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教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ【その12】

2018年09月29日 | ルフェーブル大司教の言葉

教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

ルフェーブル大司教の公開書簡 その12


第12章 「同志」および「同伴者」たち

まとめてみましょう。キリスト教的な良識は、新しい宗教によりあらゆる面で衝突しています。カトリックは、四方八方で非神聖化の餌食になっています。すべてを変えられてしまいましたし、全てを順応させられました。

カトリック信徒たちは「ありとあらゆる宗教はすべて救いに至る」と教えられており、教会は「離ればなれになったキリスト者」だけでなく、仏陀の前に身をかがめようがクリシュナを崇拝しようが、あらゆる信者を分け隔てなく受け入れています。またカトリック信者は、聖職者も平信徒も「神の民」の平等な成員であるが故に、特定の職務のために選ばれた平信徒らは聖職者の仕事をさせることができると教えられています。平信徒だけで葬式を執り行ったり、平信徒が臨終の床にある病人に聖体拝領を施したりするのを私たちは目の当たりにしています。他方、聖職者たちは平信徒の仕事をしています。平信徒の装いをし、工場で働き、労働組合に従事し、政治運動に参加しています。新しい教会法はこうしたことすべてをよしとしています。教会法は、平信徒に前代未聞の特典を与え、彼らと司祭たちの間の区別を不鮮明にし、いわゆる「権利」を創出してきました。平信徒の神学者がカトリックの大学で教鞭を執り、かつては下級品級の聖職の地位にある者だけに留保されていた天主への崇拝における役割を、篤信の信者が引き受けるようになってきました。そうした人々は、秘跡のうちのあるものを執り行い、聖体拝領を施したり結婚式における役務的立会人を務めたりしています。

他方で、「天主の教会は、カトリック教会に存する subsistit in」するという疑わしい言い方も知られています。何故疑わしいかというと、常に「天主の教会は、カトリック教会である est」と教えられてきたからです。

もしこの新しい定式を受け入れるなら、プロテスタントや正教会の宗派は、教会の等しい一部を構成することになってしまいます。しかし、それはあり得ないことです。なぜなら、それら諸宗派は、イエズス・キリストにより創始された唯一の教会から自らたもとを分かったからです。すなわち Credo in UNAM sanctam Ecclesiam. 使徒信経に言うように「われは一・聖なる教会を信じる」のです。

新しい教会法はあまりにも性急かつ混乱のうちに起草されたため、1983年1月に公布されたものの、同年11月までに114もの修正が加えられました。このことも、教会法は不変と見なすことに慣れ親しんできたキリスト者にとって狼狽の種です。

もしも一家の家長が、我が子を大切に育てようと思うなら、彼が熱心に教会に通っているか否かにかかわらず、必ずや落胆させられることになるでしょう。カトリックの学校は、たいていの場合、男女共学で、性教育が行われ、上級になると宗教教育はなくなり、社会主義者やさもなくば共産主義に偏向した教師も珍しくないからです。フランス西部で騒動となったケースでは、ある教師が親たちの圧力によって免職となったものの、その後教区当局により復職させられました。その教師はこのように自己弁護していました。「聖母マリア学校に勤めて6か月後、ある生徒の父親は、わたしが学年当初から政治、社会、宗教のあらゆる点で左翼であることを示してきたというただそれだけの理由で、わたしを首にしようとしたのです。その父親によれば、人はカトリック学校の哲学教師を勤めながら、同時に社会主義者であることなどできないということです。」

フランス北部でもこんな事件がありました。ある学校で新しい校長が教区当局により任命されましたが、ほどなくして親たちは、彼がかつての左翼団体闘士で、還俗した元司祭で、妻帯者で、子供たちは洗礼を受けていないらしいことに気づいたのです。クリスマスに彼は、共産主義者として知られているグループの支援を得て、生徒とその親たちのためにパーティーを開きました。善意のあるカトリック信者なら、こうした状況のもとで、自分の子供をカトリック学校にやるために犠牲を払う価値があるのかどうか、いぶかるに違いありません。

パリの中心部にある女学校の教理クラスの教師は、ある日の朝、フレーヌの刑務所付司祭が若い在監者(18歳)を連れてやって来たのを紹介しました。司祭は生徒たちに、囚人たちがいかに孤独か、いかに愛情を必要としており、外部の人との触れあいや手紙を欲しているかを説明しました。ゆくゆくは教母になりたいと望んでいる女学生はだれでも、自分の名前と住所を渡すことができました。しかしながら、どうせ親たちには理解されないので、親にはこのことを絶対に言ってはならないとされ、生徒たちの間で秘密にしておかねばならなりませんでした。

