「助産婦の手記」
50章
村の端のところに、「森の邸宅」に面して、鍛冶屋がある。それは、この村の最後の家ではあるが、最小の家ではない。鍛冶屋さんは、副業的に少し農業もやっているが、本業として良い仕事を持っている。それは、彼が工場のためにも働いているから、特にそうなのである。大きな経営の中には、いつも何かする仕事があるものだ。最近、彼は鍛冶屋の傍らに、自動車用の補充部品を売る店を増築した。そして、この方面では特に熟練した職人を一人雇い入れた。鍛冶屋は、活動家である。
しかし残念なことには、彼はまた、自分の仕事が、そう要求するように、非常に頑固かつ頑丈であった。このことは、彼の鉄敷(かなとこ)【鍛造や板金で、加工しようと思う金属をのせる鋳鉄製または鋳鋼製の作業台。鉄床(かなとこ)】にとっては適していたが、奥さんに関しては、それほど具合よく行かなかった。五人の子供たちは、父親が鍛冶場から帰って来ると、おじけて、あらゆる隅にもぐり込み、息をころしている。況(いわん)や高い声で話をするなどということは、もっての外だ。もしそうすれば、すぐ稲妻が走って火花が飛び散るのである。父の手中に陥るということは、最も気持のよくない事柄だ。このことは、二才になるヤコブでもすでに知っている。父親がまだ本気になってやらなくても、彼の手につかまれると、きっと黒い斑点と青い痣(あざ)が出来る。
彼の奥さんは、彼には不似合である。単に外見上からしても、痩せた弱々しい体質の彼女は、彼の頑丈な外観に対して正反対のものであるばかりではない。さらに心情においても、彼女の琴線は、非常に繊細で微妙に張られているため、もし彼の堅い拳がこれに触れると、いつでも非常な不協和音を発して鳴りひびくのである。このことは、残念ながら非常にたびたび起る。奥さんにとっては、その結婚は、絶え間のない、つらい幻滅の連続であった。彼女の抱いていたあらゆる内気な希望と控え目な期待とは、すでに初夜から、粉なみじんになった。『私には、こんな気がしました。ちょうど一人の子供が、小さな熱中した手をもって、クリスマス・ツリーにかかっているピカピカ光る球と、燃えている燈火をつかもうとする。何という希望と幸福の期待でしょう。それなのに次の瞬間には、こわれたかけらと、消えた燈火と、火傷した小さな手より外には、何もないんです……』と、彼女は、いつか自分で私に訴えた。『そして今、人生は私の前に、そんなに灰色に荒涼として横たわっているんです……ただ子供だけが、まだわずかに、光と喜びなのです。可哀そうな子供たち。私はいつも、こっそり、お父さんの頑なさについて、あの子たちを慰めねばならないんです……』
こうしたところに、今またもや、六番目の子供が生れようとしている。母親は、よほど以前から、もはや自分の宿命について、訴えも、泣きもしない。彼女は、自分の十字架ののがれがたい重荷の下で、全く静かになっている。喜びの小さな火花の一つだも、もはや彼女の心の中には残っていない。
彼女は、子供たちにとっては、実に無くては叶わぬ人であるから、その家の忠実な女中は、彼女に生きて行く勇気を目覚まして置こうと試みたが無駄であった。平安……ただ一度、平安を……これが、彼女の心のうちに、今として、こだまするすべてである。それは、来たるべきものの予感であって、すでに彼女の心に浮んでいた……
お産の一週間後に、彼女は意外にも永遠の憩いの中にはいった。心臓衰弱が、彼女の寿命の長さを限っていたのであった。
一番上の子が十才、一番下のがわずかに八日という六人の子供が、孤児として残された。母親の死と共に、彼らの生命の最後の、そして唯一の小さな光が、消え去った。彼らの廻りに残っていたところのすべてのものは、頑(かたく)なで、冷たく、無情な感じのものであった……
しかし、そうではなかった。忠実な心の持主がそこにいて、子供たちの面倒を見てやった。それは下女であった。感動すべき真心をこめて、この単純な素朴な心の持ち主は、子供たちに対して母親の心の代りをした。子供たちは、何一つとして不自由をすることがなかったのみか、再び笑うことを学びさえした。なぜなら、その下女は、人生というものを、奥さんが考えていたように、そんなに煩わしいものとは考えていなかったから。彼女は、全く別の性質の人であり、そして非常に手荒らなことに、もっとたやすく堪えることができた。彼女は、あまり気に入られる必要はなかった――なぜなら、彼女は奥さんではないから――そして素早く殴り返した。彼女は、非常に惨めな愛情の幻滅というものを経験したことがなかったし、また鍛治屋の頑丈さは、それはそれで仕方がないから、我慢することにした。
