Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

至聖なるイエズスの聖心こそ、私たちに対する無限のこれ以上ないほどの寛大な贈り物。イエズスは、これ以上与える事ができないほど与え尽くされた。

2019年06月08日 | お説教・霊的講話
2019年5月3日(初金)秋田巡礼 至聖なるイエズスの聖心の随意ミサ

サマース神父様御説教
同時通訳:小野田圭志神父



聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

親愛なる信徒の皆さん、この最初の初金曜日は、イエズス様の聖心の随意ミサを捧げています。

私たちは、イエズス様がこれほど、初金を私たちに与えて下さるほど寛大であり続ける、という事に喜ばなければなりません。

イエズス様は私たちの為に人となって、そして苦しまれて、私たちの罪の為に御死去されました。十字架の上でイエズス様は、私たちの為に聖心を開いて、そしてもうこれ以上与える事ができないほど、全てのものを与え尽くされました。そこで、この聖心こそ、私たちに対する無限の、そしてこれ以上ないほどの寛大な贈り物でした。

しかしそこで留まる事はなく、善さ、善性、良い方そのものであったイエズス様は、更にそれを続けようと思われました。イエズス様はそこで年々、そして何世紀にも渡って、御自分の聖心をまた開いて、霊魂たちに自分の御恵みをたくさん与えようと、注ぎ込んでおられます。

それを見ると、私たちは本当に恥ずかしくなる、恥じ入るばかりです。

なぜかというと、私たちは却っていつも、自分の寛大さをいつもどれほど制限しようか、とばかり考えているからです。

イエズス様の聖心の約束を読めば読むほど、どれほど寛大であるかが分かります。もしも私たちがイエズス様の聖心を崇敬すればするほど、私たちはもうこれ以上どれほどの御恵みを受ける事ができるか、というほどの御恵みを約束して下さっています。

例えばイエズス様は、「最も頑ななコチコチの石のような罪人の心であっても、回心の恵みを与える」と約束されています。

この日本の国にとってとても大切な、必要な御恵みではないでしょうか。99%以上のこの国民の方が、聖寵の命を必要とされています。

イエズス様はこの聖心を崇敬する霊魂たちに、そして自分でそれを、自由意志でそれを求める霊魂たちにも、この御恵みを約束されています。

天主イエズス様にとって、国民全体を回心させる事は、私たちが息をするほど簡単な事です。もしも私たちがそれを求めて、それをお願いすれば、イエズス様は与えて下さいます。

イエズス様の聖心に、そしてマリア様の御心に、まず私たちの霊魂、そして多くの霊魂たちの心を柔らかくして下さるようにお願い致しましょう。

イエズス様は約束されました。ですからイエズス様は、自分の約束を違えたり、あるいは間違ったり、あるいはそれを実行しなかったりする事はあり得ません。

イエズスの至聖なる聖心よ、我らを、そして我らの祖国を憐れみ給え。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

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