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ミュラー枢機卿、グレート・リセットを糾弾。「コロナは世界規模の『監視国家』を確立するために使われている」

2021年12月20日 | カトリック・ニュースなど

ミュラー枢機卿、グレート・リセットを糾弾。

「コロナは世界規模の『監視国家』を確立するために使われている」

Cardinal Müller denounces Great Reset: COVID being used to establish global ‘surveillance state’

「私は、クラウス・シュワブやビル・ゲイツ、ソロスらの似姿と似像において作られたり、救われたりするのを望みません」と、ゲルハルト・ミュラー枢機卿は述べた。

ピエール・ボラレヴィ

2021年12月15日

(LifeSiteNews) - 教理省(CDF)の前長官ゲルハルト・ミュラー枢機卿は、COVID (新型コロナウイルス感染症)がグレート・リセットの提唱者たちによって「国民を完全に管理下に置き、監視国家を確立する」好機として使われていると警告しています。

ミュラー枢機卿は今月初め、オーストリアの聖ボニファティウス研究所とのインタビューでこのようにコメントしました。

ドイツ語で行われたこのインタビューは本日公開されましたが、短い抜粋は先に配信されていました。
ミュラー枢機卿は、彼の言う新型コロナウイルス感染症のパンデミックがもたらす「ある種の混沌」について、グローバリストのエリートたちがグレート・リセットのアジェンダ(行動計画)を進めるために利用している、と語りました。

彼は、この規制は、「この好機を利用して、国民を完全な支配下に置き、グレート・リセットの提唱者たちが自ら言ったように、監視国家を確立したいという願いから生まれた」部分があると説明しました。

このドイツ人枢機卿は、世界経済フォーラム(WEF)の創設者で会長のクラウス・シュワブが、自らの2020年6月の記事で、パンデミックは、われわれの世界を省みて、再想像し、リセットするための、まれではあるが小さな好機を示している」と書いた際に、新型コロナウイルス感染症のパンデミックを、グレート・リセットを実施する「好機」と記述していることを引用したのです。

ミュラー枢機卿は、シュワブが新型コロナウイルス感染症を、世界にとって肯定的なものであると表現したことを非難しました。

「多くの人々が死に、病気になり、生活に大きな制限を受け、経済は大きな打撃を受け、子どもたちは学校に行けず、彼らの霊魂と精神は長期的に劇的な影響を受けるでしょう」と、彼は述べました。「そして、富の高みから、こうした日々の苦闘を見下ろして、そのあと、これは自分たちのアジェンダを押し進める好機であると声高に宣言する人々がいるのです」。

枢機卿は、グレート・リセットのアジェンダ(行動計画)は「詐欺に基づいている」と主張し、その詐欺は、人間が「現代の技術や現代のコミュニケーションを通じて、新しい創造を生み出し、彼らの似像と似姿とにしたがって新しい人間をつくり出すこと」ができるという考えからなると説明しました。

「私は、クラウス・シュワブやビル・ゲイツ、ソロスらの似姿と似像において作られたり、救われたりするのを望みません」とミュラー枢機卿は述べました。

そして、金持ちのグローバル・エリートの偽善を糾弾しました。ミュラー枢機卿は彼らを、「プライベートジェットでグラスゴーまで飛んできて、『大衆』に対策や制限を押し付けたがる人々」と表現しました。

ミュラー枢機卿の言葉は、同様に聖ボニファティウス研究所のインタビューを受けたカザフスタンのアタナシウス・シュナイダー司教の言葉と似ています。同司教は、「ワクチンパスポートが提案されることで、自由は大きく制限されるでしょう」と説明しました。

「彼らは国家に対して、私たち一人一人への完全な支配権を与えるでしょう」と、同司教は述べました。「国家は常に私たちの行動を追跡し、どこに行くべきか、どこに行ってはいけないかを指示できるようになるでしょう」。

そして、シュナイダー司教は、人類の歴史上、国家が「市民の私生活にこれほど干渉する力を持ったことはありません」と指摘し、ワクチンの義務化は「私たちの身体的自律性を国家に引き渡す」手段であると述べました。

「個人は、自分の身体に関する決定をするという最も基本的な権利を剥奪されるのです」と、シュナイダー司教は説明しました。

新型コロナウイルス感染症のパンデミックがグレート・リセットをもたらすための手段として利用されているという考えは、前駐米教皇大使カルロ・マリア・ヴィガノ大司教やレイモンド・バーク枢機卿も頻繁に表明してきており、バーク枢機卿は特に2020年12月の説教で述べています。

この問題に対するミュラー枢機卿の最新の発言は、ドイツのメディアで論争を巻き起こしています。ドイツの雑誌「デア・シュピーゲル」は、ミュラー枢機卿がグローバリスト・エリートを批判する際に、あえて米国系ユダヤ人の投資家ジョージ・ソロスを含めたことだけで、枢機卿の発言は「反ユダヤ主義」とみなされる可能性がある、とまで報じています。


【参考情報】ミュラー枢機卿、グレート・リセットのアジェンダを拒否したために批判を受ける

2021年12月20日 | カトリック・ニュースなど

ミュラー枢機卿、グレート・リセットのアジェンダを拒否したために批判を受ける

Cardinal Müller endures criticism for rejecting Great Reset agenda

by マイケ・ヒクソン

2021年12月15日

(LifeSiteNews)―ゲルハルト・ミュラー枢機卿は、現在厳しいコロナ都市封鎖と対策の下で苦しんでいるオーストリア人を支援するために、アレクサンダー・ツッゲルと彼のボニファティウス研究所に対するインタビューを行い、ドイツで公的な批判にさらされました。

バイエルン州首相マルクス・ゼーダーとドイツ司教協議会のスポークスマン、マティアス・コップは、ミュラー枢機卿のグレート・リセット批判、つまりコロナ危機を自分たちの政治的利益のために利用したいと考える小エリートのアジェンダ(行動計画)に対する批判に関わらないようして、これから距離を置きました。

12月6日、ミュラー枢機卿はオーストリアの活動家、ツッゲル(Tschugguel)【パチャママをティベル川に投げ入れた青年】とインタビューを行い、ツッゲルはその一部をツイッターに投稿しました。

LifeSiteが入手できたインタビューの全文は、ワクチン接種の義務化は許されるか、司教が秘跡を受けるのを制限することは正しいか、オーストリア人は政府のコロナ規制の一部に抗議してもよいか、といった話題を扱っています。

インタビューは冷静でバランスのとれたものでした。このドイツ人高位聖職者(ミュラー枢機卿)のコメントの一部は、世界経済フォーラム(WEF)のクラウス・シュワブ、ジョージ・ソロス、ビル・ゲイツといった、全員がワクチン政策を推し進めているグローバリストのグループを批判することを目的としています。

シュワブの世界経済フォーラムが提示したグレート・リセットの全体計画は、世界の経済、富の分配を根本的に改革し、人間に対する技術的依存と支配を強めるものです。WEFは、その考えを象徴するように、デンマークの政治家の言葉を引用してツイッターに載せました。「2030年へようこそ。私は何も所有せず、プライバシーも持たず、生活はかつてないほど良くなっています」。

この展開を背景に、ミュラー枢機卿は12月6日のインタビューで批判したのです。今日、LifeSiteが先に報じたように、この高位聖職者は、新型コロナウイルス感染症のパンデミックは、グローバリストのエリートが彼らのグレート・リセットのアジェンダを先導する方法として利用されていると述べました。

彼は、「グレート・リセットの推進者たちが自ら言っていたように、国民を完全な支配下に置き、(また)監視国家を樹立する好機を用いようとする願望」について話しました。ここでミュラーは、新型コロナウイルス感染症のパンデミックを、グレート・リセットを実施する「好機」としたシュワブの言葉を引用しました。シュワブは2020年の夏に、パンデミックは「われわれの世界を省み、再想像し、リセットするための、まれながら限られた好機を表している」と書いているのです。

「多くの人々が死に、病気になり、生活を大きく制限され、経済は大きな打撃を受け、子どもたちは学校に行けず、霊魂と精神に長期的に劇的な影響を与えるでしょう」とミュラーは続けました。「そして、富の高みから、こうした日常の苦労を見下ろし、これは自分たちのアジェンダを押し進めるチャンスだと声高に宣言する人たちがいるのです」。

ミュラー枢機卿は、グレート・リセットのアジェンダは「詐欺に基づいている」と論じ、その詐欺は、人間が、「現代の技術や現代のコミュニケーションを通じて、新しい創造を生み出し、彼らの似姿と似像にしたがって新しい人間を作る」ことができるという考えにあると説明しました。

このドイツ人高位聖職者は、「クラウス・シュワブやビル・ゲイツ、ソロスなどの似姿と似像にしたがって救われたり作られたりされたくありません」と主張しました。

「私には理解できない」とゼーダー【バイエルン州首相】はコメントしました。「国民の保護が最優先されなければならない。同時に『非常に奇妙な理論の助けを借りた、科学を拒絶することへの回帰』が見られる」と彼は付け加えました。この政治家は、司教たちや枢機卿たちは、ワクチン接種を受けた教皇フランシスコを手本にした方が良いと説きました。

