教会と聖霊についての説教
ドモルネ神父様 2022年6月5日
はじめに
今日、私たちは聖霊降臨の祝日をお祝いしています。この日、聖霊が火の舌の形で使徒たちの上に降り、イエズス・キリストによって創立された教会が、すべての人に明らかにされました。今日は、教会と、教会における聖霊の働きについてお話しします。
1.教会という概念
語源によると、「教会」という言葉は、同じ信仰を持つ人々である「信者の集まり」を意味します。もっと正確に言えば、「教会」という言葉は、「イエズス・キリストの指導のもとに一つになった、すべてのイエズス・キリストの信者の集まり」を意味します。この信者は、天国、煉獄、地上という、三つの異なる場所にいます。
聖パウロは、イエズス・キリストの信者がどのように集められ、一つになっているかを私たちが理解するのを助けるために、教会を、人間の体に例えています。
彼は、コロサイ人にこう言っています。「イエズス・キリストは、体のかしら、つまり教会のかしらである」(コロサイ1章18節)。またローマ人にはこう言っています。「私たちは数多いが、キリストにおける一つの体で(ある)」(ローマ12章5節)。頭が体のすべての肢体と一つになって、それらに指示を与えるように、イエズス・キリストは、教会の肢体であるすべてのメンバーを、ご自分と一つにして、指示を与えておられるのです。体の手足が秩序をもってつながっているように、イエズス・キリストは教会のメンバーの中に、位階を設けられました。体が目に見えるものであるように、イエズス・キリストはご自分の教会を、すべての人が見ることのできるように、目に見える形で創立されたのです。
2.教会の創立
教皇レオ十三世の言葉によれば、教会の創立には、受胎、誕生、顕現の3段階があります。
福音に書かれているように、イエズス・キリストは、地上での生活の間に、教会を受胎されました。主は、教会のメンバーとなるための手段として、洗礼を制定されました。主は、12人の使徒と72人の弟子を選び、自らの贖いのわざにおいて、彼らを共に働かさせられました。主は彼らに、徹底した教えを与えられました。「あなたたちには、天主の国の奥義を知る恵みが与えられた」(ルカ8章10節)。主は彼らを、宣教に送られました。「イエズスは、これから行くはずの町や所に、まず二人ずつ送られ(た)」(ルカ10章1節)。主は彼らに、権威を与えられました。「あなたたちの言うことを聞く人は、私の言うことを聞く人であり、あなたたちを拒む人は、私を拒む人である」(ルカ10章16節)。主は彼らの間に、位階を設けられました。「あなたはペトロである。私はこの岩の上に私の教会を立てよう…。私はあなたに天の国の鍵を与えよう」(マテオ16章18-19節)。主は彼らに、霊的な力をお与えになりました。「あなたが地上でつなぐものはみな、天でもつながれ、あなたが地上で解くものはみな、天でも解かれる」(マテオ18章18節)。
イエズス・キリストは、聖金曜日に、十字架の上で、教会をお生みになりました。教父たちは、イエズスの聖心が刺し貫かれ、血と水が出てきたときに(ヨハネ19章34節)、教会が誕生したと言っています。この血の混じった水は、キリストのご受難のゆえに、霊魂を清める力を持つこととなる、洗礼の水を表します。罪の赦しと超自然の命が私たちに与えられ得るようになったのは、そしてまた、洗礼が私たちをキリストの教会のメンバーとする力を持つようになったのは、十字架の犠牲が成し遂げられたときでした。ですから、子どもが母親の胎内から生まれ出るように、私たちは、教会が、キリストの聖心から生まれ出た、と言うのです。
聖霊降臨の日に、イエズス・キリストは、教会の超自然の命と使命を、目に見える形で明らかにされました。父なる天主が、聖霊を鳩の形で送ることによって、イエズスの公生活の初めに、イエズスの神性とご使命を明らかにされたように、イエズスは、聖霊を火の舌の形で送ることによって、教会のこの世での活動の初めに、教会の天主からの起源と、教会の超自然の使命を、明らかにされたのです。
3.教会における聖霊の働き
では、教会における聖霊の働きとは何かについて、見てみましょう。聖アウグスティヌスは、こう言っています。「聖霊と、キリストの神秘体である教会との関係は、霊魂と肉体との関係と同じである」。そこで、教会における聖霊の働きを理解するために、肉体に対する霊魂の働きについて、考えてみましょう。
第一に、霊魂は、肉体に命を与えます。同じように、聖霊は、洗礼と悔悛の秘跡を通して、教会のメンバーに超自然の命を与えます。洗礼について、イエズスはニコデモにこう言われました。「まことにまことに、私はいう。水と聖霊によって再び生まれぬ者は、天主の国に入れぬ」(ヨハネ3章5節)。悔悛の秘跡について、イエズスは使徒たちにこう言われました。「聖霊を受けよ。あなたたちが罪を赦す人にはその罪が赦され、あなたたちが罪を赦さぬ人は赦されない」(ヨハネ20章23節)。
第二に、霊魂は肉体を一つにしています。実際、私たちの霊魂が体から離れると、体は崩壊してしまいます。同じように、聖霊は、教会の各メンバーにおいて活動しており、教会を一つにしています。「天主の霊は、全く唯一の同じ聖霊が全教会を満たし、一つにしている」。(ピオ十二世「ミステチ・コルポリス」(Mystici Corporis)62番)
第三に、霊魂は肉体を統治します。ですから、聖霊は、教会のメンバーを監督する司教たちを置くことによって、教会を統治するのです。聖パウロはエフェゾの司教たちにこう言いました。「あなたたちは、自分と群れ全体に気をつけなさい。聖霊は、天主が御血をもって贖われた教会を牧するために、あなたたちを司教と定められたのです」(使徒行録20章28節)。
