Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

【参考文献】ヴィガノ・テープ 第10番:「教会は何十年にもわたってこの世や近代主義性との対話の名の下に、信者の信仰と道徳を組織的に取り消してきた。霊魂は超自然的な参考にすべきものをすべて失った。」

2021年10月28日 | カトリック・ニュースなど

【参考文献】ヴィガノ・テープ 第10番:「数十年にわたる組織的な取り消し」

「教会は、何十年にもわたってこの世や近代主義性との対話の名の下に、信者の信仰と道徳を組織的に取り消してきたことで、霊魂は超自然的な参考にすべきものをすべて失い、カトリック的なものが何もない形のない感傷に身をゆだねることになりました。」

【解説】ヴィガノ大司教は、今は引退して現役ではありませんが、バチカンの高位聖職者で、ベネディクト十六世のもとで在米教皇大使を務めました。
ヴィガノ大司教の関心は、キリストとサタンとの戦いです。人類の救いの問題です。

ここでヴィガノ大司教が話されている、ワクチンの問題は、実は、医学上の問題です。「新しい遺伝子技術を用いた実験的な治療法」が効果があるのかないのか、心臓発作や心筋炎を引き起こす副作用がどれほどあるのか、などは医学の問題だからです。また何故、完全な治験が終わっていない実験段階の技術が、副作用がどれほどあるのかまだ不明にもかかわらず、ワクチンが何故許可されているのかは政治の問題です。

それにもかかわらず、ヴィガノ大司教が信仰や道徳の領域から離れて、医学や政治の領域に踏み込んで話しているのは、次のような理由からのように思えます。
コロナ禍のなかで、聖職者自身が秘跡を執行したりミサを捧げたりする義務よりも、体の健康を優先させようとする実態(「裏切りや信仰の欠如」)を見て、ヴィガノ大司教が大きく失望したが、それ同時に、人々の体の健康を無視するわけではなく、かえって真実の意味で健康を守ろうとしたため。
ワクチン製造の過程で、中絶された胎児で作られた遺伝子血清が使用されているため。
政府当局が、事故があっても製薬会社は免責されている治験段階のワクチン接種を受けるように市民に圧力をかけているため。

そこで、ヴィガノ大司教は、ここでは個人個人の具体的な倫理的なケースについてというよりは、国家当局や教会当局の指導者たちに対する責任の重大さを思い起こさせることを主眼に話しています。

この質問への回答については、誇張表現に関する補足説明があるので、それも付け加えてあります。あくまでも参考文献としてお読みください。

【参考情報】ヴィガノ・テープ:「数十年にわたる組織的な取り消し(キャンセル)」
質問10

The Vigano Tapes: “Decades of Systematic Cancellation”
Question #10

【質問番号10】大司教様、大司教様は私たちのために善と悪の劇的な対決を描いておられます。天主と悪魔について語っておられます。私は、このような途方もない規模で多くのものに影響を与える敵対者のことではなく、もう少し細かく説明していただきたいと考えました。私たちの歴史、近年の、あるいは数世紀にわたる実際に起きた事実を、大司教様はどうお考えになっていますか? この歴史が、人類の運命、人間のアイデンティティー、人生の目標をめぐる、このような戦争へと私たちを至らせたのであり、大司教様もご承知の今日私たちが直面しているこのような厳しい対立状態へと至らせているところですが。西洋文明とキリスト教に対するこの攻撃の糸を引く権力はどのようなものでしょうか?

【回答】その答えはあまりにも単純です。まず第一に、キリスト信者として、この歴史的な戦争が人類の敵であるサタンによって行われていることを私たちは知っています。不法を行う者の背後には、常に、そして唯一、初めから人殺しであるサタンがいます。この計画の協力者が、製薬会社であろうと巨大金融であろうと、慈善団体であろうとメーソンのセクトであろうと、政党であろうと腐敗したメディアであろうと、ほとんど関係ありません。彼らはみな、意識しているいないにかかわらず、悪魔のわざに協力しているのです。

罪、病気、そして死は、紛れもないサタンのわざのしるしです。つまり、癒やされるべき悪としてではなく、邪悪な反応として、人間に生命と肉体的・霊的な健康をもたらす唯一の薬とされるものとしての罪、病気、そして死です。

