2021年8月13日(金)殉教者聖ヒッポリトとカッシアノの記念のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父様御説教(大阪)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
今日は2つお知らせがあります。
1つは、今朝、韓国で私が非常にお世話になっていた初代の信徒会長、ステファノ金おじいさんが亡くなったとの連絡を受けました。どうぞこの方の霊魂の為にお祈り下さい。
もう1つのお知らせは、来たる主日、明後日の主日は聖母の被昇天で、私たちは天主様の御恵みとマリア様の憐れみによって、聖母行列を行ないたいと思っています。この聖母行列は私たちにとって、そして世界にとって、非常に大切なものだと考えています。
何故かというと、今世界を覆っている危機、コロナとか、あるいは都市封鎖とか、あるいは私たちの、多くの人々の命を脅かすようなことが起こっているからです。天主の像に似せて創られた人間の命を堕胎で奪い、あるいは家族・家庭を粉々にしてしまおうという不道徳が広がっているからです。
あるいは生活を脅かすグレート・リセットが計画されているからです。これの究極の目的は、教会の門を永久に閉じさせてしまって、教会から財産を奪ってしまって、そして私たちからミサや、秘跡や、そしてその他超自然の恵みを取り去ってしまおうとするものへの一歩だと思われます。
また国家というものも無くしてしまおう、宗教もない、家庭もない、国家もない、そんな世界を考えてみてほしい、想像してほしい、などと歌を歌った人がいますが、そのそれを実現させようと今、計画されていると思われるからです。これに対して私たちはどのような手段を取ったら良いでしょうか?
フランスでは、ワクチンを打たなければ、買い物もできないし、電車にも乗る事もできないし、飛行機にも乗る事ができないし、仕事にも就く事ができないし、何もする事ができない、社会生活から排除される、という法律ができたそうです。ワクチンがどれほど有効なものであったとしても、そのような法律はあってはならないものです。しかも新しいワクチンの中には何が入ってるか私たちには知られていません。多くの勇気ある医者たちの言うには「毒」が入っているとのことです。
あるいは、もしも今の世界の新しい思想に反するようなカトリックの真理を言ったならば、「同性愛が悪である」とか、あるいは「堕胎が罪である」という事を言うような人たちは、これは危険思想だ、と批判されるようになりました。あるいはイタリアでは禁固刑になるそうです。今、イタリアではそのような法律が通りました。
あるいはアメリカでは、「堕胎を容認するような"カトリック"国会議員は破門にしよう」と、司教様たちがそれを議論していると話し合っていると、すると「そのようなカトリック教会には、これからは宗教法人による免税の特権を奪う」とかと「「堕胎を容認するような"カトリック"の国会議員」から脅しがあったそうです。教会の教えを教えるだけで罰を受けるような法律が、これからますます世界で組織されつつあると聞きます。
私たちはその時に、どのようにすれば良いのでしょうか?
私たちの唯一の希望は、マリア様です。マリア様だけが、私たちを助ける事ができます。私たちがマリア様の聖母の凱旋を、その天における勝利を、凱旋を祝えば祝うほど、憐みを受ける事は間違いありません。
ですから今年の聖母被昇天は、特に主日でもあり、非常に大切です。この聖母の被昇天をできるだけ盛大に、できるだけマリア様の名誉の為に相応しく祝いたいと思っています。
そうする事によって、例えば広島で、イエズス会の司祭たちが、原爆からほんの少ししか離れていない所に居たにも関わらず生き延びたように、あるいは私たちも来たる大きな艱難の時代において、信仰を守る、そして秘跡を守り、ミサを守り、教会を守り、そして生き延びる事ができるように、特別の御恵みと御憐みを乞い願いましょう。
この世の中はますます暗くなろうとしていますけれども、しかし私たちには光り輝くマリア様がついています。
私たちにとって恐るべき方はたった御一方しかいません。私たちをゲヘンナの火に捨てる事のできる力のある方、つまりイエズス・キリストだけです。
イエズス・キリストを「私たちの主である」と言う私たちについて、イエズス様は聖父の前でも、私たちの事を、「これは、キリストのものだ」と守って下さるに違いありません。マリア様は私たちを、マリア様の栄光をこれほどまで心した私たちを、きっと心して下さるに、憐れんで下さるに違いありません。
ですから今年の聖母被昇天、たとえ数が少なくても、マリア様の名誉の為に、より良い聖母被昇天の祝日を祝おうと思っています。どうぞ良い準備をするように致しましょう。聖母行列に、どうぞいらして下さい。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
