかです。彼は、離教(schism)の口実を作り出そうと望んでいるのです。言葉では離教を否定して嘆いてはいるものの、しばらく前から離教を準備しているのです。ベルゴリオは何とかして、信者や聖職者の善き部分を公式の教会から分離させたいと思っています。そしてこれを成し遂げるために、その人々が近代主義の最高法院(サンヘドリン)から距離を置くのを確実にするために、ローマ教皇庁の重要な地位に、部署の管理を可能な限り悪いものにするのを保証する人物たちを配置して、教会の体にとって可能な限り最も悪い結果と最も大きな損害をもたらすようにしたのです。

古代の典礼の挙行を漸進的に制限することは、保守派を"狩猟保護区"に閉じ込めて、その後、聖ピオ十世会へ向かわせるのに役立ちます。シノドスが、現在進行中の教理的、道徳的、規律的な変更という悲劇的な結末を迎えるや否や、-- エクレジア・デイ団体の廃止または正常化【新しいミサを受け入れさせること】の後 ---、聖伝の独占者となるであろうもの【聖ピオ十世会】へとカトリック信者らの大脱出が起こるでしょう。

しかし、その時、つまり、聖伝のカトリック信者たちが聖ピオ十世会に移行して、同会の指導者たちが、廃止された「スンモールム・ポンティフィクム」(Summorum Pontificum)との競争に勝利したと信じるとき、新たな耐え難い挑発がなされ、聖ピオ十世会の少なくとも一部は、ベルゴリオのローマから距離を置くのを余儀なくさせることでしょう。これにより聖伝主義は「破門」されます。聖伝主義は、公式の教会内では代表することは――過去にはそうだったとしても――もはやなくなるでしょう。このような理由から、私の考えでは、聖伝のカトリック信者を教会の体から追放するという悪意ある作戦をさらに複雑にするために、何らかの抵抗の断片化を維持することが重要です。

女性助祭、教会の独身制の廃止、同性愛カップルの祝福、一夫多妻制の容認、ジェンダー論、LGBTQイデオロギー、テイヤール・ド・シャルダンのような環境保護主義的な汎神論。これらは、ベルゴリオが意図的に拡大している保守派(すでに距離を置いていて、構図から外れている聖伝派ではありません)と超進歩派の対立点です。彼の目的は、対立を作り出して、それを大きくさせ、最も極端な要求の支持者を励まして任命したり昇進させたりし、残っている数少ない良き司教、司祭、修道者らが非難されることへの予想通りの反応を目にすることなのです。良き司教や司祭らは、ベルゴリオの落とし穴に直面して、二者択一を迫られることになるでしょう。つまり、沈黙のうちの苦しみに戻るか、それとも、立ち上がってカトリックの真理に対する裏切りを糾弾し、自分の地位を辞さざるを得なくなり、地下で役務を行使するか、あるいは、少なくとも見かけ上は教会法的には正常ではない立場におかれるか、です。

いったん不都合な牧者たちが追放され、忠実な保守派らが解任されれば、ベルゴリオの位階階級は聖職者と人々を完全に支配することができるようになるでしょう。残った人々の従順は確実なものとなります。するとこのセクトは、カトリックという名前を持っているだけで(おそらくそれさえもなくなるでしょう)、キリストの教会を破壊するためにキリストの権威を濫用する裏切り者で腐敗した位階階級という逆説の中で、小羊の花嫁を完全に日食で覆い隠すでしょう。

これこそが、ベルゴリオとその手下たちが望んでいることですが、聖なる天主の民の「信仰の感覚」(sensus fidei)は、多くの人々がこの詐欺を拒絶し、断固とした抵抗と断固とした糾弾の行動に参加するように導くでしょう。主は、教会が死んだように見えるのを許され、地獄の勢力は自分たちが教会を打ち負かしたと信じるでしょう。なぜなら、神秘体が復活の栄光のうちに主に到達したいのであれば、天主なるかしらと同じように、神秘体が十字架の道と埋葬をたどることを主が望んでおられるからです。