別の場所では、ある女教師に関して親たちの一団から苦情が寄せられました。理由は、その女教師が子供たちに教理問答の節と天使祝詞の祈りを教えていたからです。彼女は司教の支援を得ていました。彼女のしたこと以上正当なことはありえません。ただし、親たちの手紙が教師向けの雑誌 La Famille éducatriceに転載され、その事件が語られたのは尋常と思えることではありません。

こうしたことすべてをどのように理解すべきでしょうか。フランス政府が私立学校の廃止を決定した際、ほとんどの場合、学校側は何らかの点で自分たちが使命を果たしていないため、批判に対して自ら脆弱性を露呈しました。反対勢力は、「あなた方は教育制度に関して何をやっているのか。あなた方は何の役に立っているのか? 私たちは、あなた方がやっているのと全く同じことをしているのだ。なぜ教育制度が二つもなければならないのか」と口々にはやし立てました。もちろん、私たちはまだ信仰を保っている人々がいるのを知っていますし、自分の責任を自覚している多くの教師には敬意を払わなければなりません。

しかし、カトリック教育は、公立学校と向き合うときに、もはや自らの存在意義を明らかにすることがでません。カトリック教育は、世俗主義(=全てを宗教から切り離そうとする考え)の熱心な信奉者たちにより突き進むべきとされた道のほとんど半ばを走りきってしまったからです。デモのときにいくつかのグループが「学校には天主が必要だ!」と叫んでスキャンダルを起こした、と私に教えてくれた人があります。グループのまとめ役たちは、できる限り歌、スローガン、そして演説の内容からも宗教色を取り除いてきたのです。彼らに言わせれば、それは取り分けて宗教的関心がないままにデモに参加した人、特に宗教を信じない人々や、社会主義者が場違いな思いをしないですむようにするためだったそうです。

社会主義や共産主義という思想を私たちの学校から排除したいと願うのは、果たして政治に首を突っ込むことでしょうか。カトリック信者は、こうした主義は戦闘的無神論を標榜するが故に、教会はこのような主義とは真っ向から対立すると考えてきました。彼はその原理と適応において完全に正しいのです。無神論は、人生の意義について、また民族国家の宿命や社会が進展する方向に関して、根本的に考え方を異にしています。したがって、1984年6月5日付けル・モンド紙の掲載記事にはいよいよもって驚かざるを得ません。リュスティジェ枢機卿(パリの大司教)が新聞にされた質問に答えて、まことに当を得た所見を途中でいくつか述べていますが、一方、私立学校に関する議会の投票(=これで私立校の存続を決議した)で歴史的な好機を逸したのを目の当たりにしたと嘆いています。枢機卿によれば、この好機は、子供たちの教育のため社会・共産主義者らと共通の基本的価値基準を見出すことにあったとのことです。左翼マルキシストとキリスト教の教義との間に、一体どのような共通の基本的価値基準があり得るというのでしょうか。両者は完全に相対するものです。

さりながら、カトリック信者は、教会の聖職者と共産主義者の間の対話が強化されていることに驚きをもって見ています。ソビエトの指導者たちやヤセル・アラファトのようなテロリストがバチカンに受け入れられています。

第二バチカン公会議は、共産主義に対する非難を繰り返すことを拒否して、その流行を創り出しました。提出された公会議の教令草案にそのことが全く言及されていないのを見て、450人の司教たち--思い出しましょう--は、その趣旨に修正を求める書簡に署名しました。これらの司教たちは、過去になされた非難と、とりわけ共産主義は「本質的に邪悪」であると述べたピオ11世の回勅とに基づいていました。つまりその表現の意味するところは、共産主義のイデオロギーには否定的な要素もあれば肯定的な要素もあるというのではなく、それ全体をそっくりそのまま拒絶しなければならないということなのです。私たちはその後どうなったかを知っています。その修正案は、教父たちのもとに伝えられることはありませんでした。公会議事務総長は、そのことに関して一切知らなかったと述べています。その後、委員会は書簡を受け取っていたことを認めたものの、受け取るのが遅すぎたと言明した。これは真実ではありません。このことはスキャンダルとなり、教皇の命令により教会憲章 Gaudium et spes に、共産主義を暗示させるしかしほとんど効果のないものを載せるかたちで収束しました。

