インサイド・ザ・バチカン 手紙第60号 2022年3月30日 中心ポイント(続き)
Letter #60 2022, Wed, Mar 30: The main point
ヴィガノ大司教はワイゲルの批判に対して反論を発表しました。おそらく、以下が、その回答の中心的なポイントでしょう。
「私の言葉を戦争の正当化と解釈してはならないことを、強く再確認しておきたいと思います。この戦争の主な犠牲者はウクライナ国民なのです。何故なら、自分たちの政府がディープ・ステートと結託しているからです。私の言葉は、パンデミックの茶番劇のときの言葉と同様に、真実への呼びかけであり、現実について嘘をつき改ざんすることへの非難であり、メディアの物語(ナラティブ)を前にして批判的に考えるように訴えることを意図しているものです。(中略)ワイゲルの論文には、良い点が一つあります。それは、ある種の穏健な保守主義がディープ・チャーチの要求と意外にも接近していること、同時に米国のネオコン世界がディープ・ステートとその民主党の共犯者に従属していることを私たちに明らかにしている、ということです。」
以下は、一週間前の3月22日のヴィガノのワイゲルへの返答の全文で、「The Remnant」に掲載されたものです。The Uncrossable Red Line: Viganò Responds to George Weigel at First Things (link)
越えてはならない一線:ヴィガノ大司教、
「First Things」に記事を投稿したジョージ・ワイゲルに応える
2022年3月22日(火曜日)
THE UNCROSSABLE RED LINE: Viganò Responds to George Weigel at First Things
カルロ・マリア・ヴィガノ
私が少なからず驚いたのは、3月16日に「First Things」に掲載されたジョージ・ワイゲルの論評(こちら)で、私とGrace-Groundling-Marchpole大佐のその人と取り違えていることでした。私が大いに驚いたのは、以下に述べる奇妙な状況から来るものです。それは、このワイゲルの論文が、2021年12月29日付で「Corrispondenza Romana」に掲載されたワイゲルの友人ロベルト・デ・マッテイの論文「Riflessioni sull'anno che si apre」(来る年についての考察)(こちら)と歩調を合わせており、デ・マッテイの論文は、米国カトリック司教協議会に対する私の声明(こちら)へのいわゆる反論に関するものですが、さらにこの反論が、偶然にも、ワイゲル教授の娘グウィネス・A・スペーダー医師 Gwyneth A. Spaeder(こちら)によって(不思議なことに英語ではなくイタリア語で)書かれていて、彼女は小児科医で製薬業界の大手コンサルティング会社の重役の妻だというのです。
デ・マッテイの論文にはまた、私があらゆるところに陰謀を見いだす人々の一人に数えられるというほのめかしも含まれており、精神医学を必要とするという手段で対話相手を非合法化するという定石に従っています。少なくともワイゲルは、イーヴリン・ウォーの「名誉の剣」三部作の登場人物を借りて、私を突飛な陰謀論者として紹介することを自制しましたが、デ・マッテイは、精神医学的な「解釈妄想」(délire d’interprétation)に加えて、悪魔の憑依という仮説にも言及しています。
ワイゲルとデ・マッテイの協調した行動にある種の合理性を見ることは、「合理的な人ならつながりを想像しない、あるいはつながりが可能であるとさえ思わない点をつなぐこと」(「First Things」の論文から引用)を表しているのかどうか、あるいはむしろ、その行動に誰も容易に気づかないのかどうか、不思議に思います。特に、ソロスがユーロマイダンのカラー革命に関与したことに始まり、陰謀がその陰謀の立役者【ソロス】によって認められている場合、陰謀を企てる人々ではなく、糾弾する人々に対して「陰謀論」という非難ですべてを否定するのは、あまりにも単純化しているように思われます。しかし、ウクライナの「右派セクター」(Pravij Sektor)のメンバーであるセルヒイ・ディビニン(Serhiy Dybynyn)が、2021年1月6日の米連邦議会議事堂襲撃という茶番の間に非常に有名になったのを見れば(こちらとこちら)、何かが必ずしも彼らの言う通りではないという考えが、あまり「点をつなぐ」つもりのない人々にさえも見え始めるのです。
【参考資料(上記リンクと同じ内容)】
1月6日の国会乱入。バッファロー男(Jacob Anthony Chansley 🐯支持者を装った?)と写メする🇺🇦兵 Sergai Dybynyn(オルガリヒのコロモイスキーと同じTシャツ)
もちろん、医師や科学者(実験的血清の批判に関して)、政治学者や国際戦略の専門家(現在のロシア・ウクライナ危機に関して)の両方が合意した一連の事実を前にして、この友人であり同僚であるデ・マッテイとワイゲルの2人が、私に対して共同行動を起こしているのは非常に奇妙なことです。
