新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

テレビ『なつぞら』と開高健『ロビンソンの末裔』

2019年05月04日 | 本・新聞小説
今放映の朝ドラのこと。ヒロイン「なつ」に絵を描く楽しみを教えてくれた友だちに「山田天陽」がいます。
彼は東京の家を戦災で失い、政府の勧める北海道開拓民として両親に連れられて移住して来た経歴を持っています。
夢の大地のはずが作物の育たない不毛の土壌、雪の降り込むバラックの家。開拓民の過酷な暮らしぶりがちらりと写し出されました。
身のすくむ思いのその光景を見てパッと思い起こしたのが、開高健『ロビンソンの末裔』です。
ずーっと前に読んだもので、茶色に変色した古本を送料込み1400円でやっと手に入れました。古本でこんなに高い文庫本は初めて。
昭和57年再発行本は文字が小さくて「行」の移動がうまくはかどりません。その頃の文庫本は今の若い世代でも読みにくいのではないかな。

やっぱりそうでした。ドラマとぴったり一致する時代の北海道への開拓移民の話でした。
太平洋戦争末期に無責任で行き当たりばったりに行われた開拓移民計画ですが、「東洋のウクライナ」という夢の宣伝文句を大勢の人が信じました。
こうして北海道に渡る最中、船上で突然の終戦を聞かされます。
情報も少ないまま、それまでの「既存農家」より20キロも奥の原野に連れていかれます。生い茂る熊笹の広大な荒れ地に放り出された移民。道もなく、畑もなく、家もなく、ランプもなく、在るのは近くの川だけ。
石をぎっしり敷き詰め、根太と厚板を敷いて床を作る。板を両側から斜めに立て掛けて屋根を作る。壁はなく、入り口と出口は二枚のムシロをぶら下げる。親子3人が寝られるだけの『拝み小屋』の作りです。

都庁職員を辞めて移民となった主人公は農業経験なし。兼業農家の町役場の指導員・久米田が時おりやって来て、誠実に現実的に指導してくれるのが唯一のたより。食料は川の魚と久米田が持ってくるジャガイモとカボチャ。
冬に向かい食料より大事だというブリキ板を張り合わせたルンペンストーブが配給されますが、吹雪けば雪はすき間から容赦なく小屋の中に入ってきます。
カレンダーも時計もない真冬の生活が客観的に克明に書かれていて、この部分がずーっと私の脳裏に凍りついていたのです。


戦後生まれとはいえ、昭和20年代の日本で育った私はこの場面をイメージするのに困難ではありませんが、多分今の若い人はイメージできず物語か創作の世界と思うかも。

本の中の開拓民の土壌はモヤシ1本育たない酸性土。川から水を引いて「毒」を薄めて流し、他から栄養分のある土を運んで客土をし、それを繰り返して3年~5年かかるという気の遠くなるものでした。その間役所からの当てがい扶持で乞食じみた暮らしをあと5年も・・・。
やっと少し耕しても撒く種がない。何回も役場へ足を運び種を手に入れても、ふた葉の後は枯れてしまうという悲惨なものでしでした。
前半はこの苦難の繰り返しですが、後半では、そんな中から組合を作って集団で交渉しようという話が持ち上がります。
寄せ集めの集団は紆余曲折しながら、土地を耕しながら、町役場、支庁、道庁へ、それでも埒が明かないので費用を出し合って上京し国会に詰め掛け抗議します。
知恵を絞った強行手段で一歩前進のお墨付きをやっと獲得することができました。 
そしてどうにか少しうまく行き始めたときに、大型の台風でおびただしい被害を受け全滅状態に陥りました。開拓の土地は人為で歯が立たず、天災で更に追い込まれたのです。
一人はタバコ一箱と土地を交換して東京に戻り、ある人は精神の障害に陥り、ある人は黙って去り、と開拓民たちは絶望して逃げ出し始め残る人はわずかになりました。
著者は、役場の人たち、既存農家の人たち、開拓民の心理と行動を感情を交えずに冷静に力強く表現しているので、私も悲愴感を押さえて読むことができました。

最終章の最後で『冬と夏と石ころだけの土があるだけです。死にはしないがまったく生きていません。来年はジャガイモを少し植えてみようかと思っています』という主人公の心情を述べて、読む側も未来に繋がるほんの少しの希望を見いだしました。

北海道の緑のあの美しいなだらかな丘、広い直線道路、カラフルな屋根。行ってみたい人気の観光地ナンバー1。北海道開拓の苦難の歴史はそのうちに伝説化することでしょう。
開拓史は日本、中南米移民を問わず過酷な自然に挑む苦難の繰り返しですが、その歴史を決して忘れてはいけない、記憶しておくべき事実だとしみじみ思っています。


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