他の批判家に移る前に、この首相が、mRNAワクチン技術の発明者であるロバート・マローン博士が、最近のLifeSiteのインタビューで強く批判していた人物であることを思い出しましょう。普遍的なワクチン接種だけで、ドイツはコロナウイルスから解放される、というゾーダーの主張についてのコメントで、マローン博士は、こう述べました。「私は、それは極めて単純なことだと答えるでしょう。何度言わなければならないのでしょうか。これらのワクチンは、感染、複製、拡散を防止する効果は低いのです。自然免疫の方が圧倒的に病気に対する防御力が高いのです」。

「【ゾーダーの主張には】科学的根拠がありません」と、このウイルス学者マローン博士は付け加えました。「そして、もし、それが明らかに科学に基づいていないのであれば、何がこの政策を動かしているのでしょうか?」

この例では、このワクチンの専門家も、実際にはミュラー枢機卿と同じ結論に達しています。その理由の一つは、「欧州連合と米国を含む西洋全体の指導者たちが、製薬業界を構成要素とする、ある金融機関の経済的利益によって機能的に取り込まれている」かもしれないということです。

さらに、現在のコロナ危機に対する世界共通の対応―「普遍的なワクチン接種という非常識な推進」を含む―に影響を与えることができると思われる複数の国際金融グループの力を説明するに当たって、マローン博士は次のように述べています。

「私が確信するようになってきたのは、本質的に世界規模の専制政治が成長し、拡大しているという状況に私たちが置かれており、その専制政治は、国家間で調和し、管理され、連携しているということです。また、その専制政治は、世界の西洋の資本の大部分を占める投資ファンドの小さな集まりの経済敵利益と連携しているように見えます。そして、私が特に憂慮しているのは――私や他の多くの人々、そして明らかに大司教(カルロ・マリア・ヴィガノ大司教)も――この資本のプールが今や非常に大きくなったため、個々の国家よりも大きな力を持っているということです」。

この資本は非常に強力になってきたため、「異なる国家における政策、経済政策、国家政策を決定することができるのです。そしてその資本は、主要なメディア、ビッグテック、主要なワクチン会社および製薬会社のすべてを買収しています。ですから、資本が、統合された形で、世界規模で行動している理由は、これに尽きるのです」。

オーストリアとドイツの政府が、さらなる都市封鎖とワクチン接種の義務付けを決定したことについて、マローン博士は、彼らは「狂っている」と述べています。

バイエルン州の緑の党の4人のメンバーも、ミュラーのコメントを「衝撃的」と言って憤慨しています。彼らは、枢機卿とレーゲンスベルクのルドルフ・フォーダーホルツァー司教に宛てた書簡で、このような高位の教会人が「このような粗野で反民主的な陰謀論を抑制なく公然と表現することはありえないと考えました」と書いています。この左翼の政治家たちはまた、枢機卿が「扇動的で反ユダヤ的なコード」を推進していると叱責しました。

コップはツイッターにこう投稿しました。「このような説には非常に驚かされる! ミュラー枢機卿はここで、私が思うに、私人として話しているのだろう」。

ドイツの著名な雑誌「シュピーゲル」は、ミュラー枢機卿への公的な批判を英語で報道し、国際的なレベルにまで発展させました。

ドイツ政府の反ユダヤ主義問題担当官であるフェリックス・クラインは、「カトリック教会がミュラー枢機卿の無責任な発言から明確かつ曖昧でない形で距離を置くことを期待する」と声明で表明しました。ドイツ・ユダヤ人中央委員会も同様に、枢機卿が「反ユダヤ主義規定」を使用したとし、これは「無責任であり受け入れられない」と主張しました。

反ユダヤ主義という非難は、ミュラー枢機卿がゲイツとシュワブに続く何十億もの富を持つソロスに言及した、という単なる事実に基づいています。

ミュラー枢機卿は、その反応に驚きました。

「ヘブライ語聖書の開き方さえ知らない人々が、偽りの見出しに乗せられて、神学教授を反ユダヤ主義規定で非難するのでは、私たちのオピニオンリーダーの知的・道徳的狂気を癒やす方法はありません」とLifeSiteに書いています。

この高位聖職者はさらに、「憤慨理論家が人為的に作り出したこの憤慨は、客観的な討論における議論に関するものではなく、むしろ、またもう一度真実を語る人々に対する戦いに過ぎません」と述べました。さらに、枢機卿は、どのコメンテーターも実際に言及しているのは、「インタビューについてではなく、むしろ、メディアによる改ざんされた内容についてだけです」と指摘しました。

このドイツ人高位聖職者は、非難に対して、「問題の人物たちやグレート・リセットのアジェンダを擁護することは、大きな不利益を被った中産階級を背にして、危機から大きな利益を得た超富裕層の側に身を置くことになります」と述べています。

最後に、彼は「ある国々では、信教の自由が最も大きなダメージを受けています」とも指摘しました。

あるコメントを書き込んだ人は、ミュラー枢機卿に対するドイツ司教協議会のツイートの下に、「カトリック信者はこの『グローバル・アジェンダ』を批判してもよいのでしょうか、それとも、たちまち『陰謀論者』のレッテルを貼られてしまうのでしょうか」と書いています。

次のコメントもあり得ます。「オピニオンリーダーの皆さん、私たちは、必要な議論を封じるための同じ古い手法に飽き飽きしているのです。一人の引退した枢機卿のコメントに対する皆さんの攻撃的な反応は、枢機卿の言葉が真実であったに違いないことを裏付けるだけです」。


カトリック聖伝のミサの報告 聖ピオ十世会 Traditional Latin Mass in Tokyo and Osaka, SSPX Japan

2021年12月19日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日東京のミサに来られた方は、子供達も入れて合計127人でした。大阪では21人でした。天主に感謝いたします。

12月24日(御降誕の前日)は、聖伝によると大小斎の日でした。愛する兄弟姉妹の皆様もいかがでしょうか?

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父

【報告】
Dear Fathers:

Shown below are the number of attendees at the masses in Tokyo today. The total number of attendees at the masses in Tokyo today was 127, including children.

09:00 mass
M: 24 (incl. 5 children)
F: 26 (incl. 4 children)
Total: 50 (incl. 9 children)

11:00 mass
M: 22 (incl. 5 children)
F: 27 (incl. 7 children)
Total: 49 (incl. 12 children)

12:30 mass
M: 17 (incl. 1 child)
F: 18 (incl. 3 children)
Total: 35 (incl. 4 children)

Total of 3 masses (excl. 7 people who participated in multiple masses)
M: 60 (incl. 11 children)
F: 67 (incl. 14 children)
Total: 127 (incl. 25 children)


ミュラー枢機卿:「御聖体だけが永遠の死に対する治療薬であり、消費期限のない、永遠の命のための食物なのです。」

2021年12月19日 | カトリック・ニュースなど

コロナ:ミュラー枢機卿、司教の義務を思い起こさせる

Covid-19: Cardinal Müller Reminds Bishops of Their Duties

2021年12月16日 FSSPX.NEWS

新型コロナウイルス感染症の流行を政治的な目的のために利用し、健康のための制約を適用することに過剰な熱意を示す教会人たちに対して警告を発する。

ゲルハルト・ルートヴィヒ・ミュラー枢機卿は、一部の人々を刺激する危険を冒しながらも、自分の考えをストレートに伝えています。

義務から解放された闘志ある引退者。これが、この数年間、この教理省(CDF)の前長官が与えてきたイメージです。

2021年12月2日に公表された、保守的なカトリック系メディア「ナショナル・カトリック・レジスター」(National Catholic Register)とのインタビューで、ゲルハルト・ルートヴィヒ・ミュラー枢機卿は、政治家やメディアの特定のメンバーを攻撃しています。枢機卿によれば、彼らは全体主義の目的のために新型コロナウイルス感染症を利用してきたからです。

中傷する人々から「陰謀論者」と非難される危険を冒して、この高位聖職者(ミュラー枢機卿)はこう宣言しています。「かなりのケースで、規制はイデオロギー・ロビーと製薬大手の財政的、政治的利益によって妥協させられ、汚染されています」。

そして、次のような非難をします。「パンデミックとの戦いで社会を団結させる代わりに、政治や主流メディア、ビッグテックの権力者たちは、この状況を冷酷に利用して、『グレート・リセット』のアジェンダ(行動計画)、すなわち全体主義的考えを推進しています」。

また、ベルリンを含むいくつかの教区で、ワクチン接種者やコロナから回復したばかりの人々だけに主日ミサに参加させるという制限をすることをためらわなかったドイツの司教たちに対する批判も惜しみません。

「司教でさえ、教会を閉鎖したり、助けを求める人々に秘跡を授けたりするのを拒否していることは、天主から与えられた自らの権威に対する重大な罪です」と枢機卿は警告し、続けて「これは、思想の世俗化と脱キリスト教化が、すでにキリストの群れの牧者たちにどれほど到達しているかの衝撃的な証拠です」と言っています。

