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聖母の地上のご生涯は天国の先取りだった

2024年08月16日 | お説教・霊的講話

2024年8月12日 大阪でのミサ 説教

トマス小野田圭志神父

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2024年8月12日、聖クララの童貞女の祝日を祝っています。
来たる木曜日、8月15日の聖母の被昇天には、本当ならばここでしたかった聖母行列や御聖体降福式、また聖母の汚れなきへ御心の奉献などを行いたかったのですが、その当日15日には今年はできません。
そこで、その代わりに、一足先に、今日このミサが終わりましたら、簡単な聖体降福式を行い、また聖母の連祷などをお捧げして、そして奉献を更新致しましょう。

【聖母の偉大さの理由】
昨日は、聖母の尊厳と栄光の理由を黙想しました。
マリア様はそのご謙遜ゆえに、すべてにまさって、天主以外のすべてのものにまさる遥かに高い、最高の威厳にまで、栄光にまで、高められました。
また、ご謙遜ゆえに、マリア様は、天主への愛の生活を送られました。これゆえに、マリア様はいと高いところに挙げられました。聖母こそ、すべての心、すべての霊、すべての力、すべての知恵をあげて、主なる天主をお愛しになった方です。
だからこそ、この世のありとあらゆる栄華、栄光、権力をも、マリア様の栄光と比べるならば、チリ紙やあるいはゴミ箱同然に思わせるようなほど高いところへと挙げられました。極限までの喜びと偉大さをお受けになりました。

いったい、ここまでの高みをお受けになられたマリア様のご生涯、それはいったいどのようなものだったんでしょうか。今日はそれを黙想することを提案します。

【聖母の地上での御生涯:天国の先取り】
一言でいうとマリアさまの地上のご生涯は天国の先取りではなかったかと、いうことができると思います。御昇天のその瞬間、聖母の霊魂は、燃える竈(かまど)のように、もはや肉体にとどまることができないほど、愛に燃えていました。この愛の原理というのは、天主の聖寵です、お恵みです。マリア様は、聖寵に満ち満ちているお方で、そのご生涯の間に聖寵に聖寵を加え、ますます聖寵を増加された方です。聖寵というのは、ラテン語でgratiaといいますが、同時にこれは将来の栄光の種ともいわれています、semen gloriae 。何故かというと、いまわたしたちが持っている聖寵と将来の栄光との間には密接な対応関係があるからです。

私たちは生きている間に聖寵をますます増加させることができます。そして私たちが死んだときのその聖寵の程度が、将来の栄光の程度に匹敵します。

ですから、ヴィアンネ神父様――アルスの聖司祭は「この世で生きている間だけ将来の栄光を増加させることができる。だから、いわば天国の聖人たちは「年金」生活をしているようだ。裏返して言うと、いまこそ、その年金をたくさん貯めることができるから、今のうちにたくさん天主を愛しなさい。」と聖ヴィアンネ神父様は仰っていました。
この世と天国との違いは、これです。この世では、罪を犯してしまう。つまり、天主以外の被造物を天主よりも愛してしまう危険がある。そうすることによって、聖寵 gratia を失ってしまう危険があります。

でも天国に行くと、至福直感を受けます。これはどういうことかというと、私たちは天主を目の当たりにするということです。つまり天主を見て、その時に、信仰は消え失せます。何故かというと主を見るから、もはや信じる必要はなくなってしまうからです。信じるのではなく見るからです。天主を見て、天主の真理、天主の善、天主の美しさをそのまま見ます。すると、その時、ありとあらゆる被造物の虚しさ・儚さ・愚かさというものを深く理解してそれを確信します。天主以外のものをすべてまったく無に等しいとはっきりとわかります。天主こそ最高の善であり、最高の美であり、真理そのものであるということを確信します。それをまさにまざまざと見ます。そうすると、天主以外のものを選ぶなどということはあまりにもばかばかしくて、考えられなくなります。至福直観のうちに、私たちは、すべてに越えて天主を自由にそして喜んで、この方こそ!これこそが!と選んで、お愛しするのです。聖寵において固められて、そしてもう天主と一体化します。マリア様はこの地上におけるあいだ至福直感以外はすべてを尽くして天主をお愛ししました。天主への愛には限度がありません。どういうことかというと、目的を追求する欲求には際限がないということです。天主を愛すれば愛するほど、私たちの愛は完成させられます。天主を愛する原因は、その理由は天主である;だから天主を愛する限度は、限度なしに愛することである、causa diligendi Deum Deus est; modus, sine modo diligere.、聖ベルナルドは言っています。

