2023年2月17日大阪(金)説教
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
来週の水曜日は、灰の水曜日です。大小斎の義務があります。四旬節を聖なるものとして過ごしましょう。
今日の福音は、とても有名な「種を蒔く人が種を蒔きに出た」です。
イエズス様がその譬えを説明して、その種というのは「御言葉だ」と言います。イエズス様ご自身のことなのです。その中にすべての超自然のいのちの聖寵の元がすべてぎっしりと詰まっている種が、私たちの心に蒔かれるという譬えです。
イエズス様のお恵みを受けて、ご聖体を拝領して、天主御自身を受けて、そして私たちを聖なるものに変える力を持っているその御言葉の種が力を発揮するためには、私たちは良い土地でなければなりません。
せっかくの御言葉が蒔かれたにもかかわらずなぜ実りをもたらさないかというと、イエズス様は、その土地の状態がよくなかったからだ!と説明します。
あるものは道端に、あるものは岩の上に岩だらけのところに、あるものはとても良い土地だけれどもしかし雑草や茨(いばら)が一緒に生えている。せっかくのイエズス様の祈りが窒息してしまった、塞がれてしまった。
道端というのは、世俗の考えが制限されずにどんどん入って、そのことばかりに固められてしまった、あるいは罪や悪い習慣に凝り固まってしまった、そこで御言葉の入る余地がなくなってしまった、霊魂。その間に悪魔がその御言葉を取ってしまった、受け入れる余地がなかった、頑なな霊魂。もしかしたら私たちは、イエズス様の御言葉をイエズス様のお考えを受け入れるのでしょうか、それとも世俗の考えやテレビの話やあるいはその他のことで凝り固まっているのでしょうか 。
イエズス様が言うには、御言葉は岩だらけのところに種が落ちたのもあると言います。土はあるんですけれども、岩だらけなので根が生えてもすぐに枯れてしまって、長続きしません。イエズス様は、この霊魂は、最初は喜んでイエズス様のことを聞くんだけれども、ちょっとした辛いことや誘惑があると、もうそれで放棄してしまう、根が深くない、謙遜ではなかった。罪がまだ砕かれていない。それでイエズス様のお考えが深く根を張ることができなかった。自分のことが、愛着心が砕かれていなかった。だからちょっとしたことがあると、それでイエズス様が根絶やしなってしまう。
第三は、良い土地なんだけれども、そして御言葉はどんどん成長するんだけれど、でも同時に雑草が入るのを許してしまっている。よく私たちにありがちのパターンのことです。
せっかくいい土地なのにもかかわらず、世俗のことに、あるいはこの世間の楽しみに、あるいは被造物への愛着に、養分を取られてしまう。そしてせっかく育ちつつあった木が、結局は実らなくなってしまう。養分を取られてしまう。私たちはもしかしたら、四旬節の間にこの茨の、あるいは雑草を、私たちの周りから取るようにしなければならないかもしれません。
良い土地はイエズス様の御言葉をよく聴いて、それを心に留めて、忍耐強く、どんなことがあってもそれを守って、100倍の実りをあるいは60倍の実りを実らせる霊魂です。
マリア様の汚れなき御心に、ぜひ私たちもこの四旬節の間に、良い実りをつける土地となることができますように、お祈りいたしましょう。
四春節の決心として、イエズス様のことを黙想する時間を作るのはどうでしょうか。ロザリオを、特に玄義を黙想しながらお祈りをする決心を立てるのはどうでしょうか。あるいはインターネットやYouTube を制限したりするのはどうでしょう。あるいは福音書をひもといて読んでみるのもどうでしょうか。私たちが良い土地となることができますように、マリア様の御取次ぎを請い願いましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。