ドイツの教会の数人の高位聖職者の反応に対して、ミュラー枢機卿は、ミラノの栄光ある大司教、聖カルロ・ボロメオの例を挙げます。彼は、1576年にこの街を襲ったペストの犠牲者たちを、自ら治療することもためらわなかったのです。

なぜなら、この高位聖職者にとって、SARS-CoV-2の流行によって明らかになったのは、まさに現在の教会とこの世との関係だからです。「使徒職にあるキリストのしもべは、この世の支配者たちの廷臣として身を捧げたり、その宣伝者となったりしてはなりません。(中略)そうではなく、司教は、使徒の後継者として、この世の在り方に従う支配者ではなく、み言葉の役務者、キリストの恩寵の役務者なのです」と、彼は警告しています。

そして、忘れてはならないことは、「どんな薬も技術的な発明も、私たちをこの世の死と永遠の死から救うことはできません。イエズスが与えられるパンだけが、永遠の死に対する治療薬であり、消費期限のない、永遠の命のための食物なのです。『このパンを食べる者は、永遠に生きる』(ヨハネ6章51節)。こういう訳で、2世紀の初め、司教殉教者アンティオキアのイグナチオは、その『エフェゾの教会への手紙』(20章2節)の中で、ご聖体を『不死の薬』と呼ぶことができたのです」。

最後に、サンタマルタ館の主人役をつとめる枢機卿の良き思い出を思い起こすために、この元レーゲンスブルク司教は、次のように強調します。「私たちのカトリック信仰によれば、教皇は、イエズス・キリストにおける天主の超自然的啓示の最初の証人であると同時に、自然道徳律の最高の保護者でもあります。したがって、教会の教導職には、信仰と良心の自由を目的とする、この世の権力の限界を指摘する権利と義務があるのです」。

衛生上の制約の厳格な適用に関して非常に熱心なアルゼンチン人教皇の方向性への控えめな注意喚起であり、それはきっとローマで十分に理解されるでしょう。

(Source : National Catholic Register – FSSPX.Actualités)


2021年12月19日のカトリック聖伝のミサの予定 Traditional Latin Mass Schedule on Sunday Dec 19th, 2021, SSPX Japan

2021年12月19日 | 聖伝のミサの予定

アヴェ・マリア・インマクラータ!

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(これは「トリエント・ミサ」「ラテン語ミサ」とも言われています)にご招待します。

2021年12月19日(主日)前後のミサの予定をお知らせいたします。

2022年の典礼暦カレンダー(日本語版)が完成しました!一冊について1000円の御寄附をいただければ嬉しく思います。

【しばらくの間、大阪での主日のミサは午後6時30分からです。】

クリスマス特別献金のお願い:幼きイエズス・キリストに捧げるクリスマスのプレゼントとして聖伝の聖堂を東京に設置することができるように、皆様からの御援助を頂けるならば、心から感謝を申し上げます。

【大阪】「聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂」 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 EG新御堂4階 〒532-0002 (アクセス)JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分(地図
12月19日(日) 17:45 ロザリオ及び告解  18:30 ミサ聖祭
12月20日(月) 06:30 ミサ聖祭

【東京】 「聖ピオ十世会 聖なる日本の殉教者巡回聖堂」 東京都文京区本駒込1-12-5 曙町児童会館(地図

12月19日(日)主日ミサが三回捧げられます。
午前8時20分頃から準備が出来次第、告解の秘蹟を受けることができます。二階です。
09:00 ミサ聖祭 歌ミサ(ライブ中継をいたします)Facebook live
https://www.facebook.com/arata.nunobe
11:00 ミサ聖祭 読誦ミサ
12:30 ミサ聖祭 読誦ミサ
それぞれのミサの間にも告解の秘蹟を受けることができます。二階の告解の部屋に司祭は待機しております。
【お互いに社会的距離を取ることができるように、分散してミサにあずかっていただければ幸いです。】

【「暁の星の聖母」修道院】
修道院では平日(火曜から金曜まで)は毎朝7時15分から聖伝のミサを捧げています。
修道院では月曜日の朝ミサはしばらくお休みになる予定です。
土曜日は原則的に修道院で午前11時からミサが捧げられます。

エコンの神学校の50周年のアルバムですが、日本の皆様には特別に2000円の寄付でお譲りすることができることになりました。希望される方はご連絡ください。

大阪でのクリスマスのミサの予定は次の通りです。

12月 24日 (金)   御降誕の前日 午後6時
12月 25日 (土)  主の御降誕  午前0時【12月24日の24時(夜中)】
12月 26日 (主日)  御降誕の八日間内の主日   午後6時30分

東京でのクリスマスのミサの予定は次の通りです。

12月 25日 (土)   主の御降誕 9時、11時、12時半   入谷ホール2F
12月 26日 (主日)  御降誕の八日間内の主日   9時、11時、12時半   入谷ホール2F

Ave Maria Immaculata!
My dearest Brethren!
I would like to reconfirm the Mass schedule for December 12th, 2021.

*****Mass times in Tokyo:*****
December 12th (Sunday)
09:00 - Sung mass Facebook live
https://www.facebook.com/arata.nunobe
11:00 - Low mass
12:30 - Low mass
It would help us maintain proper social distancing if you could consider spreading your mass attendance among the three masses.
Mass location:
"Holy Japanese Martyrs' Mass Center"
Akebonocho Jido-kaikan
1-12-5 Honkomagome, Bunkyo-ku, Tokyo
Map: http://g.co/maps/nxeh5

*****Mass schedule in OSAKA:*****
Sun, December 12th : Holy Sacrifice of the Mass at 18:30
Mon, December 13th: Holy Sacrifice of the Mass at 06:30 AM
Mon, December 14th: Holy Sacrifice of the Mass at 06:30 AM

*****Holy Masses at Stella Matutina Priory*****
On weekdays (Tuesday to Friday), holy Masses are offered at 7:15 am at the Priory.
There will be no mass on Monday morning at the Priory until January 3rd next year.
On Saturdays, normally the Mass will be offered at the priory from 11am.
However, please kindly take note that on December 11th, Low Mass will be offered at 10:00 am at Akebonocho (No Mass at the Priory).

[For your information: 2021 Christmas Mass schedule]

[Tokyo]
Dec 25(Saturday) The Nativity of Our Lord Jesus Christ at 9:00am 11:00am 12:30pm  Iriya Hall 2F
Dec 26(Sunday)Sunday within the Octave of the Nativity at 9:00am 11:00am 12:30pm Iriya Hall 2F

[Osaka]
Dec 24(Friday) The Vigil of the Nativity at 6:00pm
Dec 25(Saturday) The Nativity of Our Lord at 0:00am ( Dec 24 24:00)
Dec 26(Sunday) Sunday within the Octave of the Nativity at 6:30pm


何故、今、痛悔するのか? 私は罪をどれほど忌み憎んでいるか?私たちが幼きイエズスに捧げる最高のプレゼントは何か?

2021年12月18日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、2021年12月19日は待降節第四主日です。

「テレワーク」方式ではありますが、皆様にYouTubeで「待降節第四主日の説教」の動画をご紹介いたします。

この動画が気に入ったら、お友達にもご紹介くださいね。

SSPX JAPAN聖ピオ十世会日本にチャンネル登録もお願いいたします。

天主様の祝福が豊にありますように!

トマス小野田圭志神父


12月16日から12月24日まで御降誕祭準備のための九日間祈祷(ノベナ)が始まります

2021年12月15日 | カトリック・ニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

明日、12月16日から12月24日まで御降誕祭準備のための九日間祈祷(ノベナ)が始まります。

ノベナの間には、どのような祈りを捧げても良いのですが、フィリピンでは毎日早朝にミサに与る習慣があります。シンバン・ガベ、ミサ・デ・ガロ、ミサ・デ・アギナルドなどと呼ばれています。暁の星の聖母修道院でのミサに毎日与る、ということもノベナの一つになるかもしれません。

このブログをお読みになってくださっている愛する兄弟姉妹の皆様には、私としては、ロザリオの祈りをノベナとしてお捧げすることを提案いたします。

例えば、ノベナのロザリオは特に玄義をよく黙想しながら九日間毎日お捧げする、とか、あるいは、九日間、毎日ロザリオを十五連(三環)捧げるとか、というのはいかがでしょうか。

あるいは、ロザリオは毎日やっているので、さらにという方のためには、Rorate Caeli という待降節の聖歌を毎日歌うというのはどうでしょうか?

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

Rorate Cæli 天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

 


カトリック聖伝のミサの報告 聖ピオ十世会 Traditional Latin Mass in Tokyo and Osaka, SSPX Japan

2021年12月12日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日、ガウデーテの主日、東京のミサに来られた方は、子供達も入れて合計119人でした。大阪では20人でした。天主に感謝します。

【報告】
Dear Fathers:

Shown below are the number of attendees at the masses in Tokyo today. The total number of attendees at the masses in Tokyo today was 119, including children.

