Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

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主イエズスはご自分が本物の人間の体を持っておられることを示されました。使徒たちはイエズスを見て、触ることができました。「私自身だ。触れて確かめよ。」

2021年04月14日 | お説教・霊的講話

復活の信憑性のしるしについての説教

ドモルネ神父

はじめに

今日の福音書には、聖トマスが主の御復活という現実を信じることをたすけるために、私たちの主イエズスが、いくつかの明白なしるしを与えられたことが書かれています。同様に、天主は、私たちのカトリックの信仰を、いくつかの明白な真理のしるしによって助けてくださいます。

1.使徒たちのイエズスの御復活の信仰は、いくつかの明白な真理のしるしによって助けられた

私たちの主イエズスは、死者の中から復活されました。生き返られたのです。天国の栄光ある命をもって、生き返られたのです。使徒たちにはイエズス・キリストの御復活を信じるのが難しかったのですが、それは、そのようなことがいかにして可能であるかを理解できなかったからです。死んだ人がどのようにして生き返ることができるのか、理解できなかったのです。天国の栄光ある命とは何であるか、理解できなかったのです。

私たちの主イエズスは、使徒たちに、どのようにして死者の中から復活することができたのかを説明されませんでした。天国の栄光ある命がどのようなものであるかについても、説明されませんでした。これを理解することは、人間の能力を超えています。私たちの主イエズスは何も説明されませんでしたが、使徒たちが主の御復活という現実を信じることをたすけるために、主イエズスの御復活という現実を示すいくつかの明白なしるしを与えられました。

また、私たちの主イエズスは、弟子たちの証言を、もっとインパクトのあるものにすることを望まれました。実際、私たちは、目撃しなかった人よりも、目撃した人の方を信じやすいものです。聖ヨハネはこう言いました。「初めからあったこと、私たちの聞いたこと、目で見たこと、ながめて手で触れたこと[について]…あなたたちに告げる」(ヨハネ第1書1章1節)。

私たちの主イエズスは、どのようなしるしで、ご自身の復活の現実を弟子たちに示されたのでしょうか。

第一に、主イエズスはご自分が本物の人間の体を持っておられることを示されました。使徒たちはイエズスを見て、触ることができました。私たちの主イエズスは、彼らにこう言われました。「私自身だ。触れて確かめよ。あなたたちの見ている私のこんな肉と骨は霊にはない」(ルカ 24章39節)。イエズスは、使徒たちの前で食べ物を食べられました。「彼らが焼いた魚一片(と一房の蜜蜂)を差し出すと、イエズスはそれを取り、彼らの前で食べ、(残りを取って彼らに与えられた)」(ルカ 24章42節)。

第二に、私たちの主イエズスは弟子たちに、ご自分が死ぬ前と同じ体を持っておられることを示されました。弟子たちに、手足や脇腹の傷を見たり、触ったりすることを許されました。「あなたの指をここに出し、私の手を見なさい。あなたの手を出して、私の脇に置きなさい」(ヨハネ20章27節)。

第三に、私たちの主イエズスは、死の前と同じ天主の御力を持っておられることを弟子たちに示されました。奇跡的な漁をされたのです。

第四に、私たちの主イエズスは、ご自分の命がもはや死ぬ前のものではなく、天国の栄光の命を持っておられることを弟子たちに示されました。イエズスは、すべての扉が閉じられた部屋に入られました。主は弟子たちの目の前から突然姿を消されました。

これらすべての証拠を見て、使徒たちはもうその事実を否定することができませんでした。イエズスは本当に死者の中から復活されたのです。彼らは、世の罪を贖うためのイエズスの十字架上の犠牲が、天主に受け入れられたことを理解しました。彼らは、イエズスに従うことで、誰もが永遠のいのちに到達できることを理解したのです。

2.私たちのカトリックの信仰は、いくつかの明白な真理のしるしで助けられた

ヒンズー教、道教、仏教、神道、イスラム教などの信者は、物語を信じることを求められますが、その物語が真理であるというしるしは何も与えられません。さらに悪いことに、これらの話はしばしば荒唐無稽で不条理なものです。ですから、このような宗教を信仰することは合理的ではありません。

私たちはカトリック教徒です。両親がカトリック教徒だったからという理由でカトリック教徒なのではありません。カトリック教会の教えを盲目的に信じているわけではありません。私たちの主イエズスが、御復活という現実を示すいくつかの明白なしるしを使徒たちに与えてくださったように、イエズスはカトリックの教えの真理を証明するいくつかの明白なしるしを私たちに与えてくださいます。

それらのしるしとはどのようなものでしょうか? 真の歴史書である福音書の中の使徒たちの証言、何世紀も変わらないカトリック教会の教えが一貫して、同一であること、カトリック教会の教えにおける輝く知恵、統一性や聖性、カトリック教会の教えに従って生きる人々によって成し遂げられた、物質的、また霊的な、すぐれた成果、数多くの恐ろしい迫害の中でのカトリック教会の世界中への奇跡的な拡大、聖ペトロから現教皇までの直接的・歴史的な継承の連鎖といったものです。したがって、カトリック教会の教えを信じることは合理的です。

結論

今日は特に、私たちがカトリック教徒であることを天主に感謝しましょう。特にイエズス・キリストを通して、超自然的な現実を私たちに啓示してくださったことを、天主に感謝しましょう。天主の啓示を固く信じることのできる信仰の徳を与えてくださったことを、天主に感謝しましょう。

童貞聖マリアの御取り次ぎによって、私たちの主イエズスが、私たちのカトリック信仰を守り、強めてくださいますように。私たちが、死ぬまで、何の恐れもなく、この信仰を公に宣言する勇気を、主が私たちに与えてくださいますように。

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