Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

第一戒_迷信について_日本人の陥りやすい危険!被造物に祈っても何にもなりません。

2020年09月27日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、天主の十戒の「第一戒」で、今回は特に「迷信」について説明します。

「テレワーク」方式ではありますが、皆様にYouTubeで「【天主の十戒】第一戒_迷信」の動画をご紹介いたします。

この動画が気に入ったら、お友達にもご紹介くださいね。

天主様の祝福が豊にありますように!

トマス小野田圭志神父

【動画全文】

愛する兄弟姉妹の皆様、天主の十戒の内で、もっとも重大で、荘厳な掟が第一戒です。「第一 われはなんじの主なり。われを唯一の天主として礼拝すべし」です。これに反する罪のうち、迷信について見てみましょう。

【迷信は、礼拝の対象や目的に従って分類される】

偽りの天主を対象として礼拝する、或いは偽りの方法で天主を礼拝することを、迷信と言います。とりわけ、偽りの神々を信じ、礼拝することを「迷信」と言います。つまり、迷信は、礼拝してはならないものに礼拝をすることです。

或いは、真の天主に対してであっても、そうしてはならないやり方で礼拝することも、迷信と言われます。【例えば、約束された救い主であるイエズス・キリストの到来によって、廃止された旧約のやり方によってヤーウェを礼拝しようとするのは、迷信です。】

天主が私たち人間に礼拝を求める究極的目的は、人間が天主に栄光を帰し、心も体も天主に従わせること、です。ですから、真の天主に対する礼拝の目的は三つあります。すなわち、①真の天主を認めて拝むこと、②知性を天主に挙げて天主からの真理の啓示を知ること、③不秩序な情欲を天主の掟に従わせて行動すること、です。天主の掟と教会の掟・一般的な聖伝の習慣に従わせることです。

この目的に従っても、迷信も分類されます。

(1) 真の天主を認めずに拝む、つまり被造物に礼拝を捧げることを「偶像崇拝」idololatria, idolatry といいます。

(2) 天主から啓示された真理を教えられる代わりに、悪魔などとの交渉を企てること通して、或いは無力の手段を通じて、隠れたことを知ろうとするのを「占い」「占卜(せんぼく)」「卜術(ぼくじゅつ)」 divinatio, divinatory などと言います。

(3) 更には、悪魔などとの交渉を企てること通して、或いは無力の手段を通じて、何らかの効果を得ようとすることを幻術(げんじゅつ) vana observatio, ovservances と言います。

これらについて少し説明します。

(1) 作られた偽りの神々の姿や形を「偶像」と言います。聖パウロはこういっています。「かれらは愚かな思いにふけり、その無知の心はくらんだ。かれらは、みずから知者と称えておろかな者となり、不朽の天主の光栄を、朽ちる人間、鳥、獣、はうものに似た形にかえた。…かれらは、天主の真理を偽りに変え、創造主の代りに被造物を拝み、それを尊んだ。」(ローマ1:23-25)

実際、人間が死後「神」になって祀られていたり、恐ろしい形相の偶像が祀られていたりするのを見ます。これらは偶像崇拝です。被造物である太陽、月、星々、山、海、大地などを拝むことも、偶像崇拝です。

偶像崇拝は、重大な罪です。人間が、真の王であり創造主である天主を王として認めず、それ以外のものを最高の王として立てるとすれば、これは反逆罪であり、全宇宙の秩序を乱すという最大の罪を犯すことになるからです。

(2) 「占い」は、非合理的に、してはいけないやり方で、未来のことを永遠の天主だけが知ることができるにもかかわらず、それを天主から横領して自分のものとしようとするので大きな罪です。

天主のみが知る秘密の情報を、天主以外のものから得ようとするのは、愚かであり、間違っています。いえ、きわめて危険です。占いをするのは、私たちを愛する天主に信頼せず従おうとしないことだからです。それよりも私たちの悪を望む悪魔に信頼することだからです。

もしも小さな子供が、子供を愛する生みの母親の手を取って歩いているなら、子供は母親を信頼し、母親が連れて行ってくれるところであればどこでも喜んでいき、母親のくれる食べ物を食べ、母親の与える服を着て、母親の言いつけを素直に聞いて安心しています。

それを、自分がこれからどうなるのか、母親の思いを知ろうと、どこかの知らない人に、無責任な人に、母親や子供に危害を加えようとする人に、伺いを立てたら、それは重大な非礼ですし危険なことです。