無神論が何を言明するかにはお構いなしに、共産主義者との協力を正当化し、さらには奨励するため、司教たちはどれほど多くの声明を出してきたことでしょうか! マタグラン司教は次のように語っています。「どのような状況下でなら共産主義者と共に働くことができるかを見極めるのは、私の務めではなく、キリスト者であり、責任能力のある大人のキリスト者の責務だ。」

ドロルム司教は、キリスト者は「正義と自由のために奮闘している大勢の人々と共に、世界にさらなる正義を求めて戦わなければならず、その中には共産主義者も含まれる」と言います。プパール司教も同様の調子で、「新しい世界がたゆまず構築されつつあるあらゆる分野において、正義を求める善意の人々すべてと共に働くように」と説き勧めています。ある教区の教会報によれば、ある労働司祭の葬儀に際して、次のような説教がされたといいます。「彼は地元議会の選挙に際して、労働者の社会を選択しました。彼にはすべての人のための司祭でいることができなかったのです。彼は、社会主義社会を選択する人々を選びました。彼にとって難しい選択でした。敵を作りましたが、同時に大勢の新しい友もできました。パウロ君は適材適所の人でした。」

少し前に、ある司教は「困窮している教会への援助」事業について、教区民には話してはならないと司祭たちを説きつけ、こう語りました。「私の印象だが、こうした事業は、あまりにも反共産主義的でしかないような外見がする。」

この種の協力関係に関する弁解は、間違った考えの上に、つまり共産党の目的は正義と自由を擁立するだろうという誤った考えに根ざしていることに、私たちは困惑しながらも気づいています。これについてはピオ9世の言葉を思い起こす必要があります。「もしも信徒たちが現在の陰謀を扇動している者たちに欺かれるままにされ、社会主義と共産主義の邪悪な体制のために彼らと共謀することに同意するのであれば、次のことに気づかせ、熟考させなさい。彼らは自らのため、かの憤りの日における報復の処罰の宝を天主なる審判者の元に蓄えているのです。そうして最後の裁きの罰を待っている間にも、この陰謀からは国民の現世的な益は何も得られず、かえって苦痛と災難を増し加えるだけなのです。」

今から約140年も前、1849年に語られたこの警告の正確さを噛みしめるには、共産主義のくびきのもとに置かれたあらゆる国々で生じた出来事を思い起こしてみるだけで十分です。様々な出来事はピオ九世のシラブスが正しかったことを証明しています。しかしながら、幻想はいよいよもって鮮明かつ強力に、今も存続しているのです。根強いカトリック国であるポーランドにおいてさえ、司祭はもはや、カトリックの信仰であるとか霊魂の救いを、そのために命そのものを含めたすべての犠牲が受け入れられねばならないほどの主たる重要事として取り扱ってはいません。彼らにとって最も重要な問題はモスクワとの決裂を回避することであり、お陰でモスクワは、さしたる抵抗を受けることなく、ポーランド国民をより完璧な隷属状態へと落としめることができているのです。

フロリディ神父はバチカンの東方政策における妥協的な政策の結果を明確に示しています。

「カザロリ枢機卿により聖別されたチェコスロヴァキアの司教たちが、モスクワの総主教下に置かれている司教たちと同様に政権に対して協力的であるのは周知の事実である。・・・教皇パウロ6世は、ハンガリーの各教区に司教を任じることができたのを喜んで、ハンガリー共産党の書記長ヨーナス・カダーに敬意を表し『教皇庁とハンガリー間の関係正常化の主要な立役者であり、権威者である』と賛辞を送った。しかし教皇はこの正常化のために、「平和の司祭たち」と言われる共産主義者らを教会内の重要な地位に就けなえればならないほど、大きな犠牲を払ったことについては触れなかった。・・・事実そればかりか、カトリック信者は、ミンツェンティ枢機卿の後継者のラズロ・レカイ枢機卿がカトリックとマルクス主義者との対話の促進を約束したのを聞いて仰天させられたものだ。」共産主義の本質的邪悪さについて述べたピオ11世は、「誰であれキリスト教の文明を守りたいと望む者なら、共産主義との協力ができるいかなる分野も見出すことはできないはずです」と付け加えています。

すでに私が列挙してきた事柄に加えて、教会の教えからの断絶を直視するなら、バチカンは今や、教会の創始者なる天主イエズス・キリストが定めたことよりも、世界の救いのためには人間的・外交的術策の方がより効果的であると信じている近代主義者やこの世の人間たちに占領されてしまったと言わざるを得ません。

