2023年1月15日 東京の主日ミサでの説教
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
今日は、特に堅振の秘跡の効果の内の最も大きな効果である、聖霊の七つの賜物について、一緒に黙想いたしましょう。
上智、聡明、賢慮、剛毅、知識、孝愛、そして主への敬畏、この七つの賜物を、よく理解してください。
聖霊の七つの賜物を黙想する前に、聖霊とは何かということを復習する必要があります。なぜかというと七つの賜物は聖霊の特別な働きの一環であるからです。
【1】聖霊とはいったい何か。
聖霊とは、万物の創造者かつ私たちの主である三位一体の第三のペルソナです。御父と御子のペルソナと同じように、永遠で、無限で、全能の天主です。聖霊は、御父と御子を一つの源として、そこから意志と愛とによって出てきます。これを神学用語で「発出する」と言います。そのお方です。御父は御子を永遠からお生みになって、そして聖霊は御父と御子から、永遠の昔から発出しておられます。
聖霊は、私たちのうちにどのように働きかけるのでしょうか?聖霊は、聖霊降臨の日に、使徒たちに降りました。十二使徒たちはたしかに洗礼を受けて、三年の間イエズス・キリストに従って、常に主のみ教えを聞いて、主と共に生活していましたけれども、しかし主の御心を悟りませんでした。その心は鈍くて弱いものでした。ですからイエズス様の御受難の時には、すぐに皆一緒になって逃げてしまいました。しかし、聖霊の御降臨によって、使徒たちは、すっかり抜け替わったように勇気を得て、教えの為にどこまでも力を尽して苦しみを甘んじ辱めを喜び生命を惜しまいほどの強い信仰者となりました。
聖霊は、堅振の秘跡を通して全教会と主の教えを信ずる全ての人々のために、送られます。堅振の秘跡は、ですから私たちのなかに聖霊の現存を豊かにますます増加させます。ちょうど使徒たちに起こったことと同じようなことが、私たちにおこるのです。つまり霊的な弱々しい子供の状態から、霊的な大人に変えてくれます。霊的な生命が完成されるようになるのです。ですから、ある意味で堅振の秘跡は、私たちにとっての「聖霊降臨」の日となります。聖霊は、十二使徒の上には火のような舌で炎の形で現れました。ところが堅振の秘跡では、私たちの霊魂に恩寵とそして七つの賜物を一層ますます与えて、そして私たちの超自然の生命を完成してくれるのです。私たちがまちがいなく天国に導かれるように助けてくれるのです。教皇聖グレゴリオは、こう言いました。引用初めます、「天主は教会という神秘体に、キリストという頭を与え、聖霊という心臓を与えた。キリストは真理を知らせ、聖霊は愛を実践させる。」
【2】聖霊の愛の働きであるその最も大きなものが聖霊の賜物。
堅振の秘跡は、私たちの霊魂において聖霊の現存を非常にたくさん、豊かに増加させます。私たちは霊的な子どもの状態から、霊的な大人にかわるからです。たしかに洗礼の秘跡によって私たちは超自然の命に生まれます。聖霊の働きを受け始めて「成聖の恩寵の状態」になります。しかし、堅振の秘跡によって聖霊の力がますますはたらくようになり、超自然の命が完成されるのです。
ちょうど子供だった子が成長すると髭も生やしたり声も変わったり筋肉が隆々としてきたり、これで一人前の男の子になったということができるように、堅信の秘跡を受けるとキリスト者の霊魂にいっそう多くの恵みが豊かに与えられてますます豊かに与えられてキリスト者をキリストの兵士としてそしてキリストの王国である教会の発展と拡張の為に救霊の敵天主の敵に対して戦うことができるようにしてくれます。
そのために必要な霊的な武器を与えてくれます。この武器のことを、聖霊の賜物と言います。特別なはたらきによって、私たちの知性を助けて、私たちの意志を強めてくれます。それが賜物です。
【3】七つの賜物
第一は主への敬畏、主を畏れるという賜物です。
七つの賜物のうちで、最も上位のものは上智です。しかしこの上智の賜物を最高度に受けるためには、主への畏れ、主への敬畏が必要です。ちょうど、大きな建物を建てるためには、しっかりとした土台がなければならないように、また大きな高い大木の下には深い根があるように、まず主の敬畏が必要です。智恵の書にはこうあります。「智恵の根は、主を畏れることである(智書1:25)」