【問い】フランシスコが望んだように、枢機卿会は普遍教会を代表すると言われていますが、本当でしょうか。

【ヴィガノ大司教】もし、枢機卿会の最も著名なメンバーに匿名のアンケートをし、その中で、すでに教導権が不可謬であることを表明している一連の命題について「真」なのか「偽」なのかを答えさせれば、恐ろしいことに、枢機卿のほぼ全員とは言わないまでも、絶対多数がカトリックではないことが分かるでしょう。そして、その中には保守派も含まれていることでしょう。多くの高位聖職者が異端であることはよく知られていますが、枢機卿たち自身の声明によって確認されています。そのような声明を前にして、ベルゴリオは自分の口を開かないように注意していました。彼はその代わり、【信仰に】忠実であり続けた数少ない高位聖職者に対しては、あまり気後れすることなく【厳しく】対応する方法を知っています。現在の枢機卿会は、ベルゴリオの教会の真髄です。そのメンバーは、世界における近代主義と公会議の進歩主義が世界に広く拡散していることを象徴しています。

しかし、彼らが普遍的な教会が表明するものでないのは確かです。第一に、彼らは、異端者であるため、見かけ上だけでしかその一部ではないからです。第二に、天主の恩寵によって、信者と聖職者たちは(恐ろしいことが続いた60年の後、最近の10年間はもっと明らかになった)、教皇、司教、教区司祭の口から出るすべてのものを額面通りに受け取らないことを学んでいるからです。ですから、これらの【信仰のない】人々は、真の教導権への不従順を説いた後、今度は【信仰に忠実なカトリックたちの】善きあるべき不従順――キリストへの従順のために――という結果に苦むことになるのです。

私たちは、教会の一部が全て――地理的にもイデオロギー的にも特定可能な、まだカトリックである部分です――組織的に取り消されるのを目撃しているところです。米国の一部の司教らはその司教区とともにカトリック的です。アフリカの多くの司教はとりわけ道徳的な問題に忠実です。ますます増え続けている数の教区司祭、司祭、男女の修道者は、自分たちがサンタ・マルタ館の粛清の次の犠牲者であることに気づいてきています(ピエンツァ修道院やマラディ修道院のケースも見逃されてはいません)。彼らは、代替的な形態の役務を準備し、団結し、比較し、組織化しています。これこそが、団体「Exsurge Domine」(www.exsurgedomine.org)の目的です。この団体は、私の後援の下に設立され、アルゼンチン人の「軍事政権」によって迫害された聖職者や修道者の抵抗を支援し、組織する役割を担っています。

【問い】なぜフランシスコはミラノ、トリノ、べネチア、ジェノバ、ナポリといった司教座を無視し続けるのでしょうか。

【ヴィガノ大司教】彼がそうするのは、伝統的に枢機卿の座である特定の司教座の道徳的威信を奪いたいからです。それは、あからさまなイデオロギー的縁故主義(nepotism)に基づく枢機卿の任命管理に有利になるようにするためです。ベルゴリオの友人や友人の友人は皆、スキャンダルや教理上の誤謬、明らかな不適格さや無能さを頑なに否定するという代償を払ってでも、良いキャリアを与えられます。彼は「羊のにおいを発する羊飼い」が好きなのであり、たとえ彼らが傭い人であっても、羊が彼らに導かれることを望んでいなくても、です。このことは、対神徳がまったく存在しないこと以上に、人間としての徳が欠如していることを露呈しています。ミラノ大司教を枢機卿に任命しなかったことは不名誉なことではありませんが、ベネチア総大司教のことは残念だと言わなければなりません。まさに彼のとても穏健な保守主義のために、自分の前任者が全てそうだったような枢機卿の服が彼には与えられませんでした。バチカンの「昇進コース」(cursus honorum)志願者へのメッセージは、宮廷的な隷属性をもって権力に迎合することなのです。さもなければ、管財人の管理下に置かれ(commissariamento)、使徒的訪問、転任、あるいは、新たな任命地位のない解任(とりわけバークとゲンズヴァインを参照)という罰則を受けることでしょう。

【問い】トゥチョ・フェルナンデスが枢機卿になります。つい最近まで、それは冗談のように思えました。それにもかかわらず。

【ヴィガノ大司教】それは冗談のまま残ります。なぜなら、10年前から起きていることは、悲劇というより、今や茶番劇に近いからです。サンタ・マルタ館のセクトが生み出すものはすべて詐欺です。「シノダリティーに関するシノドス」の「民主化」とされるものでは、地方共同体に提出される質問が、常にベルゴリオ自身から始まる正確な破壊転覆的計画に従って、望ましい答えを得るような形で定式化されています。