09:00 mass
M: 23 (incl. 3 children)
F: 28 (incl. 6 children)
Total: 51 (incl. 9 children)

11:00 mass
M: 22 (incl. 3 children)
F: 21 (incl. 6 children)
Total: 43 (incl. 9 children)

12:30 mass
M: 10 (incl. 0 child)
F: 20 (incl. 2 children)
Total: 30 (incl. 2 children)

Total of 3 masses (excl. 5 people who participated in multiple masses)
M: 52 (incl. 6 children)
F: 67 (incl. 14 children)
Total: 119 (incl. 20 children)




【再掲】「私はあなたの母です」──グァダルーペの聖母

2021年12月12日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 12月12日は、グァダルーペの聖母の祝日でもあります。『「私はあなたの母です」──グァダルーペの聖母』をご紹介します。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

原文はこちら
I am your mother": Our Lady of Guadalupe
「私はあなたの母です」──グァダルーペの聖母

 細やかな心配りの善き母親として、幸いなる童貞マリアはその子らを守ってくださる。

 グァダルーペの聖母の祝日は、アメリカ合衆国では十二月十二日に祝われている。一五三一年十二月のファン・ディエゴへの聖母のご出現と、それに続いて起こったファン・ディエゴのティルマ(植物繊維で織られた荒布のマント)にくっきりと印された聖母の絵の奇跡を三級祝日として記念している。



 この奇跡の絵はアステカ族の象徴的な──あるいは記号的な──言語として、アステカ族の多くの階級に向けて語りかけた。だが、まず第一にこの絵が教えていることは、テペヤックの丘のおとめは何者であるかということ、「太陽をまとい、月を足の下に置き、頭には十二の星の冠をいただく」ことで示された、おとめのおん力である。この重大な象徴化は、ファン・ディエゴにナワトル語で与えられた名前──「Coatlaxopeuh コアトラショペ」──スペイン語で「グァダルーペ」と翻訳された──「蛇を踏み砕く者」という意味──で念入りに確認された。ここでは単に悪魔についてだけでなく、具体的にアステカの多神教について触れている。




 この目を見張る奇跡がもたらしたものは、数百名のメキシコの原住民たちによる、唯一のまことのカトリック信仰への回心という奇跡的出来事そのもの以外にはあり得ない。それまで、この地のさまざまな階級の人々は、 異教の中でも最も残虐な形をとったことで知られるアステカの宗教のもたらす災難(例えば一日に一万人以上の人身御供を新たな神殿に捧げる)に苦しんでいた。



 ティルマに描かれた肖像について述べるなら、聖母は慰めるような物腰と姿勢で、平和と静穏を内側から放ち、しかしながら穏やかな力強さでアステカの凶暴な血に飢えた神々を圧倒している。この異教の最も強力な二つの神々──太陽の神を遮り、月の神を足の下に置くことで鮮やかに立証してみせたのだ。



 アメリカ全土の霊魂たち(北、中央、南のどの領土に住んでいようともである──従って 『南北アメリカ大陸の元后(Empress of the Americas)』なる聖母の称号は妥当である)へのグァダルーペの聖母の面影に表された行き届いた心遣いは、聖母がファン・ディエゴに言われた「私に信頼なさい。私はあなたの母なのですから」という慰めとなる言葉に端的に表されていることを思う時、よりいっそう深く理解されることだろう。



「私はあなたの母です」

 次に述べるグァダルーペの聖母の言葉は、アントニオ・ヴァレリアノによってナワトル語で書かれた、このご出現と奇跡の数々についての十六世紀の歴史的記事、Nican Mopohua(報告書)からの引用である。これらの聖母のお言葉は、数日間に渡ってファン・ディエゴに語られた。読者の方々が、聖なるおん母の細やかな心配りの、慰めとなるメッセージに集中できるよう、歴史的背景は省略してある。




最初の御出現──十二月九日

「フアニート、愛するファン・ディエゴよ」

「フアニート、私の愛する子よ、どこに行くのですか?」

「次のことをよく知りなさい、そして理解なさい、私のいとも慎ましい子よ。私は終生童貞なる聖マリア、私たちの命の源、万物の創造主、天と地の主なるお方であるまことの天主の母です。私はここに一つのお聖堂を、急いで建ててくれることを希望します。私はその聖堂で私のすべての愛、慈悲の心、助けの手、守りを示し、与えましょう。なぜなら私はあなたのあわれみ深い母、あなたにとって、この地とこの地以外に住むすべての人々にとって、私を愛し、私に祈り、私に信頼するすべての人々にとってのあわれみ深い母だからです。私はそこで彼らの嘆きに耳を傾け、彼らのあらゆる惨めさ、苦痛、そして悲しみを癒します。そして、私の憐れみが求めることを成し遂げます。メキシコの司教の館へ行きなさい。そして、この平野に、私のために一つの聖堂を立てて欲しいという大いなる望みを私が明らかにしていると、司教に告げなさい。あなたが見て、称賛したすべてのこと、あなたが聞いたことを正確に説明するのです。私があなたに大変感謝し、報いを与えることを確信しなさい。なぜなら私はあなたを幸福にし、私が託したものをあなたが勝ち取るための、あなたの努力と骨折りに対してふさわしい報いを与えます。さあ、あなたは私の命令を聞きましたね。私の慎ましい子よ、行って、あらゆる努力をするのです」




第二のご出現──十二月九日

「お聞きなさい、私の小さな子よ、あなたは次のことを理解しなければなりません。私には多くのしもべたちと使者たちがいます。私は彼らに私のメッセージを届け、私の願いを運ぶことを託さなければなりません。でも、そのためには、あなた自身が嘆願し、支援し、私の願いに応じるようにというあなたの仲立ちを通してこそ、正確に一つ一つが成し遂げられるのです。私の最も小さな子よ、真摯にあなたにお願いします。そして断固として命令します。明日、もう一度司教に会いに行きなさい。私の名によって行き、そして私が司教に要求している、一つの聖堂の建設を始めなければならないという私の望みをそっくりそのまま知らせるのです。私、終生童貞なる聖マリア、天主の母が、じかにあなたを遣わすのだと、もう一度司教に伝えるのです」



第四のご出現──十二月十二日

「私の言うことを聞きなさい。そしてよく理解しなさい、私の小さな子よ。あなたを恐れさせ、悲嘆に暮れさせるものは何もありません。あなたの心を乱れさせないように。あの病や、その他のどんな病も苦痛も恐れてはなりません。あなたの母である私がここにいるではありませんか? あなたは私の保護のもとにいるのではありませんか? 私こそがあなたの健康の源ではありませんか? 私のマントのひだの内に幸せにもくるまれているではありませんか? 他に何を望むのですか? どんなことにも悲しまず、心を乱されてもなりません。あなたの伯父の病のことで苦しんではなりません。彼は今、そのために死ぬことはありません。今や彼は治ったのだと確信しなさい」

「私の大切な子よ、丘の頂上に登りなさい。あなたが私を見て、私があなたに命令を与えた場所です。そこでさまざまな花が咲いているのを見つけるでしょう。それらを摘んで集めてまとめなさい。そして私の前に持って来なさい」

「私の大切な小さな子よ、この色とりどりのばらの花は、司教のもとへと持っていく証拠でありしるしです。私の名のもとに司教に伝えなさい。司教はこの花によって私の望みを理解し、私の望みに応じなければならないでしょうと。あなたは私の大使です。あらゆる信頼にもっともふさわしい者です。あなたに厳正に命じます。司教の前でだけあなたのマントを広げ、あなたが運んでいるものをお見せなさい。あなたはすべてのことを上手に説明するでしょう。私があなたに丘の頂上に登って花を切り取るよう命じたこと、あなたが見て賛美したすべてのことを告げなさい。そうすれば、私が要求した聖堂を立ててくれるようにとの目的とともに、司教の支援を得られるよう説得できるはずです」




 グァダルーペの聖母の奇跡の歴史的背景についてもっと知るためには、『ヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)の征服記』というベルナル・ディアス(Bernal Diaz)による同時代の報告書を読むことをお勧めする。また『Black Robes in Paraguay(バラグワイの黒衣の宣教師たち)』では、イエズス会宣教師たちについて読める。この本は、宣教が大成功をおさめたため、政治的な危機を招き、その結果イエズス会が弾圧されたことを描いている。




 最後になるが、中央アメリカのエクアドルにある、あまり知られていないキトの聖母の奇跡の絵とメッセージについて、読者の方々は耳にしたことがあるだろうか? キトの聖母が「善き司祭たちを養成することで司祭職を擁護し──この(二十世紀)背教と不敬虔の波に断固として反対する一人の高位聖職者」について語っていた時、聖母はルフェーブル大司教と聖ピオ十世会のことに言及していたのだろうか? ルフェーブル大司教が一九八八年の司教聖別の説教で、次のように述べていたように。

「この預言が私について語っているとは言いますまい。皆さん一人一人が、ご自分で結論を引き出すことでしょう。この文章を読んだ時、私は呆然となりましたが、これらを否定することはできません。これらの言葉は、このご出現の保管庫に記録され、保管されているからです」



「蛇の頭を踏み砕く女」である聖母は、あらゆる異端と誤謬の破壊者でもある。この母としての守りという真理に励まされ、私たちは信頼をもってこの言葉とともに聖母に近づこう──グァダルーペの聖母よ、我らのために祈り給え!