なぜでしょうか、なぜかというと主に仕えるための最初の邪魔者、妨害物は傲慢であるからです。ルチフェルはすばらしいものを受けていたにもかかわらず傲慢のために罪を犯し、地獄に落ちてしまいました。アダムとエワも傲慢によって罪を犯しました。聖霊は私たちが謙遜にとどまることができるように、主への敬畏・主への畏れを与えてくれます。
聖霊は、私たちに主への愛を注いでくださって、罪によって主を悲しませたり、主から離れたりすることがないように、それを畏れさせてくれます。聖パウロはこういっています、「私たちに与えられた聖霊によって、この心に天主の愛が注がれた」(ローマ5:5)と。天主を愛するがゆえに、主の御稜威(みいつ)のその栄光を敬うのです。ですから主への畏れがあればあるほど、主がいったいどのような御方であるのか、主は有りて在る方、始めもなく終わりもない方、目に見えるものと目に見えないものすべてをお創りになった御方、全能の御方、無限に聖なる御方、この方に比べれば私たちは全く無に等しいということ、弱々しい存在であるということを教えてくれます。アシジの聖フランシスコがその最も良い模範でした。
第二は孝愛です。孝愛というのは子どもがお父さんに持つその愛のことです。
天主に仕える第二の障害は利己主義です。自分のことしか考えないこと。しかし聖霊は、私たちに、養子として愛を与えます。聖ヨハネはこう言います。「御父がどれほどの愛を私たちにお注ぎになったかを考えよ。私たちは天主の子供と呼ばれ、また実にそのとおりだからである」と。この天主からの愛によって、聖霊は、私たちが主を父親として父として認識して、そして私たちは天主の子どもとして振舞うようにとさせてくれます。
ですから孝愛の賜物によって、主を「我らの父よ」と祈らせてくれるのです。そして父なる天主に関する全ての人々を大切にするように動かしてくれます。聖人たちを敬うことも孝愛の賜物に属しています。また、私たちすべて信者は、洗礼を受けたものは、同じ父のもとの天主の子供ですから、兄弟姉妹です。ですから孝愛の賜物は私たちを兄弟姉妹として愛させるようにしてくれます。イエズス様は私たちにこう言いました。「あなたたちは皆兄弟であり、またあなたたちの父はただ一人、天におられる御父だけである」と。
幼きイエズスの聖テレジアは、1886年のクリスマスの夜に、大きな天主の愛を受けて、聖霊の、孝愛の働きで霊魂を救うために自分をすべて忘れなければならないと突然理解したと書いています。
第三の賜物は知識です。
人間は、目に見える物を通して、目に見えない天主を知るように造られています。私たちが天主に忠実に留まって、救霊を果たすことができるように、被造物をどのように使って天主へ行くべきか、ということを知識の賜物が教えてくれます。
被造物というのは天主へと至る手段であって目的ではありません。ですから「知識の賜物」は、被造物が時にして罪の機会となるということを教えてくれます。また「知識の賜物」は、自分の過去の過ちをも理解させてくれて、自分が涙の谷に生きていることを教えてくれます
聖フランシスコ・ボルジアという聖人は、スペイン王国の宰相でした。王様の次の方です。当時、女王イサベラという方が統治していましたが若くして亡くなりました。突然亡くなります。そして宰相として、棺桶に眠る女王の死体を見る義務がありました。女王の崩れた顔と汚臭は見るに耐えないものでした。その時、フランシスコ・ボルジアは被造物のはかなさを深く理解しました。聖霊の賜物の働きで、徹夜して祈り、この地上の全ての名誉を捨てて後にイエズス会に入会しました。
第四の賜物は剛毅です。
知識の賜物によって、被造物が、罪の機会となる危険があると理解するだけではたりません。聖霊は、誘惑や私たちの苦しさ、弱さに打ち勝つ力を与えてくれます。私たちの心を動かして、全ての危険を耐え忍ぶ、これを乗り越える、もしも必要ならば命さえも与えることができるようにしてくれます。特に剛毅の賜物は私たちの心に、永遠の命への信頼をもそそぎこんでくれ、恐怖を追い払ってくれます。聖霊のこのような働きが剛毅の賜物です。
日本における数多くの何千何万という殉教者たちが、聖霊が死に至るまで私たちを強めてくださっているということを証しています。
第五の賜物は賢慮です。
私たちが天国に至る道を歩みながら、もっとも必要なものを私たちに示してくださり導いてくださるのが賢慮の賜物です。
