Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

命の文化は全世界で今大きな動きとなっています。 世界の至る所で聖カミロたちが生まれてきています。すべての人にこの良い知らせを知らせましょう。

2022年08月25日 | お説教・霊的講話

2022年7月18日(月)証聖者聖カミロ・デ・リリスのミサ
(マーチ・フォー・ライフ東京)
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父説教

「まことにまことに私はあなたたちにいう、これらの私の最も小さな兄弟たちの一人にあなたたちがしたことは、私にしたのである。」(マテオ25:40)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、
今日は聖カミロの祝日です。聖カミロは、一時若い時に、軍人として軍隊生活を送っていた時に、世俗の精神に流されて罪に染まっていた時代がありました。しかし25歳の時に、それを回心する御恵みを受けて、その時に、イエズス様のために命を、生涯を御捧げしようと思いました。

伝染病患者、当時人々が多く苦しんでいた、その患者の保護をするために、看護をするための修道会「聖カミロ会」の創立者になりました。自分の命の危険を冒してまでも、病の人々を助けて、命を助けようとしました。遂に、1614年7月14日、ローマでその愛徳の犠牲となって亡くなりました。64歳でした。

私たちの主は、私たちを友人として、私たちの命の救いのために、永遠の救いのために、ご自分の命を与えてくださいました。聖カミロはこの主に倣ったのです。今日の福音でも主はこう言われます。「私は新しい掟を与える。あなたたちはたがいに愛し合え。私があなたたちを愛したように、あなたたちもたがいに愛し合え。」(ヨハネ13:34)「友人のために生命を与える以上の大なる愛はない。」(ヨハネ15:13)

しかも、私たちを友人と思われるだけでなく、また主は、最も小さな弱々しい私たちをご自分自身であるかのようにお考えになさってくださっています。今日の聖体拝領誦でこうも言われます。「まことにまことに私はあなたたちにいう、これらの私の最も小さな兄弟たちの一人にあなたたちがしたことは、私にしたのである。」

最も小さな兄弟たちの一人、現代、日本では、また世界では、もっとも小さな赤ちゃんたちの、罪のない命が殺されています。日本の統計によると、2020年には、14万5340人の赤ちゃんたちの命がお母さんのお腹の中で奪われました。計算すると一日あたり398人の赤ちゃんが殺されてしまったということです。統計によると、日本だけで、1949~2020年の71年の間に、3925万2446人の赤ちゃんたちが亡くなりました。約4000万人です。

たった一回の中絶だけでも、堕胎というのはその特殊性からとても重大な、大きな罪となります。
1/ 第一に、何故かというと、無防備な人間を殺すからです。何の抵抗も、守ることも、その術のない人間を殺すからです。
2/ 第二に、罪のない人間の命を奪うからです。裁判で判決される人は有罪の人です。それでも死刑を廃止しようという動きがあるのに、罪のない赤ちゃんの命が奪われています。
3/ 第三に、何故ならば、最も残酷な方法で殺害されるからです。もしも赤ちゃんたちに日常的に行われていることを大人にやったとしたら、最も恐ろしい残酷な犯罪だとみなされてしまうに違いありません。
4/ 第四に、何故かというと、子供を守って、愛する義務のあるお父さんやお母さんによって、あるいは命を守る義務のある医者や看護士によってこれが行われているからです。義務を放棄するというよりは、義務を濫用しているからです。

たった一回でも、そのような性質がある恐ろしい罪であったとしたら、犠牲者の数を考えてください。犠牲者の数があまりにも多くあります。第二次世界大戦の日本人の死者は、軍人あるいは民間人を合わせると310万人(軍人・軍属が230万人、民間人が80万人)だそうです。でも、71年の間に4000万人、第二次世界大戦の12倍以上の人間が亡くなったということです。

お母さんのおなかにいる赤ちゃんたちは、どんなに小さくても、立派な人間です。「小さな命」ではなくて、大きくてかけがえのない命です。この罪のない無抵抗で無防備の赤ちゃんたちの命を、私たちが愛する、守ってあげるということが、これこそが主のお望みです。「私は新しい掟を与える。あなたたちは互いに愛し合え。私があなたたちを愛したように、あなたたちも互いに愛し合え。」「これらの私の最も小さな兄弟たちの一人にあなたたちがしたことは、私にしたことである」と仰っているからです。