何故なら、占いには、天主の御旨に逆らって知ろうとする事実から、明示的に、暗示的に、悪魔との交渉があるからです。明示的にとはあからさまに悪魔の助けや助言を得ようとしたりすることです。暗示的にとは、秘密のうちに、自然を超える悪魔の助けを信じることです。

例えば、神智学とか人智学と言われる近代のグノーシス主義は、空想や感情の透視によって、自然界や霊界の秘密を知ろうとします。

或いは、媒体とかイタコとかと呼ばれる人を通じて、そうしようとする人もいます。あるいは「コックリさん」という危険な死者やその他の霊と交流して知識を得ようとする心霊術を行う人もいます。

ある新興宗教の創始者は「日蓮の霊言」「空海の霊言」「天照大神の霊言」「守護霊メッセージ」などを受けていると、証拠なく主張しています。

太陽や星や星の動きや位置で占おうとする占星術、鳥や動物の鳴き声、人の生年月日や、時にはくしゃみの仕方(!)などで人間の運命を知ろうとする占い、建物や町の位置の吉凶を占う風水(ふうすい)、手の皺(しわ)や形で人間の運命を知ろうとする手相術、水晶の中を覗き込んで幻影を見て行う占い、人の顔を見て占う人相術などがあります。

或いは、カードを使ってどのカードが出るかとか、文字の書かれた石、竹の棒や亀の甲羅やその他の動物、火の形、水の様相、サイコロなど使って未来や吉凶を占ったりすることもあります。

占いは天主の愛に逆らう罪で、非常に危険なものです。どうぞ近寄らないようにしてください。私たちは悪魔と同盟を組むことができないからです。何故ならそれは地獄との契約だからです。さらに、そのために悪魔に犠牲が捧げられたとしたら、もっと危険です。恐ろしいことです。

悪魔は、人間の永遠の滅びを意図しています。悪魔は時には真実を語ることがあるかもしれません、それは人間をよりよく騙すためです。しかし悪魔は嘘を混ぜて人間に教えます。悪魔は最初から嘘つきで人殺しだからです。

ルカによる聖福音には、汚れた悪霊につかれた人が「ああ、ナザレトのイエズス、あなたと私たちとになんのかかわりがあろう?あなたは私たちを亡ぼそうとしておいでになったのか?私はあなたがいかなるお方かを知っている。あなたは天主の聖なるものだ!」と大声に叫んだ。

イエズスがそれを叱って「だまれ!この人を出よ」とおおせられたという史実が記録されています。聖アタナシウスは、これを解説して、悪魔は真理を告白したが、キリストは悪魔を黙らせた、それは悪魔が真理と共に邪悪なことを言わせないためであり、私たちが悪魔の発言を軽んじるためである、と言っています。

占いがたとえ悪魔と明示的な関係がないとおもわれても、それは少なくとも理性に反しています。何故なら、天体やその他の自然界の物体的な事象の偶然の動きや配置は、天主の定めた物体の自然の法則に従っています。(自然法則を計算して予測する天気予報や天文学は占いではありません。)

しかし、天主が自由に愛して与える超自然のお恵みは、自然の法則を超えた最も深い原因(全知全能の天主が無限の可能性の中から完全な自由をもって選ぶ愛)を原理としています。しかも私たちには理性があり自由決定能力があります。たとえ全てを失うぞと脅されようとも、私たちは天主のお恵みにより善を選ぶことができます。

私たちは、天主の愛の御恵みによる御摂理と、私たちの理性とによる協力によって、私たちの人生を、特に永遠の幸せを決定します。いかなる物体も(それが天体であれ)人間の非物体的な知性や意志を決定することはありません。いかなる物体的な影響力や本能にもかかわらず、私たちは知性で真理を知り意志で善を選ぶ自由選択能力を持っています。

(3) 幻術(げんじゅつ)は、魔術ともいわれます。ある自然な原因が自然にある結果をもたらすことは、もちろん不法なことではありません。しかし、自然にそのような結果をもたらすことができない時は、危険です。

或る高額な壺を買って置くと幸福が来るとか、あるネックレス、ブレスレット、指輪などを付けると恋愛成就・商売繁盛・健康長寿・病気平癒・安産子宝だとか、あるお守り、護符(ごふ)を付けると家内安全・試験合格・無病息災(むびょうそくさい)で、金運を呼び起こすとか、その他いろいろな話を御耳にするかもしれません。しかし、そのようなことはありません。ありえません。

本当の幸福は、本当の天主イエズス・キリストを信じ、礼拝し、希望し、愛することによって与えられます。

大天使聖ミカエルに、私たちが悪魔やサタンの攻撃から守られるように祈りましょう!



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。