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グァダルーペの聖母マリアについて(1) 1531年12月9日土曜日の朝

2021年12月12日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 グァダルーペの聖母マリアについてご紹介します。
***
 アメリカ大陸は、カトリックによって「発見」され植民化され、カトリックの殉教の血が流された。【アイスランドのカトリックであるレイフ・エリクソン Leif Eriksson は、西暦1000年頃グリーンランド経由でアメリカ大陸に到達していた、葡萄酒がよくとれると言うことで、Vinland と名付けられていた。Où est le Vinland?

 聖母マリアは、ルルドでベルナデッタ・スビルーにフランスの方言で「私は無原罪の御宿りです」と言う377年前に、すでにアメリカ大陸で聖母マリアはアステカ族の寡夫にナワトル語(Nahuatl)で「私は完全で終生童貞聖マリア、真の天主の母です」と語られた。

 クアウトラトフアック(Cuauhtlatohuac -- これはアステカの言葉ナワトル語で、その意味は「鷲のように話す者」)は、1524年、フアン・ディエゴ(Juan Diego -- これはスペイン語で意味はヨハネ・ヤコボ)の霊名で洗礼を受けた。まさに、使徒聖ヨハネは、鷹にたとえられているが、「鷹のように話す者」はヨハネの名を受けた。何故なら、黙示録の子供を産む同じ婦人を、フアン・ディエゴは黙示録的な印において見るように選ばれていたからである。

 1531年12月9日土曜日の朝、無原罪の御宿りの八日間の第一日目、ヌエバ・エスパーニャの最初の宣教師たちであったフランシスコ会のあったトラルテロルコ(Tlatelolco あるいは Tlatilolco)の教会でミサ聖祭に与るところであった。

 フアン・ディエゴの住む村クアウティトランから、テノクティトラン(現在のメキシコ・シティ)の北にあるトラルテロルコまで 25kmの距離があった。その日、彼がテペヤックの丘の側を通り過ぎたとき、丘の上でさまざまの鳥の歌のような音楽を聴いた。

「フアンさん、フアン・ディエゴさん!」
 厳しい声ではなく、とても優しい愛に満ちた母親の声で、テペヤックの丘の上から呼びかけられた。ナワトル語で "Juantzin, Juan Diegotzin" と。

 ナワトル語の接尾語 "-tzin" は、敬意と愛情のこもった礼儀正しいニュアンスがある。天は、現代に入りつつあるこの地に向かってアステカの言葉で話しかけた。

「さあ聞きなさい、私の小さな子供、フアンさん、どこに行くのですか?」
 Tlaxiccaqui noxocoyouh Juantzin, campa in timohuica.

 フアン・ディエゴはその若き女性の美しさにとらえられ、こう答えた。

「私の主人、女王よ、私のお嬢様よ、私は、メヒコ・トラティロルコにあるあなたの小さな家にまで行くところです。私たちの主の似姿である私たちの司祭たちによって私たちに与えられ、教えられている、天主を天主とすることに従うためにです。」

Notecuiyoé Cihuapillé, Nochpochtziné, ca ompa nonaciz mochantzinco Mexico Tlatilolco, nocontepotztoca in teoyotl, in techmomaquilia, in techmomachtilia in ixiptlahuan in Tlacatl in Totecuiyo, in toteopixcahuan.

 するとこの女性はフアン・ディエゴにこう言うのです。

「このことを知って、正しく理解しなさい、私の小さな子供よ、
私は完全な終生童貞聖マリア、
命を与える真の天主、全てのものの造り主、天と地との所有主、私たちのもっとも近くにいる主の母です。私は、ここに私の小さな teocalli を作ってくれることをとても望んでいます。」


Maxicmatti, ma huel yuh ye in moyollo, noxocoyouh, ca nehuatl in nicenquizca cemicac Ichpochtli Sancta Maria, in Inantzin in huel nelli Teotl Dios, in Ipalnemohuani, in Teyocoyani, in Tloque Nahuaque, in Ilhuicahua, in Tlalticpaque. Huel nicnequi, cenca niquelehuia inic nican nechquechilizque noteocaltzin,

 ナワトル語の teocalli は、teotl (神) と calli (家) とから合成された単語「神の家」のことである。聖母マリアは、私の[ために](no-)小さな teocalli(=teocaltzin)を建ててほしいとお望みになった。かわいい、ちいさな、という意味の -tzin がついている。

【参考資料】有名なナワトル語の「報告書(Nican Mopohua)」の英語訳はここにあります。
 グァダルーペの聖母マリアとフアン・ディエゴとの対話は、«Nican Mopohua»のお陰で私たちにまで伝わった。これはアントニオ・バレリアノ(Antonio Valeriano)というアステカ皇帝の甥によって1540年頃に書かれた。アントニオ・バレリアノは、1520年生まれで、フアン・ディエゴに御出現があったときには11歳の少年であり、フアン・ディエゴが死んだときには28歳だった。すでに16歳の時、トラテロルコのフランシスコ会運営のサンタ・クルス校でスペイン語とラテン語を習得し、フアン・ディエゴの証言をナワトル語で記録するときには、アルファベットを使用した。バレリアノは、後に同校の教授、次に副校長となった。更にメヒコの裁判官と総督を35年務め、1605年に85歳で亡くなっている。

 「報告書(Nican Mopohua)」のナワトル語とスペイン語の対訳はここにあります。

「そこ(私の小さな teocalli)で、私は彼(命を与える真の天主、全てのものの造り主、天と地との所有主、私たちのもっとも近くにいる主)を見せましょう。私は彼を高め、私が持つ愛によって、私の憐れみの眼差しによって、私の助けによって、私の救いによって、彼を人々に与えましょう。

in oncan nicnextiz, nicpantlazaz. Nictemacaz in ixquich notetlazotlaliz, noteicnoitlaliz, in notepalehuiliz, in notemanahuiliz,

【ナワトル語で Nic- という接頭辞は「私は~するでしょう」、 Note- という接頭辞は「私の~によって」という意味になるようです。】

「私は本当にあなたたちの憐れみの母です。私はあなたの、そしてこの地に一緒に住むあなたたち全ての母であり、私を愛する他の人々の、私に叫ぶ人々、私を求める人々、私に信頼する人々の母です。」

Ca nel nehuatl in namoicnohuacanantzin, in tehuatl ihuan in ixquichtin in ic nican tlalpan ancepantlaca, ihuan in occequin nepapantlaca, notetlazotlacahuan, in notech motzatzilia, in nechtemoa, in notech motemachilia,

「その場所で、私は彼らの嘆きを、彼らの悲しみを、聞きましょう、彼らの全ての苦しみと哀れさと苦悩とを癒し、清め、養うために。
私の憐れみがなされ働くために、メヒコの司教の家に行って、私がどのようにしてあなたを遣わしたかを告げなさい。それは彼がここに私のために teocalli を建てることを私がどれほど望んでいるかを、あなたが彼に知らせるためです。あなたは全てを彼に言いなさい、あなたが見て感嘆したこと、あなたは聞いたことを全て伝えなさい。」


ca oncan niquincaquiliz in inchoquiz, in intlaocol, inic nicyectiliz nicpatiz in ixquich nepapan innetoliniliz, intonehuiz, inchichinaquiliz. Auh inic huelneltiz in nicnemilia in noteicnoittaliz ma xiauh in ompa in itecpanchan in Mexico Obispo, auh tiquilhuiz in quenin nehua nimitztitlani inic tiquixpantiz in quenin huel cenca niquelehuia inic nican nechcalti, nechquechili in ipan in tlalmantli noteocal; huel moch ticpohuiliz in ixquich in otiquittac, oticmahuizo, ihuan in tlein oticcac.

「私はそのことに大変感謝するでしょうし、お礼をすることをよく知りなさい。そのために、私はあなたを豊かにし名誉を与えましょう。そのために、私があなたたちを遣わすそのことをお願いをしにゆく、あなたの疲労、あなたの奉仕に、私が報いるそのやり方にあなたは相応しいものとなるでしょう。さあ、私のいとも愛しい子よ、私の言った言葉を聞きました。行って、自分のなすべきことをしなさい。」

Auh ma yuh ye in moyollo ca huel nictlazocamattiz, auh ca niquixtlahuaz ca ic nimitzcuiltonoz, nimitztlamachtiz, ihuan miec oncan ticmacehuaic niccuepcayotiin mociahuiliz, in motequipanoliin ic ticnemilitiuh in tlein nimitztitlani.
Ocayeoticcac, noxocoyouh, in niiyo, in notlatol; ma ximohuicatiuh, ma ixquich motlapal xicmochihuili.