このようなことを言うと、この世のマスメディアはこう反論するかもしれません。
「レイプの犠牲者がいるじゃないか!どうなんだ!」

もちろん、強姦、レイプというのは犯罪です。あってはならない大きな罪です。しかし「レイプによる妊娠」というのは、中絶理由の1%にも満たないものなのです。その例外的な理由で、あらゆる中絶を正当化する方便として、今使われています。でも、レイプという暴力による傷を、堕胎というさらなる暴力によって癒すことが本当にできるのでしょうか?受動的に受けた傷を、能動的に殺すことによって癒されるのでしょうか?死刑になるべきは、何故レイプの犯人ではなくて、赤ちゃんたちなのでしょうか?

現実に、今世界中で、レイプという暴力によってこの世に命を受けて、しかし生まれてきて、幸せに生きている方々が多くおられます。そして生まれてきたことをこのような方々は感謝して、そして是非このような赤ちゃんたちを守りたい、と今、プロライフ運動に参加しています。

レイプによって妊娠しながらも、勇気をもって「いのち」を選んだというお母さんたちがいます。そのようなお母さんたちは、「いのちを選んで良かった」とても感謝しています。たくさんそのようなお母さんたちがいます。このようなお母さんたちもプロライフ運動に参加しています。なぜかというと、中絶という暴力に訴えることをこのようなお母さんたちは拒んだからです。このようなお母さんたちが必要としたのは、人生の助けとなる癒しでした、祈りでした。堕胎という暴力に駆り立てる宣伝文句ではありませんでした。

このようなこの世の精神に対して、聖ヨハネは今日の書簡でこう言っています。「愛する者よ、世があなたたちを憎んでも驚くな。私たちが死から命にうつったのは、兄弟を愛するからであって、愛さない人は死の中にとどまっていることを、私たちは知っている。兄弟をにくむ者は人殺しであって、人殺しはその中に永遠の命をとどめていない…。」(ヨハネの第一の手紙3:13-15)

現代の中絶は、アステカで昔盛んにおこなわれていた人身御供とよく似ています。罪のない方々が生贄となっていたからです。アステカでは、太陽がちゃんと回るためには生きた人間の血が必要だ、と言って、多くの人たちが殺されていました。ちょうど私たちの生活がうまくいくために、赤ちゃんたちが犠牲になっているかのようです。しかし、1531年にメキシコの聖ファン・ディエゴにグアダルーペのマリア様がお現れになったとき、マリア様のご出現は人身御供を終わらせました。その後、10年間で約一千万人の先住民のインディアンたちが、キリスト教カトリックの信仰を受けました、洗礼を受けました。天主の御母であり、私たちの霊的な母であるマリア様は、この死の文化を「いのちの文化」「愛の文化」に全く変えてくださったのです。

1917年、ファチマのマリア様は私たちにこう約束されました。「最後に私の汚れなき御心は凱旋するでしょう」と。「大勝利するでしょう。」マリア様は、死の文化に死をもたらしてくれます。命の文化に命を与えてくれます。ファチマの マリア様は私たちにこうも言われました。"世界の平和と戦争の終結を得るために、ロザリオの聖母を称えて毎日ロザリオを祈り続けてください。" "聖母だけがあなた方を救うことができるからです。"

日本ではまだ戦後が来ていません、戦争中です。なぜかというと、罪のない日本の市民たちが、今戦争の犠牲になり続けているからです。この戦争を終わらせなければなりません。

愛する兄弟姉妹の皆様、ですから皆様を、「いのちのための行進、マーチ・フォー・ライフ」にお招きいたします。マリア様と共に、祈りで結ばれて、私たちは死に対する生命の勝利、闇に対する光の勝利に向かって歩みましょう。

命の文化は、全世界で今大きな動きとなっています。
今、世界の至る所で聖カミロたちが生まれてきています。命の大切さ、イエズス・キリストの聖徳に目覚めて、回心しています。「命のために戦いたい」という若者たちが世界中でどんどん増えています。
すべての人にこの良い知らせを知らせましょう。

ファチマの聖母、われらのために祈り給え。
聖カミロ、われらのために祈り給え。

「まことにまことに私はあなたたちにいう、これらの私の最も小さな兄弟たちの一人にあなたたちがしたことは、私にしたのである。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。



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