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カトリックこそ日本人の”高潔な心”が求め続けてきた「高き所へ導く」教え|日本人は古代から心の清さを求めてきた

2024年09月10日 | お説教・霊的講話

2024年8月21日(水)マリア・アスンプタさんの葬儀ミサの説教(大阪の聖母の汚れなき御心聖堂にて)

トマス小野田圭志神父

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

マリア・アスンプタさんのご家族の皆様、そして親愛なる愛する兄弟姉妹の皆様、今日マリア・アスンプタさんの葬儀ミサを捧げながら、マリア・アスンプタさんの思い出話をするのをお許しください。

そして、一緒に、その思い出から、マリア・アスンプタさんの霊魂のためにお祈りをして、そして選善の決心を立てることにいたしましょう。

マルガリタさんのお母様は、非常に寛大で、優しくて、非常に働きものでした。愛情深くて、正義感が強い方でした。そして、いつも家族のことを思っておられました。

お母様のことを、直接は わたしは、深くお友達として付き合いさせていただいたということはないのですけれども、一度ご自宅を訪問して、一緒にお喋りをさせていただけただけなのですが、しかしこの教会のために陰で多くのことをしてくださっていました。

またマリア・アスンプタさんのことは娘さんのマルガリタを見ると、それがよくわかりました。非常に寛大で、まず他(ほか)の人の、相手のことをよく思いやって、そして非常に勤勉に働かれて、そして優しくて、思いやりのある方なのを見ていると、お母様の様子が浮かんできます。

マルガリタが、八月十六日の朝に、お母様の様子がもうよくないということをお姉さまから聴いて、そしてテレビ電話をかけました。そしてお母さんに、以前から話をしていた「お母さんは洗礼を受けるか受けないか」ということを。「お母さんは洗礼を受けるか?」と聞いたら、「洗礼を受ける」と、「受けたい」とおっしゃいました。そこでわたしたちの姉妹である、マグダレナさんとマリア・ゴレッティさんがお母様のもとに駆け付けて、そして、まだ意識があったお母様にイエズス様のことを少しお話しされました。

それから、お母様に「いまから洗礼をお授けしますよ。イエズス様はわたしたちのために、罪の償いのために十字架の上で亡くなり、そしてわたしたちのために罪の赦しのために、洗礼の秘跡を定めてくださった…」ことをお話ししてから、「いまから洗礼を授けますよ」というと、「はい」と肯かれたとのことです。

そして、‟マリア・アスンプタ” つまり天に昇られた、被昇天を受けたマリアさまの霊名を受けて、すべての罪が赦されて、天主の子どもとなって、そして三位一体の生ける神殿となって、そしてそののちに、三時間ぐらいのちに、霊魂を天に返された、と伺いました。

マリア・アスンプタさんのことを知ると、本当に日本の典型的なすばらしい方だな、ということがわかります。

日本の方は、古事記から、あるいは日本書紀から、古代の神話の時代から、非常に心の清さを求めてきました。この世界には正しいことがある、真理がある、善がある、美しいことがあるということを…超越的な何かがあるということを、よくわかっていました。

ですから、たとえば古代の神話によると須佐之男命(スサノオノミコト)という神話上の人物が出てきますが、その彼が高い天の国に入るために条件とされたものは何かというと、高天原、高い天(あま)の国に入るためにいったい何が必要かというと……武力かあるいは権力か財産かではなくて……「明き清き直き心、罪のない品格のある清い心、真理と善と美を求める心だけが天の高いところに入るための条件だとされた」と神話によると書かれています。

もちろんこれは神話でしたが、しかし、日本の方々が昔から天の高いところに行くためにはどうしてもなければならないものがあって、それが何か、それは心の清さだ、ということを知っていました――なぜわたしはいまここにこうやって生きているのか、なぜこの苦しみにまみれてこの世で生活しているのか――天の高いところに行かなければならない――でもそのためにはどうしたらよいのか、じぶんは罪に汚れているのではないか、この汚れを取るのはどうしたらよいのか、滝に打たれて修業したらよいのではないか、水をたくさん浴びたらよいのではないか…いろんな修業をして修業をしてそれでもまだ足りない…どうしたら「明き清き直き心」を持つことができるのか――日本の方々はいろいろ悩んで来ました。

しかし、遂に、救い主が、この世を創られた方が人間となって、つまりイエズス・キリストが、わたしたちにその秘密を教えてくれます。

わたしたちが「清き直き心」を持つためには、滝の水ではなくて、洗礼の水を受けることが大切だ。これは十字架の犠牲によって流された天主の御子の御血の功徳によって、わたしたちの罪がきれいに赦される、清められる――マリア・アスンプタさんはちょうどこの洗礼の水を待っていた、清き直き心を持った日本の典型的な女性だった、と私には思えてなりません。

イエズス様はそればかりか、わたしたちに更にもっと核心を教えてくれます。なぜこの世にはその清き、明き、きれいな心をした人々が苦しんでいるのか、なぜ悪人が世に憚(はばか)っているのか?

イエズス・キリストはわたしたちに、こう言います。
「最後の日には審判がある」と。すべての人々は正義の裁きを受ける。世に住んでいたすべての人類はそのすべての秘密を全人類の前に公開されて、そして裁きがある。そして清い直い心をもった――罪を赦された――本当に罪を赦された者が天国に行き、高き天が原に、天の高い国に行き、そしてそうでないものは、永遠に地獄によって滅ぼされる。そしてそればかりでなく、わたしたちは肉体をもって善をしたので、この肉体も復活して、そして永遠のよろこびに入る。

これを、わたしたちの主イエズス・キリストは教え、そして約束して、ご自分の復活をもって本当にあるということを確認されました。

そしてマリアさまの被昇天というのも、それをわたしたちに教えています。
二千年間のカトリック教会の中で、これは常に信仰の真理でした。マリアさまの聖遺物…教会では人が亡くなるとその遺体を非常に大切にします…が、マリアさまだけはその聖なる御体がないのです。なぜかというと、天に挙げられたからです。ちょうどその日の翌日にマリア・アスンプタは霊魂を天に帰されたのは、きっとマリアさまからの特別な愛を受けておられたのだと思います。

ではわたしたちは、さいごに、このお母さんのために、お祈りをいたしましょう。

そして、おそらくわたしたちのために、天で寛大な心で、家族のために、そしてわたしたちのために、きっとマリアさまの近くで取り次いで、地上にいるわたしたちのためにお祈りしてくださるようになる、と。 

ですから、そのためにも、霊魂のためにお祈りをしつつ、このミサをお捧げいたしましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。



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