疑いや不確かさというこの現代世界の中で永遠の命という目的に向かうすべてのことについて、何が必要かということを教えてくれるのが賢慮の賜物です。ちょうど人は病気の時、お医者さんのアドバイスが必要です。人間は困難な時、たとえば霊的に病を負っているとき、罪の病を患っている時には、永遠の救いのためには何が必要なのか罪から癒されるためには何が必要なのかという聖霊からの賢慮の賜物が特に必要です。
アルスの聖司祭は、多くの霊魂たちをこの賢慮の賜物で天国に導きました。
聖ノルベルトは、貴族出身の聖人です。若いころは宮殿に仕えていました。ある時狩に出かけました。その時すぐ近くに雷が落ちて、乗っていた馬は聖ノルベルトを地面に振り落としてしまいました。気絶から意識を取り戻すと、聖霊の働きで、聖ノルベルトは自分の命が救われたことを感謝し、自分は今裁きの座に出る前に償いを果さなければならないことが余りにも多くあった、ということを深く理解しました。そしてその償いの時が与えられたことを感謝します。賢慮の賜物によって、のちに司祭となり修道会を創立し大司教にもなり、聖なる一生を送りました。
その次は聡明の賜物です。
私たちが天国に行くために天国の神秘を少し垣間見せてくれます。すべてがわかるのは天国に行ってからなのですけど、地上でもそれがわかるようにしてくださいます。信仰の神秘を理解する特別の光が私たちに与えられます。これが「聡明の賜物」です。聡明の賜物は、ラテン語では intellectus と言います。これは intus legere つまり「中を読む」という意味で、緊密に深く知るということを意味します。
人間は、超自然の至福を得るという目的のために今ここで生活していますが、でも人間は、自然を超えるものを理解するためには自分の知性だけでは力が足りません。限界があります。自然の光によっては知り得ない天主の神秘を深く知ることができるために、特別の超自然の光りが必要です。これが聡明の賜物です。
聖ヨハネ・ボスコは、この聡明の賜物を通して、多くの若い青少年たちを天国の神秘を望むように導くことができました。
最後は上智です。
上智というのは、聖霊からくる天上の智恵という意味です。全てのことの根源でありそして最高の善である天主を究極の目的として判断させる、それが上智の賜物です。それを味わわせてくれる賜物です。ただ上智の賜物は天主の言葉をよく見極めて味わわせてくれるだけではありません。さらに私たちの行動をも定めてくれます。どのように定めるかというと、天主の方に定めてくれます。そして上智に智慧に反するすべての悪を取り除くようにしてくれます。では上智に反する智慧に反する悪というのは何なのでしょうか。それは主に対して罪を犯すことです。ですから罪を懼れる主を畏れることは智慧の始まりであると言われています。
ソロモン王は上智の人でした。何故かというと富や被造物よりも天主からの真理を深く愛していたからです。
七つの賜物を全てみると、この聖霊の賜物を受けている人と受けていない人の違いは、ちょうど、マストに大きな帆がついて風を受けて進むヨットか、あるいは手でオールをかいて進むボートか、の違いに譬えることができます。主の洗礼を受けた霊魂は、天国という目的に向かって一生懸命オールを漕いでゴールに向かって進むことができます。しかし堅振の秘跡を受けて、聖霊の賜物を充満に受けて、そして聖霊の息吹を受けることができるように大きな帆をつけた船は、もっと簡単に目的地まであっという間に到着することができるようになります。ここに聖霊の賜物の素晴らしさがあります。
【4:遷善の決心】
では最後に遷善の決心を立てましょう。
堅振の秘跡をよく受けるために、どうぞ続けてよくお祈りなさってください。
主の御昇天の後、使徒たちとともにマリア様は祈りに入りました。聖霊降臨を九日間祈りで準備していました。ですから堅振を受けるその日まで毎日祈り続けてください。特にマリア様に、マリア様と共に聖霊に祈ってください。マリア様は聖霊の浄配であるからです。堅振の秘跡を受ける直前の19日から27日までの九日間は、一緒にノヴェナをお祈りすることを提案します。また聖霊によく祈り、マリア様によく祈り、よい告解を受けてください。私たちがよい準備をすればするほど聖霊はより多くの祝福を与えてくださいます。
来週の主日には、堅振の秘跡の聖伝の儀式について説明したいと思います。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。