実際、もはや贖いの経綸において生きるのではなく、サタンの奴隷状態 -- サタンは原罪の結果を元に戻せないようにし、キリストの犠牲を無効にしようとしている -- において生きる人々にとっては、それが正常なことなのです。これは、健康な人は潜在的な病人であり、疫病を撒き散らす人々、死を伝播する人々であるとみなされるようになり、逆にワクチン受けた人々(彼らには伝染させる力があります【シェディング】)だけが健康であるとみなされるという段階にまで至りました。しかも、聖職者自身でさえもが、秘跡を執行しミサを捧げる義務よりも、あえて体の健康を優先させようとする段階にまで至ったのです。最近の都市封鎖の際の、多くの司祭や司教のあからさまな臆病さは、聖職者のメンバーの中にある臆病さという実態を、実に、裏切りや信仰の欠如という荒涼とした実態を明るみに出しました。このことは、必要であとすれば、第二バチカン公会議の革命によってなされた損害の大きさを表わしています。

なぜなら、このことは、この一年半の間に起こった不条理な出来事だからです。季節性インフルエンザへの対応は、効果的な治療法を禁止し、新しい遺伝子技術を用いた実験的な治療法を押し付けることでした。この遺伝子技術は、ウイルスの影響を治すことができず、遺伝子の変更や副作用、心臓発作や心筋炎を引き起こし、本来健康であったり、利用可能な治療法で回復することが可能だったりした人々を死に至らしめます。

これに加えて、まるで地獄の儀式のように、中絶された胎児で作られた遺伝子血清が使用されています。これはまるで、異教徒の人間のいけにえを、健康という新たなこじつけを使って新たにし、罪のない子供たちの命で来るべき新秩序をたたえるかのようです。そして、キリスト教の洗礼が霊魂の罪を清め、その秘跡のカラクテル(霊印)で天主の子とするものであるのに対し、悪魔の洗礼はそれを受ける人々に獣のしるしをつけるのです。

カトリック信者はいかにして、良心の呵責を感じることなく、一種の悪魔の洗礼としてワクチンを受けることができるのか、という答えを必要とする問いが残っています。確かに、何十年にもわたって、この世や近代主義性との対話の名の下に、信者の信仰と道徳を組織的に取り消してきたことで、霊魂は超自然的な参考にすべきものをすべて失い、カトリック的なものが何もない形のない感傷に身をゆだねることになりました。霊魂の去勢は、この世と肉と悪魔に対するキリスト教の戦いが、無作法な退却へと、まさに臆病な脱走へと変質させられた瞬間に起こったのです。かつてはキリストの兵士でしたが、今では多くの人々が、自分が敵の男らしくない廷臣であることに気づいたのです。

 

   また、以下に、オーストラリアの読者からの重要で敏感な質問と、ヴィガノ大司教が私に送った質問への回答を掲載します。見逃さないでください。-ロバート・モイニハン

読者からの重要な質問

9月21日、オーストラリアのルイーズさんという女性からメールでこんな質問をいただきました。

おはようございます、ロバート。
  今の私が書いているように手紙を書く人がたくさん出てくると思います。ヴィガノ大司教は、あなたの質問10に対する回答の中で、私の記憶が間違っていなければ、ワクチン接種を受け入れることは、悪魔の洗礼を受け、獣のしるしを受けることだと言っておられます。これは問題発言だと思います。なぜなら、私たちの家族や友人のほとんどが、自国の政府が主導するメディアによって広められた恐怖による強制的な接種を受けているからです。ご存じのように、教会は私たちを別の方向に導いていません。
 ロバート、私は良きカトリック信者たちを知っています。聖伝のラテン語ミサにあずかっている人々、完全に正統派で年配の人々を知っています。彼らは、成人した子どもの一人が泣いて訴えたため、教区司祭に相談しました。この司祭は、ワクチン接種に同意することは獣のしるしを受けること「ではない」と断言しました。実際、この司祭自身も、これから人々の家に入ることができるようにワクチンを接種していました。そして、この司祭は、小教区の修道女会も同じ理由でワクチンを接種していると付け加えました。

 ほとんどの人は、主流メディアからの情報だけを受けているため、ウイルスのことで惑わされ、宣伝され、混乱し、不安になり、恐怖を感じています。大多数の人々はこのように行動しています。こういう訳で、私たちは羊と呼ばれているのです。なぜなら、羊は先頭の羊がすることを見て、それに従うからです。