先にミンツェンティ枢機卿について触れましたが、彼のような英雄たちおよび共産主義の殉教者、特にベラン、ステピナック、ウィンスジンスキー、スリピジといった枢機卿たちは、今のバチカンの外交政策にとっては邪魔な証人であり、特に最初の数名の枢機卿たちは今では主の平和のうちに眠りにつかれているが、物言わぬ譴責者になっていると言わねばなりません。そしてまだ生きているスリピジ枢機卿についてはその大きな発言の声を窒息させています。

同様の接触がフリーメーソンとの間でもなされてきました。それは1981年2月に信仰教義聖省がフリーメーソンを禁止する明白な宣言を打ち出し、その前年の1980年4月にはドイツ司教協議会が声明を出したにもかかわらずなされました。しかし新しい教会法はフリーメーソンについて言及せず、敢えて制裁を課していません。カトリック信者は、最近ブナイ・ブリス・メーソンがバチカンに歓迎されたことや、パリの大司教がフリーメーソンのロッジのグランド・マスターと会って面談したのを知っています。その一方で、ある聖職者たちは、このサタンの会堂とキリストの教会を和解させようと試みを続けています。

彼らはカトリック信者に対し、ほかのことでも同様ですが、こう言って安心させようとします。「この派に関する非難はおそらく過去においては正当なものでした。しかし、三つの点のフリーメーソンの兄弟は、以前とは変わっています。」ではフリーメーソンのなす仕事のやり方を見てみましょう。イタリアで起きたロッジP2のスキャンダルは、今なお人々の記憶に新しいものです。またフランスでは、カトリックの私立教育に反対する民事法を施行させようとしたのは、間違いなく、何よりもグランド・オリエント・フリーメーソンの活動でした。フリーメーソンは、フランス大統領と政府内の彼の同胞および閣僚に対して圧力を増し加え「偉大な統一国家教育事業」が最終的に実現するよう画策したのです。今回は、公然と行動したことさえもありました。ル・モンドなどいくつかの新聞は、彼らの策略について定期的に取り上げました。フリーメーソンの計画や計略は、彼らの発行する雑誌で公表されていたからです。

フリーメーソンが今も昔ながら変わっていないことをここで指摘する必要があるでしょうか。グランド・オリエント元グランド・マスターであったジャック・ミッテランは、1969年ラジオ番組で「我々の支部内には常に司教や司祭たちがいた」ことを認め、さらにその信条を告白して次のように語っています。「天主の代わりに人間を祭壇の上に置くことがルシファーの罪だとするなら、ルネッサンス以降すべての人文主義者(人間中心主義者)はこの罪を犯してきたことになる。」これは1738年にローマ教皇クレメンス12世により初めてフリーメーソンが破門されたときに、彼らに関してなされた申し立てのうちの一つでした。1982年に、グランド・マスターであるジョルジュ・マルクーは、「これは最高主権者たる人間の問題である」と同じことを述べています。再選されたとき、彼の最大の関心事は、国家医療制度による堕胎に対する援助金支給で、彼は「女性の経済的平等はこの第一歩に依存している」と述べています。

フリーメーソンは徐々に教会に侵入してきました。1976年には典礼改革派の中心人物、モンシニョール・ブニーニがフリーメーソンのメンバーであることが発覚しました。このことから彼のほかにもフリーメーソン会員が存在していたことは確かです。

聖職者と信徒には見えないように隠蔽してきたこの大きな謎を覆うベールは裂け始めています。時の経過とともに私たちはますますはっきりとわかってきます。それは数世紀にわたる教会の敵にとっても同じことです。ジャック・ミッテランはこう書いています。「教会内部で何かが変わってきている。司祭の独身制や産児制限など最も急を要する質問への教皇の答えについては、教会の内部でさえ盛んに議論されている。教皇のことを「最高司教」と呼ぶ名称も、司教、司祭、および信徒たちの間で疑問視されている。フリーメーソンについて言えば、教義に疑問を抱く人はすでにエプロンを付けていなくともフリーメーソンなのだ。」

別のフリーメーソン、スコットランド儀式のマーソドン氏は、第二バチカン公会議を通して育まれてきたエキュメニズムについて次のように述べています。「カトリック信者、とりわけ保守派は、すべての道は天主に至るということを忘れるべきではない。彼らは思想の自由というこの勇気ある考えを維持していかなければならない。この思想の自由は、まさにこれこそ革命であるということができるが、フリーメーソン支部から流れ出て、壮大にサン・ピエトロ大聖堂のクーポール(=丸天井)の下にまで広がった。

