2021年8月21日(土)寡婦聖ヨハンナ・フランチスカ・フレミオ・ド・シャンタルのミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(修道院)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
明日は8月22日、聖母の汚れなき御心の祝日です。日本は、マリア様の汚れなき御心に特別に奉献されました。この奉献の歴史について少し黙想致しましょう。
日本に最初に再宣教の目的で来られたフォルカード神父様は、パリ外国宣教会の神父様でした。その神父様は、鎖国をしていて日本本土には上陸できませんでした。しかし何とかして琉球に那覇に行く事ができました。そこで船の上で、1844年5月1日、マリア様のいと潔き御心に日本を奉献しました。その直後、日本は開国をして、そして外国人の寄留が日本に許されるようになりました。
実はこの数年前、1836年のパリで、同じような事が起こりました。ご存知の通り、フランス革命が起こった時に教会は迫害を受けて、財産を没収されて、修道者や修道女たちはギロチン台に立ち、司祭たちも殉教しました。多くのフランス人の血が流されました。
フランス革命は特に、カトリック教会に対する大きな反乱でした。革命がようやく終わった後に、フランスの国内は本当に荒廃していました。その時に、パリの勝利の聖母という教会で主任司祭に任命された、デジュネット神父様という方がおられます。1836年の事です。何年働いても、主日に人が来るのはほんの数えるしかありませんでした。「もう、こんな所ではいくら働いても無駄である」と思って、もう辞任をしようと思っていました。
その時に、12月3日土曜日、聖フランシスコ・ザベリオの祝日に、「お前の教会を、聖母の汚れなき御心に奉献しなさい」という声をミサの時に聞きました。2回聞きました。
それでその次の主日に、その言葉の通り、自分の小教区を勝利の聖母の教会をマリア様の汚れなき御心に奉献しました。その主日には信徒が500人以上来ました。突然の変化が起こりました。
ファチマのマリア様も同じ事を仰いました。「汚れなき御心に対する信心を、この地上に確立する事を望んでいる」と。
ポルトガルの司教様たちも、自分のポルトガルの教区を全て、マリア様の汚れなき御心に奉献しました。すると、隣で起こっていたスペインの市民戦争、あるいは第二次世界大戦の被害を一切受けずに、教会は倍増して、召命も倍増して、ポルトガルの国も安定して、そして経済的にも豊かになって、ポルトガルの奇跡を見ました。歴史家たちは皆、「これは、マリア様の汚れなき御心の奇跡だ」と言います。
第二次世界大戦後、日本の司教様たちは一致揃って、この戦争が終結した事をマリア様に感謝して、日本を聖母の汚れなき御心に奉献しました。荒廃していた日本は、もうこのまま国力も人口も弱って、植民地も失って、もうそのまま劣等国になるのかもしれない、と思われていたかもしれません。しかし司教様たちがこの日本を汚れなき御心に奉献すると、今まで日本は経済的にも豊かになり、そして特に第二バチカン公会議までは、多くの何万人という成人たちの洗礼があって、教会が発展してきました。
聖母の汚れなき御心に対する信心は、今まで歴史上、多くの素晴らしい実りを見せています。ですから明日、この汚れなき御心には是非、私たちの聖ピオ十世会日本とそのミッションを、全てマリア様の汚れなき御心に対する奉献を更新したいと思っています。そして日本に多くの御恵みがマリア様から与えられますように、お祈り致しましょう。
今、コロナ、あるいはその他で、世界中の人々が苦しんでいます。マリア様の汚れなき御心への信心だけが、これをストップさせる事ができると考えています。明日は是非、マリア様の汚れなき御心に多くの御恵みを乞い求めましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。