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聖母の汚れなき御心と聖ピオ十世会と深い繋がり:フォルカード神父、デジュネット神父、リベルマン神父

2021年08月27日 | お説教・霊的講話
2021年8月22日(主日)聖母の汚れ無き御心の祝日 聖霊降臨後第十三主日
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 メッセージ

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、今日はマリア様の汚れなき御心の祝日です。
日本の最上位の守護の聖人で、日本カトリック教会の擁護者です。

ですから今日、マリア様の汚れなき御心の信心の歴史を、少し振り返ってみましょう。
実はこれは聖ピオ十世会と深い繋がりがあるのです。その事を今日お話したいと思っています。

【フォルカード神父】
なぜ日本は最上位の守護の聖人に、聖母の汚れなき御心が選ばれたかと申しますと、その日本の再布教の第一任者であったフォルカード神父様が日本に来た時に、日本に上陸しようとした時に、日本に入る事ができず、当時琉球の那覇の港に行って、1844年5月1日、日本をマリア様のいと潔き御心(当時の名前でそうですが)、汚れなき御心に奉献しました。

その直後(14年後です)、踏み絵は終わりを遂げ、そして日本は外国の宣教師に門戸を開き、教会が建てられました。横浜のイエズスの聖心教会が、日本で建てられた最初の教会の一つです(1862年)。日本二十六聖人の列聖もありました(1862年)等々、このマリア様の汚れなき御心に対する奉献によって、日本に対してたくさんの御恵みが与えられました。

【パリの勝利の聖母の教会主任司祭:デジュネット神父 (1778 – 1860)】
では一体、フォルカード神父様は一体どこからこのようなアイデアを、インスピレーションを受けたのでしょうか?歴史家によると、「これは、パリの勝利の聖母教会に居たデジュネット神父様の影響だろう」と言われています。

デジュネット神父様というのは、1836年(日本が汚れなき御心に奉献される8年前の話です)一生懸命パリで、勝利の聖母教会で働くのですけれども、あまり効果がありませんでした。主日のミサにも来る人はほとんど、5本の指に入るか入らないかぐらいでした。フランス革命の為に人々の心は荒れて、信心を失い、無関心になっていました。一生懸命4年働いたのですけれども、何も効果がありません。
「もうこれで、こんな所に居ても仕方がないから、もう主任司祭は辞めて別の所に行こうか」とか、「辞表を出そうか」等と思っていた時に、土曜日、1836年12月3日、ミサの時に2回、はっきりと声を聞くのです。
「あなたの小教区の教会を、マリア様の汚れなき御心に奉献しなさい。」2回。

そして本当にそれをします。次の主日、12月11日の夕方に小教区民を呼んで、「奉献をするからいらっしゃい。」もしかしたら50人来るかな、と期待していました。そしたら、その主日の夕方に来たのは500名でした。
その後、その勝利の聖母の聖堂は、汚れなき御心の信心の中心地となりました。デジュネット神父様はその後24年間、1860年に亡くなるまで、マリア様の汚れなき御心の信心の為に一生懸命働きました。亡くなった時には、個人的にその信心会に登録した人は80万人いました。そして1万4000のグループ、学校や小教区や、あるいは修道会等々がやはり名前を登録していたそうです。そして世界的に有名なものとなっていました。

【フランソワ・マリー・ポール・リベルマン神父 (1802-1852)】
実は、聖ピオ十世会ともこれは関係があるのです。なぜかというと、ちょうどその時に神学生であった、フランソワ・マリー・ポール・リベルマンという人がいました。
この彼は実はユダヤ人のラビの息子で、将来はお父さんの仕事を継ぐべく、厳しいタルムードの勉強を受けて、そしてキリスト教に対する憎しみも持っていました。正真正銘のユダヤ人としての教育を受けていましたが、23歳の時に彼は洗礼を受けます。フランソワ・マリー・ポール・リベルマンという洗礼名を受けて、そして神学校に入ります。

そして彼が神学生たちと3人で、デジュネット神父様の話を聞いて、デジュネット神父様と親しくなって、「マリア様の汚れなき御心に奉献された修道会を、特にアフリカの人たちの宣教の為に修道会を創ろう」という話になりました。
実際にローマからの認可を受けて、1841年、リベルマン神学生は司祭に叙階され、聖母の汚れなき御心修道会もオープンしました。

7年間、これは汚れなき御心修道会として活動しました(1841-1848)。
でもちょうどマリア様が御告げを受けたかのように、ローマからの依頼がありました。
「実は、アフリカの為に、国家当局の許可も受けてバチカンの認可も受けてある、聖霊修道会があるのだけれども、フランス革命の影響でこれは消滅するかしないかの絶滅の危機にある。だからどうか助けてほしい」と。

そこで、リベルマン神父様はこれを承諾して、「汚れなき御心の修道会」と「聖霊修道会」とを統合させます。そして汚れなき御心修道会は全く消えてしまったかのように中に入ってしまって、そして聖霊修道会を復興させました。この統合された修道会の最初の総長となったのが、この難しい仕事をしたのが、リベルマン神父様で、4年間総長(1848-1852)をやっていました。

皆さんもご存知の通り、この聖霊修道会、その100年の後には、別の立派な聖なる総長が出ます。皆さんもご存知の、マルセル・ルフェーブル大司教様です。そしてルフェーブル大司教様は1962年から1968年まで、総長の職を務めました。

このルフェーブル大司教様が、まさに聖母の汚れなき御心修道会のその理想、このアイデアを活かしながら、聖ピオ十世会を創立しました。全てその過去の霊的な遺産を、聖ピオ十世会に渡して下さったかのようです。

【"Ce qui nous distingue de tous les autres ouvriers qui travaillent à la vigne du Seigneur, c'est une consécration toute spéciale que nous faisons de toute notre Société, de chacun de ses membres, de tous leurs travaux et entreprises, au très Saint Cœur de Marie, cœur éminemment apostolique et tout enflammé de désirs pour la gloire de Dieu et le salut des âmes." (Pere Libermann)
「主のぶどう園で働く他のすべての働き人から私たちを区別するのは、特別な奉献です。つまり、私たちの修道会全体、その会員一人ひとり、そして私たちのすべての仕事や事業を、聖母の汚れなき御心に特別に奉献することです。聖母の御心は、極めて使徒的で、天主の栄光と霊魂の救いという望みに燃えているからです。」(リベルマン神父)】

ですから、こんなところで聖ピオ十世会とマリア様の汚れなき御心は繋がっているのです。

今日は特に、デジュネット神父様がこの声を聞いて、マリア様の汚れなき御心に対する信心の運動をこうやって広めて下さった事に感謝すると共に、そしてフォルカード神父様が日本をマリア様の汚れなき御心に奉献して下さった事を感謝すると同時に、実は聖ピオ十世会もルフェーブル大司教様によって、マリア様の汚れなき御心に奉献されています。この御恵みも深く感謝致しましょう。
ではどうぞ、汚れなき御心からのたくさんの御恵みがありますように。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。





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