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「ロザリオの秘密」聖ルイ・グリニョン・ド・モンフォール:第27、28のバラ:ロザリオは主の御生涯、御受難、御死去、栄光についての黙想を通して知識を与えてくれる幸いなものである

2021年12月11日 | カトリックとは

二十七番目のバラ:恩恵

多くの偉大な霊魂たちが実践してきたこの信心を受け入れるための、さらなる理由をお伝えしたいと思う。玄義の黙想とともに唱えられるロザリオは、次のような素晴らしい結果がもたらされる。

1. イエズス・キリストについての完全な知識を徐々に得ることができる。

2. 霊魂が浄められ、罪が洗い流される。

3. すべての敵に対する勝利が与えられる。

4. 聖徳の実践を容易にしてくれる。

5. 祝福された主への愛で私たちを燃え上がらせる。

6. 聖寵と功徳で私たちを豊かにしてくれる。

7. 天主と同胞に対するすべての負債を支払うために必要なものが与えられ、最後に全能の天主からのあらゆる種類の恩寵を得ることができる。

イエズス・キリストに関する知識は、キリスト者の学問であり、救いの学問である。聖パウロは、「実に、主イエズス・キリストを知るという優れたことに比べれば、その他のことは何でも丸損だと思う」と言っている。これは真実である。

1. なぜならそれは、その対象である、天主でありながら人間であられるイエズス・キリストの御稜威のためであり、その天主であり人間であられるイエズス・キリストに比べれば、全宇宙は一滴の露や一粒の砂にすぎないからである。

2. また一方、人間の学問は、高慢の煙と空虚さで私たちを満たすだけだからである。

3. 最後に、その必要性のゆえに:なぜなら、イエズス・キリストを知らずに救われることはあり得ないからだ。しかし、他のどの学問も全く知らない人でも、イエズス・キリストの学問にさえ照らされている限り、救われるのである。

ロザリオは、私たちの祝福された主の御生涯、御受難、御死去、栄光についての黙想を通して、この学問と知識を与えてくれる、幸いなものである。

サバの女王は、ソロモンの知恵に感嘆して、こう叫んだ。「たえずあなたの前にいて知恵を言葉を聞ける婦人たちや、家来たちは幸せ者です。」 
しかし、救い主の御生涯、聖徳、御苦難、栄光を注意深く黙想する信者たちは、はるかに幸せである。なぜなら、この方法によって、彼らは永遠の命と一致する完全な知識を得ることができるからだ。
“永遠の命とは、唯一のまことの天主であるあなたと、あなたの遣わされたイエズス・キリストを知ることであります。”

聖母は福者アランに、聖ドミニコがロザリオの説教を始めるやいなや、頑なだった罪人たちが感動し、自分たちの重大な罪について激しく泣いたことを明かした。幼い子供たちは信じられないほどの償いの業をし、聖ドミニコが聖なるロザリオを説教したところはどこでも、罪人たちが生活を改め、彼らの償いをし心を変えることによって人々を教化するという熱心が起こったのである。

もし、あなたの良心が罪に苛まれているなら、ロザリオを手に取り、少なくともその一部を唱え、私たちの主イエズス・キリストの御生涯、御受難、栄光の玄義のいくつかを讃えよう。あなたがこれらの玄義を黙想し、讃えている間に、イエズスは確かに、天にまします聖父に聖なる御傷を見せてくださるだろう。そして主はあなたのために嘆願し、悔悛と罪の赦しを得てくださるだろう。

ある日、主は福者アランにこう仰せられた。“もしこの哀れな罪人たちが私のロザリオを唱えさえすれば、彼らは私の受難の功徳を分かち合うことができ、私は彼らの弁護者となり、聖父の正義を宥めることができるだろう。”

この人生は戦いと誘惑の連続でしかない。私たちは生身の人間の敵ではなく、まさに地獄の力と戦わなければならないのである。彼らと戦うために、私たちの偉大な指揮官が教えてくださった「主祷文」と、悪魔を追い払い、罪を滅ぼし、世界を新たにした「天使祝詞」以上に良い武器があるだろうか?私たちの主であり、救い主であられるイエズス・キリストの御生涯と御受難の黙想以上に良い武器があるだろうか?

聖ペトロが言っているように、主が征服し給い、また日々私たちを悩ませているのと同じ敵から身を守るためには、この考えで自らを武装しなければならないのである。「キリストは肉体において苦しまれたのであるから、あなたたちもその心で武装せよ。」

「悪魔は、イエズス・キリストの御謙遜と御受難によって打ち砕かれて以来、主の御生涯の玄義の黙想で武装した霊魂を攻撃することはほとんどできず、もしそのような霊魂を悩ませたとしても、必ず恥ずべき敗北を喫することになる。」(ユーグ枢機卿)

“天主の武具をすべて付けよ ” だから、天主の武具である聖なるロザリオで身を固めれば、悪魔の頭を打ち砕き、あらゆる誘惑に直面しても毅然とした態度をとることができる。これが、物質的なロザリオそのものも悪魔にとっては恐ろしいものであるという理由であり、聖人たちがそれを使って悪魔を鎖で縛り、取り憑かれた者たちの体から悪魔たちを追い出した理由でもある。このような出来事は、複数の確かな記録に報告されている。

福者アランは、彼が知っているある男性が、自分に取り憑いている悪魔を追い出すために、必死になってあらゆる種類の信心を試みたが、成功しなかったという。ついに彼はロザリオを首にかけることを思いつき、かなり楽になった。しかし、ロザリオをはずすと悪魔に苦しめられることが分かり、夜も昼もロザリオを付けることにした。悪魔はこのような恐ろしい鎖に耐えられなかったので、永遠に追い払われた。福者アランは、ロザリオを彼らの首にかけたことで、悪魔に取り憑かれた多くの人々を解放したとも証言している。

