新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

竜馬・いろは丸事件の賠償金額は?

2010年10月24日 | 本・新聞小説

司馬遼太郎「竜馬がゆく」を読みながら、一番感動したのは海軍学校設立でもなく、あの有名な薩長同盟でもなく、その後に起こる海援隊の傭船・いろは丸沈没事件に関しての竜馬の交渉術でした。

いろは丸事件は、瀬戸内海に於いて紀州和歌山藩船・明光丸といろは丸が衝突し、いろは丸が大破沈没した日本初の蒸気船同士の衝突事故です。非は明光丸にあるとする海援隊側の主張に対して、天下の御三家・紀州55万石が引くはずはありません。

双方の間で繰り返し賠償交渉が行われますが、竜馬は航海日誌や国際法『万国公法』を持ち出し、街に歌を流行らせて世論を盛り上げ、藩のトップも動員して世界を視野に入れ、これからの日本を見据えて理論的に攻めていきます。

そうして勝ちとった賠償金83500両(のちに少し減額されています)。この快挙に日本が大きく変わりつつあるエネルギーを感じ、竜馬の力というものを具体的に見る思いでした。

ちょうど検察と被告のように口論しあい賠償金を勝ち取ったことは、裁判闘争で勝ったようなもので、初めての「判例」として、長編小説の中でも心に残った一場面でした。

本を読んでいても竜馬を器の大きさという抽象的なとらえ方が多かったのが、やっとはっきりと竜馬の人物像をとらえることができた事件でした。

ところで83500両とは一体いくらぐらい?と思って調べてみました。現在の数字に置き換えると興趣も増すものです。

Img_2 写真は、磯田道史「武士の家計簿」からの資料です。

加賀藩猪山家文書(1846年)の両替データをもとに計算してみました。

現代賃金からの換算だと「83500×30万」で250億5000万円。この換算はちょっと高すぎる気がします。

現在の米価から換算すると「83500×55555」で約46億3800万円。

ある説では、1863年の1両は14800円。「83500×14880」で12億4248万円。昔のお金の換算はなかなか難しいです。


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5 コメント

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250億5000万円、ひえ~~、そんなに大金だ... (kazuyoo60)
2010-10-24 13:10:22
紀州家といえども、これは大変なことだったでしょう。
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≫kazuyoo60さん (チャグまま)
2010-10-24 23:42:13
私も250億円はちょっと高い気がします。
高度成長後の賃金の上昇、生活の向上を考え合わせると、1両=30万円はなじめませんね。
幕末はどこも藩の財政状態は悪く、とてもそんな賠償金を払う余裕はないはずです。
諸説いろいろありますが、ちょっと遊んでみるのも楽しいですね。
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面白いお話です。龍馬は世界を視野に理詰めで交渉... (moka)
2010-10-25 14:55:55
面白いお話です。龍馬は世界を視野に理詰めで交渉しましたか。日本の外交もこうありたいですね。この事件の対処の仕方を聞いていると、目標と言うか、目指すものは高く、大きく、実利は緻密に細かく粘り強くやっていたように見えますね。「竜馬が行く」頑張って読みなおそうかなと思い始めました。
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とても興味深く拝見しました。当時、日本の金貨、... (山口ももり)
2010-10-27 08:14:49
とても興味深く拝見しました。当時、日本の金貨、銀貨が世界的には1/4くらいの価格で外国商人に買い取られていまして、イギリス人が幕府にそれを注意したといいます。そこで、幕府は悪貨に改造。物凄いインフレだったと・・・藤村の「夜明け前」にも少しはでてきます。まったく・・・世慣れない政治家にはイライラさせられるのは今日も同じですね。龍馬はやっぱり商人の感覚が鋭かったのが、幕府のお役人と違うんでしょうね。
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≫ももりさん (チャグまま)
2010-10-29 00:26:35
なるほど、なるほど、換算で1855年には1分銀8556円だったのが、
1867年には651円の陥落です(◎_◎;)
本を読んでいてもよくぞ日本が植民地化しなかったものだと
思っています。
やっと「翔ぶがごとく」の7巻目に入りました、ふ~っ。
「夜明け前」を早く読みたいです。
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