ここで今一度、読者のためにある文献を引用してみたいと思います。この文献は、問題に光を当て、シックス神父とリケ神父によって唱道されているこの種の交流において、相手方を席巻することを望んでいるのがどちらの側かをよく示すものです。以下はフリーメーソン発行の雑誌「ユマニスム(人文主義)」1968年11月および12月号からの抜粋です。

「いとも簡単に崩壊しかねない柱から柱の間で、我々は不可謬性を付与された教義上権能を例に取ろう。百年前に開かれた第一バチカン公会議で、その権威は強化されたとみなされ、また回勅『フマネ・ヴィテ』の発刊の結果生じたいくつかの複合的な攻撃にも、その権威は持ちこたえた。教会が中世の大衆に信じる義務を首尾よく課すことができた聖体におけるキリストの実在は、カトリックの司祭とプロテスタントの牧師の間で、諸教派共同聖餐式やミサの共同執行が進展するにつれてやがては消失するだろう。司祭の神聖な身分は、叙階の秘蹟に由来するものであるが、選挙で選ばれる地位また一時的な地位に取って変わられるであろう。高位の指導的聖職階級と下位の聖職者間の区別は、あらゆる民主主義社会におけると同じように、底部から上方へ向かうダイナミズムに屈服させられることになろう。秘跡の存在論的および形而上的本質は徐々に失われ、告解は間違いなく消滅しよう。罪は我々の文明において、中世の厳しい哲学から受け継がれてきた最も時代錯誤的な観念であり、そうした中世哲学自体、聖書の悲観主義を継承するものだった。」

読者は、フリーメーソンが教会の将来にどれほど強い関心を抱いているか、ただし教会を食らい尽くすために関心を持ってことがもうお分かりでしょう。カトリック信者は、このことを十分に認識しなければなりません。たとえセイレーンたちが子守歌を歌って眠らせようとしても、です。これら破壊的な勢力には、すべて密接な相互関係があります。フリーメーソンは、自分たちの主義はリベラリズムの哲学だと主張しますが、そのリベラリズムの最も究極の形は社会主義にほかならないのです。これらすべての者たちは、私たちの主の言われた言葉、「地獄の門」のもとに参集しているのです。

 

ルフェーブル大司教 公開書簡 「教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ 全23章」

第1章. なぜ今カトリック者たちは、困惑しているのか。原因は、カトリック教会に侵入した新しい精神。それは教会の過去の教えと生命とを疑問視させる。
第2章. 私たちの宗教は変えられようとしている!
第3章. 典礼改革:ミサ聖祭が全く日常の行為の位まで押し下げられている。非神聖化。聖なる物の喪失。
第4章. 永遠のミサと現代のミサ。典礼改革は意図的に犠牲を食事に変える。
第5章. 「それは昔の話ですよ!」
第6章. 洗礼と婚姻、悔悛と終油の秘蹟の新しい仕方
第7章. 新しい司祭職
第8章. 新しい公教要理
第9章. 現代の神学
第10章. エキュメニズム(キリスト教一致運動)
第11章. 信教の自由
第12章. 「同志」および「同伴者」たち
第13章. フランス革命のフリーメーソン的スローガン「自由・平等・博愛」は、第二バチカン公会議の「信教の自由、団体主義の平等、エキュメニズムの博愛」となった
第14章. 「第2バチカン公会議は教会内部のフランス革命だ」(スーネンス枢機卿)
第15章. 教会と革命の結合:リベラル派は教会を革命と結婚・合体さようとし、歴代の教皇たちはこのリベラルなカトリック主義を排斥し続けてきた
第16章. 信仰を瓦解させる新近代主義
第17章. 聖伝とは何か:聖伝とは「数世紀を経て教導職により伝えられてきた信仰の遺産」と定義される
第18章. 本当の従順と偽物の従順:「従順」の名によって全聖伝に不従順であることは本物の従順ではない。
第19章. エコンの神学校とローマ
第20章. 永遠のミサ
第21章. 異端でもなく、離教でもなく
第22章. 家族で出来ること:家族という組織単位が破壊されつつある、離婚、同性愛カップル、出生率の低下、中絶
第23章. 「作り上げること」と「壊し尽くすこと」との闘い



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