マリア様はまさに、御生涯の間、天主だけを愛しました。天主だけを望み、すべてのことにおいて天主を喜ばせることだけを求めていました。ですから、言ってみれば、至福直感のない天国の生活をしていた、天国の生活を先取りしていた、ということができます。

そう考えると、天主が終生童貞であられたという信仰箇条はその深い意味も垣間見ることができるといえます。マリア様が童貞であられたということは、ただ単に、アダムとエワが原初にもっていた地上の楽園(エデンの園)での完全性を保っていただけではありません。つまりさらには、地上の生活の送るうちから、永遠の生命の生活を先取りしていたと言うことがいえるということです。

マリア様は確かに、自己犠牲やイエズス様への愛の奉仕の生活で、イエズス様の苦しみの生涯に与っておられました。しかし、マリア様は童貞を守ることによって、すでに天の凱旋の生活をも送っていたということがいえます。何故かというと、肉体において“この世の自然の生活に死す”ばかりでなく、童貞の生活を送ることによって“天国の選ばれた人の生活をもはじめていた”と言えるからです。何故かというと、天国では、娶(めと)りも嫁(とつ)ぎもしないからです。

結婚と言うのは、この地上での死すべき生命を伝達するために存在するものだからです。結婚というのは死で解消します。それと同じように婚姻という制度も、この世が過ぎると消え去るものとしてつくられました。たしかに婚姻による一致というのは、キリスト教信者にとって、特にイエズス・キリストとキリストの教会との一致という深い美しい意味があります。が、それにしても、それであっても、結婚というのは、復活をもって、ついには消滅してしまうものです。何故かというと婚姻というのは、死に対する一時的な回答にしかすぎないからです。死が死ぬとき、つまり死が存在しなくなると、婚姻も存在しなくなります。

ですからイエズス様は、童貞を守る人々のことを「復活の子」と言っていました。イエズスの言葉を聖ルカの福音から引用します。「この世の子らは、めとったり、とついだりするが、しかし、来世をうけ、死者の中からの復活にふさわしいものとされた人々は、めとりもとつぎもしない。かれらにはもう死ぬことがないからである。かれらは、天使に似た復活の子らであり、天主の子らである。」(ルカ20:34-36)引用を終わります。

マリア様は、すでに将来の栄光の生命に属している特徴を、御自分の霊魂にそして御体にお持ちでした。ご自分の霊魂に持っていたのは、天主を際限なくお愛しされたからです。常にたゆまなく愛されたからです。天国の栄光の生命に属する特徴を御体にお持ちだったのは、それは、マリア様が童貞をお守りになっていたからです。天主の無限の愛、無限の純潔さ、そして天主の不死――死ぬことがない――という特徴を深くマリア様の御体は受けていました。

ですから、マリア様にとっては、終生童貞であったということは、嫌々ながらお捧げしていたとか、これを放棄した、というのではなくて、天主のために生きておられた霊魂がした、この地上における完璧な愛の表現の一つだったといえます。

聖パウロはこういいます。「キリストにおいて死んだものは、永久に罪に死に、生きるものは、天主のために生きる。」(ローマ6:10)マリア様はまさに天主のために生き、そして童貞でありながら、天主の生命の復活の生命の現実そのままを示しておられたのでした。

【選善の決心】
ではこのような復活の生活をすでに生きておられたマリア様が天に挙げられたこと、そしてわたしたちを天から見守ってくださっていることを感謝いたしましょう。どれほど素晴らしいよき母を持ったか、わたしたちはどれほど幸せでしょうか。マリア様の最後を黙想すればするほど、わたしたちは、聖なる死を迎えるために聖なる生き方をしなければならないと、熱烈な願望を持たざるを得ません。わたしたちはマリア様のように愛によって死ぬということを期待はできませんが、しかし、少なくとも天主を愛するうちに、成聖の恩寵の状態のうちに死ぬことを、希望しなければなりません。

マリア様のように完璧な童貞性、貞潔を守ることはできないかもしれませんが、しかし復活の子にふさわしい肉体を持つことができるようにお祈りいたしましょう。

わたしたちはマリア様に祈るだけで満足せずに、マリア様の聖徳に真似るようにいたしましょう。天主への愛・貞潔・あわれみ・忍耐・祈りに真似る恵みをこい求めましょう。

では、今日は、このミサののちに御聖体降福式を捧げながら、マリア様を賛美して、マリア様からの特別の祈りと保護をこい願いましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。



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