 ほとんどの人が、自国の政府が自分たちを騙すという考えを持てないからではないかと私は思います。多くの人にとって、それはあまりにも信じがたいことなのです。だから、このような不確実な状態で生活するという感じている不安を解消するために、ワクチンを受けるのに同意するのです。非常に多くの人がこのようにしています。考えることをやめてしまったのです。彼らに話を聞いてみてください。大きな安心感があると言うでしょう。

 獣のしるしについての説明は、それがなければ誰も売買できないと聖書に書かれており、将来的にワクチンパスポートのようなものができる可能性があることは私も十分承知しています。しかし、私はまだそこまで来ていないと思います。少なくとも、多くの医療専門家は、慢性的な不健康の長期的な影響が、おそらく地球規模の社会の70%の人々にとって2~3年以内に明らかになると言っています。ですから、人類の大部分が健康を害してしまえば、より簡単にコントロールできるようになるのです。

 ロバート、ヴィガノ大司教にこの点について正確に表現をしたかどうか聞いてみてください。私は、彼のコメントによって多くの人が傷つくと信じています。なぜなら、彼らは悪魔的なプロジェクトとのつながりに気づいていなかったからです。あなたに天主の祝福がありますように。
   ―ルイーズ(オーストラリアにて)

私はこの手紙を大司教の注意を引くため、こう書き送りました。

 オーストラリアの読者から、とても興味深く、おそらく重要な手紙が届いています。答えていただけないでしょうか? 私は大司教様が多くのことに取り組んでおられることを承知していますが。
  ―ロバート

 その後、大司教は9月24日に次のように回答しました(本文は彼のイタリア語原文を私が訳したものです)。

【質問10a】大司教様、ワクチン接種は悪魔の洗礼のようなものだとおっしゃるのは、善意で説得されてワクチンを受けることを許した多くのカトリック信者にとって、少しきつい印象を与えるのではないでしょうか?

【カルロ・マリア・ヴィガノ大司教】このような質問をしていただき、ありがとうございます。この質問で、私は自分の考えを明確にできますし、さまざまな理由で予防接種を受けたそういう信者を励ますことができます。

ワクチンが悪魔的な象徴であり、それが「獣のしるし」を表す可能性があるという事実についての私の発言は、新世界秩序の確立に向けてグレート・リセットを完了する口実として悪意を持ってパンデミックを起こそうと決めた人々の意向に関するものです。ワクチンにこのようなほとんど秘教的な意味合いを持たせ、同時にパンデミック全体に儀式や典礼的な特徴を持たせているのは、ルシフェリアン・エリートです。

 私の表現は、パンデミックという茶番劇全体の最も不穏な部分を強調するための誇張表現(hyperbole)のつもりでした。[訳注:誇張表現(hyperbole)とは、「『一年は寝られる』とか『この本は一トンの重さがある』のように、強調や効果のために大げさな表現を用いる言葉のあや」であり、誇張表現とは、「修辞学上、明らかな誇張であり、文字通りに理解されることを意図しない、贅沢な発言や主張」です。]

逆に、教区司祭や霊的指導者の助言であっても、あるいはメディアや医療機関の圧力であっても、予防接種を受けるように説得されてしまう素朴な信者には、何の落ち度もありませんし、そのワクチンを使ってカトリック信仰から棄教し、「獣のしるし」の烙印を押されることを望むという重大な責任を負うこともありません。

また、私の知人や親戚にも起こったことですが、遺伝子血清の投与は、しばしば脅しや強制のもとに行われてきました。人々が特定のサービスを利用できたり、特定の場所に入れたり、さらには、今日イタリアで起こっているように、健康パスポートを所持し、いわゆるワクチンを接種した場合に限り、人々は仕事を続けることができるようになっています。多くの司祭も、役務を行うために、また病院や避難所に入って秘跡を執行するために、しばしば司教の命令によってワクチン接種を強いられてきています。

教理省(CDF)は、正確であいまいではない明確な介入をするのが助けとなり必要であっただろう時に、「ディープ・チャーチ」とそのトップのための共鳴板【宣伝グループ】としての役割を果たしていることは憂慮すべきことです。そういう介入をせずに、CDFは、その成分を知ることさえできない実験的な薬 -- 産業上の秘密に覆われているため -- に道徳的な正当性を与えることを急いでいます。また、何と簡単に、中絶に由来する細胞株の使用が道徳的に許容されると宣言し、ベルゴリオとパンデミックのナラティブ(物語)を喜ばせることだけを目的に、カトリックの教えを歪めています。アタナシウス・シュナイダー司教は、最近のインタビューの中で、「現代の多くの道徳的異端は、聖トマスや他の教会博士たちからの引用文をも含んでいる」と正しく観察しています(こちら)。

