四旬節第二主日 ― 霊魂の変容(東京―2024年)
ワリエ神父 2024年2月25日
マテオ16章で、イエズスはご自分の受難を預言されます。その後、3人の使徒、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを連れて高い山に登られます。
ご変容の祝日の聖体拝領後の祈りはこう願っています。「願わくは、われらが…祝い奉る御子のご変容の聖なる神秘を、…われらに味わわせ給え」。
では、3人の使徒にとって、この神秘の意味は何だったのでしょうか。
聖レオは、こう言っています。「ご変容の主な目的は、弟子たちの心から十字架のつまずきを取り除くことだった。弟子たちにとって、キリストであるイエズスが屈辱的な死を受けなければならないことを理解するのは非常に困難だった(マテオ16章参照)」。この同じ3人の使徒が、オリーブの園でイエズスと一緒にいたのです。イエズスの神性は、そのご生涯を通して、飢え、渇き、疲労、睡眠、葛藤(かっとう)、逃亡にさらされる、弱い、人間の肉体のベールに包まれていました。今、使徒たちは、キリストがご変容になり、その表情から、また衣服を通して、神性が輝き出るのを見ます(マルコ9章2節参照)。
モーゼとエリアがイエズスとともに現れます。信仰深いユダヤ人にとって、この二人は律法と預言者たちを体現していました。二人はイエズスの前表(ぜんぴょう)であり、イエズスが預言されたキリストであることを証明します。イエズスは律法を尊重し、預言者たちと一致されており、したがってイエズスこそが天主から送られたお方です。
最後のクライマックスの瞬間は、御父の声が聞こえるときです。弟子たちはこの神秘を完全には理解していませんでしたが、十字架のつまずきに対して、彼らの心をあらかじめ準備させるものでした。ペトロ後書(1章16-18節)によれば、ペトロは「私たちが主とともに聖なる山にいたとき、…主は父なる天主から誉れと栄光を受けられた」と証言しています。
しかし、ご変容はまた、この祝日の集祷文(しゅうとうぶん)が述べているように、私たち全員にとっても深い意味を持っています。「御身(おんみ)は、光の雲の中から発せられた御声(おんこえ)によって、不思議にも子らの完全な世継ぎを約束し給うた」。イエズスは、私たちが聖寵によってイエズスの神性にあずかることができるように、私たちの人間性を共有してくださるのです。イエズスは私たちをご自身の体の一部とされ、養子として天主の子とされたのです(ヨハネ第一書3章1節)。
しかし、私たちはこの人生で、完全な天主の子には決してなれません。そこで、この祝日の集祷文(しゅうとうぶん)は、こうも祈ります。「われらを、いつの日か栄光の王の遺産と勝利とにあずからせ給え」。ご変容は、私たちの将来の偉大さの、また私たちのために蓄えられている遺産の啓示です。聖レオはこう言いました。「このご変容の神秘において、天主の御摂理(みせつり)は教会の希望のための堅固な基礎を築いた。それは、キリストの体全体が、その体にどのような変容が与えられるかを知るためであり、また、教会員が、自分たちのかしらにおいて輝いた栄光の共有者となることを確信するためである」。
ご変容は、私たちの聖性がキリストに似たものであること、また天主の命が私たちのうちに流れ出ることであることを示しています。聖性は、洗礼において私たちのうちに始まり、洗礼は私たちをキリストの像に変えました(ローマ8章29節)。私たちが聖霊の働きに忠実であることによって、この像は永遠の命、完全な養子へと成長するのです。私たちの主のご変容は、成聖の恩寵の状態にある霊魂の美しさを私たちに教えてくれます。聖パウロは今日の書簡の中で、「天主の思(おぼ)し召しは、あなたたちの聖徳にある」と述べています。私たちの霊魂の天主の命を守ることは、どんな代価を払っても、私たちの固い決意でなければなりません。
「彼に聞け」。イエズスはすべての人を照らす光であり、御父から聞かれたことをすべて明らかにしてくださいます。イエズスは御父の最後のみ言葉なのです。モーゼとエリアは姿を消し、イエズスだけが残られました。イエズスは、聖書において、教会(教導権と典礼)において、出来事において、ご自身の霊の霊感において、私たちに語りかけてくださいます。よく聞くためには、私たちは、しばしば自分の内で静かに祈ることによって、山に登る必要があります。苦しみや挫折があっても、信仰をもって、行動に移す信仰をもって、耳を傾ける必要があります。そうすれば、試練が私たちに及ばない幕屋を建てる時期はまだだとしても、幸福を見いだすことができます。
キリストは、栄光に入るために苦しまれなければなりませんでした。同じ道を歩む私たちは、自信を持ち続ける必要があります。イエズスは、ご自分がおられるところに私たちがご自分とともにいて、ご自分の栄光を見ることができるようにと祈っておられるのです(ヨハネ17章24節)。