第四に、霊魂は知識の能力を持ち、肉体を、霊魂の知識にあずからせます。ですから、聖霊は真理の霊であり、教会のメンバーに、天主、イエズス・キリスト、そして私たちの創造と贖いのわざ全体についての真理の知識を与えてくださいます。イエズスは、使徒たちにこう言われました。「その方、つまり真理の霊が来るとき、霊はあなたたちをあらゆる真理に導くであろう」(ヨハネ16章13節)。
第五に、霊魂は愛する能力を持ち、肉体を自らの愛にあずからせます。ですから、聖霊は、御父と御子の位格化された愛であり、この天主の愛を、教会のメンバーに与えるのです。聖パウロはローマ人に、こう言っています。「あなたたちは、再び恐れに陥るために奴隷の霊を受けたのではなく、養子としての霊を受けた。これによって私たちは、『アッバ、父よ』と叫ぶ」(ローマ8章15節)。
一般的に言って、キリストの教会を、いかなる人間社会をも超越する社会とさせるのは、聖霊の存在と働きです。教皇ピオ十二世は、こう言っています。「キリスト信者の社会を、自然の秩序全体から超越せしめているものは、われわれの贖い主の霊であり、それはあらゆる恩恵の、あらゆる賜物の、あらゆる奇跡の力の源として、世の終わりまで教会の内部に行き渡り、活動している」。(「ミステチ・コルポリス」63番)
結論
親愛なる信者の皆さん、キリストの教会は、ローマ・カトリック教会です。カトリック教会のメンバーであることによって、私たちはイエズス・キリストと一つになり、聖霊を、そのすべての賜物とともに、私たちの霊魂のうちに受けるのです。ですから、この聖霊降臨の祝日に、カトリック信者である、というこのおおきな恩寵に対して、私たちの主に感謝しましょう。また、多くの霊魂を、私たちの主イエズス・キリストを知り、愛するよう導くための、使徒の元后である聖母の道具になる、という望みを、新たにしましょう。
長い間疑問に思っておりましたことを教えていただきたいと思います。
今日、6月8日水曜日は四季の斎日です。
カレンダーを見ますと、大斎となっております。
そして6月10日は四季の斎日の金曜日となっております。
そこには大・小斎となっております。
大斎と大小斎は内容が違うのでしょうか。
言葉的に、単に小斎と大斎が重なっているだけなのでしょうか。
よくわからないまま、大斎と定義されております事を大小斎にも行うようにしております。
いつも疑問に思いつつ、調べても違いがわからないままでおります。
どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただければありがたく存じます。
よろしくお願いいたします。
先ず小斎ですが、これは食事の質に関することです。栄養価の高い鳥獣の肉は食べないことです。小斎を守るのは灰の水曜日とすべての金曜日です。満14歳以上のカトリック信者は死ぬまで小斎を守らなければなりません。
大斎は食事の量に関することです。一日に一回だけ十分な食事をし、朝ともう一回は僅かな食事にすることです。いつもの食事の総量の半分だけにするという解釈もあるようです。満18歳以上60歳未満のカトリック信者は灰の水曜日と聖金曜日に大斎を守らなければなりません。
SSPXカレンダーによると、6月8日はSSPXの会員は大斎と小斎の義務がありますが、ただの信者にはその義務はありません。
6月10日も6月8日と同じように、SSPXの会員は大斎と小斎の義務がありますが、ただの信者にはその義務はありません。しかし、金曜日なので、魚のシンボルが描かれているように、ただの信者にも小斎の義務があります。
皿の左右にナイフとフォークが置かれ、皿の下にSSPXと書かれているのはSSPX会員向けのもので、ただの信者には関係ありません。SSPX会員と心を合わせて大斎小斎を守っても構いません。魚のシンボルはただの信者でも守らなければならない小斎を表しています。
教えていただき、ありがとうございました。
ご説明頂いて、大斎と小斎の違いがよくわかりました。
質と量の違いという点がはっきりいたしました。
また、同じ頃、他の信徒の方も歴史的観点からもTwitterに、四季の斎日に関して載せて下さり。とても参考になりました。
神父様のブログのこの場をお借りして質問ができ、お答えいただけたことに、感謝いたします。
デオ グラチアス!!
「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」と言われますが、分からないことを聞くことが恥とは私は思いません。カトリックの教えや守るべきことについては、疑問点があれば神父様に問い合わせて、正しい知識を得て、それを実践することが大切ですよね。誤った知識に基づいて行動して、罪を犯すことは何としても避けなければなりませんから。
これからも疑問点は軽い気持ちでお問い合わせいただいたらよろしいのではないでしょうか。信者の疑問に答え、信者を正しい道に導くことは神父様の務めですから、神父様も問い合わせには丁寧に答えてくださるでしょう。
一信徒さま
ヨハネさま、
ご質問とお答えのコメントをありがとうございます。
大斎と小斎は、概念・内容は違っています。
ただし、現在は、通常は、大斎の時は、同時に小斎を行うことになっています。
ご質問がありましたら、またコメントをお願い致します。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)