(すみませんワクチンで死ぬ前に言わせて下さい、本当にすみません)
「ミサより栗拾い」、この言葉は故押田神父様が、栗拾いに熱中してしまった一般信者の稚拙な過ちから神的な気付きを与えられ信仰の喜びに満たされたものを書き留めたものと思われます。神秘的なまでに美しい長野の自然ならではの霊的気付きかもしれません。新しい典礼の支持者からさえも疑問視されていた神父様ですが何かと深い私は神父様のおかげでキリスト教への違和感がなくなりました。
ラテン語のごミサだけをあげる神父様達にとっては、まず「ミサより」という点が間違っている事でしょう。
唐突ですが、カンプールの居住者学校で発覚した事件のことを考えているのですが。
事件に関与した者達は、正直ごミサをあげるのをしばらくやめて、問題に嘘偽り無く「面と向かったら」どうかと思っています。
あれはマリア様の汚れなき御心に寄りすがることで解決するのは何か変だと思います。解決の糸口をあくまで罪人としてひたすら正直に謙遜に謝りながら聖母に祈る事は良い事だとは思いますが。
新しいごミサは世界中のどこでもしばらくの間コロナのせいであげられなくなりました。あの時のことを思い出すと、『神様が』ミサをあげられないってこんな感じなんだけど、どうかな、って言っているのではと、深い畏れを感じました。
かなり政治的に偏って解決しようとしているようですが、どこまでそれが彼らに通用するか、疑問は残ります。
正直。。。。聖書は、イエズス様は兄弟が恨んでいるなら生贄を祭壇の横に置き仲直りしに行きなさい。そして一緒に帰って来て生贄を捧げなさいと教えているにもかかわらず、ミサをあげ続けて来ました。生贄とはイエズス様ご自身の事だと思いますがわかりませんけど。
シオニズムの罠は仕掛けられていると思いますが、間違った方向で、ちょうど新しい典礼が取り入れられたのと同じいきさつで、わたし達の熱意や正直さが、新しい秩序の中に消失していくのは、大反対です。
どうか........ 何も充分な理由が無くて、抗議する人達が抗議をしている、暴力まで振るっていると、勝手に曲解して、伝統のごミサに預かる方々は考えないで頂きたい。Do right. マリア様の穢れなきみ心は みんなにゲロを吐いていると思います (表現が露骨でごめんなさい)。聖別されたもの以外は口にしたことさえない生活をずっと送って来られたはずだからそうだと思います。
犯罪に加担してしまった人達は裁きを受けることで初めて安らかになるのです。
ちなみに大宮の神父様達になんか言ってるわけではないので的外れな非難はご容赦ください。大宮の神父様達は被害者の事を思って涙を流して祈って下さっていると信じています。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/s2021/06.html
6月の死者は10万8734人、2020年6月は10万423人でした。前年より8311人増えました。
5月の死者は11万8634人、2020年5月は10万8380人でした。前年より1万254人増えていました。
この数字をどう見るか。戦争もしていない、火山噴火や大洪水などの自然災害もない、工場や原子炉の大爆発もない、新型コロナ以外の疫病もない、新型コロナの死者はこんなに多くない。考えられる理由は、新型コロンワクチン接種後に体調を崩して亡くなった方が、これぐらいおられるということでしょう。死因とされるものは分かりませんが、持病の悪化や老衰が多いのではないでしょうか。車の運転中に循環器系の病気発症で、交通事故死もあるでしょうね。
5月だけで昨年よりも死者が1万人も増えているという報道は無かったようです。6月も恐らく無視されるでしょう。これがいま、日本で起きている現実です。
神父様の仰る通り、「私たちの唯一の希望は、マリア様です。マリア様だけが、私たちを助ける事ができます。私たちがマリア様の聖母の凱旋を、その天における勝利を、凱旋を祝えば祝うほど、憐みを受ける事は間違いありません」。
マリア様を表現するどんな小さな悪い言葉も、汚い言葉も、マリア様の汚れなき御心には相応しくありません。
心が痛みます。
マリア様は'汚れなき'なので、汚れたものはその御口からお出しにはなりません。愛をその御口から注がれています。
マリア様は汚れなき御心なので、その御口から憎まれ口は言いません。
マリア様は汚れなき御心なので、私達のことを決して諦めません。
決して諦めないので、全ての事を取り次いでくださるのです。
なので私達が、そのマリア様の汚れなき御心に信頼せず、マリア様は愛がなくもう嫌気が差していると(こんなことを言葉にするのも事実でないので気分が悪く苦しいです)思ってしまい祈らないことは、マリア様の苦しみ悲しみです。
イエズス様許してください。憐れんでください。何をしているのか知らないのです。マリア様御取り次ぎをお願いします。私達を憐れんでください。
「私と一緒に集めない者は散らしている」イエズス様のお言葉通りです。