 すでにスペインの女王イサベラはコロンブスのアメリカ大陸発見の直後から、アメリカ・インディアンたちはイベリア半島に生まれたスペイン人たちと同等の臣下であると宣言し、彼らを奴隷にすることを厳禁した。

 イサベラ女王は、最初にスペインに連れてこられたインディアンたちを保護して解放した(そのうちの一人は有名なラス・カサス神父様が連れてきたインディアンだった)。教皇パウロ三世も、1537年に大勅令 Sublimis Deus を発布し、インディアンたちの救霊を訴えた。1542年、カルロ五世はインディアンたちが王国の自由民であるこという法を発布した。

 そして1531年にはすでに聖母マリアは、アメリンディアンたちに、ご自分を憐れみ深い母親であると語りかけていた。
(続く)

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2021年12月11日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、2021年12月12日は待降節第三主日です。

「テレワーク」方式ではありますが、皆様にYouTubeで「待降節第三主日の説教」の動画をご紹介いたします。

この動画が気に入ったら、お友達にもご紹介くださいね。

SSPX JAPAN聖ピオ十世会日本にチャンネル登録もお願いいたします。

天主様の祝福が豊にありますように!

トマス小野田圭志神父


「ロザリオの秘密」聖ルイ・グリニョン・ド・モンフォール:第27、28のバラ:ロザリオは主の御生涯、御受難、御死去、栄光についての黙想を通して知識を与えてくれる幸いなものである

2021年12月11日 | カトリックとは

二十七番目のバラ:恩恵

多くの偉大な霊魂たちが実践してきたこの信心を受け入れるための、さらなる理由をお伝えしたいと思う。玄義の黙想とともに唱えられるロザリオは、次のような素晴らしい結果がもたらされる。

1. イエズス・キリストについての完全な知識を徐々に得ることができる。

2. 霊魂が浄められ、罪が洗い流される。

3. すべての敵に対する勝利が与えられる。

4. 聖徳の実践を容易にしてくれる。

5. 祝福された主への愛で私たちを燃え上がらせる。

6. 聖寵と功徳で私たちを豊かにしてくれる。

7. 天主と同胞に対するすべての負債を支払うために必要なものが与えられ、最後に全能の天主からのあらゆる種類の恩寵を得ることができる。

イエズス・キリストに関する知識は、キリスト者の学問であり、救いの学問である。聖パウロは、「実に、主イエズス・キリストを知るという優れたことに比べれば、その他のことは何でも丸損だと思う」と言っている。これは真実である。

1. なぜならそれは、その対象である、天主でありながら人間であられるイエズス・キリストの御稜威のためであり、その天主であり人間であられるイエズス・キリストに比べれば、全宇宙は一滴の露や一粒の砂にすぎないからである。

2. また一方、人間の学問は、高慢の煙と空虚さで私たちを満たすだけだからである。

3. 最後に、その必要性のゆえに:なぜなら、イエズス・キリストを知らずに救われることはあり得ないからだ。しかし、他のどの学問も全く知らない人でも、イエズス・キリストの学問にさえ照らされている限り、救われるのである。

ロザリオは、私たちの祝福された主の御生涯、御受難、御死去、栄光についての黙想を通して、この学問と知識を与えてくれる、幸いなものである。

サバの女王は、ソロモンの知恵に感嘆して、こう叫んだ。「たえずあなたの前にいて知恵を言葉を聞ける婦人たちや、家来たちは幸せ者です。」 
しかし、救い主の御生涯、聖徳、御苦難、栄光を注意深く黙想する信者たちは、はるかに幸せである。なぜなら、この方法によって、彼らは永遠の命と一致する完全な知識を得ることができるからだ。
“永遠の命とは、唯一のまことの天主であるあなたと、あなたの遣わされたイエズス・キリストを知ることであります。”

聖母は福者アランに、聖ドミニコがロザリオの説教を始めるやいなや、頑なだった罪人たちが感動し、自分たちの重大な罪について激しく泣いたことを明かした。幼い子供たちは信じられないほどの償いの業をし、聖ドミニコが聖なるロザリオを説教したところはどこでも、罪人たちが生活を改め、彼らの償いをし心を変えることによって人々を教化するという熱心が起こったのである。

もし、あなたの良心が罪に苛まれているなら、ロザリオを手に取り、少なくともその一部を唱え、私たちの主イエズス・キリストの御生涯、御受難、栄光の玄義のいくつかを讃えよう。あなたがこれらの玄義を黙想し、讃えている間に、イエズスは確かに、天にまします聖父に聖なる御傷を見せてくださるだろう。そして主はあなたのために嘆願し、悔悛と罪の赦しを得てくださるだろう。

ある日、主は福者アランにこう仰せられた。“もしこの哀れな罪人たちが私のロザリオを唱えさえすれば、彼らは私の受難の功徳を分かち合うことができ、私は彼らの弁護者となり、聖父の正義を宥めることができるだろう。”

この人生は戦いと誘惑の連続でしかない。私たちは生身の人間の敵ではなく、まさに地獄の力と戦わなければならないのである。彼らと戦うために、私たちの偉大な指揮官が教えてくださった「主祷文」と、悪魔を追い払い、罪を滅ぼし、世界を新たにした「天使祝詞」以上に良い武器があるだろうか?私たちの主であり、救い主であられるイエズス・キリストの御生涯と御受難の黙想以上に良い武器があるだろうか?

聖ペトロが言っているように、主が征服し給い、また日々私たちを悩ませているのと同じ敵から身を守るためには、この考えで自らを武装しなければならないのである。「キリストは肉体において苦しまれたのであるから、あなたたちもその心で武装せよ。」

「悪魔は、イエズス・キリストの御謙遜と御受難によって打ち砕かれて以来、主の御生涯の玄義の黙想で武装した霊魂を攻撃することはほとんどできず、もしそのような霊魂を悩ませたとしても、必ず恥ずべき敗北を喫することになる。」(ユーグ枢機卿)

“天主の武具をすべて付けよ ” だから、天主の武具である聖なるロザリオで身を固めれば、悪魔の頭を打ち砕き、あらゆる誘惑に直面しても毅然とした態度をとることができる。これが、物質的なロザリオそのものも悪魔にとっては恐ろしいものであるという理由であり、聖人たちがそれを使って悪魔を鎖で縛り、取り憑かれた者たちの体から悪魔たちを追い出した理由でもある。このような出来事は、複数の確かな記録に報告されている。

福者アランは、彼が知っているある男性が、自分に取り憑いている悪魔を追い出すために、必死になってあらゆる種類の信心を試みたが、成功しなかったという。ついに彼はロザリオを首にかけることを思いつき、かなり楽になった。しかし、ロザリオをはずすと悪魔に苦しめられることが分かり、夜も昼もロザリオを付けることにした。悪魔はこのような恐ろしい鎖に耐えられなかったので、永遠に追い払われた。福者アランは、ロザリオを彼らの首にかけたことで、悪魔に取り憑かれた多くの人々を解放したとも証言している。

ドミニコ会のジャン・アマ神父は、ある年、アラゴン王国で四旬節の説教をしていたとき、悪魔に取り憑かれた少女が彼の元に連れてこられた。神父は何度も悪魔払いをしたが成功しなかったので、彼のロザリオを少女の首にかけた。神父がそうするやいなや、少女は恐ろしいほどの悲鳴を上げて叫び始めた。「外して!取って!取って!この珠が私を苦しめるの!」 神父は少女を哀れに思い、ついにロザリオを外してしまった。

その日の夜、アマ神父が寝ていると、少女に取り憑いていた同じ悪魔たちが、怒りに満ちて神父のところにやってきて、彼を捕まえようとした。しかし、アマ神父はロザリオを手に持っていたので、どんな悪魔もそれを神父から奪うことはできなかった。神父は、「聖なるマリア、聖なるロザリオの聖母よ、私を助けに来てください!」と叫んで悪魔らを追い払い、そのロザリオで見事に悪魔たちを打ち負かしたのだ。

翌日、彼が教会に行くと、まだ取り憑かれている哀れな少女に出会った。彼女の中にいる悪魔の一人が笑い始め、嘲笑うような声で言った。「あぁ、兄弟よ、もしおまえがロザリオを持っていなかったら、俺たちはおまえを容赦なくやっつけていただろうね!」 すると、善良な神父は何も言わずに、少女の首にロザリオをかけてこう言った。「イエズスと聖母マリアの聖なる御名によって、また、至聖なるロザリオの御力によって、私はおまえに命ずる、悪霊どもよ、この少女の体から出て行け。」すると、悪魔たちは直ちに従わざるを得なくなり、少女は彼らから解放された。

これらの物語は、悪魔がもたらすあらゆる誘惑ーーまたあらゆる種類の罪ーーに打ち勝つ、聖なるロザリオの力を示している。なぜなら、これらの祝福された珠は、悪魔を追い払うからである。


二十八番目のバラ:有益な効果

聖アウグスティヌスは、私たちの救いにとって、救い主の御苦難に絶えず思いを馳せること以上に実りある有益な霊的活動はない、とはっきりと述べている。

聖トマス・アクィナスを弟子に持っていた大聖アルベルトは、啓示の中で、キリスト者は、ただ主イエズス・キリストの御受難を考えたり、黙想したりするだけで、一年間、毎週金曜日にパンと水で断食したり、週に一度、血が出るまでゲ激しく鞭打ちをしたり、毎日、詩篇を全部唱えたりした場合よりも、多くの功徳を得ることができる、と知った。もしそうだとしたら、救い主の全生涯と御受難を記念する聖なるロザリオによって私たちが得ることのできる功徳は、どれほど大きいことだろうか!