教会の統治に女性が関与することは嘘であり、これは私たちの主のご意志に反しており、いかなる権力であっても、それがいかに専制的で権威主義的であろうとも、叙階の秘跡の質料を変えることはできません。いわゆる「LGBTQコミュニティー」の悪徳行為やライフスタイルに対する高位聖職者や聖職者たちのつまずきを与える頷きは欺瞞であり、彼らは、目覚めた(woke)イデオロギーに惑わされた信者たちの弱点を利用して、自分たちの個人的な罪を正当化しているのですが、その罪は遅かれ早かれ恥ずべき平凡さとなって現れるでしょう。

フェルナンデス自身もまた造られた人物であり、ベルゴリオへの尊敬の念、その改革能力への信頼、教会の最高牧者としてのベルゴリオの「預言者的」行動(公会議のニュースピーク【新語法】では、「異端的」と同義語です)への動かしがたい確信を公の場で表明することで、何年にもわたってベルゴリオに【昇進を】求め続けてきたのです。

フェルナンデスはベルゴリオにとって、ゼレンスキーがバイデンにとってそうであるように、操り人形の手中にある操り人形なのです。ホワイトハウスとバチカン、ポデスタのメールとラッツィンガーの退位、ディープ・ステートとディープ・チャーチ、ナンシー・ペロシとイエズス会のジェームズ・マーティン「神父」を結びつけるのと同じ破壊転覆的エリートが、常に操り糸を引いているのです。

確かにフェルナンデスは、旧検邪聖省の責任者となりました。この非常に重要な、今は部署に格下げされた教理省長官がなすべきことを何もしないためです。彼はまったく正反対のことをするでしょう。彼は、異端者たちや、今日流行している神学者たち、サンタ・マルタ館ホテルへの移転を急ぐ司教たち、ジェンダーの擁護者たちの異端や道徳的逸脱を奨励し、その代わりに、ベルゴリオやその子分の一人が異端を肯定するのを批判する司祭、シノドスの逸脱を糾弾する司教、第二バチカン公会議以前の教導権の決議をいまだに教えている神学校教授に対して、冷酷な毅然とした態度で行動するでしょう。自分のスポンサーを喜ばせようとするこのフェルナンデスの熱意がどこまで続くのか、そしてパチャママのタリバン【フェルナンデス】に狙われた人々【忠実なカトリック】が、こうした攻撃に応じず、あるいは単に無視するだけで、いつまで我慢するのか見てみましょう。

【問い】フランシスコが求めている枢機卿たちはイエスマンばかりなのでしょうか、それとも独立した判断ができる者がいるのでしょうか。

【ヴィガノ大司教】今日、枢機卿になるには、細かいことにくよくよしない必要があります。粛清は60年間容赦なく行われ、ベネディクト十六世が任命したもっとも優れた枢機卿たちでさえ、忠実な保守派の期待にはまったく応えておらず、日和見主義者や卑怯者であることが少なくないことが証明されました。「ドゥビア」(Dubia)を書いた勇敢な人々――そう言っておきましょう――は、そう多くは生き残っていません。この優れた枢機卿たちは、前回のコンクラーベで【あってはならない】いろいろなことを目撃してしまったのですが、彼らはそれを公には糾弾しません。ですから、彼らは皆イエスマンなのです。つまり「血を流すまで」(usque ad effusionem sanguinis)聖なる教会を守るべき人々【枢機卿】にとっては、控えめに言っても、一貫性がないということです。

現在の危機は、主の役務者たちや諸国の支配者たちの不忠実のために、主が教会と世界を懲らしめられる罰です。この鞭を、あまりにも長い間侮辱されてきたものの、それでもなお私たちを救いたいと願っておられる御父の厳しいしぐさとみなしましょう。回心が唯一の可能な道です。御あわれみが正義に道を譲る前に、天主のもとに立ち返りましょう。


2023年7月14日
司教証聖者教会博士聖ボナヴェントゥーラの祝日
S. Bonaventurae Episcopi Confessoris et Ecclesiae Doctoris

このインタビューの元のイタリア語版はこちら





--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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