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「シノドスの過程はパンドラの箱 : 100の質問と回答」第五章 D 同性愛者を「包摂する」

2024年02月01日 | カトリックとは

「シノドスの過程はパンドラの箱 : 100の質問と回答」

The Synodal Process Is a Pandora’s Box: 100 Questions & Answers

ホセ・アントニオ・ウレタとフリオ・ロレド・デ・イズクエ著

第五章 ドイツの「Synodaler Weg」【シノドスの道】

D 同性愛者を「包摂する」
71.同性愛の問題はシノダリティとどのように関係するのでしょうか。
72.教会は同性愛についてどう教えていますか。
73.教会は同性愛者を拒絶しますか。
74.同性愛者を教会に「包摂する」とはどういうことですか。
75.教会の道徳の教理は同性愛者を「包摂する」ように変えなければならないのですか。
76.教会の道徳の教理に代わるものとして、「Weg」推進派は何を提案するのでしょうか。
77.同性愛者を「包摂する」ことを求めているのは、「Weg」推進派だけなのでしょうか。
78.彼らは同性婚を合法化するための抜け穴を探しているのでしょうか。
79.バチカンはこれらの「祝福」を承認したのでしょうか。
80.ドイツ司教団と欧州の各司教協議会の反応はいかがでしょうか。

D.同性愛者を「包摂する」

71.同性愛の問題はシノダリティとどのように関係するのでしょうか。

教会の開かれた兄弟愛的なビジョンでは、同性愛者、そしてより広くはLGBTの各個人は、教会の生活に取り込まれる必要のある「疎外された少数派」の一つです。アーヘン教区のシノドスへの提案には、「男女平等な教会への変化を望みます」とあります(124)。シノドス推進派にとって、包摂をもたらすためには、教会の道徳的教理を変えなければなりません。

72.教会は同性愛についてどう教えていますか。

カトリック教会のカテキズムは次のように述べています。「同性愛行為を重大な堕落の行為としている聖書に基づき、聖伝はつねに『同性愛の行為は本質的に秩序を乱すもの』であると宣言してきました。同性愛の行為は自然法に背くものです。同性愛の行為は生命の賜物に対して閉ざされています。同性愛の行為は真の感情的・性的の相補性から生じるものではありません。どのような場合であっても、同性愛の行為を認めることはできません」(125)。

このような理由から、明らかな同性愛の傾向を持つ人は、常に司祭職や修道会から排除されてきました。少し前まで、神学校はこの点について特に警戒していました。教皇ベネディクト十六世によって承認された2005年のバチカン文書にはこうあります。「この豊かな教えに照らして、本教令は、養成の全期間において注意深い識別を必要とする情動性および性の領域におけるすべての問題に言及することを意図しているわけではありません。むしろ、この教令には、現在の状況によって緊急性を増している特定の問題、すなわち、「根深い同性愛の傾向を持つ候補者に、神学校入学や聖なる叙階を認めるかどうか」(126)という問題についての規範が含まれています。

73.教会は同性愛者を拒絶しますか。

教会は罪を拒絶しますが、教会が回心を呼びかけている罪人は拒絶しません。カトリック教会のカテキズムは非常に明確です。「同性愛の人々は貞潔に招かれています。内面の自由を教える自己修養の徳によって、時には無関心な友情の支えによって、祈りと秘跡の恵みによって、彼らは徐々に、そして断固としてキリスト教的完徳に近づくことができるし、そうすべきです」(127)。

74.同性愛者を教会に「包摂する」とはどういうことですか。

「Synodaler Weg」や普遍シノドスの多くの推進派が提唱している意味において、同性愛者を「包摂する」とは、いかなる制限や道徳的回心の呼びかけなしに彼らを教会に受け入れることを意味します。言い換えれば、それは罪人だけでなく罪も受け入れることを意味するのです。

おそらく、サン・ディエゴ大司教のロバート・マッケルロイ枢機卿ほど、このテーゼを明確に述べた人はいないでしょう。イエズス会の雑誌「アメリカ」に掲載された記事の中で、彼はシノドスには「教会から結婚無効宣言を受けずに離婚して再婚した人、LGBT共同体のメンバー、世俗の結婚はしていても教会で結婚していない人々も含めるべきです」と述べています(128)。

この包摂は、客観的に公然の罪の状態で生きている人々がご聖体を受けることを意味します。「私は、天主の恩寵を熱心に求めている離婚して再婚した人やLGBTのカトリック信者には、断じて聖体拝領を禁じるべきではないと提案しました」(129)。

75.教会の道徳の教理は同性愛者を「包摂する」ように変えなければならないのですか。

はい。「Weg」の準備文書はこう述べています。「司牧の役務の方向転換は、教会の性についての教理の大幅な入れ替えなしには不可能であると確信しています。…特に、性交渉は合法的な結婚の文脈においてのみ、また子孫を残すことに永続的に開かれている場合のみ、倫理的に合法であるとみなす教理は、教導権と信者との間に広範な断絶をもたらしました」(130)。

