聖体十字軍についての説教
ドモルネ神父 2024年1月28日
はじめに
昨日は、聖体十字軍への参加を更新した子どもたちも、初めて参加した子どもたちもいました。今日は聖体十字軍についてお話したいと思います。
1.聖体十字軍の発端;Quam Singulari
聖体十字軍は、1910年に書かれた教皇聖ピオ十世の教令「クアム・シングラーリ」(Quam Singulari)が結実したものです。この教令の中で教皇は、子どもたちが分別のつく年齢に達したらすぐ、告解とご聖体を受けさせることが必要であることを、すべての人に強く思い起こさせました。この必要性は、第一に、私たちの主イエズス・キリストが幼い子どもたちに示された愛に基づいています。教皇は次のように書いています。イエズスは「子どもたちに手を置かれるのが常であり、子どもたちを抱きしめられ、子どもたちを祝福されました。同時に、子どもたちが弟子たちによって追い払われるのを喜ばれず、次のような言葉で、弟子たちを厳しく叱られました。『子どもたちを私のところに来させよ。止めてはならぬ。天主の国を受け入れるのは、このような者たちである』(マルコ10章13-16節)。一人の子どもをご自分のもとに呼んで、弟子たちに『まことに私は言う。あなたたちが立ち戻って子どものようにならないなら、天の国には入れぬ。…私のために、こういう子どもを受け入れる者は、私を受け入れる』(マテオ18章3-5節)と言われたそのとき、主が子どもたちの無垢さとその霊魂の素朴さをいかに高く評価しておられたかが、はっきりと分かります」(「クアム・シングラーリ」1番)。幼い子どもたちの聖体拝領の必要性は、第二に、子どもたちが小罪を清められ、大罪から守られるために、ご聖体を必要とすることに基づいています。
この教皇の教令は、イエズスの子どもたちに対する愛を思い起こさせることで、イエズスの聖心に対する子どもたちの力を思い起こさせました。実際、私たちがだれかを愛すれば愛するほど、私たちはその人の願いをより簡単に、より早く、聞くのです。聖体拝領は、子どもたちが自分自身と他人のために恩寵を願って得ることのできる特権的な時なのです。
2.聖体十字軍の歴史的始まり
1914年、第一次世界大戦が勃発しました。フランスのあちこちにいた敬虔な人々は、「兵士が戦い、天主が勝利を与え給う」という聖ジャンヌ・ダルクの言葉を思い出しました。彼らはまた、イエズスの聖心に対する子どもたちの力も思い出しました。そこで彼らは、子どもたちが祈りと犠牲、そして何よりも聖体拝領を通して、イエズスから勝利と平和という恩寵を得ることができるように、子どもたちを霊的に動員することに決めました。この動員は、「子ども十字軍」と呼ばれました。
その敬虔な人々の中に、シスター・マリー・ド・ラ・プレザンタシオンという修道女がいました。彼女はフランスのボルドーの女子校の教師でした。彼女の指導の下、またイエズス会の神父たち、特にアルベール・ベシエール神父の指導の下、その子どもたちは小さな霊的軍隊のような組織を作りました。子どもたちは聖心と童貞聖マリアのご像を立て、その下に、自分たちがイエズスとマリアに捧げる祈り、犠牲、聖体拝領を記録する板を置きました。また軍隊のように、兵士、伍長、軍曹、将校という階級を設けました。子どもは、毎朝イエズスに自分の一日を捧げることを誓うことで兵士となります。次に、聖体拝領をより頻繁にすることを誓うことで、階級が上がっていきます。週に1回聖体拝領をすることを誓うことで伍長、週に3回の聖体拝領で軍曹、そして毎日の聖体拝領で将校となります。子どもたちはまた、戦争の最前線の地図に、その場所と各軍の名前を記し、戦争が進むにつれて、この軍やあの軍に霊的な支援の意向を立てて、そのことを知らせる手紙を各軍に送りました。戦争中、最前線で担架の担ぎ手をしていたベシエール神父は、定期的に手紙を送り、子どもたちの努力を励ましました。
3.聖体十字軍の発展
子ども十字軍は、司教たちによって、そして教皇ベネディクト十五世によって承認され、奨励されました。それはもはや一部の敬虔な人々の私的な取り組みではなく、教会の活動となりました。瞬く間に、この霊的な軍隊に加わる子どもたちの数は、フランスだけでなく、第一次世界大戦中にフランスと同盟を結んでいた国々、ベルギー、英国、イタリア、米国で急増しました。1916年、運営のための事務局が設立され、1917年には、十字軍の指導者たちを養成するために「ホスティア」と呼ばれる雑誌が定期的に発行され、また、子どもたちを励ますためのニュースレターも発行されました。
1918年の戦争終結は、子ども十字軍の終了を意味しませんでした。なぜなら、その主な目的は、第一次世界大戦の終結ではなく、霊魂と社会における私たちの主の王権の復興だったからです。1922年以降、子ども十字軍は、「聖体十字軍」と呼ばれるようになりました。この十字軍の活動は、「祈り、聖体拝領、犠牲、使徒職」というモットーに集約されていました。十字軍には、その誓いの段階によって、見習い、兵士、騎士の三つの階級がありました。階級が高ければ高いほど、ご聖体におけるイエズスへの献身が大きなものとなります。教皇ベネディクト十五世とピオ十一世の奨励の下、1935年までに全世界で300万人の子どもたちが聖体十字軍に登録されました。残念ながら、十字軍は1962年に、教皇ヨハネ二十三世によって打ち切られました。聖体十字軍の霊的征服の精神は、この教皇の対話とエキュメニズムの精神とは相容れなかったのです。
4.聖ピオ十世会が復活させた聖体十字軍
1979年、パリで、ルフェーブル大司教は司祭職50周年を祝いました。その際、ルフェーブル大司教は、聖なるミサと、霊魂と社会を回復させるミサの力について美しく感動的な説教を行いました。この説教の最後に、大司教はすべての善意のカトリック信者に、近代主義と自由主義に対抗して、キリスト教の信仰と文明を守るための霊的な十字軍を結成するよう呼びかけました。大司教はすべてのカトリック信者に、聖なるミサの重要性と素晴らしい豊かさを再発見し、再び聖なるミサを自分たちの生活の中心に置き、私たちの社会に私たちの主イエズスの統治を復興させるために、聖なるミサを頼りとするように呼びかけました。
ルフェーブル大司教の呼びかけに従って、聖ピオ十世会の司祭たちや神学生たちは、イエズスの聖心に多くの喜びと慰めを捧げ、イエズスから多くの恩寵を得ることのできる子どもたちも動員することに決めました。そこで、このエコンの司祭たちや神学生たちは、聖体十字軍を復活させました。今日では、聖ピオ十世会の聖堂から、約700人の子どもたちが聖体十字軍に登録されています。こどもたちの国はフランス、ドイツ、米国、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、英国、イタリア、アイルランド、ポーランド、スイス、アフリカ、ベルギー、そして…日本です。
結論
親愛なる信者の皆さん、私はこの説教の締めくくりとして、親御さんたちにご自分のお子さんたちを聖体十字軍に参加させられることを、ただお勧めしたいと思います。なぜそうすべきなのでしょうか。なぜなら、この十字軍は、イエズスとマリアをお喜ばせし、聖性において進歩し、霊魂を救い、教会を敵から守り、私たちの国々、そしてここ日本で、私たちの主イエズスの王権を拡大するための、素朴で効果的な方法を子どもたちに提供するからです。
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