このように急ぐことは、世俗の当局さえも製薬産業の圧力を受けて不幸な選択をすることを正当化してしまった緊急事態の状況と完全に調和しているため、この性急さは教理省の発表(ノート)が表面的で不完全なものに見えるということを意味しています。なぜなら、この発表が遺伝子血清の短期的および長期的な深刻な副作用を考慮していないからです。

教理省は、妊娠中の母親をその気にさせ、法外に増加している妊娠中絶に沈黙しています。同省は、血清によって引き起こされる不妊症のリスクについて沈黙しています。同省は、コヴィッド(コロナウイルス感染症)による入院のリスクが最も少ない子どもや若者に遺伝子血清が引き起こす深刻な病状や死について沈黙しています。

最後に、今初めて人間に広く使用されている新しいメッセンジャーRNA技術は、実際には「ワクチン」とは言えない治療法ですが、これまで明らかに効果がなく、有害な副作用があった医薬品や治療法であり、スパイクタンパク質の接種によって長期的にどのような遺伝的変化が起こるのか、誰も確実には言えません。これらの「ワクチン」の効果がないことが明らかになったことで、教理省が当初認めた合法性が失われます。なぜなら、患者が自分自身をさらす危険は、当初保証されると言われていたわずかな、あるいは存在しない利益とは不釣り合いだからです。これらの議論にもかかわらず、ベルゴリオはこれらの「ワクチン」の積極的な推薦者となり、「ディープ・チャーチ」と「ディープ・ステート」を結びつける本質的なつながりをこの推薦によって証明しているのです。教理省がその道徳的権威を完全に失いたくないのであれば、たとえデータや証拠が主流メディアによって検閲されているとしても、現在入手可能なデータと、現在科学界によって認められている科学的証拠に照らし合わせて、この問題を再検討する必要があります。

遺伝子血清の意味は本質的に道徳に関するものであり、それゆえに、たとえ日常の活動の正常な遂行や司祭としての役務遂行の可能性がそれを受け入れるかどうかにかかっているとしても、重要性の低い問題だと考えることはできません。私の同僚司教であるシュナイダー司教はこう断言しています。「胎児産業への協力を妥協せずに明確に拒否することは、初期の数百年間のキリスト教徒が偶像崇拝や皇帝像への協力を妥協せずに拒否したことと類似しています」。しかし、ベルゴリオが、教導権に忠実であり続けようとする人々を「硬直」や「原理主義」と非難し、自分が圧迫的な権威主義で押し付ける逸脱を受け入れない人々をあざけり、侮辱する機会を決して逃さないのなら、どんな妥協しない姿勢を期待できるでしょうか。できるはずがありません。

しかし、私はワクチン接種を受けた人々に思い起こしていただきたいと思います。実験的な遺伝子血清の性質を認識していない場合や、世俗および教会当局を善意で信頼している場合には、個々の信者がワクチンを接種したことで「罪を犯した」と感じることは決してないと私が信じていることを。実際、カトリックの教理では、十分な理解と意図的な同意なしに行われた行為は、道徳的に罪あるものとは見なされないと教えられていますが、これはいわゆるワクチンの具体的なケースにおいても当てはまります。

権威を持つ者が、世俗および教会の領域で、市民に予防接種を受けるように圧力をかけてきたことは、非常に重大な道義的責任が残ります。死者や永久的な障害を含むすべての人の健康に対する結果は、保健当局の良心に大きな石のように重くのしかかり、教会の位階階級にはさらに重くのしかかります。これらの人々は、自分自身の過ちと、臣民に対して犯すことを許した過ちについて、天主の御前で答えなければならないでしょう。

軽薄な罪によって、あるいはさらに悪いことには犯罪的な共犯関係によって、霊魂と体の健康を守るためにそれぞれ責任を負う人々の権威と言葉を信頼していた非常に多くの罪のない人々に対して引き起こされたこれらの害から、主がご自身の子どもたちを守ってくださるように祈りましょう。

―カルロ・マリア・ヴィガノ大司教、2021年9月24日



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