新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

伊集院静『ミチクサ先生』その⑥ 熊本五高時代 159~181

2020年12月04日 | 本・新聞小説
9か月ぶりに11月11日から連載が再開されました。毎月初めに前月分のあらすじが載ります。12月1日の記事です。
「<あらすじ>金之助は熊本で鏡子との新婚生活を始めた。同僚教師も居候し賑やかな暮らしだ、教師としても五高の学生に慕われたが、金之助には″文学的生活″への思いが募っていた。」

もう少し詳しく書いておきますと・・・。
明治29年4月、夏目金之助は第五高等学校の教師として熊本に到着。6月には中根鏡子20歳と結婚します。鏡子に付いてきた老女中とくを金之助は気に入ります。
鏡子が流産したり、少し癇癪持ちで奇怪な行動したりと心配が重なりますが、とくが上手にまとめ、気晴らしに旅行を勧めます。

金之助は旅行の中で、世間知らずと思っていた鏡子の行動に新しい側面を発見して感心し、それに喜びを感じます。ある晩月を眺めていた鏡子の美しさにはっとして妻を好ましく思い、好きだ、とこの結婚が正しかったことを認めます。
二人で綺麗に輝く月を眺めたこのささやかないっときは生涯彼の心に残ります。
授業中「先生、I love you はどう訳したらいいのでしょうか?」の質問に「そうだな、″月が綺麗ですね″とでも訳しておきたまえ」と。
このように金之助がユーモアを大切にし、周りをクールに距離を置いて眺めるようになったのはこの五高時代からの傾向と言われています。

旅から帰宅後は合羽町の新居に移り住みます。俸給100円。1割を製艦費として差し引かれ、家賃13円、進学で父から借りた借金返済10円、姉への仕送り3円、本代23円。鏡子ととくがきちんと計ったもので金之助は大いに満足します。ここに、先に住み着いていた黒っぽい猫が登場します。そして顔色を窺いながら、少しずつ金之助の側に近づいてきます。名前はありません。
家賃13円の立派な家は街の評判になるほどで、金之助は子規ヘの手紙で″名月や十三円の家に住む″と詠んでいます。

信義から東京高商への招聘を断ったり、返還しない学生が多い中奨学金を毎月7円50銭ずつ返済することなど、彼の義理堅さや潔癖性を示しています。金之助の人柄は学生、教員、周囲の人から慕われていますが、教師の生活からそろそろ離れたいというのも本音です。

部屋数の多い新居には居候や客が絶えず、山川信次郎、兄のように慕っている久留米の菅、寺田寅彦と蒼々たる名前が出てきます。
ある時、専門だけに専念すべきかどうか、とガリ勉タイプではない寺田寅彦は金之助に悩みを打ちあけます。

金之助は「君の目指すところは築山のてっぺんだとしよう。誰もが真っ直ぐここからてっぺんに向かって歩くはずだ。でも私はそんな登り方はつまらないと思うんだ。オタンコナスのすることだ。
・・・・そういう登り方をした奴には、あの築山の上がいかに愉しい所かが、生涯かかってもわからないだろうよ。
・・・途中で足を滑らせて下まで落ちるのもよし。裏から登って皆を驚かせてやるのも面白そうじゃないか。ボクは小中学校で六回も転校したんだ。みなそれぞれに楽しく、いろんなことを学んだ。色んなの寄り道ができて面白かったよ。道草でもいいかな?」と、一高時代の親友米山保三郎の「わかりきったことをして何になる?あちこちぶつかりながら進む方がきっと道が拓ける」の言葉も添えて寅彦を励まします。熊本五高時代初期からの教え子寺田寅彦はのちに日本の物理学の先駆者になります。


著者も漱石の寄り道、道草に偉大な彼の原点を見出だしたのでしょう。意外だったのは鏡子。よくソクラテスの妻を引き合いに出して悪妻と言われます。そのイメージが強かったので、今度の鏡子像にとても好感をもっています。著者はいろんな文献から小さな言葉を掬い上げて、今までとは違う鏡子を作り上げたのでしょう。

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