ある日、聖母は福者アランに、祝福された私たちの主の御受難の生きた記念である、最も重要なミサの聖なる犠牲の後には、私たちの主イエズス・キリストの御生涯と御受難の第二の記念と表現のような聖なるロザリオよりもすばらしい信心と大きな功徳はありえない、と啓示されたのである。

ドーランド神父によると、1481年に聖母がトレベスに住むカルタゴ人の尊者ドミニコに現れて、こう仰せられたそうである。“恩寵の状態にある信徒の一人が、イエズス・キリストの御生涯と御受難の玄義を黙想しながらロザリオを唱えるときは、いつでも、すべての罪の完全な赦しを得ることができます。”

また、聖母は福者アランにこう仰せられた。“あなたに知ってもらいたいことがあります。私のロザリオを唱えることにはすでに多くの贖宥がありますが、敬虔に跪いてめでたしを唱える者たちのために、私はさらに五十回(五連)のめでたしに多くの贖宥を加えようと思っていますーーもちろん、大罪を犯していないことが前提ですが。そして、これらの祈りと黙想をしながら、聖なるロザリオの信心を続ける者は、それによって報われるでしょう:私はその者のために、彼の人生の終わりに、彼が犯したすべての罪と、その罪の罰の完全な赦しを得るでしょう。このようなことが不可能であるかのように不信感を抱いてはなりません。私は天の王の母であり、天の王は私を聖寵充ち満てると呼んでおられるので、私にとっては易しいことなのです。そして、聖寵に充ち満ているからこそ、私の愛する子供たちにも聖寵を惜しみなく与えることができるのです。”

聖ドミニコは、聖なるロザリオの効果とその偉大な価値を確信していたので、告解を聞いたときには、他の償いをほとんど命じなかった。その一例として、私がお話したローマの女性の償いにロザリオ一環を与えた話をご覧になったことがあると思う。聖ドミニコは偉大な聖人であり、他の聴罪司祭たちも彼の足跡をたどるように、主に喜ばれ、徳を積むのに役立ち、罪に陥らないようにするのに、ロザリオほど効果がない他の償いを与えるのではなく、悔悛者たちには聖なる玄義の黙想とともにロザリオを唱えるように求めるべきである。さらに、ロザリオを唱えている間、人々は他の多くの信心業にはない、無数の贖宥を得ることができるのである。

そして、ブロシウス大修道院長はこう述べている。「ロザリオは、イエズス・キリストの御生涯と御受難を黙想することで、間違いなく最も主と聖母を喜ばせるものであり、あらゆる恩寵を得ることができる非常に有効な手段である。私たちは、自分自身のためにも、私たちが祈りたい人たちのためにも、そして教会全体のためにも、ロザリオを唱えることができる。であるから、私たちに必要なことすべてを求めて、聖なるロザリオに向かおう。そうすれば、私たちの救霊ために天主に乞い求めた御恵みを必ず得ることができるだろう。」


「ロザリオの秘密」聖ルイ・グリニョン・ド・モンフォール 第25, 26のバラ:至聖なるロザリオの信心が、玄義の黙想とともに唱えられるときに、その力、価値、重要性がいかに絶大であるか

2021年12月10日 | カトリックとは

二十五番目のバラ:聖化の宝

聖なるロザリオの祈りと玄義に含まれている聖化の驚くべき宝を、本当に理解することは誰にもできないだろう。私たちの主であり、救い主であられるイエズス・キリストの御生涯と御死去の玄義に対するこの黙想は、それを行なう者たちにとって最も素晴らしい実りの源となる。

現代人は、心を打つもの、感動するもの、霊魂に深い印象を与えるものを求めている。聖なるロザリオに収められている、救い主の御生涯、御死去、栄光の素晴らしい物語ほど感動的なものは、世界の全歴史の中でどこにもなかった。十五の劇的場面の中で、救い主の御生涯の主要な場面や神秘が私たちの目の前で展開される。また「主祷文」と「天使祝詞」よりも素晴らしく崇高な祈りがあるだろうか?この二つの祈りには、私たちのすべての望みとすべての必要なものが表されている。

玄義の黙想とロザリオの祈りは、すべての祈りの中で最も簡単なものである。なぜなら、私たちが学ぶ主イエズス・キリストの種々の聖徳と、御生涯のさまざまな段階が、素晴らしい方法で私たちの心を新たにし、強め、散漫しないように助けてくれるからだ。

これらの玄義は、学者にとっては最も深い教義の源であるが、単純な人々にとっては、彼らの手の届くところにある教えを学ぶ手段を見つけることができる。

私たちは、観想の最も高い状態に進む前に、この簡単な黙想方法を学ばなければならない。これは、聖トマス・アクィナスの見解であり、彼はこう私たちに助言する、「まず第一に、聖なるロザリオが私たちに模倣するよう与えてくれるすべての聖徳を身に付けて、いわば戦場で訓練しなければならない。」学者のカイェタノは、これこそが天主との真の親密な結びつきに到達する方法だ、と言っている。この結びつきがなければ、観想は霊魂を迷わせる危険な幻想にすぎない。

もし、今日の光明主義者や静寂主義者がこの助言に従っていれば、彼らはこれほどまでに堕落することはなかっただろうし、このようなスキャンダルを引き起こし、善良な人々の信心を狂わせることもなかっただろう。「天にますます」や「めでたし」よりも素晴らしく美しい祈りを唱えることができると考えるのは、悪魔の奇怪な幻想に陥っているとしか思えない。【聖ルイ・グリニョン・ド・モンフォールの時代には、光明主義と静寂主義という異端があった。前者も後者も、天主の霊感を誇張して考え、霊的生活における個人の努力の必要性を否定していた。

これらの天の祈りは、私たちの霊魂を支え、強め、保護するものである。しかし、私は、これらの祈りを声に出して唱えることが必ずしも必要ではないことを認めなければならない。ある意味では、精神的な祈りの方が声による祈りよりも完全であることは確かであるが、信じてほしいのは、天主とのより完全な一致を求めるという口実で、自らの意思でロザリオを唱えるのを放棄することは、致命的とまでは言わないまでも、本当に危険なことなのである。

時折、わずかにプライドが高く、聖人たちが到達した崇高な観想の高みに到達するために、内面的にできる限りのことをしてきた霊魂が、白昼の悪魔に惑わされて、より大きな善を見つけたと思い、以前の信心を放棄することがある。そして、以前の信心業を劣ったものと見なし、普通の平凡な霊魂にしか合わないものだと考える。

しかし、このような霊魂は、大天使が教えてくれた祈りや祝詞、さらには天主が作って教えてくださり、そして天主御自身が、“あなたたちはこう祈るがよい、『天にまします我らの聖父よ…』”と仰せられた祈りにも、あえて耳を貸さなかったのである。 ここまで来ると、このような霊魂は最初の幻想からさらに大きな幻想へと流され、断崖から断崖へと落ちていくのである。

ロザリオ信心会の親愛なる兄弟の皆さん、信じてほしい。もしあなたが本当に、誠実に祈る者たちに悪魔が仕掛ける罠に陥ることなく、高いレベルの祈りに到達したいと願うなら、毎日ロザリオを全部、あるいは少なくとも五連唱えてほしい。

天主の御恵みによって、すでに高いレベルの祈りに到達している者は、もしその状態を維持したいと思うなら、また、それによって謙遜を身につけたいと思うのなら、聖なるロザリオを唱える習慣を続けてほしい。毎日ロザリオを唱えている者が、公の異端者になったり、悪魔に道を踏み惑されたりすることは決してないからである。これは、私が喜んで自分の血で署名する声明である。

一方、全能の天主が無限の憐みをもって、ロザリオを唱えている時に何人かの聖人にされたように、あなたを力強く天主に引き寄せるなら、自分を天主の御手の中に委ね、天主の方に引き寄せられるがままにしてほしい。天主があなたの中で働き、祈って下さり、あなたのロザリオを天主の方法によって唱えて頂いたら、その日はそれで十分である。

しかし、もしあなたがまだ活動的な観想状態にあるか、あるいは通常の静寂の祈り、つまり天主の御前に身を置き、天主を愛する状態にあるならば、ロザリオを唱えることをあきらめない理由が世界中にある。ロザリオは、精神的な祈りから遠ざかったり、霊的な成長を妨げたりするどころか、あなたにとって最も大きな助けとなるだろう。あなたは、それが十五段ある本物のヤコブのはしごであることに気づくだろう。そして、その一段一段によって、あなたは聖徳から聖徳へ、光から光へと進んでいくだろう。このようにして、惑わされることなく、あなたは充ち満ちるイエズス・キリストの背丈へと容易に到達することができるのである。