ドミニコ会のジャン・アマ神父は、ある年、アラゴン王国で四旬節の説教をしていたとき、悪魔に取り憑かれた少女が彼の元に連れてこられた。神父は何度も悪魔払いをしたが成功しなかったので、彼のロザリオを少女の首にかけた。神父がそうするやいなや、少女は恐ろしいほどの悲鳴を上げて叫び始めた。「外して!取って!取って!この珠が私を苦しめるの!」 神父は少女を哀れに思い、ついにロザリオを外してしまった。

その日の夜、アマ神父が寝ていると、少女に取り憑いていた同じ悪魔たちが、怒りに満ちて神父のところにやってきて、彼を捕まえようとした。しかし、アマ神父はロザリオを手に持っていたので、どんな悪魔もそれを神父から奪うことはできなかった。神父は、「聖なるマリア、聖なるロザリオの聖母よ、私を助けに来てください!」と叫んで悪魔らを追い払い、そのロザリオで見事に悪魔たちを打ち負かしたのだ。

翌日、彼が教会に行くと、まだ取り憑かれている哀れな少女に出会った。彼女の中にいる悪魔の一人が笑い始め、嘲笑うような声で言った。「あぁ、兄弟よ、もしおまえがロザリオを持っていなかったら、俺たちはおまえを容赦なくやっつけていただろうね!」 すると、善良な神父は何も言わずに、少女の首にロザリオをかけてこう言った。「イエズスと聖母マリアの聖なる御名によって、また、至聖なるロザリオの御力によって、私はおまえに命ずる、悪霊どもよ、この少女の体から出て行け。」すると、悪魔たちは直ちに従わざるを得なくなり、少女は彼らから解放された。

これらの物語は、悪魔がもたらすあらゆる誘惑ーーまたあらゆる種類の罪ーーに打ち勝つ、聖なるロザリオの力を示している。なぜなら、これらの祝福された珠は、悪魔を追い払うからである。


二十八番目のバラ:有益な効果

聖アウグスティヌスは、私たちの救いにとって、救い主の御苦難に絶えず思いを馳せること以上に実りある有益な霊的活動はない、とはっきりと述べている。

聖トマス・アクィナスを弟子に持っていた大聖アルベルトは、啓示の中で、キリスト者は、ただ主イエズス・キリストの御受難を考えたり、黙想したりするだけで、一年間、毎週金曜日にパンと水で断食したり、週に一度、血が出るまでゲ激しく鞭打ちをしたり、毎日、詩篇を全部唱えたりした場合よりも、多くの功徳を得ることができる、と知った。もしそうだとしたら、救い主の全生涯と御受難を記念する聖なるロザリオによって私たちが得ることのできる功徳は、どれほど大きいことだろうか!

ある日、聖母は福者アランに、祝福された私たちの主の御受難の生きた記念である、最も重要なミサの聖なる犠牲の後には、私たちの主イエズス・キリストの御生涯と御受難の第二の記念と表現のような聖なるロザリオよりもすばらしい信心と大きな功徳はありえない、と啓示されたのである。

ドーランド神父によると、1481年に聖母がトレベスに住むカルタゴ人の尊者ドミニコに現れて、こう仰せられたそうである。“恩寵の状態にある信徒の一人が、イエズス・キリストの御生涯と御受難の玄義を黙想しながらロザリオを唱えるときは、いつでも、すべての罪の完全な赦しを得ることができます。”

また、聖母は福者アランにこう仰せられた。“あなたに知ってもらいたいことがあります。私のロザリオを唱えることにはすでに多くの贖宥がありますが、敬虔に跪いてめでたしを唱える者たちのために、私はさらに五十回(五連)のめでたしに多くの贖宥を加えようと思っていますーーもちろん、大罪を犯していないことが前提ですが。そして、これらの祈りと黙想をしながら、聖なるロザリオの信心を続ける者は、それによって報われるでしょう:私はその者のために、彼の人生の終わりに、彼が犯したすべての罪と、その罪の罰の完全な赦しを得るでしょう。このようなことが不可能であるかのように不信感を抱いてはなりません。私は天の王の母であり、天の王は私を聖寵充ち満てると呼んでおられるので、私にとっては易しいことなのです。そして、聖寵に充ち満ているからこそ、私の愛する子供たちにも聖寵を惜しみなく与えることができるのです。”

聖ドミニコは、聖なるロザリオの効果とその偉大な価値を確信していたので、告解を聞いたときには、他の償いをほとんど命じなかった。その一例として、私がお話したローマの女性の償いにロザリオ一環を与えた話をご覧になったことがあると思う。聖ドミニコは偉大な聖人であり、他の聴罪司祭たちも彼の足跡をたどるように、主に喜ばれ、徳を積むのに役立ち、罪に陥らないようにするのに、ロザリオほど効果がない他の償いを与えるのではなく、悔悛者たちには聖なる玄義の黙想とともにロザリオを唱えるように求めるべきである。さらに、ロザリオを唱えている間、人々は他の多くの信心業にはない、無数の贖宥を得ることができるのである。

そして、ブロシウス大修道院長はこう述べている。「ロザリオは、イエズス・キリストの御生涯と御受難を黙想することで、間違いなく最も主と聖母を喜ばせるものであり、あらゆる恩寵を得ることができる非常に有効な手段である。私たちは、自分自身のためにも、私たちが祈りたい人たちのためにも、そして教会全体のためにも、ロザリオを唱えることができる。であるから、私たちに必要なことすべてを求めて、聖なるロザリオに向かおう。そうすれば、私たちの救霊ために天主に乞い求めた御恵みを必ず得ることができるだろう。」



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