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聖水とその清めの効果について

2024年08月19日 | お説教・霊的講話

聖霊降臨後第十三の主日―聖水について

ワリエ神父 2024年8月18日


親愛なる兄弟の皆さま、

今日の福音では、らい病人たちが、私たちの主によって(治癒されて)清められました。今日、主は、おもに秘跡と準秘跡を通して、私たちに対する癒やしの使命を続けておられます。

聖水とその清めの効果についてお話ししましょう。

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準秘跡

聖水は準秘跡のひとつです。

キリストが秘跡を制定され、教会が準秘跡を制定しました。準秘跡は、教会によって聖別された宗教の外的な行為(祝別されたもの、祈り、儀式)であり、超自然の効果を生み出す力を持っています。準秘跡と呼ばれるのは、それらがすべて、贖い主の無限の功徳を特別に私たちに適用することによって、何らかの形で、秘跡の力にあずかっているからです。準秘跡により、その行為を行う人の信心の度合いに応じて、恩寵が授けられます。

旧約の聖水と新約の聖水

旧約において、聖水はすでに使われていました。

・ モーゼは、主がご自分の民に与えられた最も素晴らしい賜物である、2枚の律法の板を携えて、山から下りました。この聖なる律法を受けるために、選ばれた民は聖化されなければなりませんでした。この目的のために、モーゼは、聖水にいけにえの血を混ぜて、民の上に振りかけました。

・ モーゼは、アアロンとアアロンの息子たちを、司祭として聖別しなければなりません。彼らを聖別するのにふさわしい者とするために、天主はモーゼに、彼らを水で清めるように命じられました。この聖別の後、初めて、彼らは、聖なる祭服と司祭としての塗油を受けることが許されることになるのです。

・ 赦し、清めは、モーゼの律法で繰り返されるテーマです。らい病で苦しんでいる者、特定の動物の死骸を運んだ者、法的な汚れにかかった者は誰でも、水で自らの身を清めるように命じられています。

新約では、聖水を作る最初の人物は、贖い主ご自身です。これは、彼の公生涯の最初の行為でさえありました。彼はヨルダン川の中に降りられました。その愛すべきお体に触れることで、水は特別な祝別を受けました。水は、このときより、洗礼の秘跡と聖水の準秘跡に用いられることになるのです。

2世紀に、聖ペトロの5代目の後継者である殉教者教皇聖アレキサンデルは、聖水について、それを、すでに確立し、一般的に使用されているものとして、こう語りました。「余は、塩を混ぜた水で祝福するが、それは、この水を振りかけることによって、すべての人が聖化され清められるようにするためである。余は、すべての司祭に同じくするよう命じる。実際、血を混ぜて民に振りかけられた牝牛の灰が、民を聖別して清めたとすれば、塩を混ぜて天主への祈りによって聖別された水は、どれほどより強い、聖化して清める力を持つことであろうか」。

聖水の具体的効果

• - 旧約の聖水は、〈律法〉の汚れを洗いました。
• - 新約の聖水は、〈霊魂〉の汚れを洗います。

1 聖水は、小罪を消します。

2 聖水は、罪の有限の罰を取り除きます。

3 聖水は、健康をもたらします。

12世紀、アイルランドのアーマーの大司教だった聖マラキアスは、ある修道院で時を過ごしていました。そこにいたとき、体中が恐ろしい癌に冒された一人の女性が、彼のもとへ運ばれてきました。聖人は聖水を取って、その女性の上にかけました。痛みはすぐに消え、翌日には、病気の跡はほとんど残っていませんでした。

4 聖水は、悪魔を追い出し、悪魔のあらゆる企みをくじきます。

「私はそれを何回も経験しました。悪魔を追い払い、悪魔が戻ってくるのを妨げる聖水の力に匹敵するものはありません。悪魔はまた、十字架を目にすると逃げ出しますが、また戻ってきます。ですから、この水の力は、非常に偉大なものに間違いありません」(アヴィラの聖テレジア)。

5 聖水は、あらゆる種類の伝染病や疫病を撃退します。

6 聖水は、煉獄の霊魂に利益をもたらします。

信者が棺(ひつぎ)や墓に聖水を振りかけるのは、敬虔な習慣です。これは、効果がないものではありません。第一に、聖水を振りかけることは、一つの祈りを表しています。第二に、聖水は、準秘跡の一つですから、諸聖人の通功によって、贖罪の力を持っており、それは死者に及ぶのです。

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今日の福音では、らい病人たちが、私たちの主によって(治癒されて)清められました。今日、主は、おもに秘跡と準秘跡を通して、私たちに対する癒やしの使命を続けておられます。

エゼキエルはこう預言しました。「私はおまえたちの上に清い水を注ぐ。こうして、おまえたちは、清められる」(エゼキエル36章25節)。

教皇ピオ九世はこう宣言しました。「聖水の使用を、ほぼすべての人が怠っていたり、少なくとも、ほとんどの人が、信心や信仰の適切な精神をもって行っていなかったりするのは、嘆かわしいことである」(ピオ九世、1866年3月14日)。

親愛なる兄弟の皆さま、次の決心を固めましょう。

1 教会に入るたびに聖水を手につけ、注意深く、信心をもって、十字架のしるしをすること。そうすることで、私たちは、悪魔を撃退し、想起と祈りの精神を呼び起こすのです。

エルザレムの神殿の前庭の下には、青銅の海として知られる広大で壮大な澄んだ水の池がありました。司祭や素朴な参拝者は、祈るため、あるいは、いけにえを捧げるため神殿に入る前に、ここで、手を洗わなければならなかったのです。それは、聖パウロがこう言っているように。「民が清い手で祈るようにと、私は望む」(ティモテオ前書2章8節)。

2 主日の歌ミサの始まりに行われる〈アスペルジェス〉に遅れないように、時間通りに到着すること。この聖水を振りかける目的は、私たちを小罪から清めることによって、あるいは、洗礼の聖性と、いとも聖なる天主に近づくべき宗教的敬意の念を私たちに思い起させることによって、私たちを、聖なる神秘にあずかるのに、少しでも、よりふさわしくない者とならないようにすることにあります。

3 自宅に聖水の容器を用意し、それを適切な場所に置くこと。例えば、ベッドの近くや、家の玄関に。

4 朝起きるとき、夜寝るときに、聖水を使うこと。
(修道会では、就寝の前、終課のときに、修道者に聖水を振りかける習慣があります)。

5 誘惑、特に聖なる貞潔に反する誘惑の際に、聖水を使うこと。

6 司祭に自宅を祝別してもらうこと。



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