新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

安部龍太郎『ふりさけ見れば』(日経新聞小説) その②  69~127

2021年12月05日 | 本・新聞小説
8世紀前半、唐の蘇州に16数年振りに日本からの遣唐使が上陸しました。前回の残留組の仲麻呂も吉備真備も井真成も、帰路の遣唐使船に乗り込み日本に帰国する予定でした。
ところが井真成の突然の死に疑問を持った真備と仲麻呂が真相を知るべく動き始め、その二人も危険な目に遭遇します。何らかの力が働いている・・・。
遣唐使らの話から、前回の留学僧・弁正が天皇の立場を守るために唐に残ったこと、井真成が彼の下で動いていたことを突き止めました。しかし井真成が殺されたことで慌てた弁正は身の危険を感じ行方不明になったままです。

そんな時に帰国の準備をしていた仲麻呂に遣唐大使・多治比広成からこのまま唐に残って弁正に協力することを命じられます。それは秘書省の秘府に入り「日本の史書を編纂するために、唐の史書に日本のことがどう記されているかを確かめる」という厳しい任務でした。要するにスパイです。

これより歴史を遡ること40年。白村江で唐・新羅の連合軍に破れた日本は唐との正常化を目指して使者を派遣します。しかし唐は交渉の前提として4つの条件を示します。
二度の遣唐使派遣で、律令制度制定、仏教を国家の理念にする、条坊制の都を作ることはクリアできました。4つめの国史を明らかにし、天皇の由緒の正しさを示すことは、「古事記」更に「日本書紀」を編纂してもクリアできません。
肝心なのは「天皇はどこから日本に渡り、大和に朝廷をきずいたか」を明確にすることでした。
それについては唐の史書に詳細な記述があります。それと一致せず明確な根拠も示せない場合は、日本の王権の正当性が否定され屈服させられるのです。
唐の史書は重要機密で相当の地位を得ないと自由に見られません。そのためには朝廷での出世の機会を貪欲に掴むこと、スパイであることを悟られぬように処世術を身に着けることを身を削ぐ思いで決意します。


仲麻呂は日本国と天皇家の正統性を守るためとあらばやむを得ないと16年ぶりの帰国を断腸の思いで断念します。
こうして、仲麻呂を残して、吉備真備と玄昉、仲麻呂の従者・羽栗吉麻呂らは16年ぶりに帰国を果たしました。仲麻呂の双子の子供・翼と翔を吉麻呂の子供として日本に向かわせました。彼らはのちの遣唐使として活躍します。(辻原登『翔べ麒麟』では吉麻呂の子供として登場します)

717年に遣唐使として入唐した仲麻呂は、王維とともに21歳の時に科挙の難関の進士科に合格。同期の絆は兄弟のように強く結ばれお互いに支えあっていました。仲麻呂は左補闕、王維は宰相・張九齢の書記に。
仲麻呂の順調な出世の陰には張九齢の指導と比護があったのです。仲麻呂の妻は張九齢の姪でもありました。


朝廷内は進士科出身の進士派と、家柄で立身した恩蔭派が対立していました。進士派を率いるのが張九齢で、恩蔭派が李林甫。李林甫に宦官・高力士が接近し張九齢と対立する姿勢を強めている頃でした。



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