Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

「私の肉を食べ私の血を飲む人は、私に宿り私もまたその者のうちに宿る。生きてまします父が私を遣わしその父によって私が生きているように、私を食べる者も私によって生きる。」

2022年08月02日 | お説教・霊的講話

2022年6月19日(主日)御聖体の荘厳祭
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父説教(大阪)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、今日は御聖体の祝日の荘厳祭を祝っています。これは、この前の木曜日に私たちが盛大に祝うことができなかったので、今日もう一度それを一緒にお祝いしています。ですから、このミサが終わった後で、いつものように感謝のお祈りをして、すこしの休憩の後に、御聖体行列を行ないたいと思っています。どうぞたくさんの方々が参加して下さるようにお願い致します。

これは私からのお願いですけれども、ミサの前に私たちはロザリオを唱えて、ミサによく与るようにお祈りをして準備しています。是非できれば皆さんもそのロザリオに一緒に唱えて下さるようにお願いします。お友達におしゃべりをなさりたいお気持ちはよく分かりますけれども、お友達もミサの前に準備をしたいと思っていらっしゃるので、是非それを尊重なさって、おしゃべりは、ミサが終わって、お祈りが終わってからにして下さるようにお願い致します。

今日は、御聖体の秘跡について一緒に黙想致しましょう。今日特に皆さんに黙想を提案するのは、今日の福音の言葉です。イエズス様が仰った言葉です。「私の肉を食べ、私の血を飲む人は、私に宿り、私もまたその者のうちに宿る。」(ヨハネ6:56)そしてこうも言われます。「生きてまします父が私を遣わし、その父によって私が生きているように、私を食べる者も私によって生きる。」(ヨハネ6:57)更にこうも仰います。「このパンを食べる者は永遠に生きる。」(ヨハネ6:58)

このこれらの言葉を以ってイエズス様は、私たちと愛の一致をしたいと、イエズス様は私たちの中に居て、そして私たちもイエズス様の中に留まる、一心同体になるということを仰っています。そして私たちはもはや、生きるのは私の為ではなくて、形だけではなくて、キリストが私の中に生きている。私が生きているのはキリストの為だと、そのようになると仰っています。

だからもはや、この世の為に生きるのではなくて、永遠の為に生きる。そして永遠の為に、永遠に本当に生きるのだ。永遠の命を持つと仰っています。これが御聖体の私たちに与える効果です。

天主はどれほどまで私たちを愛して下さったか、ということが、御聖体に如実に表れています。天主が私たちを無から創造して、それで終わりではなかった。それを統治して、それをちゃんと見守って下さっているのみならず、この全世界を創った方は、私たちを愛するが為に、私たちといつも一緒にいたいが為に、人間となられた。それでも満足できずに、私たちの為に、命を与える為に、御自分の命を与える為に、十字架の上に、私たちの代わりに十字架の上に付けられて、御血を流されて、命を与え尽くした。それでも足りなかったイエズス・キリストは、真の天主は、私たちに御自分の天主の命を与える為に、私たちとピッタリ一致する為に、一つになりたい、その為に何を考えたかというと、発明したかというと、御聖体を作った、私たちの食べ物となった。私たちがイエズス様と一体化する、私たちもイエズス様のようになる、ということも考え付きました。

教会の教父たちは、あるいは教会の博士たちは、あるい聖人たちは、御聖体のことを考えれば考えるほど、私たちを創って下さった主の愛に、もう感謝の言葉を見つけることができないほどでした。一体、主がしもべの為の食事となるとは、食べ物となってしまうとは、一体何という素晴らしいことだろうか!多くの歌や、多くの芸術作品が、御聖体の為に作られました。

では、このような天主の愛に対して、私たちの祖先は何をしたでしょうか?

立派な、大きな大聖堂を造ったり、素晴らしい歌を作ったり、詩を書いたり、文学でイエズス様の愛を表明するのみならず、イエズス・キリストが王として私たちに祝福を与えて下さるように、御聖体行列をすることを欲しました。イエズス様が王として私たちの心に来るのみならず、社会を、街を、祝福して下さいますように。その時には、御聖体の祝日には公休日にして、お休みにして、そして皆が揃ってイエズス様を王として迎えることができますように、その愛を賛美することができますようにしました。

残念ながら現代は、人々の心は、御聖体に対してあまりにも無関心であって、冷淡であって、それを忘恩と冒瀆でお返ししています。イエズス様が受けるのは、冷たい心と、無視、あるいは嘲り、不信仰です。

ですから21世紀に生きる私たちは、特にイエズス様に対して特別の愛をお返し致しましょう。私たちのやることは非常に不足だらけですけれども、しかしちょうど子供がお母さんに、お母さん、お母さんありがとうと言って、落書きのようなお母さんの似顔絵を書いて、そしてママへ、ありがとうと書いたら、お母さんはその子供の落書きのようなクレヨンの絵を見て、どれほど喜ぶことでしょうか。私たちも拙い祈りですけれども、また御聖体行列かもしれませんが、しかしイエズス様は私たちのその真摯な感謝と讃美をしたいという心を見て、どれほどお喜びになって、この私たちのみならず、この大阪、また日本を、また全世界を祝福して下さるに違いありません。私たちはこれを望んでいます。

是非イエズス様が私たちを憐れんで下さって、祝福をますます下さいますように、そしてこの前秋田の巡礼の時にレネ神父様が仰って下さったことを思い出します。たとえこの御聖体行列を見て何も分からない人がいたとしても、多くの恵みをその人たちは受けることは確実です。

例えば、最後にこの話をさせて下さい。ユダヤ教で、最もカトリックに反対していた家庭で育てられた双子の子供がいました。その子らはフランスのリヨンという町に住んでいました。そこで御聖体行列がありました。決してカトリックとは関係を持ってはいけないという風に厳しく言われていたのですが、御聖体行列の音を聞いて、窓から見ると、何か行列がある。そこで、この子供は家政婦さんに聞きました、「これは一体何?ヘブライ語で聞いたそうです。“マンナ?”カトリック信者だった家政婦さんは御聖体だとおしえました。そこからいろいろな質問の答えのやり取りがあり、それがきっかけで、子供たちは18歳の時、秘密にカトリックになりました。ついには24歳でカトリックの司祭になりました。Joseph et Augustin Lémann (1836-1915 et 1836-1909)神父兄弟です。カトリックに反対していたこの家庭で育てられたにも関わらず、御聖体行列の奇跡の恵みによって、カトリックの信仰に導かれました。

願わくは、大阪のこの周囲の方々が、ぜひ御聖体の御恵みによって信仰に導かれますように、日本の多くの方々が導かれますように、お祈り致しましょう。マリア様にお祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。