二十六番目のバラ:崇高な祈り

あなたが何をするにしても、ロザリオについて語られるときにしばしば言及される、敬虔ではあるが自分勝手なローマのある婦人のようになってはならない。彼女は非常に敬虔で熱心であったため、その聖なる生活によって教会の最も厳格な修道者でさえも恥ずかしい思いをしたのである。

霊的生活について聖ドミニコの助言を求めることにした彼女は、告解を聞いてくれるように彼に頼んだ。償いのために、聖ドミニコは彼女にロザリオを一環唱えるように命じ、そしてそれを毎日唱えるように助言した。しかし彼女は、自分は毎日「ローマの道行き」を行なっていること、麻布や毛織りの肌着を着用していること、週に数回鞭打ちをしていること、他にも多くの苦行や断食をしていることなどを言い訳にして、唱える暇がないと言った。聖ドミニコは何度も何度も彼女にロザリオを唱えるように勧めたが、彼女はそれを聞かなかった。彼女は告解室を後にしたが、この新しい霊的指導者が、自分の好みに合わない信心をするように懸命に説得したことに恐怖を感じた。

その後、彼女は祈りの中で恍惚状態に陥り、自分の霊魂が主の審判の座の前に現れているビジョンを見た。聖ミカエルは、彼女の償いの業やその他の祈りを一方の天秤に乗せ、彼女の罪や欠点をもう一方の天秤に乗せた。彼女の罪や不完全さの天秤は、彼女の善行の天秤よりも大きく上回っていた。

恐怖でいっぱいになった彼女は、憐みを求めて、慈悲深い弁護者であられる聖母の御助けを求めた。聖母は、彼女が償いのために唱えた、たった一環のロザリオを、彼女の善行の天秤の上に落とされた。この一環のロザリオはとても重く、彼女のすべての罪や、また彼女のすべての善行よりも重かったのである。すると聖母は、彼女がしもべであるドミニコの助言を拒み、毎日ロザリオを唱えていないことを咎められた。

我に返るとすぐに、彼女は急いで聖ドミニコの足元に身を投げて、起こったことをすべて話し、不信心の許しを乞い願い、毎日忠実にロザリオを唱えることを約束した。このようにして、彼女はキリスト教の完徳を獲得し、最終的に永遠の命の栄光を手に入れたのである。

祈りの民であるあなた方は、このことから、至聖なるロザリオの信心が、玄義の黙想とともに唱えられるときに、その力、価値、重要性がいかに絶大であるかを学ぶように。

聖マグダラのマリアのように祈りの高みに到達した聖人はほとんどいない。マグダラのマリアは、毎日、天使によって天に引き上げられ、主御自身と聖母の御足元で学ぶ特権を持っていた。しかしある日、彼女が天主に、天主の愛の中で前進し、完徳の高みに到達する確実な方法を尋ねたところ、天主は大天使聖ミカエルを遣わして、主の御受難を黙想すること以外に完徳の高みに到達する方法はないことを、主に代わって彼女に告げさせたのである。そこで聖ミカエルは、彼女の洞窟の前に十字架を置き、彼女にその前で祈り、自分が実際に目撃した苦しみの玄義を観想するように、と言った。

当時の偉大な霊的指導者であった聖フランシスコ・サレジオの例を見れば、あなたは聖なるロザリオの信心会に参加するよう駆り立てられるはずである。なぜなら、偉大な聖人である彼は、自分が生きている限り、毎日、ロザリオをすべて唱えることを誓ったからである。

聖カルロ・ボロメオも毎日ロザリオを唱え、司祭たちや神学校の教職者たち、そしてすべての人々にこの信心を強く勧めた。

教会を統治した偉大な教皇の一人である聖ピオ五世も、毎日ロザリオを唱えていた。ヴァランスの大司教であるヴィラノヴァの聖トマス、聖イグナチオ、聖フランシスコ・ザベリオ、聖フランシスコ・ボルジア、聖テレジア、聖フィリッポ・ネリなど、ここでは紹介していない多くの偉人たちも、聖なるロザリオに深い信心を抱いていた。

彼らに倣うように:あなたの霊的指導者も喜ぶだろうし、もし彼らがこの信心から得られる恩恵を知っていれば、真っ先にあなたにこの信心を取り入れるように勧めることだろう。


【再掲】マリアの御手をとおして、人となった永遠の叡智イエズス・キリストに、自分自身を奉献する

2021年12月08日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日は、童貞聖マリアの無原罪の御孕りの祝日です。おめでとうございます!

この佳き日に聖グリニョン・ド・モンフォールによる「マリアを通したイエズスへの奉献」をすることを提案いたします。この奉献文の日本語訳をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!

マリアの御手をとおして、人となった永遠の叡智イエズス・キリストに、自分自身を奉献する

ああ、人となられた、永遠の叡智よ!ああ、いとも愛すべき、拝むべきイエズス、まことの天主、まことの人、永遠の聖父のひとり子にして終生童貞マリアの子よ!
永遠にわたって聖父のふところにおいてまた聖父の栄光の輝きのうちに、さらにまた、御身の御托身の時間においてましまし、御身のいともふさわしい御母なるマリアの童貞なる胎内のうちにましましたもう御身を、われは深く礼拝し奉る。

われを悪魔の残酷な奴隷状態から解放するため、御身は奴隷の姿を取りご自分を無にし給うたことを、われは御身に感謝し奉る。御身は、聖なる母マリアに万事において服従することをお望みになり給いしが、そは聖母を通してわれを御身の忠実な奴隷となすためなり。われは、御身を褒めたたえ、栄光を帰し奉る。

されど、悲しいかな、何と忘恩にして不忠実なることか、われは洗礼の時のかくも荘厳に御身になした誓いと約束とを守らざりけり。われは、自分の義務を果たさざりき。御身の子とも、御身の奴隷とも、われは呼ばれるに値せぬなり。われには、ゴミ同然で御身の怒りしか値するものが無きがゆえに、われ自身では御身の聖にして偉大なる御稜威に敢えて近づくを得ず。

それゆえわれは御身のいとも聖なる御母の取り次ぎと御憐れみに寄りすがるなり。御身は聖母を御身の御許における仲介者とわれに与え給えたるがゆえなり。御身から痛悔とわが罪の赦し、智恵の獲得と保存とを得ることができるとわれ期待するは、聖母の手段を通してなり。
めでたし、ああ、汚れなき御母聖マリア、天主の生ける聖櫃よ、御身において隠れたる永遠の智恵イエズスは、天使らからも人々からも、礼拝されることを望み給うなり。
めでたし、おお、天と地の元后よ、御身の支配のもとに、天主より下のものはみな全て服従するなり。
めでたし、おお、罪人の安全なよりどころよ、御身のあわれみは全ての人に及ぶなり、天主の智恵についての我れが抱く望みを聞き入れ、わが卑しさが御身に捧げる約束と奉献を受け入れ給え。

われ(名前)、信仰薄き身なれど、今日、御身の御前に、御手のうちに、洗礼の約束を新たにし、確認し奉る。われは、悪魔とその栄華とその業とを永久に捨てんことを誓い奉る。われは人となり給いし天主の叡智なるイエズス・キリストの御跡に従い、死に至るまで人生の全ての日々、おのが十字架を担い、今より後は一層主に忠実ならんがため、われ自身を全て主にささげ奉る。
われ今、天国の全ての諸天使諸聖人の前にて、御身をわが母、わが元后(Maîtresse)として選び仰ぎ、われはみずからを奴隷として御身にささげ尽くし、わが身も霊魂も、わが内的善も外的善も、過去・現在・未来におけるわが善業の功徳をもことごとく御身に捧げ奉る。
われと、われに属する全てを現世においても来世においても余すところなく、天主の最大の御栄のために御身の御旨のままに計らい自由に処理する全権を御身に委ね奉る。

ああ、優しき童貞マリアよ、永遠の叡智なるイエズスが母なる御身になし給うた服従を褒め称え、この服従に一致して、われを奴隷として御身に奉るこのささやかなる捧げ物を受け入れ給え。主と御身とが二人とも、この小さき虫けら、このあわれな罪人の上にもち給う力を褒め称え、聖三位一体が御身に与え給う諸特権に感謝し奉る。
これから後、われは御身の真の奴隷として、御身の誉れを追求し、万事において御身に従順たることを、荘厳に宣言し奉る。

ああ、いとも感ずべき御母よ、われを永遠の奴隷として、御身の愛する御子イエズスにささげ給え。御身を通してわれを贖いし主が、御身を通してわれを受け入れ給うためなり。

ああ、あわれみの御母よ!天主の真の叡智を得るみめぐみを我になし給え。そのために、御身の子かつ奴隷として御身が愛し・教え・導き・養い・保護し給う者たちの数にわれをも加え給え。

ああ、真実なる童貞よ、われをして、全てにおいて、人となった叡智である御子イエズス・キリストのいとも完全なる、御身の御取り次ぎと、模範とによりて、地上にてはイエズスの生涯の充満に、天国においては、主の栄光の充満に到達するほど完全なる、弟子、模倣者、奴隷となし給え。

アーメン。







フルヴィエールの聖母(フランス、リヨン)








--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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