しかし、半年後に、善良なエマは、私に言った。『もうこれ以上辛抱はどうしてもできません。私はもうあの家に留まっていられません――鍛冶屋さんは、違った考えを持っています。ですから、私は、どうしても立ち去らねばなりません。ただ子供たちさえいなかったら……可哀そうなあの子たちは、私をとても悲しませるんです。この後、子供たちは、またもや、どうなることでしょうか?』
子供たちと別れることは、彼女には非常につらかったので、彼女は、そのことを彼等に言ってしまうことは、とてもできなかった。十二本の小さな手、それは彼女をしつかりつかまえていた……さて、この憐れな子供たちは、三日間も村中をかけ廻って、エマを探したが、とうとう彼女がもはや帰って来ないことを観念した。今はじめて、彼らは本当に孤児になったことを感じた。
そしてその後の事態は、 私たちが惧(おそ)れていた通りになって行った。どんな下女でも、四週間以上は、その家にいたたまれなかった。その鍛冶屋は、腹立ちまぎれに、ますます荒っぽく乱暴になった。間もなく、もはや誰も下女になり手がなくなった。子供たちは、流浪者の子よりも、ひどいボロを着、ほったらかされていたので、女の地区世話人は、干渉する必要があると認めるに至った。
しかし、そうしているうちに、鍛冶屋の眼は、少しばかり開けはじめた。彼は、決してそのことがどうでも構わぬというわけではなかった。そして今や彼は、断然起ち上り、そして、自分の境遇に最も適する唯一の手段をとった。すなわち、彼はエマのところに赴いて、妻になってくれるように願った。天主の御慈悲のために――子供たちのために。自分は、自身でもよく知っているように、非常な乱暴者である。しかし、我々は、とにかく、いつも一緒に何とかしてやって来た。そしてあなたは、私をいかに取扱わねばならぬかをよく知っている。少なくとも、あなたは、以前それを御存知だった。そして、もし、もっと子供が出来ても、自分は確かに何の差別もしないつもりだ……もし必要ならば、まだ半ダースぐらい余計に養うこともわけなくできるだろう……それゆえ、あなたは何の心配をする必要もない。私はただ正式な結婚をしたい……たとえ、私は自分の職業のように荒っぽくはあるが、悪人ではない、と……
エマは、十二本の小さな手が、願うように自分の方に差しのばされているのを見た。十二個の悲しげな眼は、母性愛をもって満たされた幸福の中に再び輝くべきであり、六個の人間の霊魂は、不幸から……恐らく破滅から……保護さるべきである……六人の子供たちは、役に立つ人間に育て上げられるべきである……彼女は、遂に承諾した――子供たちのために。彼女は、子供たちを不幸の中に捨てて置くに忍びなかった。もっとも、幻想というものは、彼女は一つも抱かなかった。このことを、彼女は私にそう言っていた。また彼女は、往々夫とうまく行かないこともあるだろうし、また前の奥さんとは性質が違うとはいっても、しばしば、非常にしばしば歯を喰いしばって辛抱せねばならぬことがあるだろうということを知っていた。なるほど彼女は、こう言った。『粗っぽい丸太には、荒っぽい楔(くさび)が適するんです! あの人が突いて来れば、私は突き返してやるんです……』と。しかし彼女は、結婚というものは、結局、そう簡単なものでないことをよく知っていた。夫婦間の最も親密な間柄にあってさえ、妻は夫の乱暴に対しては無力であるということ、それからまた、ふだん、父親に対する子供たちの尊敬心を維持し、父親の権威をくつがえさないようにするためには、子供のことを念頭に置いて、夫を突き返すようなことをしないで、多くの事を堪え忍ばねばならぬであろうということを、よく知っていたのであった。
三週間後には、早くも結婚式であった。子供たちは、みんな、二つのヤコブに至るまで、『自分たちのエマ』が帰って来ると聞いたとき、はめをはずして喜んだ。私は、子供たちに、彼女を受け入れる準備をさせ、かつ軌道に乗せる役目を引き受けた。ところが、結婚の前日に、二人の大きな娘の九つのリナと七つのロッテとが、ふだんとは違っていることが私を驚かせた。おどおどし、そして気が沈み、心配して……喜びは、ぬぐい去られたように見えた。何が一体、起ったのだろうか? 私たちは、少し前から子供たちに、今度再び帰って来ようとする彼らの親愛なエマを迎えるために、彼らの心情にふさわしい小さな格言を教えて置いたのであった。その格言の中には、「新しい母」ということに関するものは、一つもなかった。『そのことは、子供たちとエマとの関係から自然に出て来るでしょう。』と教頭は言った。『なぜ、子供たちを前もって新しい概念をもって驚かす必要があるでしょうか? 愛というものが、間もなく子供たちに、エマに向ってお母さんと呼びかけることを教えるでしょう……』