同様に、「Weg」の別の文書はこう述べています。

したがって、同性愛の性的指向――また性行為において実現される――は、天主によって罰せられる罪ではないし、本質的に悪とみなされるものでもありません…。
1.この同性愛の再評価の過程で、とりわけ、(カトリック教会の)カテキズムの2357-2359番と2396番(同性愛と貞潔)が改訂されるべきです。「同性愛の行為」は「貞操に反する重大な罪」のリストから削除されなければなりません(131)。

しかし、別の文書は非常に明確です。「シノドスの任務の一つは、同性愛指向と同性間の関係に対する新しい見解を発展させ、その開放に向けて努力することです」(132)。

シノドス総括報告者であるルクセンブルクのジャン=クロード・オロリッシュ枢機卿もこれに同意しています。同枢機卿は、同性愛関係についての教会の教理は「誤り」であり、したがって、「そのような教えの社会科学的基盤はもはや正しくない」(133)ため、変えなければならないと宣言しました。

他の司教協議会もこの意見を共有しています。例えば、フランスの司教たちは最近、カトリック教会のカテキズムを修正し、同性愛の行為を「本質的に秩序を乱すもの」で「自然法に反する」と非難しないよう教皇に要請しました。フランス司教協議会は、このテーマに関する教理の再定義を研究する神学者の委員会を指定しました(134)。

76.教会の道徳の教理に代わるものとして、「Weg」推進派は何を提案するのでしょうか。

「Weg」推進派は性道徳への新しいアプローチを提案しています。それはもはや天主の法や自然法に基づくものではなく、他者に対する自分の責任を自己認識することに基づくものでなければならないのです。「Synodaler Weg」の副会長であるトーマス・セディング教授は、「この問題の解決策は、教会の教えにおける人格と性的指向の関係を再定義することにあります。…個人の責任は、社会的寛容と教会による受容と相まって増大します。教会は、どのような場合に虐待(侵略的行為)があり、どのような場合に人権と尊厳が攻撃されるのかを明確に定義しています。しかし、教会はまた、(人々の)性的実践をスパイすることなく、他者と自分自身に関する性的自己決定と責任を定義しています」(135)。

77.同性愛者を「包摂する」ことを求めているのは、「Weg」推進派だけなのでしょうか。

いいえ。シノドスの旅における大陸ステージの結論文書(大陸統合)のほとんどすべてが、LGBTの人々を含める必要性について明確に言及しています。

さらに、高い地位にある高位聖職者たちも同様の立場を取っています。例えば、すでに述べたように、シノドス総括報告者のジャン=クロード・オロリッシュ枢機卿は、同性愛に関する教会の教えを変えることが必要であると考えています。

サン・ディエゴ司教のロバート・マッケルロイ枢機卿は、普遍的なシノドスは、女性の司祭叙階の問題を含むいくつかの教会の教理を検討する適切な機会であると主張しています。しかし、彼の主眼は「LGBTの人々を根本的に包摂すること」にあります。

このカリフォルニアの枢機卿にとって、同性愛指向を持つ者が罪を犯さないようにすることと、同性愛の行為によって罪を犯すことを教会が区別することは、聖体拝領や教会生活への積極的な参加について共同体を分断することになり、司牧上不都合とされます。すべてのLGBTの人々は、教会のような区別をすることなく、「天主の子としてのすべての人の尊厳」に基づいて受け入れられるべきと言うのです(137)。

78.彼らは同性婚を合法化するための抜け穴を探しているのでしょうか。

はい。シノドス推進派にとって、同性愛者を教会に「包摂する」ことは、すべての秘跡は彼らに開かれることを意味します。カトリックの教理や教会の規律と真っ向から衝突する同性同士の「結婚」を認めるわけにはいかないため、一部の司教協議会は「祝福」(Segnung)を与えることを選択しています。

例えば、2022年、フランドル地方の司教団は、同性愛カップルのための「祝福の儀式」を承認し、後に「Synodaler Weg」で採択されました。

この考えは新しいものではありません。2015年の「家庭に関するシノドス」において、ドイツのカトリック中央委員会は、「典礼形式のさらなる発展、特に同性パートナーシップ、離婚者の新しいパートナーシップ、家庭生活における重要な決定のための祝福」を提案しました(138)。

79.バチカンはこれらの「祝福」を承認したのでしょうか。

いいえ。それどころか非難しています。2021年3月15日にドイツの司教団に送られた、同性の人々同士の結合の祝福に関する質問に対する教理省の回答はこう述べています。「同性の人々同士の結合の場合のように、婚姻外の性的行為を伴う(すなわち、生命の伝達に開かれた男女の解消できない結合以外の)関係やパートナーシップに祝福を与えることは、たとえ安定した関係であっても許されません」(139)。

80.ドイツ司教団と欧州の各司教協議会の反応はいかがでしょうか。

ドイツの司教団や欧州の各司教協議会の中には、バチカンの拒否権に公然と反抗しながら、活動を続けているところもあります。

例えば、ドイツの多くの教会では、同性愛カップル、「再婚した」離婚者、同棲カップルなどを含む「代替カップルのための祝福、祝福の儀式、祝福祝い」を提供しています。教会のファサードには「Liebe ist alles」(愛がすべて)と題されたポスターが貼られ、二人の男性が接吻をしている姿が描かれています。アーヘンのように教区が主導している場合もあります。

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