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【再掲】2018年8月4日(初土)  聖ドミニコの祝日 「聖ドミニコの精神」

2020年08月04日 | お説教・霊的講話
【再掲】2018年8月4日(初土)聖母の汚れなき御心の随意ミサ 聖ドミニコの祝日
小野田神父 説教



聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2018年8月4日、聖ドミニコの祝日です。今日は初土曜日ですので、聖母の汚れなき御心の随意ミサをしています。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は8月の初土曜日で聖母マリア様の汚れなき御心の信心の日で、そしてファチマの日でもあります。ファチマでマリア様が「初土の信心をするように」と仰って下さったので、それで特にファチマでは御出現の度ごとに、「毎日ロザリオを唱えるように」と仰いました。

そして今日は初土であると同時に聖ドミニコの祝日であるので、マリア様が私たちに彼を通して聖ドミニコを通して下さった、そのロザリオの、その聖ドミニコの祝日であるので、ぜひ、

⑴ 聖ドミニコという方がどういう人であったのか?

⑵ 聖ドミニコは私たちに一体どんな事を教えているのか?特に21世紀のこの日本で、聖ドミニコの精神がどれほど大切であるか、という事を一緒に黙想する事を提案します。

⑶ そうする事によって私たちが初土の信心、そして初土のこのマリア様への信心がどれほど重要であるか、という事をますます気が付く事ができると思うからです。

ですから聖ドミニコの生涯を黙想する事によって、更にマリア様の初土の信心を深める事ができるからです。

⑴ では一体、第1のポイントに、聖ドミニコはどういう人だったのでしょうか?

聖ドミニコは、1170年にスペインで生まれました。スペインのカレルエーガという所に、デ・グスマン家いう非常に高貴な貴族の子供として生まれました、1170年です。そのドミニコの叔父さんに神父様がいました。この神父様は甥子のドミニコに良い教育を与えようと思って、一番良い学校に送りました。パレンティアという所にある学校に、非常に有名な名門校だったのです。

お父さんとお母さんは貴族で、まだドミニコがお腹にいる時に、お母さんは夢を見ました。その夢によると、この子供は小さな子犬のようで、しかも口に松明を咥えていたのです。それでこの子供が生まれると、その子犬が世の中に出てくると、この松明の火を以て世界中に火を付けた、という夢を見ました。このお母さんの夢がどのように実現するか、これが実は正夢だったのだ、と後で人々は解釈します。

そしてそこで聖ドミニコの肖像画、聖人のドミニコの御影は、ドミニコ会の修道服を着た、白い修道服を着て、そして聖ドミニコはあるいはロザリオを手に、あるいはその下には子犬がいて、口に松明を咥えている犬が描かれています。これを見たら、「あ、これは聖ドミニコだ」と思って下さい。なぜかというと、ドミニコ会には色々な聖人がいます。例えば聖ヴィンセンシオ・ア・フェレール、あるいは聖トマス・アクィナス、あるいは聖ピオ五世教皇等々、多くの聖人たちがいるのですけれども、聖ドミニコの御影には、あるいはロザリオ、あるいは犬がいる、という事を知って下さい。ラテン語で「犬」の事を“canis”と言います。そして「主」というのは“Dominus”と言います。そこで「主の犬」というのは、“Domini canis”(ドミニカーニス)という言葉遊びでもあるのです。

ところで、聖ドミニコがパレンチアの名門校で勉強をしている間に、非常に優秀な子供であるという事、特に勉学が優れていて、そして聖書に対して非常に大きな関心を持っている、という事に人々が気が付きました。それのみならず、聖ドミニコが非常に愛徳のある学生である、という事にも人々が気が付きました。

ある時には、その当時、本は一冊一冊が、まだ印刷機がなかったので非常に高価な物でした。ある時、飢饉で食べ物が無くて困っていた人たちを、その犠牲者を被災者を助ける為に、自分の持っていた大切な本を売ってしまって、そのお金でその被災者を助けた、という事さえもありました。非常に貴重な物だったのですけれども、聖ドミニコは助ける為には何も惜しみませんでした。

こうやって学徳と愛徳に秀でた聖ドミニコは、司祭となります。私たちは聖ドミニコの聖人伝を見ると、本当にドミニコは子供の頃から、天主への愛と隣人への愛に、この2つに燃えていた、という事が分かります。天主への栄光をいつも考えて、また隣人の霊魂の救いを考えていたという事です。天主の事をいつも考えていて、そして天主の御摂理を隣人に伝えていたという事です。