私がいま娘たちに、その格言を、もう一度復習させようとすると、リナが反抗した。『今度来るのは、もう私たちのエマでは決してないわ……そうではなくて、継母(ままはは)よ……まま母は、今でも私たちをいじめるのよ……みんな、そう言っているわ……私は、エマを、もうちっとも好かないのよ……』
私がこの驚きから回復しない前に、十一才のフリッツが私に味方してくれた。『ねえ、そんなことは、みな本当じゃないでしょう? エマは相変らず僕たちのエマだよ――たとえ、お父さんのお嫁さんになっても……そうなったからって、エマは、僕たちに意地悪はしないよ……』
もちろん、悪い入れ知恵をしたのは、御親切な近所の人たちだ! 殆んど村の半分が、この子供たちを、何の理由もないのに、新しい母と仲たがいするように煽動するため協力したのであった。今、はじめて私は、それを知った。数日前から、それは子供たちに対し、絶え間のない強迫になっていたのだ。『まあ、待っていな。今にまま母がやって来たら、お前たちは、そこらをうろつき廻らねばならなくなるだろうよ!』
『まま母は、パンの籠をお前たちの手のとどかないところに高く掛けるだろう。食べる物よりは、ひっぱたきの方が多いよ……』
この無責任な根拠のない隣人の継母に対する態度は、婚礼がすんだ後も、なおつづいた。エマは、苦しい立場にあった。あらゆる側(がわ)からして、彼女は不信の眼をもって見られた。誰でもが、その継母に対して文句を言い、子供たちを引きつづき、けしかける権利があると感じていた。どうしても必要な一切の教育方法――今まで半ば荒(すさ)んでいた子供に対する――は、直ちに継母的な抑圧であり、悪い取り扱いだとして騒ぎ立てられ、そして子供たち自身も、ほかの人たちから、そのように暗示された。少年保護局にあててさえも、密告があった。たとえ、今までに子供たちは、現在のようにそんなに好い日々を送ったことはなかったといえ、また、たとえ本当の母親でも、子供たちにもっとよくしてやることはできないであろうとはいえ。そして、ある日、エマが妊娠したということが、人々に知れたとき、迫害はその頂点に達した。今や人々は、子供たちを自分の方に引っぱりこむことを恥ともしなかった。『さあ、お前たちは、これからどうなるかってことが、はじめて判るだろう……もしエマが自分の子供を生むというと……』
悲しげに、その継母は、私のところで泣いた。そんなに、むずかしいものとは、彼女はその事柄を考えていなかった。『ほかの人たちが、どうか私たちを平安にして置いてくれて、そして自分自身の事柄だけに気を配るようにしてくれたらねえ! そうだと、私のうちでは、万事とても調子がよかったでしょうに。それに今、あの人たちは、子供たちをいつも煽動するものですから、子供を教育することが全くできなくなってしまったのです……こんなわけで、私は、もうこれ以上やって行くことはできません……』
『一体、御主人は、それに対してどうおっしゃるのですか?』
『主人は、全くそれに気がつかないんだと思います。主人は、家の中が不穏で秩序だっておれば、喜んでいるんです……あの人の心には、どんなことでも、そんなに速くはひびかないんです。』
そこで私は、一度鍛冶屋さんを叱って、きめつけた。それは、何といっても彼の心に触れた。鍛冶屋の家では、三週間前から、三人の子供が猩紅熱(しょうこうねつ)で病臥していた。そしてエマは、流石(さすが)のその父親でさえ、その有様を見のがさなかったほどの愛情と忠実さをもって、日夜、子供たちを看病した。父親は、私の話を聞いて、少なからず驚いた。『そうか、それで判った。あの連中がいろいろお喋(しゃべ)りしているとき、彼らは一体何を言おうとしているのかと、私は度々考えていたんだ……エマに注意しなくちゃいけないって。私は、そのために、もう殆んど猜疑心を起しかけていたんだ……もし、もう一度誰かが、私に向って口を開きでもしたら……』
二三日後、男連中は、居酒屋『鹿』に集まった。彼らは、あれやこれやの話をした。そして教頭は言った。
