Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖ピオ十世会のファチマ国際巡礼のご報告 (その1) 2017年8月21日

2017年08月28日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会のファチマ国際巡礼のご報告をいたします。

 8月19日と20日には、ファチマにおいて聖ピオ十世会の国際巡礼を行いました。約1万名が参加しました。

 私たち巡礼団は、8月21日に、サンタレンの御聖体の秘蹟の教会を訪問しました。

 リスボンにも行きました。リスボンに流れる河と河口の海を見ていろいろなことを思いました。日本に初めて到来した南蛮人がポルトガル人で、リスボンから出航しました。日本に聖福音を伝えてくれた聖フランシスコ・ザベリオもポルトガル王の下でリスボンから出航しました。そのリスボンに今いるのだ、と。

 天正遣欧使節も1582年(天正10年)2月20日に長崎を出港し、命がけの長い航海の後(二年半後の1584年8月)リスボンに到着しました。彼らはいろいろな都市を訪問しつつローマに行き(1585年3月ローマ到着)、1586年4月リスボンから帰路出航して長崎に(4年と3ヶ月後の)1590年7月に帰国しています。

 私にとってリスボンに行ったのは初めてでした。飛行機で大阪を発って、乗り換えは一回で、24時間以内で到着しました。私たちはリスボンからローマにも行きましたが、私たちは飛行機で移動し、飛行時間は2時間半ほどでした。それでも、迷子にならないようにしたり、スリに遭わないように注意したり、落とし物や忘れ物をしないように気をつけて、暑さ、疲れ、空腹、喉の渇き、様々な不便、日本の生活ややり方と違うこと、言葉の違い、など巡礼の旅は大変です。

 天正遣欧使節も、命がけの長い船旅、身の危険、盗難の危険、生活様式の違い、言葉の違い、大きな勇気と忍耐力、天主への信頼や犠牲の覚悟などが必要だったと思います。当時に日本からヨーロッパに大旅行をするには多くの資金が必要だったと思いますが、それ以上に、ヨーロッパに行くことを望む強い意志と使命感があったことだろうと思いました。

 彼らがリスボンに到着したとき、どれほどの感動と喜びがあったことでしょうか!リスボンからついにローマにたどり着いたときはどれほど大きな感謝があったことでしょうか!

(つづく)

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
感謝します。 (Fr Thomas Onoda)
2017-10-24 14:50:35
アヴェ・マリア・インマクラータ!

テレジア マルガリタさん、こんにちは!

ファチマの記事をありがとうございます。
また、よろしくお願いします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
返信する
お帰りなさいませ (テレジア マルガリタ )
2017-08-30 00:14:43
+アヴェ・マリア・インマクラータ!

小野田神父様、ファチマ巡礼、本当にお疲れ様でした。

早速の報告記事をありがとうございます!
日本やアジアの皆さんのお写真も見れてうれしいです。

リスボンのことも興味ふかいです。

ところで、神父様のご帰還を待ちきれなくて、DICIの記事からの試訳を、拙ブログに載せてしまいました。事後承諾ですみません。

ファチマ大巡礼速報
http://akitadiary.seesaa.net/article/452852628.html

ファチマ大巡礼続報とロシアの奉献がなされたことhttp://akitadiary.seesaa.net/article/452889639.html

無現在の聖母の騎士会、創立100周年
http://akitadiary.seesaa.net/article/452933559.html


何か問題ありましたらお知らせください。
何もなければスルーでどうぞ。

ファチマは39度になろうかという酷暑だったようですね。
大変お疲れのことと思います。
どうか、なるべく休まれて回復なさってくださいませ。

感謝とお祈りのうちに。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。