第24回 福岡アジア文化賞大賞は、医師でペシャワール会現地代表の中村哲氏です。
当然の受賞、いや遅きに失した・・・と思うほどの困難な支援活動を30年も継続し、実績を上げ、まだ継続中の人です。
授賞式の翌日フォーラムで 『 アフガニスタンに生命の水を ~国際医療協力の30年~ 』と題した基調講演が行われました。
中村氏は、パキスタンとアフガニスタンの砂漠のような土地で、30年にもわたり、現地の人の命と向き合って活動を続けてきた人です。
1884年、パキスタンでのハンセン氏病の医療活動から始まりましたが、その後相次ぐアフガニスタンからの難民に、91年アフガン国内に3診療所を開設しました。そこを中心にして無医村での診療活動を開始します。
1993年マラリア大流行で、治療薬に日本国内の募金から2000万円の寄付を受け2万人の命を救いました。
98年にはパキスタン・アフガニスタン両国の拠点となる近代的な 『PMS(ペシャワール会医療サービス)病院』 を設立します。
2000年のアフガン大旱魃で難民流出が続き、「飲み水・農業用水の確立こそ難民化を防ぐ」として医療活動と水源確保事業を並行させていきます。
飲料用井戸1600本、径5mの灌漑用井戸13本を掘削、地下水路38か所を修復して水の確保に取り組みました。
( 写真は、ペシャワール会 のパンフレットから用水路建設を4コマにまとめたものです )
数十年に一度という大旱魃で土地は砂漠化し、次々に村が消えていき、膨大な数の難民が発生。
2003年、写真のようなまさに砂漠の地に、クナール河からの水を引く用水路事業が始まります。
まだ重機もなく、現地の人の努力で推し進められました。
2007年 第一期 13kmが完工
2009年 24.3kmが開通
2010年 全長25.5kmが開通 灌漑面積は3000haとなり、20万人が恩恵を受け、消えた村が次々復活していきます。
取水口の新設、改修を行い、今では14000ha(60万人)の農地を守っています。
用水路は、日本の伝統土木工法の蛇籠工。両岸には柳を植えて、蛇籠の中に伸ばした根で土手の補強をします。
この水路を永久的に保存していくための計画や、試験農場を設けて作付・技術の研究も始まり、穀類、芋、野菜、果樹、養蜂、畜産など徐々に成果を上げているということです。
フォーラムでは、最近の新しい映像が映し出され、豊かに生長した両岸の木々の緑の間を、澄んだ水が流れている・・・のが信じられないほどでした。
そんな困難な事業を継続させているものは何かという会場の質問に「誰もが押し寄せる所なら誰かが行く、誰も行かないところでこそ、我々は必要とされる」「机上の議論はいらない、ただ実行あるのみ」というずしりと響く言葉がありました。
クリスチャンである中村氏が、イスラムの現地の人たちの命と心を大切にし、住民が待ち望んだモスクを建てて喜びを共にしたことにも非常に感銘を受けました。力でねじ伏せることにもっとも怒りを感じている方です。
『 現地の人々の立場に立ち、現地の文化や価値観を尊重し、現地のためにはたらく 』ことを『 唯一の譲れぬ一線 』とする確固としたした姿勢があります。
映像にはメスを重機に代えて運転する中村氏の姿、真っ白い長い服の現地の人たち、子供たちの屈託のない明るい笑顔、緑の畑、荒野の中を突き抜ける一筋の緑の水路など、希望につながる写真が映し出されました。
アフガンの陽に焼けた顔は穏やかで、荒野で活動する人とは思えないほどの柔和な語り口と相手を受け入れる懐の深さに、現地の人が警戒心をいだかずに信頼を寄せ、尊敬するのがよくわかります。
さり気ないユーモアもきっと周りの雰囲気を和ませてくれるのでしょう。 会場でも何度も笑いが起こりました。話し方もとてもうまいのです。
過去24回のアジア文化賞で、日本人の大賞受賞者は中村氏が二人目だそうです。「日本の良心にかけて」挑戦しているという活動に、同県人の誇りとしても支援を続けたいと思いました。
第11回でこの大賞を受賞したバングラデシュのムハマド・ユヌス氏は、この後ノーベル平和賞を受賞されました。中村氏も・・・、とそんな期待を市民は心待ちにしています。