『鍛冶屋さん、あんたは大籤(おおくじ)を引き当てましたね。お子さんたちは、全く別人になりましたよ。もし今日、学校でその様子を御覧になるなら――以前とくらべて! 本当に喜ばしいことです。お子さんたちが成績を取りもどして、なおもますます向上している有様は。』
『しかし、継母のことだし……それに、いま自分の子さえ生れようとしているんですから……』と、意地の悪い行商人が言いはじめるや否や、鍛冶屋は早くも彼の襟首をつかんでいた。そして彼を猛烈に揺すぶったので、彼から七つの大罪がことごとく落っこちた……槌(つち)【木製の物をたたく道具・ハンマー】のような拳を、殻の鼻の下にあてがった……
『こん畜生! もう一度、村の誰かがおれの家内の悪口を言ったら……そいつは、奥歯を全部一ぺんに呑み込まねばならんぞ、本当に! 今、おれは継母なんていう言葉は、もう沢山だ! そして、どんなおしゃべり女でも、ちっとも容赦しないぞ……誰かおれにつかまって見ろ! もしお前さんたちのお上さんが、おれのエマが継子(ままこ)によくしてやっているその半分でも、良い母親だったとしたら、そんな嘘っぱちなおしゃべりをする暇なんか、ありっこはないんだ……とっとと家へ帰って、お上さんにそう言いな……』
そして彼は、その連中が自分でその場から消えうせようとしない限り、片っぱしから一人ずつ居酒屋から投げ出した。それから、役は、教頭と一緒に家に帰って行った。『どうです、いま、奴っこさんたちは、どんな目に合うか判ったわけでさあ! 何日も前から、私は向っ腹が立っていたんですよ……』
鍛冶屋の家族のものへは、もはや誰もあえて近づこうとするものはなかった。しかし、秘かに、全く秘かに人々は、なおも見張っていた……アルグス(註、百眼を具えていたといわれる神話上の巨人の名)のような眼をもつて観察した……しかし何も後見されなかった。赤ちゃんが生れた。その兄さんや姉さんたちは、喜んでそれを大事にかつ忠実にお守りをした。長男のフリッツも、時々は子守の役を引き受けねばならなかった。たとえ彼は、復活祭このかた、町の実業学校へ通学していたのであるが。――それは、もちろん、彼が継子だからだと、親愛な村人たちは考えたのであるが、もはやそのことを言う勇気はなかつた。しかし母親は、こう言った。
『あの息子だって、そんなに小っちゃい子供の相手をし、大事にそれをお守りすることを学ぶべきです。あの息子は、兄弟としての注意をもって、自分の妹のお守りをすることに、早目に慣れて置くべきです。彼が、後にいつか結婚したとき、よく勝手がわかり、そして妻の仕事と苦労とを正しく理解するでしょう。そして、いつか必要な場合には、妻を助けることができるでしょう……』
継母に関する意地悪い歌!
いかに多くの不必要な悩みを、この歌は、これまでに、子と母の心の中にもたらしたことか! いかにしばしばすでにこの歌は、子供の教育を妨げ、または全く阻害したことであろうか。いかにしばしば母親の生活を悲惨にしたことか。いかにしばしば、せっかく孤児の母親になろうと思い立った婦人を引きとめたことであろうか?……
実子を得ることよりも、継母となることの方が、より多くの愛を必要とする。より多くの理想と、より多くの犠牲心とを。継母に関する偏見をもつて、そこに干渉し妨害することは、正しいことであろうか? いかに多くの悩みが、その偏見によって始めて生ずることか。もしそれがなければ、悩みは存在しないだろうに! 煽動されて意地悪くなった子供たちは、母親に対して、あらゆる種類の反抗をする。そして、もし子供がそのようにひねくれなければ取る必要のない教育方法を、とることを余儀なくされるのである――そして、このようにして怒りと失望とは、いよいよ高まって来る。往々にして良くない継母や継父があるからといって、継父母というものは一般にそうだと結論することは正しくない。悪い実父や実母もある。また概して、大事にされない子供というのは、再婚によって親子関係にはいった子供ではなくて、夫婦の一方がその結婚の中に持ち込んだ連れ子である。このことを人は、一度真剣に考えてほしいものである。
私は、その人が継母であるということに誰も気づかないような継母たちを知っている。このことは、子供に対する彼女たちの態度の中に、継母であるということが必ずしも現われるものでない証拠である。そして私は、表彰状を第二のお母さんたちに、または孤児の母親になろうとあえてする方々に捧げないでは、この日記を終りたくないのである。