司祭になると、非常に学徳のあり、そして聖徳の高い、愛徳の深い司祭だという事で、すぐに司教様によって、その当時聖ドミニコがいたのはオスマン司教区の司教座聖堂の特別会員となって、そして特別の名誉ある地位を得ました。これは教会参事会員といって、ラテン語では“Canonicus”と言って、「カノンの司祭」と言われていて、それはいつもカテドラルで決められた時間に、聖務日課を他の司祭たちとそのカノンたちと一緒に唱える、という特別な名誉ある地位を得ました。司教座付きの特別の司祭という事です。

これは当時スペインにとって名誉ある地位であって、エリートコースであって、将来はどこかの大きな大司教様になるとか、枢機卿様になるとか、あるいはそういうような出世コースでした。しかし聖ドミニコはあまりそういう事には興味がなくて、むしろこのような地位が与えられたという事は、ますます自分が他の人に奉仕しなければならないという事で、ますますその責任があるという事で、より多く他の人々の救霊の為に尽くしました。

そのような聖ドミニコの態度を見て、オスマ司教区の司教様だったディエゴ司教様は、特に聖ドミニコを選んで、その当時スペインのカスティリア王国の王様によって任された使命を、聖ドミニコと2人で一緒にやろうと、ミッションの旅に出ます、外交の旅に出ます。旅をしながらディエゴ司教と聖ドミニコは色々観察して、そしてヨーロッパの教会が受けている弱点などを見ました。2つありました、当時。

1つは、特にヨーロッパの北の方では、ノルウェーとかデンマークとか北欧の方では、まだキリスト教が十分に伝わっていない、まだキリストを知らない多くの人々がいる、という事に気が付きました。

もう1つは、特にフランスの南部では異端説が多く広がっていて、そこでキリスト教を離れている、離れつつある人が、信仰から遠ざかっている人が、ますます増えつつある、異端説に惑わされている人々が多くいる、という事に気が付きました。

何とかしなければならない、という事を2人で話し合って、2人でその王様のミッションが終わった後に、ローマに行って教皇様に話をします、「何とかしなければならない。」すると教皇様は、「まずキリスト教のその異端を、まだ芽生えている所から、その芽を取らなければならない。真理を教えなければならない。だから」と言って聖ドミニコに、特に南フランスに行って、アルビ地方に行って、そこにいたカタリ派というアルビ派の異端に説教をお願いしました。聖ドミニコは教皇様の命に従って、フランスに行って、異端に対して説教をします。

これはどういう異端かというと、「二元論」という説を取っていた人でした。二元論というのはどういう事かというと、「善と悪の2つの神様がいる。2つがあって、それが戦っているのだけれども、悪は非常に強い。」そこで、「物体が全て悪である。霊が善であって、物体は全て悪だ」というものです。

これはどこが間違っているかというと、「天主様は霊も物体も全て創った方であって、天主は最高の善であって、悪の神というのは無い」というカトリックの教えとは違っているからです。このアルビ派の異端によると、「物体は全て悪だから、物質に関わるものは全て悪だ」と言います。これはですから、「肉体に関わる事は全て悪だ。ご飯を食べる事も悪だ。結婚をする事も悪だ。子供を産むのも悪だ。イエズス様が人となったのも悪だ。だからイエズス様が人となったのではない。」あるいは、「秘跡は水で授けるけれども、例えば洗礼を水で授ける、あるいは堅振は聖香油でオリーブの油で、あるいは御聖体はパンで。しかしこういう物質は皆悪だから秘跡は間違っている。」あるいは、「イエズス様は復活したと言うけれども、肉体というのは悪だから、復活はない」等と、キリスト教の教えをひとつひとつ否定していきます、拒否していきます。

すると、非常に単純な教えなので、「あぁ、物質は悪だ。」「あぁ、確かにお金があると悪に染まるし、お酒を飲むと酔っ払うし、食べ過ぎると悪だ」と非常に単純な教えなので、人々はコロリと騙されて、アルビ派の方に行ってしまいました。

