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無原罪の聖母の騎士:指導司祭の手紙第17号「眠ってはなりません、特に今は!」2021年10月16日はM.I.の創立記念日です

2021年10月15日 | M.I.(無原罪の聖...

聖伝の無原罪の聖母の騎士
Father Director's Letter No 17
指導司祭の手紙第17号

私たちは眠ってはなりません、特に今は!

親愛なる無原罪の聖母の騎士の皆さん、

事態は急展開しています。四方から敵が総攻撃を仕掛けてくるように見えます。このような時代に、誰によって確実な勝利がもたらされるのかを知らない人は滅びます。

「荒らす者のいとわしきもの」【マテオ24章15節】は、これまで知られていなかった残忍さをもって、電撃的な速さで広がっています。2021年7月16日、教皇は聖伝の聖なるミサに、いわば死刑を宣告しました。ファチマでは口による聖体拝領が禁じられていますが、これは世界中の非常に多くの教区と同じです。そういうところでは、司祭がいまでもあえて何人かの口にご聖体を授けようものなら、司祭はそのために罰せられています。注意していただきたいのは、これらの司祭の多くは、自ら手にご聖体を授けざるを得ない状態に甘んじていることです。これが意味するのは、教会の聖伝の教え全体を理解するには、まだ多くのことが必要だということです。結局、手による聖体拝領は、たった一回であっても、客観的に見れば恐るべき冒涜なのです! これらの司祭の中には、文字通り霊的に滅びる者もいれば、あらゆる種類のカリスマ的グループやセクトに転向したり、ご出現とされるものに執着したり、地下に潜ったり、支援や指導なしに独自の霊的スープ(ごった煮)を作る【自己流の】一匹狼になったりする者もいます。このようにして、保守派の間では絶望的な混乱が日に日に高まっているのです。

そのような司祭や信者の聖伝のミサへの道は、非常に長くかかることがよくあります。彼らは混ぜ物のない純粋な教えをほとんど知りません。保守的なカトリック信者は、自分たちの牧者に見捨てられ、追い出された後、千もの小さなセクトに分裂し、そのすべてが、カリスマ的な指導者、司祭、幻視者のいずれかが亡くなった後、無に帰するという大きな危険性があります。私が親交を持っている高位聖職者たちによれば、これこそが、聖伝のカトリック信者を脅かす最大の危機なのです。

ですから、私たちは、しっかりとした堅固な構造体【聖ピオ十世会】に結び付けられていることに、いったいどれだけ感謝しなければならないでしょうか。言葉にならないほどです。その構造体は、一切の妥協や追加をすることなく、カトリックの真理全体に揺るぎなく忠実であり続けています。その構造体は、天主の御摂理のおかげで、聖にして母なる教会の生活とわざの全体を、いわば小型版で継続することができています。その構造体は、60年間、多くの司祭や信者の心の中に漂ってきたすべての誤謬、一部は善意であっても、私たちに受け継がれてきたカトリックの信仰についての知識の欠如から生じたすべての誤謬から解放されています。

しかし、私たちにとっては、これだけでは十分ではありません。自分が受けたものを他の人に伝える努力とは別に、もう「一つの」救いの手段があります。しかし、私たちはそれを十分に使っていないのです。上記のような混乱した司祭や信者のほとんど全員は、あらゆることにもかかわらず、依然として共通する一つのものを持っており、共通の命綱を頼りにしていると言えるでしょう。それは、無原罪の聖母とそのロザリオです。ファチマの聖母の言葉によれば、これらは終末の時代のために残された最後の二つの救いの手段なのです。

もし私たちがこのことをさらに確信していたなら、無原罪の聖母の騎士として、次のファチマでのマリアの呼びかけに、さらに大きな熱意をもってお応えすることができるでしょう。「イエズスは、人々が私を知って愛するようになるために、あなたたちを利用したいと思っておられます」。何と責任ある使命でしょうか!