彼らが私に反対するのは、私の言っている内容が理由ではありません――彼らは、私が言ったことに対して、事実関係を論じたり、明確な証拠を提示したりして反論しないように気をつけています。しかし、私がパンデミックやウクライナ紛争に関する彼らの立場を共有しない以上、「彼らの」真実に対する尊重義務に基づき、訴えることなく私を沈黙させなければならないと、不可謬権をもって(ex cathedra)決めただけの理由で反対しているのです。
ワイゲルは判決を下しました。おそらく私は、彼自身の手で、彼自身の自発教令(motu proprio)によって引かれた、越えてはならない「一線」(red line)を越えてしまったのです。私の声明にある「クレムリンの嘘、中傷、プロパガンダ」とされるものを列挙していますが、ワイゲルは、自分の発言が、すでに文書化された事実よって否定されていることに気づいていないのです。それは、マリウポリの小児病院(ここは長い間明け渡されており、軍の兵舎として使われていました)の爆撃に始まり、また、同じ街の劇場を破壊したロシアの爆弾による、いわゆる「何千人もの犠牲者」に起きたことです(この話はウクライナの地元当局によって否定されています)。
ロシア・ウクライナ危機に関する私の声明――これをジョージ・ワイゲルは、いやらしい皮肉を込めて「回勅」と呼びますが――に関して、「明白に誤った主張」のリストが作成されました。明らかに「First Things」の読者が私の声明を読んでいないと想定しています。また、ワイゲル自身がそれを読んだかどうかも疑問に思われます。なぜなら、虚偽であるとして論争になっていることはすべて、実際に私の論文の中で、公式ニュースの出典や参照先をつけて、私が文書化したものであるからです。
「クレムリンのプロパガンダを一点一点繰り返している」と私を非難する人々は、私の分析のどこが事実の現実に合っていないのか、また、自分たちはなぜディープ・ステートのプロパガンダをプロパガンダとはみなさないのか、説明すべきでしょう。このプロパガンダは、ウクライナ領土にある米国のバイオラボのケースを始めとして、これまでグロテスクなまでに現実を改ざんしていることが証明されています。これまで、ホワイトハウスは、そのバイオラボの存在を否定してきましたが、WHOによって肯定されており(こちら)、WHOは病原体の破壊を求めています。
バイデン家のブリズマやウクライナの他の汚職への関与は、ジョー・バイデンもビデオの中で認めたほどであり、ウクライナ政権との共謀の証拠――そしてさらに――ハンターのラップトップパソコンから復元された証拠(こちら)を隠蔽するためのメディアのプロパガンダ作戦も同様です。
ロシア人のせいにされた民間インフラの意図的な破壊は、ウクライナ市民の複数の証言に基づいて、ゼレンスキーの民兵によって主に引き起こされたことが証明されており、その民兵の中には、ユーロマイダン革命以来、国連とアムネスティ・インターナショナルによって戦争犯罪の有罪として非難されてきたネオナチの準軍事組織が含まれています。ウクライナに武器を送ることで、略式裁判、仕返し、リンチといった非常に深刻なケースが発生しており、これらのケースは正当性がなく、住民を深刻な危険にさらしています。数日前、公式にはイタリア政府からウクライナに「人道支援」を運ぶとされている飛行機で、武器の積み荷が確保されました。
欧州における放送局「ロシア・トゥデイ」と「スプートニク」の検閲は、ここ数日、ゼレンスキーが命じたすべての情報プラットフォームの統一、さらには11の野党の弾圧(こちら)と軌を一にしています。「西側の価値」「民主主義」「報道の自由」を実現するには、奇妙なやり方です。
マイダン革命でもソロスが果たした役割は、この「慈善家」【ソロス】自身によって宣言されました(こちら)。彼は、民主的に選ばれた親ロシア派のヤヌコヴィッチ大統領を退陣させ、ポロシェンコに交代させた反乱に資金提供した手柄を立てたのです。ポロシェンコは、米国とNATOによって承認されました。
ネオナチ勢力の存在を米議会が宣言し、議会は2015年に米国でのアゾフ大隊のネオナチの訓練を修正案で停止しましたが、それは後にCIAの圧力で取り消されました(こちら)。
キエフ協定の違反とドンバスにおけるロシア語を話す少数民族の迫害は、国際機関や今日自分たち自身の報道を検閲しているメディアによって広く記録されています(こちら)。このロシア語を話す市民に対する民族浄化の犠牲者は14000人以上と見積もられています。ゼレンスキー政権は、このネオナチ集団による暴力に反対しなかっただけでなく、その暴力を意図的に否定し、アゾフ大隊を正式な軍隊として正規化したのです。
パンデミックの茶番劇とロシア・ウクライナ危機の間にあるイデオロギー的連続性は、起こったことや関係する主体の発言という証拠を超えて、両者の最終的な加害者が同じであり、すべて世界経済フォーラムのグローバリスト陰謀団に帰することができるという事実に浮かび上がり続けています。例えば、トニー・ブリンケン国務長官は、ダボス会議とつながりのある戦略コンサルティング会社「WestExec Advisors」の創設者で、バイデン政権にはその会社の関係者が20人以上います(こちら、こちら、こちら)。
「WestExec」の従業員の多くは、米政治サイト、ポリティコが糾弾したように、ミシェル・フロノイ【元国防次官】やジェイミー・スミス【サウスダコタ州下院議員】を始めとして、世界経済フォーラムと非常に密接な関係にありましたし、今もあります(こちら)。これらは「陰謀論」ではなく、事実です。以上終わり!