聖ドミニコはこれを何とかして、「そうではない」と説明するのです。聖ドミニコが一生懸命説教しても、人々はあまり聖ドミニコの話に関心を示しませんでした。涙ながらにマリア様にお願いすると、マリア様は聖ドミニコにロザリオを与えます、「これをお祈りしてから、説教をしなさい。」

ロザリオをお祈りしてから人々に説教をすると、人々は、「確かにドミニコの言う通りだ」とカトリックに戻ってきました。

そして聖ドミニコはロザリオと、また自分の苦行の生活、清貧の生活、貞潔の生活を以て、人々に模範を示しました。「確かにアルビ派は、『物質が悪い』と言って清貧の生活をしているように見えるけれども、実は陰で、『物質が悪だ』と言いながらも、しかし、しかし陰では食べているじゃないか。本当のやり方は、私たちがキリストに倣うやり方だ」と、聖ドミニコは模範を見せながら説教をしました。

聖ドミニコはこの特に、キリスト教から離れつつあった異端説に対して正しい教えを教えながらキリスト教を強化していきましたが、その聖ドミニコの弟子たちはヨーロッパの国境の方に行って、そしてまだキリスト教を知らない多くの人々に伝えました。

⑵ 特に聖ドミニコが強調したのは2つでした。
「キリスト教を正しく伝える為に、私たちは正しい神学を深く学ばなければならない。」そこで当時、聖職者たちは大学で勉強をするという事とかにあまり関心を持たなかったですけれども、聖ドミニコは、「良い学校で、良い神学を、良い先生の元で学ぶべきだ」と、そして弟子たちに深く神学を学ぶ事を教えました。
それと同時に、聖母マリア様に対する祈りを教えました。祈りの生活を教えました。観想の生活を教えました。黙想の生活を教えました。

そこで聖ドミニコは、ドミニコ会をトゥルーズという所で創ります。トゥルーズではドミニコ会のモットーとして、「観想した、黙想したその内容を、隣人に伝える」“Contemplata aliis tradere”というのをモットーとしました。「天主とのお話、会話をして、その内容を隣人に伝える。」「天主の愛の火を隣人に伝えるという事です。」これは初土の信心、まさにその通りです。

このようにして聖ドミニコは、自分の弟子たちを世界中に送って、私たちがイエズス様との対話の、黙想の内容を他の人たちに伝える事をしましたが、その為に、「更にそれを効果的にする為に、何かが必要だ」という事で、特に「多くの女性の方が修道生活をするように」と勧め、そしてこの修道女たちが一生を、黙想とイエズス様との対話とお祈りの生活をする事によって、その霊的な力によって、世界中にいる宣教師たちを祈りで支える、という事の必要性を強調しました。

これはルフェーブル大司教様も強調していた事でした。神学校を世界中に建てる時には、「神学校を支える為に、カルメル会の観想の修道会が必要だ」という事で、世界中に聖ピオ十世会の神学校は6校ありますが、世界中にカルメル会も6箇所修道院を作って、そして司祭たちの為にお祈りをするようにお願いしています。

⑶ 聖ドミニコは私たちに2つの事を教えています、「天主への愛と天主の栄光を求める愛」と、「隣人を救うという愛」です。

初土の信心も、ファチマのマリア様も同じ事を仰っています、「イエズス・キリスト、その天主があまりにも罪によって悲しんでおられるので、それをお慰めする事。」特にこれは聖フランシスコ、ファチマの聖フランシスコが特にやっていた事でした。「それと同時に、地獄に落ちつつある霊魂を救う。」これもファチマのジャシンタ、聖ジャシンタが一生懸命関心を持ってやっていた事でした。

これをどのようにやるかと言うと、マリア様は、「毎日ロザリオを唱える事によってしなさい」と教えています。ですからこの事を思うと、聖ドミニコの人生とファチマのマリア様の教えがピッタリと重なって、カトリックの教えが、私たちに、時代も場所も超えて同じである、という事を示しているように思われます。

ですから今日私たちは、聖ドミニコのお取り次ぎによって、ますます初土の信心を深めていく事に致しましょう。罪を償う為に、マリア様に対して犯される罪を償う為に、御聖体拝領をなさって下さい。皆さん既に告解をなさいました、今日あるいは昨日なさいました。ロザリオも今朝唱えました。ですから今日はロザリオの玄義を黙想するだけです。聖ドミニコに、私たちの信心をますます深めて下さるようにお祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。






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