今、多くの友人の司祭たちによれば、善意の人々に聖母に関する書物、不思議のメダイ、ラ・サレット、ルルド、ファチマからの本物のメッセージをあふれさせる時期に来ています。しかし何よりも、私たちはこれらの人々を小さな軍隊、霊的な家族として団結させなければなりません。この家族は、多くの人々にとって、私たちの時代の暗闇の中で最後の確かな光となるでしょう。なぜなら、そこでは、しっかりとした霊的な栄養、教え、そして何よりも、この涙の谷で屈しないために必要な手段を受けることができるからです。

苦悩の中にあっても、私たちが献身的に取り組んでいるこの救いの活動以上に栄光あるものはないという事実を見落としてはなりません。

私たちがこれまで以上に善を行い、聖伝全体、唯一にして真のカトリックと使徒継承の信仰に人々を回心させる「御身の」道具となることができますように。私たちの周りが暗くなればなるほど、無原罪の聖母は海の星としてさらに明るく輝いて、私たちをお導きになり、霊魂たちを滅びからお救いになるのです。

先日、カラガンダ(カザフスタン)のヤン・レンガ(Jan Lenga)名誉大司教がワルシャワの無原罪の聖母の騎士会(MI)本部を訪問されました。彼は、「これは私たちの時代のための天主のみわざです」と熱弁をふるわれました。そして、書物やメダイの配布に協力することを約束してくださいました。別の司教は、「今まで以上に、皆さん(私たち騎士会のこと)は、マリアを通して人々を天主に導くことができます」と言われました。

信者、修道者、司祭、司教など、聖伝に触れようとする人がこれほど多くなったことはありません。このような探し求める人々が、私たちに「時間がない」という理由で、私たちから無下に扱われるとしたら、それは恥ずべきことです。私たちの使徒職の分野が拡大するにつれ、できるだけ多くの人々を聖母の足元に置くための努力を惜しまないよう、聖母が私たちを招いておられることは明らかです。

450年前の今日、ロザリオの聖母はレパントで栄光ある勝利を収められました。しかし、それは、聖母がその勝利のために命を捧げた道具である人々をお持ちだったからであり、その一部の人々は戦いに倒れたのです。確かに「神聖同盟」の兵士たちは聖人とは言えませんでしたが、寛大で犠牲になる覚悟があり、聖母への信頼に満ちていました。彼らの足跡をたどることは、私たちにとってどれほどの模範となるでしょうか!

戦略は単純であり、それを強化する必要はありません。マキシミリアノ・コルベ神父は、その知恵ですべてを用意してくれましたから、私たちは、神父が生涯を通じて無原罪の聖母の騎士会に与えた以下の教えに従うだけでいいのです。

1.マリアを知ること。私たちのすべての書物、「電子的使徒職」、講話や説教はこの目的に役立ちます。
2.マリアを愛すること。祈り、犠牲、不思議のメダイの配布、M.I.のさまざまな活動を通して、マリアが失われた子どもたちをお救いになるのを助けること。
3.他の人々がマリアを知るための道具となること。使徒職において創意工夫を凝らし、天主の御あわれみの「弾丸」を人々に何度も浴びせることをやめないこと。
4.他の人々がますますマリアを愛するようになるための道具となること。私たちの模範によって、マリアの愛を私たちが反映することによって、マリアと御子への私たちの忠実によって。

2021年10月16日は、またM.I.の創立記念日です【1917年10月16日ー2021年10月16日】。この日、私たちは、マリアの汚れなき御手の道具として、マリアへの奉献を更新し、全贖宥を得るだけでなく、何よりも、私たちの心を広げ、愛する子どもたちである霊魂たちの救いのための聖母自身の熱意で満たしてくださるよう無原罪の聖母にお願いしたいと思います。

私は心を込めて皆さんに挨拶し、私の司祭としての祝福を送ります。

2021年10月7日、聖なるロザリオの祝日に、ワルシャワにて。

カール・シュテーリン神父

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