最後に、私の「第三のローマ」という言及に関して驚いたことがあります。紛争の激化という差し迫った危険がある中で、ワイゲルが私を批判して、ロシアの役割を対立当事者とみる議論を使い、平和を視野に入れた対話の用意を示す目的で、政治的な意味に利用したと攻撃していることです。
私が書いたことから明らかなように、私は、ローマ・カトリック信者として、私の文化的・宗教的遺産の一部ではない汎スラブ的あるいは汎正教的なビジョンに、教理的な根拠や合法性を与えるという意図はありませんでした。その反対に、大げさでなく東方教会の離教的部分がカトリックとの一致に戻る道を開くかもしれない、という話題について衣を裂いている【怒っている】のが、まさにエキュメニカルな対話の支持者だというのは奇妙なことです。
私の言うことを何でも否定的な意味で解釈したがるのは、不誠実のしるしであり、愛徳に反する以前に真理に反する偏見です。しかし、自分の主人たちを喜ばせるために、私たちの目の前にある現実について嘘をつくとき、真理は都合の悪い虚飾物として扱われ、もはや天主の属性として扱われなくなるのです。そして、紛争の数週間前まで共有されていた立場が、いかにして今日では否定されているかを見ることは、また、それがロシアへの協力や支援の一種とみなされるのか、を目にするのは、いくら控えめに言っても恥ずかしいことです。
私の言葉を戦争の正当化と解釈してはならないことを、強く再確認しておきたいと思います。この戦争の主な犠牲者はウクライナ国民なのです。何故なら、自分たちの政府がディープ・ステートと結託しているからです。
私の言葉は、パンデミックの茶番劇のときの言葉と同様に、真実への呼びかけであり、現実について嘘をつき改ざんすることへの非難であり、メディアの物語(ナラティブ)を前にして批判的に考えるように訴えることを意図しているものです。おそらく、私には答えるべき長上がいないという事実が、私を都合の悪い人間にしているのでしょう。知的に自立していないということが証明される人には、私の立場は理解されないでしょう。
ワイゲルの論文には、良い点が一つあります。それは、ある種の穏健な保守主義がディープ・チャーチの要求と意外にも接近していること、同時に米国のネオコン世界がディープ・ステートとその民主党の共犯者に従属していることを私たちに明らかにしている、ということです。
一方、ジョージ・ワイゲルの政治的・思想的立場は、ディック・チェイニー、ドナルド・ラムズフェルド、ポール・ウォルフォウィッツらとともに、PNAC(アメリカ新世紀プロジェクト)の署名者に名を連ねていることを考えれば、疑問が起こる余地はないと私は信じています。この研究機関では、共和党員や新保守主義者(ネオコン)が極めて一致して、イラク戦争に始まり、あらゆる場所で軍拡競争、戦争やテロの温床を煽っています。
PNACが推進する米国の世界的リーダーシップという考え方は、明らかにNATOの東方拡大やウクライナのロシアに対する意図的な挑発の根底にあるもので、ロシアは、1991年の合意に反して、自分の国境近くまで実質的に包囲された状態にあると思っています。私は想像したくありませんが、もし、逆の発想で、南米のある国がモスクワと同盟を結び、米国の国境近くに軍事基地を設置していたら、何が起こっていたでしょうか。
また、NATOと米国が、コソボの場合のように、軍事力によって民主主義と人権尊重の概念を押し付けるために外国に侵攻することが認められているとみなされている一方で、ロシア連邦は、ネオナチ民兵によるロシア語を話す少数民族に対する8年間の民族浄化の後――しかも規定された同意協定に違反し、人道支援団体によるこれらの犯罪に関する報告書があるにもかかわらず――、ドンバスの市民を守るためにウクライナに介入することができないとみなされるのがなぜなのか、それは明らかではありません。
このようなプロパガンダ活動に身を投じている人々にとって――この活動のどこまで個人的な利害関係を持っていないのかは私には分かりませんが――、引退した大司教・教皇大使によって自分たちが暴露されるのは恥ずかしいことなのでしょう。なぜなら、彼らの物語(ナラティブ)への隷属ぶりが非常によく表れているからです。このことは、もし必要があるならば、過去において、他のもっと厳格にカトリックの諸問題に関する彼らの立場を取り巻いていた影を裏付けています。
2年前まで私の友人であると公言していたカトリック保守派の代表的人物らのこの行動は、自分のカトリックの思想家としての権威とジャーナリストとしての独立性の亡骸について、決定的で恥ずかしい訃報を書いているのです――すでに葬儀が行われた後に。
+カルロ・マリア・ヴィガノ大司教(教皇大使)